ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

兵庫県姫路市、国宝「姫路城」です!!

2018-12-26 06:25:30 | 城跡・館跡・陣屋跡
国宝姫路城です

姫路市役所の北東約2kmのところ

JR山陽新幹線ひめじ駅の北東約1kmです

城の周りに数多くの駐車場が有ります

城の南東側の有料駐車場を利用しました

駐車場そばの南東側から天守閣が見えます、屋根の鯱鉾のレプリカの間に写してみました

南側の入り口大手門と桜門橋です

説明版です
姫路城大手門と桜門橋
 姫路城の大手門は、本来三重の城門からなり、城内では
最も格調高くかつ厳重な門でした。現在「大手門」と呼ん
でいる大型の高麗門は昭和13(1938)年に完成した
もので、位置や大きさは江戸時代のものとは全く異なって
います。また、大手門の内堀には桜門橋という木造橋が架
けられていました。今回復元した桜門橋は、発掘調査で出
土した遺構を活かしながら、江戸時代の木橋をイメージし
て平成19(2007)年に築いたものです。


桜橋を渡って城内へ行きましょう

南西側土塁から天守群を望みました

姫路城の歴史の説明版です
  姫路城の歴史
 姫路は、古代には播磨国府が置かれ、中世には府中とし
て守護の拠点となりました。姫路城は府中に築かれた城で
、築城は14世紀まで遡るという説もありますが、やはり
16世紀中頃に黒田重隆・職隆父子が、御着城の端城とし
て築いたとみるべきでしょう。
 天正8年(1580)、羽柴秀吉は播磨国を平定すると
、織田信長の命令により姫路城を築きます。このとき、三
重天守をもつ石垣造りの城郭となりました。城の周囲には
家臣が集住し、商人を移住させ城下町も整備されました。
 慶長5年(1600)関ヶ原合戦の戦功で播磨国を与え
られた池田輝政は、城を大改修します。羽柴時代に縄張り
を踏襲しつつ、五重天守や高石垣を築き、規模も大きくし
ました。また、輝政は徳川家康の娘督姫を妻にしたことか
ら、2人の間に生まれた男子は大名に取り立てられて淡路
国や備前国が与えられ、池田一族の領地は約100万石に
もなりました。その本領が姫路城で、西国の豊富恩顧の大
名をけん制し、豊臣秀頼の大阪城を西側から包囲する役割
も期待されました。
 姫路城が完成するのは、池田氏にあと城主となった本多
忠政の時代です。元和4年(1614)にには西の丸を増
築し、三の丸の御殿も整備しました。池田時代に頓挫した
飾磨津と城下町を結ぶ運河(三左衛門掘)計画が、船場川
を改修することで実現できたのもこの時期です。その後、
城主は松平氏、榊原氏など親藩や譜代の大名が歴任し、酒
井氏のとき廃藩置県となりました。
 明治7年(1874)、旧城内には陸軍歩兵第十連隊が
駐屯し、明治29年(1896)には第十師団が置かれる
ことになりました。姫路は城下町から軍隊の町へと変わり
、第二次世界大戦中は2度の空襲を受けました。城内にも
焼夷弾が投下されましたが、城の建物に大きな被害はあり
ませんでした。
 昭和6年(1931)1月、大天守、西小天守、乾小天
守、東小天守とこれを結ぶ渡櫓が国宝に指定され、昭和3
1年(1956)、中濠以内107haが特別史跡に指定
されました。平成5年(1993)12月には、日本で初
の世界文化遺産に登録されました。


国宝・重要文化財一覧です

チケット売場です、入場券を購入して入ります

門です

門を潜りましょう

ここから天守群が遠くに感じますね

門です

井戸です、城内内には33(現在は11)の井戸があったそうです、この井戸は深さ8,8m、水深2,7mです

井戸の側から天守群をみます

狭い通路を進みます

天守群が近づいて来ました

小天守の唐破風を見上げます

「にの門」です

小天守前のくぐり戸のような「ほの門」です

油壁の説明版です

小天守の石垣に・・・

割れた?石臼がはめ込まれています「姥が石」です

通路が下りになります

天守閣への入り口です

大天守へ入ります

この先で靴を脱いでビニール袋にいれて急な階段を上って行きます

最上階には、城の守り神が祀られています

案内板です

最上階から南側の景色です

東側です

北側です

西側には、西曲輪の化粧櫓が見えます

天守閣内には天守の軸組模型です

説明版です



総構のジオラマです

説明版です


コメント
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