ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

福岡県岡垣町、高倉「高倉神社の綾杉」(県指定天然記念物)です!!

2018-12-17 06:36:05 | 巨樹・大木
高倉地区は、岡垣町役場の西南西約2kmのところ

県道288号線を南へ入ると、西向きに高倉神社が鎮座します

神社の北側入口に駐車場が有りますので利用させて頂きました


神門です

手水舎です

境内には相撲の土俵があります

高倉神社由緒です

由緒書です
 高倉神社御由緒
御祭神 天照皇大神・大倉主命・菟夫羅姫命
 當社は国史所載の古社にして第14代仲哀天皇8年正月
己卯朔  筑紫に行幸し給ひし時、岡の縣主の租熊鰐周防
姿歴浦に参迎え海路を導き山鹿岬より巡りて岡の浦に入ら
むとし給ふ。時に神異あり天皇勅して、挟抄者倭國菟田の
人伊賀彦命を祝部としめ給う、神功皇后摂政2年5月午の
日に、この地に神祠を建て神田千町を以って定めらる。即
ち大倉主命、菟夫羅姫二神の本宮なり。
 古来武人の崇敬厚く年中3度の大祭には、在廰の官人を
して祭儀を監察せしめられ、武家執政の後も検使を遣わし
て祭儀を授けせしめらき。天文5年九州探題大内義隆公社
殿の造営ありしも、永禄2年大友宗麟の兵火にかかり、壮
麗なりし社殿も貴重なる社宝と共に鳥有に帰せしが、天正
15年国主小早川隆景公之を再建、慶長18年黒田長政公
梵鐘及び鳥居の献納あり、以来歴代の国主・神田・神山を
寄進して、崇信の念珠に厚く、宝暦元年旧遠賀郡の惣社と
して定めらる。
 明治5年11月郷社に列せられ対症年に縣社に昇格す。
現今の神殿、幣殿は明治9年旧遠賀郡の造営によるものに
して、古は神傳院、千光院、總智院、勝業院、正覚院の6
坊あり又社家、五家、巫女四家ありしも、明治初年同時に
廃せらる。
 境内には御神木として、杉、楠、松、楓、柳の5樹あり
しが、今は神功皇后御親栽と傳えられる綾杉と楠のみ残せ
り。
  史蹟
伊賀彦命古墳・綾杉・大楠(縣重要文化財指定5本)




石段を上がると直ぐに拝殿です

左手に綾杉が見えています


本殿です

拝殿前左手に「綾杉」が在ります


拝殿前から


説明版です
 高倉神社の綾杉
   所在地 岡垣町大字高倉 高倉神社内
 社伝によると神功皇后が三韓征伐のときに自ら
植えられたといわれています。
 その際苗木を逆さまに植えられたので「逆杉」
とも呼ばれ神木として崇められてきました。
 昭和45年に原因不明の火災により幹の空洞部
分が黒焦げになったといわれています。
樹高    10,0m
胸高周囲   5,7m
樹齢    700年(推定)
県指定文化財 昭和38年5月指定
  平成15年3月   岡垣町教育委員会



幹の真中に祠があります

綾杉明神祠の由緒です
 この綾杉は、神功皇后が三韓征伐より無事凱旋
され、お礼まいりの際、御手植えされた杉であり
ます。その時サカサマにお植えになったので一名
サカスギとも云い伝えられています。
 その時代から千六百年を経た杉ということにな
りますが、永禄2年、今から四百余年前、有名な
織田信長の桶狭間の戦いの前の年にあたりますが
当時の九州豊後の大名大友義鎮(宗麟)によって
焼討ちにあい、拝殿宝物などすべてを焼失しまし
た、幸いに綾杉のの一方の樹皮が生きのこり、枝
葉が出て、現在のように成長しているのでありま
す。
 従って中は空洞になり、今でも焼けた幹が残っ
ています(昭和45年不審火により再度炎上した
ものを平成10年に保護した状態です)。
 社殿改築の際、地ならしをしたので相当地に埋
まっています、昭和38年に県の重要文化財に指
定されました、もともと綾杉というのは杉の種類
で、普通の杉の葉と違い、刀形をして枝の内側に
まきこんだ葉をつけています。
  平成14年12月吉日  高倉神社社務所 



拝殿脇から見ました


結界の中に

神の木こいのき 幸福の木だそうです




恋の木社の拝殿なのでしょうか、五円玉を形ちどった「御縁」の石碑があります


本殿東側の境内社です、各祠には六柱づつの神様が祀られています

参道石段右側の杉の大木です

では、次へ行きましょう
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