沢新田地区は、庄内町役場の南東約5kmのところ
国道47号線を南東へ、廻館信号で左(北東)へ県道358号線です
JR陸羽西線の踏切を渡ると小出新田集落です、集落中程で右(南東)へ市道を進みます
やがて吉田堤(用水路)沿いの道になって左手に沢新田集落が見えて来ます
集落入り口を左(東)へ、次の変形十字路を右(南)へ進むと
間もなく左手に建部神社参道が開いています、東へ入ると建部神社が西向きに鎮座します
境内に車を止めることが出来ました
境内入り口鳥居です
手水舎です
鳥居下から参道右手に目的のケヤキです、後ろの建物は地区の公民館です
「余目町文化財 建部神社 欅」の天然記念物標柱です
説明版です
庄内町指定天然記念物
沢新田 建部神社のケヤキ
所有者 建部神社
指定年月日 昭和59年8月30日
沢新田建部神社は、慶安3年(1650)の開村にあたり、観音堂が造立されたのが始まりと言われる。
明治9年(1876)に現在の名称に改められた。県内では唯一の建部神社である。
このケヤキは、巨木が多い建部神社の鎮守の森の中でも一際大きく、御神木として崇められてきた。樹勢は極めて旺盛で、枯れや空洞も見られない。
根周り 14.3m
目通り幹囲 6.3m
樹高 30.2m
枝張り東西30.0m
南北22.2m
樹齢350年(推定)
平成22年3月
庄内町教育委員会
北側から
東側から
狛犬です
拝殿です
本殿覆い屋です
境内南東側のケヤキです
境内中央のケヤキの大木です
本殿北側のケヤキです
境内東側に祠や庚申塔、古峯神社等の石塔が並びます
境内北東側のケヤキです
境内北側の祠です
石碑が有ります
本山盛徳は、天保9年(1838)佐賀県に生まれ、博識で有能、侠気に富んだ人で、明治元年(1868)戊辰戦争の際、奥羽追討の官軍に従い会津等を転戦した庄内に入り、戦争終結後は酒田県民生局に奉職した。
明治2年最上川の川欠で、沢新田・連枝両村は数十余の家屋を流失した。
惨状を調査した本山はいたく同情し、民部省に申し出、裁可を待たず独断で新川堀削に着工した。民部省は停止命令を出したが、本山は、今中止すれば明年の融雪期の氾濫に工事は無に帰する、命令に反した罰は工事終了後に受けると反論し、ついに民部省はその情熱に圧されて、工事全般を本山に委任した。かくて、本山の督励下、両村民等の数十日の刻苦勉励の末、明治3年10月1日に新川掘削工事は完了した。
沢新田・連枝両部落では、両村の窮状を救った本山盛徳の功績に感謝し後世に伝えるため、夫々の神社境内に顕彰碑を建立し、毎年11月23日に本山祭を行っている。
では、次へ行きましょう
*今日はここまでです、鶴岡市内へ行って車を洗ってから買い物をして、湯野浜温泉上区公衆浴場(ここはお得です)で汗を流して、翌日の計画の都合で国道7号線を南下、小波渡海水浴場の駐車場で車中泊としました
国道47号線を南東へ、廻館信号で左(北東)へ県道358号線です
JR陸羽西線の踏切を渡ると小出新田集落です、集落中程で右(南東)へ市道を進みます
やがて吉田堤(用水路)沿いの道になって左手に沢新田集落が見えて来ます
集落入り口を左(東)へ、次の変形十字路を右(南)へ進むと
間もなく左手に建部神社参道が開いています、東へ入ると建部神社が西向きに鎮座します
境内に車を止めることが出来ました
境内入り口鳥居です
手水舎です
鳥居下から参道右手に目的のケヤキです、後ろの建物は地区の公民館です
「余目町文化財 建部神社 欅」の天然記念物標柱です
説明版です
庄内町指定天然記念物
沢新田 建部神社のケヤキ
所有者 建部神社
指定年月日 昭和59年8月30日
沢新田建部神社は、慶安3年(1650)の開村にあたり、観音堂が造立されたのが始まりと言われる。
明治9年(1876)に現在の名称に改められた。県内では唯一の建部神社である。
このケヤキは、巨木が多い建部神社の鎮守の森の中でも一際大きく、御神木として崇められてきた。樹勢は極めて旺盛で、枯れや空洞も見られない。
根周り 14.3m
目通り幹囲 6.3m
樹高 30.2m
枝張り東西30.0m
南北22.2m
樹齢350年(推定)
平成22年3月
庄内町教育委員会
北側から
東側から
狛犬です
拝殿です
本殿覆い屋です
境内南東側のケヤキです
境内中央のケヤキの大木です
本殿北側のケヤキです
境内東側に祠や庚申塔、古峯神社等の石塔が並びます
境内北東側のケヤキです
境内北側の祠です
石碑が有ります
本山盛徳は、天保9年(1838)佐賀県に生まれ、博識で有能、侠気に富んだ人で、明治元年(1868)戊辰戦争の際、奥羽追討の官軍に従い会津等を転戦した庄内に入り、戦争終結後は酒田県民生局に奉職した。
明治2年最上川の川欠で、沢新田・連枝両村は数十余の家屋を流失した。
惨状を調査した本山はいたく同情し、民部省に申し出、裁可を待たず独断で新川堀削に着工した。民部省は停止命令を出したが、本山は、今中止すれば明年の融雪期の氾濫に工事は無に帰する、命令に反した罰は工事終了後に受けると反論し、ついに民部省はその情熱に圧されて、工事全般を本山に委任した。かくて、本山の督励下、両村民等の数十日の刻苦勉励の末、明治3年10月1日に新川掘削工事は完了した。
沢新田・連枝両部落では、両村の窮状を救った本山盛徳の功績に感謝し後世に伝えるため、夫々の神社境内に顕彰碑を建立し、毎年11月23日に本山祭を行っている。
では、次へ行きましょう
*今日はここまでです、鶴岡市内へ行って車を洗ってから買い物をして、湯野浜温泉上区公衆浴場(ここはお得です)で汗を流して、翌日の計画の都合で国道7号線を南下、小波渡海水浴場の駐車場で車中泊としました