倉渕町川浦地区は、高崎市役所の北西約25kmのところ
榛名山南西側、かつての倉渕村(2006年1月23日に高崎市に合併)です
烏川右岸に沿って国道406号線を進みます
室田地区で烏川を渡るとここからは烏川の左岸に沿って進みます
湯殿山トンネルを貫けると間もなく倉渕町です、道の駅くらぶち小栗の里を過ぎて
小栗上野介の墓のある東善寺のところを左へ、県道33号線で烏川を渡り返します
案内板が有ります、右へ
分かりずらいですが南向きに鎮座する浅間神社入り口です
駐車スペースは少し先の道路右側です
すぐ先に見えるカエデが目的のカエデです
東側から、新緑が綺麗ですんね~
天然記念物標柱です
説明版です
高崎市指定天然記念物
浅間神社の大カエデ
指定 昭和57年4月1日
所在地 高崎市倉渕町川浦字富士山丙3083
目通り3.1m、高さ10
樹齢は境内にある杉の大木が370~80年くらいのものが多いので、当時に植えられたものとすれば、少なくとも350年はたっていると思われる。
大カエデは由緒ある浅間神社の境内の入り口にあり。地上130cmのところで三枝に分かれ、バランスよく枝を広げている。古木の持つ自然に備わった風格より見ても、この種のもの(山モミジ)としては、まれに見る名木である。
根元まわり 3.2m
枝はり 東西 9.5m
南北12.1m
平成8年3月
高崎市教育委員会
境内入り口から
境内北西側から
ここから参道でしょうか
境内の石碑です、浅間神社境内地無償提供記念碑ですが苔で読めませんね~
社號碑には、村社 浅間神社です
説明版です
宗教法人 浅間神社 由来
1、祭神
木花開耶姫命・磐長姫命
1、境内祭神
諏訪社・白山社・東照宮・北野社・稲荷社・八幡宮・琴平宮・大山祇社・菊紋碑・日月祭神
1、社殿
住昔は宏社な社殿なりしが明治15年12月祝 の災に罹り翌年仮宮を再建し奉り大正5年4月拝殿を改築し奉る境内は18800㎡の広哀を極む。
1.本社縁起
当社は今を過ぎる460年前大永年間川浦桑元の富士山山頂に浅間宮を奉祀し給いしが老若女童の参詣に難儀のため現在に浄池をえらび元和10年奥の宮を鎮座し寛永7年(353年前)社殿を建立し遷宮奉り川浦岩水の氏子並に信者の鎮守として尊崇せらる。
1、本社祭典
1月1日(交通安全初詣)、4月3日 春祭、7月農休み日 みそぎ祭、11月23日 秋祭、
祭主宮司 竹林文彦
赤い一の鳥居と石造りの二の鳥居と続きます
参道右手のスギの大木です、実測はしていませんが目通り約4m程です
石段の先に社殿が見えて来ました
拝殿です
本殿です
境内西側の石碑は昭和54年7月の御屋根替等記念碑です
屋根のかかった場所は何なのでしょうか、井戸のようですが・・・右の柱の文字は「沼河毘」のようです
では、次へ行きましょう
*神社回りを掃き掃除されている方がいらっしゃいましたので、お話を伺いました、ほぼ毎日されているそうです、境内が綺麗に保たれているのは、こういった方々(氏子とは限りません)の努力が有るようです
榛名山南西側、かつての倉渕村(2006年1月23日に高崎市に合併)です
烏川右岸に沿って国道406号線を進みます
室田地区で烏川を渡るとここからは烏川の左岸に沿って進みます
湯殿山トンネルを貫けると間もなく倉渕町です、道の駅くらぶち小栗の里を過ぎて
小栗上野介の墓のある東善寺のところを左へ、県道33号線で烏川を渡り返します
案内板が有ります、右へ
分かりずらいですが南向きに鎮座する浅間神社入り口です
駐車スペースは少し先の道路右側です
すぐ先に見えるカエデが目的のカエデです
東側から、新緑が綺麗ですんね~
天然記念物標柱です
説明版です
高崎市指定天然記念物
浅間神社の大カエデ
指定 昭和57年4月1日
所在地 高崎市倉渕町川浦字富士山丙3083
目通り3.1m、高さ10
樹齢は境内にある杉の大木が370~80年くらいのものが多いので、当時に植えられたものとすれば、少なくとも350年はたっていると思われる。
大カエデは由緒ある浅間神社の境内の入り口にあり。地上130cmのところで三枝に分かれ、バランスよく枝を広げている。古木の持つ自然に備わった風格より見ても、この種のもの(山モミジ)としては、まれに見る名木である。
根元まわり 3.2m
枝はり 東西 9.5m
南北12.1m
平成8年3月
高崎市教育委員会
境内入り口から
境内北西側から
ここから参道でしょうか
境内の石碑です、浅間神社境内地無償提供記念碑ですが苔で読めませんね~
社號碑には、村社 浅間神社です
説明版です
宗教法人 浅間神社 由来
1、祭神
木花開耶姫命・磐長姫命
1、境内祭神
諏訪社・白山社・東照宮・北野社・稲荷社・八幡宮・琴平宮・大山祇社・菊紋碑・日月祭神
1、社殿
住昔は宏社な社殿なりしが明治15年12月祝 の災に罹り翌年仮宮を再建し奉り大正5年4月拝殿を改築し奉る境内は18800㎡の広哀を極む。
1.本社縁起
当社は今を過ぎる460年前大永年間川浦桑元の富士山山頂に浅間宮を奉祀し給いしが老若女童の参詣に難儀のため現在に浄池をえらび元和10年奥の宮を鎮座し寛永7年(353年前)社殿を建立し遷宮奉り川浦岩水の氏子並に信者の鎮守として尊崇せらる。
1、本社祭典
1月1日(交通安全初詣)、4月3日 春祭、7月農休み日 みそぎ祭、11月23日 秋祭、
祭主宮司 竹林文彦
赤い一の鳥居と石造りの二の鳥居と続きます
参道右手のスギの大木です、実測はしていませんが目通り約4m程です
石段の先に社殿が見えて来ました
拝殿です
本殿です
境内西側の石碑は昭和54年7月の御屋根替等記念碑です
屋根のかかった場所は何なのでしょうか、井戸のようですが・・・右の柱の文字は「沼河毘」のようです
では、次へ行きましょう
*神社回りを掃き掃除されている方がいらっしゃいましたので、お話を伺いました、ほぼ毎日されているそうです、境内が綺麗に保たれているのは、こういった方々(氏子とは限りません)の努力が有るようです