川根町身成地区は、島田市役所の西北西約14kmのところ
県道64号島田川根線で大井川左岸を進みます、
身成の街の入り口で大きく右カーブの先に「阿主南寺右折2.0km」への案内板が有ります、案内板に従って右へ
市道一色線です、ここから大井川の東側の尾根上まで登って行きます
400m程で「阿主南寺1.6km」の案内板を左へ
茶畑やスギ林の急な道路を登ると杉林の中に「山門」の文字が有ります
前の道路脇に
車を止めさせて頂きました

県道からここを右に市道一色線を進みます

案内板に従ってここを左に入ります


境内への入り口道路です

手前に山門への入り口です

山門です

説明版です
真言宗・阿主南寺(あずなじ:山号は慈眼山、本尊は千手観音)
今から1200年前、行基という偉い僧がいました、行基は日本の各地を訪ね、橋などを造ったりして人のために尽くしました。
神亀5年(728年頃)行基が東国に旅する途中、この川根の地に立寄り、この寺を開いたと伝えられている。
寺内には、鎌倉時代の名工、運慶の作といわれる金剛力士像の二体がある。
戦国の時代、戦火にあって金剛力士像の顔や足は焼け焦げた姿と化している。
昔は多くの信者によって、賑わった寺は今は無住となり、古い石仏と樹齢350年と云われる大杉が往時の面影をひっそりと残している。
島田市教育委員会

山門を潜ると杉の間に青い屋根が見えました



参道脇の杉の大木です、境内にはスギの木をメインに30本ほどの大木があるようです

杉の大木に囲まれて本堂の観音堂のようです

石段下から見上げました


本堂右手(東側)には神社の祠のようです

本堂の南側、本堂から二段下側に庫裏の建物です、山門から見えた青い屋根は庫裏の屋根でした



庫裏の前にもスギの大木が並びます


目的の大杉は庫裏の南東側、庫裏の平面から一段下に在ります、西北西側から見ました



庫裏の平面の角(北西側)から見ました

標識があります
川根町巨樹の会認定木
㊽阿主南寺の大杉
樹種 スギ カヤ
樹高 24.0m 18.0m
幹周 7.20m 2.60m
樹齢 不詳 不詳
平成20年1月
*カヤはどこにあるのか見あたりませんでした



左手(北側)から見ました


庫裏の右手(北東側)にもスギの大木です
では、次へ行きましょう
県道64号島田川根線で大井川左岸を進みます、
身成の街の入り口で大きく右カーブの先に「阿主南寺右折2.0km」への案内板が有ります、案内板に従って右へ
市道一色線です、ここから大井川の東側の尾根上まで登って行きます
400m程で「阿主南寺1.6km」の案内板を左へ
茶畑やスギ林の急な道路を登ると杉林の中に「山門」の文字が有ります
前の道路脇に


県道からここを右に市道一色線を進みます


案内板に従ってここを左に入ります



境内への入り口道路です


手前に山門への入り口です


山門です


説明版です
真言宗・阿主南寺(あずなじ:山号は慈眼山、本尊は千手観音)
今から1200年前、行基という偉い僧がいました、行基は日本の各地を訪ね、橋などを造ったりして人のために尽くしました。
神亀5年(728年頃)行基が東国に旅する途中、この川根の地に立寄り、この寺を開いたと伝えられている。
寺内には、鎌倉時代の名工、運慶の作といわれる金剛力士像の二体がある。
戦国の時代、戦火にあって金剛力士像の顔や足は焼け焦げた姿と化している。
昔は多くの信者によって、賑わった寺は今は無住となり、古い石仏と樹齢350年と云われる大杉が往時の面影をひっそりと残している。
島田市教育委員会

山門を潜ると杉の間に青い屋根が見えました




参道脇の杉の大木です、境内にはスギの木をメインに30本ほどの大木があるようです


杉の大木に囲まれて本堂の観音堂のようです


石段下から見上げました



本堂右手(東側)には神社の祠のようです


本堂の南側、本堂から二段下側に庫裏の建物です、山門から見えた青い屋根は庫裏の屋根でした




庫裏の前にもスギの大木が並びます



目的の大杉は庫裏の南東側、庫裏の平面から一段下に在ります、西北西側から見ました




庫裏の平面の角(北西側)から見ました


標識があります
川根町巨樹の会認定木
㊽阿主南寺の大杉
樹種 スギ カヤ
樹高 24.0m 18.0m
幹周 7.20m 2.60m
樹齢 不詳 不詳
平成20年1月
*カヤはどこにあるのか見あたりませんでした




左手(北側)から見ました



庫裏の右手(北東側)にもスギの大木です

では、次へ行きましょう

