鍛冶屋地区は、佐久市役所の南約4kmのところ
千曲川左岸の広い田圃が広がった中に鍛冶屋公園があります
公園の三方は田圃です、西側に入口が有ります
入り口前の道路に車を止めさせて頂きました
公園を南側から見ました、田圃の中に浮いている様です
西側の鍛治屋公園入口です
公園の東側端にケヤキの巨木が在ります
西側から
南側から
東側から
北側から、目通り幹囲6,5mの巨木です
根元北側の祠です
根元南側には等寺軒の顕彰碑です
裏面の説明書きです
寛永3年(1750年)海瀬に生まれる
幼時12才 馬に腕を咬まれ、右腕を切断
片腕となる。
農業を断念、仏門に入り、臼田町の弥勒
寺にて戒仔、僧名は澄慶、号は等持軒と称
す。往時鍛冶屋にあった、明覚寺の住職と
なり、後に、中込の正楽寺の第12代住職
を歴任する。
文政2年(1819年)11月11日に
建化。享年69才。
では、次へ行きましょう
千曲川左岸の広い田圃が広がった中に鍛冶屋公園があります
公園の三方は田圃です、西側に入口が有ります
入り口前の道路に車を止めさせて頂きました
公園を南側から見ました、田圃の中に浮いている様です
西側の鍛治屋公園入口です
公園の東側端にケヤキの巨木が在ります
西側から
南側から
東側から
北側から、目通り幹囲6,5mの巨木です
根元北側の祠です
根元南側には等寺軒の顕彰碑です
裏面の説明書きです
寛永3年(1750年)海瀬に生まれる
幼時12才 馬に腕を咬まれ、右腕を切断
片腕となる。
農業を断念、仏門に入り、臼田町の弥勒
寺にて戒仔、僧名は澄慶、号は等持軒と称
す。往時鍛冶屋にあった、明覚寺の住職と
なり、後に、中込の正楽寺の第12代住職
を歴任する。
文政2年(1819年)11月11日に
建化。享年69才。
では、次へ行きましょう