宗像大社は言わずと知れた官幣大社です
宗像市役所の北北西約4kmのところ
釣川左岸の県道69号線お進むと
観光地らしく案内板が数多くでています
北向きに鎮座していますので
北側に広い駐車場が有ります
鳥居ですが、東側に太陽があって逆光になってしまいました
宗像大社ですが、大社宗像神社とあります
史跡説明版です
史跡 宗像大社境内
宗像大社は沖津宮、中津宮、辺津宮の三宮からなり、
宗像三女神を奉斎している。
ここに祀られる宗像大神については、記載、風土記
にも詳らかにのべられており、沖津宮のある沖ノ島か
らは、古墳時代から平安時代にかけての貴重な祭祀神
宝(国宝)が多数出土している。
また宗像大神を奉斎する宗像氏は古代の有力な氏族
であり、中世には院庁、鎌倉、室町両幕府らと関係を
もち、戦国記にもその地位を守り抜いた豪族であった。
旧境内の概要は、現存する天正6年(1578年)
の造営絵図により想定できるが、現境内もなおよく当
時の形状を保っている。
文部省 昭和46年4月22日指定
神苑の橋を渡ります
大きな手水舎です
こちらは何の建物でしょうか
神門です、皇族もここからは馬から降りたようです
狛犬です
境内案内です
拝殿です
本殿です
文化財説明版です
国指定重要文化財 本殿・拝殿
宗像三社の総社である辺津宮は往古より「第一宮」と
呼ばれ、全国約6200社の宗像神を祀る神社の総本宮
です。
現在の本殿と拝殿は、約500年前の弘治3年(15
57)の焼失により再建したものです。
本殿は戦国時代真っ只中の天正6年(1587)時の
大宮司田井80代宗像氏貞公が、拝殿は本殿再建の12
年後の天正18年(1590)毛利元就の三男で、「毛
利両川」の一人として知られ、当時の筑前国の領主であ
った小早川隆景公によって再建されました。本殿・拝殿
ともに国の重要文化財に指定されています
平成25年には屋根及び社殿塗装の修復が実施され、
同26年12月8日には遷座祭を斎行しました。
本殿 五間社両流造 杮葺
五間とは建物の横幅のことで一間が六尺(約1,8m)
です。流造は屋根が流れるような曲線を描いた建築様式
で、前後対象ではなく後より前が長い神社独特の工夫が
なされた美しい建物です。全体の構造は豪壮で、戦乱の
時代に建立されたとは思えない程優美な姿は、桃山時代
初期の特色がよく表わされています。
拝殿 切妻造妻入 杮葺
切妻とは屋根を四方ではなく、左右二面に本を伏せた
ように葺き、前後を切り落としたような様式で、妻入と
は妻側に入口を設けて正面とする造りです。全体的な印
象は簡素且つ雄大です。
御祭神の説明版です
御祭神について
当大社は天照大神の御子神
田心姫神(沖津宮)
端津姫神(中津宮)
市杵島姫神(辺津宮)
の三女神が、日本書紀に伝えられているように天孫降臨
にさきだち天照大神の御神勅を奉じて鎮座されました。
この九州北辺の要衝の地に三柱の女神が勅祭された意
義はまことに尊く、道主貴く御別称が示すように国民道
の祖神として歴代の皇室を守護され国家鎮護の御神徳を
発揚され今日に至っております。
また古くから皇祖天照大神をおまつりする伊勢神宮に
対して裏伊勢とも称され、皇室をはじめ国民の崇敬も厚
いお社です。宗像大神をおまつりする神社は全国に6千
余社ありますが、当大社はその総本宮であります。
宗像神社社務所謹誌
本殿の後ろ側に数々の境内社が並びます
末社由緒説明版です
末社由諸
本殿を囲んで22の社殿に121の末社が鎮まってお
ります。
現在の社殿は延宝3~4年(江戸時代前期)にかけて
整備されたもので、その由緒は古代の律令制度の時代ま
で遡ります。
大化の改新(645)により公地公民となりますが「
神郡」と定められた地域のみ、神社の私有が認められま
した。神郡は全国の有力神社7社(伊勢神宮①内宮②外
宮③安房神社④熊野大社⑤鹿島神宮⑥香取神宮⑦日前・
国懸神宮⑧宗像大社)にのみ許され「八神郡」と称され
ました。。九州では唯一宗像のみが神郡と定められ、そ
の「神郡宗像」内に祀られた各神社を集合奉祀したもの
が、現在の末社群です。
神郡宗像の領域は現在の宗像・福津両市を中心に、遠
賀・鞍手・粕屋郡の一部まで及び、各地域に鎮座した「
75末社108神」といわれる神が、宗像大社を総氏神
と仰いだ信仰を今に伝えています。尚、佐賀県の一部な
ど中世に宗像大宮司家が領有した地域の神も分祀され続
けたため121社に至っています。現在も各地に鎮まっ
ている神社がほとんどですが、なかには時代の経過とと
もに祭祀が営まれなくなり、もとの鎮座地が不詳となっ
た神社も、この末社群にはございます。
儀式殿です
高宮参道への出口です
第二宮、第三宮へ行きましょう
第二宮です
第三宮です
説明版です
第二宮・第三宮
宗像三女神のうち、長女神(沖ノ島)と次女神(大島)は
遙か玄界瀬洋上に鎮座されており、往古より総社(中心とな
る神社)である当地・辺津宮を[第一宮]と称し、その境内地
に両宮の御分霊をお祀りしてまいりました。そして第二宮と
第三宮まで詣でれば、沖津宮と中津宮まで、つまり宗像三宮
を拝したと信仰されてきました。
宗像三女神は「古事記」「日本書紀」にある通り、天照大
神と素戔嗚尊との誓約の際に、天照大神の息吹より誕生され
ました。
現在の社殿は、その格別の由緒を以て宗像三女神の御親神
を祀る伊勢神宮より、第60回神宮式年遷宮に際し下賜され
たものです。
我が国最古の建築様式である「唯一神明造り」で昭和50
年5月に移築されました。
御祭神
第二宮 田心姫神(長女神)沖ノ島・沖津宮の御分霊
第三宮 端津姫神(次女神)大島 ・中津宮の御分霊
宗像大社社務所
では、次へ行きましょう
宗像市役所の北北西約4kmのところ
釣川左岸の県道69号線お進むと
観光地らしく案内板が数多くでています
北向きに鎮座していますので
北側に広い駐車場が有ります
鳥居ですが、東側に太陽があって逆光になってしまいました
宗像大社ですが、大社宗像神社とあります
史跡説明版です
史跡 宗像大社境内
宗像大社は沖津宮、中津宮、辺津宮の三宮からなり、
宗像三女神を奉斎している。
ここに祀られる宗像大神については、記載、風土記
にも詳らかにのべられており、沖津宮のある沖ノ島か
らは、古墳時代から平安時代にかけての貴重な祭祀神
宝(国宝)が多数出土している。
また宗像大神を奉斎する宗像氏は古代の有力な氏族
であり、中世には院庁、鎌倉、室町両幕府らと関係を
もち、戦国記にもその地位を守り抜いた豪族であった。
旧境内の概要は、現存する天正6年(1578年)
の造営絵図により想定できるが、現境内もなおよく当
時の形状を保っている。
文部省 昭和46年4月22日指定
神苑の橋を渡ります
大きな手水舎です
こちらは何の建物でしょうか
神門です、皇族もここからは馬から降りたようです
狛犬です
境内案内です
拝殿です
本殿です
文化財説明版です
国指定重要文化財 本殿・拝殿
宗像三社の総社である辺津宮は往古より「第一宮」と
呼ばれ、全国約6200社の宗像神を祀る神社の総本宮
です。
現在の本殿と拝殿は、約500年前の弘治3年(15
57)の焼失により再建したものです。
本殿は戦国時代真っ只中の天正6年(1587)時の
大宮司田井80代宗像氏貞公が、拝殿は本殿再建の12
年後の天正18年(1590)毛利元就の三男で、「毛
利両川」の一人として知られ、当時の筑前国の領主であ
った小早川隆景公によって再建されました。本殿・拝殿
ともに国の重要文化財に指定されています
平成25年には屋根及び社殿塗装の修復が実施され、
同26年12月8日には遷座祭を斎行しました。
本殿 五間社両流造 杮葺
五間とは建物の横幅のことで一間が六尺(約1,8m)
です。流造は屋根が流れるような曲線を描いた建築様式
で、前後対象ではなく後より前が長い神社独特の工夫が
なされた美しい建物です。全体の構造は豪壮で、戦乱の
時代に建立されたとは思えない程優美な姿は、桃山時代
初期の特色がよく表わされています。
拝殿 切妻造妻入 杮葺
切妻とは屋根を四方ではなく、左右二面に本を伏せた
ように葺き、前後を切り落としたような様式で、妻入と
は妻側に入口を設けて正面とする造りです。全体的な印
象は簡素且つ雄大です。
御祭神の説明版です
御祭神について
当大社は天照大神の御子神
田心姫神(沖津宮)
端津姫神(中津宮)
市杵島姫神(辺津宮)
の三女神が、日本書紀に伝えられているように天孫降臨
にさきだち天照大神の御神勅を奉じて鎮座されました。
この九州北辺の要衝の地に三柱の女神が勅祭された意
義はまことに尊く、道主貴く御別称が示すように国民道
の祖神として歴代の皇室を守護され国家鎮護の御神徳を
発揚され今日に至っております。
また古くから皇祖天照大神をおまつりする伊勢神宮に
対して裏伊勢とも称され、皇室をはじめ国民の崇敬も厚
いお社です。宗像大神をおまつりする神社は全国に6千
余社ありますが、当大社はその総本宮であります。
宗像神社社務所謹誌
本殿の後ろ側に数々の境内社が並びます
末社由緒説明版です
末社由諸
本殿を囲んで22の社殿に121の末社が鎮まってお
ります。
現在の社殿は延宝3~4年(江戸時代前期)にかけて
整備されたもので、その由緒は古代の律令制度の時代ま
で遡ります。
大化の改新(645)により公地公民となりますが「
神郡」と定められた地域のみ、神社の私有が認められま
した。神郡は全国の有力神社7社(伊勢神宮①内宮②外
宮③安房神社④熊野大社⑤鹿島神宮⑥香取神宮⑦日前・
国懸神宮⑧宗像大社)にのみ許され「八神郡」と称され
ました。。九州では唯一宗像のみが神郡と定められ、そ
の「神郡宗像」内に祀られた各神社を集合奉祀したもの
が、現在の末社群です。
神郡宗像の領域は現在の宗像・福津両市を中心に、遠
賀・鞍手・粕屋郡の一部まで及び、各地域に鎮座した「
75末社108神」といわれる神が、宗像大社を総氏神
と仰いだ信仰を今に伝えています。尚、佐賀県の一部な
ど中世に宗像大宮司家が領有した地域の神も分祀され続
けたため121社に至っています。現在も各地に鎮まっ
ている神社がほとんどですが、なかには時代の経過とと
もに祭祀が営まれなくなり、もとの鎮座地が不詳となっ
た神社も、この末社群にはございます。
儀式殿です
高宮参道への出口です
第二宮、第三宮へ行きましょう
第二宮です
第三宮です
説明版です
第二宮・第三宮
宗像三女神のうち、長女神(沖ノ島)と次女神(大島)は
遙か玄界瀬洋上に鎮座されており、往古より総社(中心とな
る神社)である当地・辺津宮を[第一宮]と称し、その境内地
に両宮の御分霊をお祀りしてまいりました。そして第二宮と
第三宮まで詣でれば、沖津宮と中津宮まで、つまり宗像三宮
を拝したと信仰されてきました。
宗像三女神は「古事記」「日本書紀」にある通り、天照大
神と素戔嗚尊との誓約の際に、天照大神の息吹より誕生され
ました。
現在の社殿は、その格別の由緒を以て宗像三女神の御親神
を祀る伊勢神宮より、第60回神宮式年遷宮に際し下賜され
たものです。
我が国最古の建築様式である「唯一神明造り」で昭和50
年5月に移築されました。
御祭神
第二宮 田心姫神(長女神)沖ノ島・沖津宮の御分霊
第三宮 端津姫神(次女神)大島 ・中津宮の御分霊
宗像大社社務所
では、次へ行きましょう