谷地地区は、川場村役場の北約1kmのところ
県道64号線平川横塚線を北へ進むと間もなく桂昌寺の案内板が有ります
西へ道なりに進むと右手に山門が見えて来ます
参道を入って山門の西側の駐車場に入ることが出来ました
西へ入ります
地区の案内板が有ります
参道入り口です
桂昌寺です
山門です
山門前に説明版です
萬松山 桂昌寺
建長寺を本山とする臨済宗の寺
その昔この地を治めていた領主大友氏は鎌倉時代には、源頼朝から地頭を命じられていた、大友氏が新田氏に滅ぼされた(南北朝時代)後大友氏の墓を守るために館跡に桂昌寺が建てられた。 応永3年(1398)
脇には「かるた」ですね、「と」土塁は残る大友館、「ろ」老僧開く桂昌寺
鐘楼です
本堂です
目的のスギは本堂の北西側境内端に在ります
南側から見上げました、目通り幹囲5.0mの巨木です
西側から
境内外側の北西側から見ました
墓地西側にも土塁の跡が見えました
では、次へ行きましょう
県道64号線平川横塚線を北へ進むと間もなく桂昌寺の案内板が有ります
西へ道なりに進むと右手に山門が見えて来ます
参道を入って山門の西側の駐車場に入ることが出来ました
西へ入ります
地区の案内板が有ります
参道入り口です
桂昌寺です
山門です
山門前に説明版です
萬松山 桂昌寺
建長寺を本山とする臨済宗の寺
その昔この地を治めていた領主大友氏は鎌倉時代には、源頼朝から地頭を命じられていた、大友氏が新田氏に滅ぼされた(南北朝時代)後大友氏の墓を守るために館跡に桂昌寺が建てられた。 応永3年(1398)
脇には「かるた」ですね、「と」土塁は残る大友館、「ろ」老僧開く桂昌寺
鐘楼です
本堂です
目的のスギは本堂の北西側境内端に在ります
南側から見上げました、目通り幹囲5.0mの巨木です
西側から
境内外側の北西側から見ました
墓地西側にも土塁の跡が見えました
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