中之島地区は長岡市役所の東北東約13kmのところ
2001年4月1日に長岡市に編入合併した中之島町の中心部です
国道8号線を北へ、北陸自動車道中之島見附インターチェンジ入り口を過ぎて斜め左へ
県道498号線になり、すぐの中之島流通団地信号を右(北)へ
道なりに進むと、右手に大竹邸記念館が有ります
正門前向かい側道路南に駐車場が有りますので利用させていただきました
大竹邸記念館です
大竹貫一氏の銅像です
説明版です
国士大竹貫一先生小伝
大竹貫一先生は万延元年(1860)、当時の新発田藩大庄屋大竹英治氏の六男として生まれました。
少年時代は、若月元輔、斎藤三郎、鈴木惕軒、亀谷省軒などに師事して漢字を学んだ後、新潟英語学校に進み土木工学を専攻しました。
明治13年(1880)、村会議員に当選し政治家としての道を歩き始め、その後県会議員を経て、明治27年(1894)衆議院議員に当選。以来、回を重ねること16回、在任実に34年10ヵ月を記録しています。この間、刈谷田川改修、大堰の完成、大河津分水の実現等、郷土河川の用排水事業に尽力されたほか、北海道に大農場を興すなど殖産興業にも範を示されました。
明治37年(1904)~38年(1905)、日露戦争の講和条約締結に際しては、尾崎行雄氏等と共に対露強硬論を主張、国民大会を日比谷で開いて、遂に焼討事件を引き起こしました。また、護憲運動や普通選挙の獲得など、常に国民大衆の先頭に立って活躍されたことは有名です。
昭和15年(1940)、旭日重光章を賜りましたが、この時、先生の位階は、正五位勲二等でした。
昭和19年(1944)9月、85歳で、この地中之島の自宅で逝去、特旨を以って、従四位を追贈されています。
大竹邸保存会
大竹邸保存会について
大竹邸保存会は、昭和19年(1944)に逝去した大竹貫一の相続人から、昭和27(1952)に遺産を地元に寄付したい旨の申し出があったことに伴い、刈谷田川大堰から農業用水を取水し直接恩恵を受けている刈谷田川大堰土地改良区(現在の刈谷田川土地改良区)と中之島村(のちの中之島町)で協議した結果、両団体の共有財産とし、その管理運営するために発足した。同保存会の構成は、委員長に中之島村長、副委員長に刈谷田川大堰土地改良区理事長が就任し、中之島村議会議員七名と刈谷田川大堰土地改良区総代議員七名が委員であった。
平成17年(2005)に中之島町(旧中之島村)が長岡市と合併したのを契機に刈谷田川土地改良区から遺産の持ち分を平成18年(2006)4月1日付けで長岡市へ寄付するとの申し出があり、長岡市が受け入れたことにより同年3月31日をもって解散した。
令和3年(2021)中之島観光ガイドの会
敷地南西端の社です、すぐ左に目的の欅です
東側から
南側から、目通り幹囲5.2mの巨木です
西側から
北西側から
西側道路から
では、次へ行きましょう
2001年4月1日に長岡市に編入合併した中之島町の中心部です
国道8号線を北へ、北陸自動車道中之島見附インターチェンジ入り口を過ぎて斜め左へ
県道498号線になり、すぐの中之島流通団地信号を右(北)へ
道なりに進むと、右手に大竹邸記念館が有ります
正門前向かい側道路南に駐車場が有りますので利用させていただきました
大竹邸記念館です
大竹貫一氏の銅像です
説明版です
国士大竹貫一先生小伝
大竹貫一先生は万延元年(1860)、当時の新発田藩大庄屋大竹英治氏の六男として生まれました。
少年時代は、若月元輔、斎藤三郎、鈴木惕軒、亀谷省軒などに師事して漢字を学んだ後、新潟英語学校に進み土木工学を専攻しました。
明治13年(1880)、村会議員に当選し政治家としての道を歩き始め、その後県会議員を経て、明治27年(1894)衆議院議員に当選。以来、回を重ねること16回、在任実に34年10ヵ月を記録しています。この間、刈谷田川改修、大堰の完成、大河津分水の実現等、郷土河川の用排水事業に尽力されたほか、北海道に大農場を興すなど殖産興業にも範を示されました。
明治37年(1904)~38年(1905)、日露戦争の講和条約締結に際しては、尾崎行雄氏等と共に対露強硬論を主張、国民大会を日比谷で開いて、遂に焼討事件を引き起こしました。また、護憲運動や普通選挙の獲得など、常に国民大衆の先頭に立って活躍されたことは有名です。
昭和15年(1940)、旭日重光章を賜りましたが、この時、先生の位階は、正五位勲二等でした。
昭和19年(1944)9月、85歳で、この地中之島の自宅で逝去、特旨を以って、従四位を追贈されています。
大竹邸保存会
大竹邸保存会について
大竹邸保存会は、昭和19年(1944)に逝去した大竹貫一の相続人から、昭和27(1952)に遺産を地元に寄付したい旨の申し出があったことに伴い、刈谷田川大堰から農業用水を取水し直接恩恵を受けている刈谷田川大堰土地改良区(現在の刈谷田川土地改良区)と中之島村(のちの中之島町)で協議した結果、両団体の共有財産とし、その管理運営するために発足した。同保存会の構成は、委員長に中之島村長、副委員長に刈谷田川大堰土地改良区理事長が就任し、中之島村議会議員七名と刈谷田川大堰土地改良区総代議員七名が委員であった。
平成17年(2005)に中之島町(旧中之島村)が長岡市と合併したのを契機に刈谷田川土地改良区から遺産の持ち分を平成18年(2006)4月1日付けで長岡市へ寄付するとの申し出があり、長岡市が受け入れたことにより同年3月31日をもって解散した。
令和3年(2021)中之島観光ガイドの会
敷地南西端の社です、すぐ左に目的の欅です
東側から
南側から、目通り幹囲5.2mの巨木です
西側から
北西側から
西側道路から
では、次へ行きましょう