田園調布駅から東急東横線から地下鉄副都心線への直通便で「東新宿駅」へ
東新宿駅で地下鉄都営大江戸線へのり替えて2駅目の「牛込柳町駅」で降りました
改札を出て左への通路を進んでエスカレータと階段を上るとコンビニ前の出口です
右側(北側)の道路を西へ坂道を上って行くと間も無く
右手に幸国寺の参道が南向きに出ています
参道を進むと「題目塔」です
説明版です
新宿区登録有形民俗文化財
幸国寺の題目塔
所在地 新宿区原町2丁目20番地
登録年月日 令和元年6月3日
幸国寺山門前の題目塔は、寛政4年(1792)8月に建てられた高さ4mの大型の石塔である。
塔正面に「南無妙法蓮華経 法界万霊」、向かって右側面に「奉唱満妙題一千部」、左側面に「奉読誦妙経一百部」と刻まれていることから、万霊のための供養塔であること、施主が続けて1千回「南無妙法蓮華経」唱える唱題行と、百部の法華経読誦を達成したことがわかる。
なお施主の曽根氏については詳しい来歴は不明である。
本塔は、江戸時代に標準的な題目塔の形であるが、区内の題目塔では最も規模が大きく、保存状態も良好である。
後ろに建つ山門(区指定有形文化財)とともに、江戸時代の景観を偲ばせる文化財としても意義がある。
令和2年2月28日 新宿区教育委員会
山門です
説明版です
新宿区指定有形文化財 建造物
幸国寺の山門
所在地 新宿区原町2丁目20番地
登録年月日 平成24年5月2日
日蓮宗幸国寺の山門で、向かって右側脇に番所が併設された形式等から、江戸時代後期の建築と推定される。
形式は棟門(腕木門)で、切妻造・桟瓦葺である。背面には控柱が建ち、主柱と貫でつながれており、番所の袖壁が付属する。
全体的に雄大・素朴な作りであり、装飾的な要素はほとんど見られないが、番所には繊細な彫物による装飾が見られる。
この山門は、幕末から明治時代に檀家の長嶋三郎兵衛の寄付を得て移築したと伝えられている。
かつての幸国寺の門前町は、その後原町となり、現在も町名として残っているが、この山門は、門前町を含めた当時の面影を伝える数少ない建築であり、また、区内でも希少な江戸時代の建造物として重要である。
平成24年6月 新宿区教育委員会
山門の右て境内に目的のイチョウの木が見えました
山門を入ると左手に浄行菩薩の手水舎です
大きな報恩塔です
説明版です
新宿区指定有形文化財 歴史資料
幸国寺の日蓮聖人六百遠忌報恩塔
所在地 新宿区原町2丁目20番地
登録年月日 令和元年6月3日
江戸で豪商・伊勢屋八兵衛を営んだ加太一族と、伊勢屋各店により、明治5年(1872)正月に建てられた。
加太氏は、徳川御三卿をはじめとする諸侯に金の用達を行なった豪商で、幕末には横浜に出店し、絹製品の取引や、軍艦・武器を調達し、財を成した。
本塔は、高さ532cmの大型の報恩塔で、台座4面のうち3面には唐獅子像が、1面にはライオン像が彫られており、ライオン像の上部に英文で「このライオン像は、正確な姿に基づいて彫刻した」と陰刻されている。
日蓮聖人六百遠忌に9年も先立つ、明治5年に建てられた背景には、明治3年(1870)に没した7代目当主の三回忌と、まだ幼い8代目当主のもとで伊勢屋各店の結束を図ったことがあると推定される。
区内の報恩塔のうち規模が大きく、また英語による銘文・ライオン像の彫刻など、明治初期の文明開化の気風を強く反映した、きわめて稀有な石造物といえる。
令和2年2月28日 新宿区教育委員会
本堂です
本堂前から東側の墓地の中に目的のイチョウです
墓地内は関係者のみに解放されていますので、ここからは入る事が出来ませ
入口からズームアップしてみました
新宿区みどりの文化財のプレートが有りました
*推定樹齢は500年、幹の周囲は5メートル、高さは約16メートルにもなる区内有数の大イチョウです。
境内南西端に鐘楼です
梵鐘です
説明書きが有ります
梵鐘
正徳2年(1712)当山第7世智全院日心上人が、江戸市内を托鉢(たくはつ)し当初の鐘を作られました。
その後この鐘は、昭和19年(1944)5月戦役にて供出となりました。
現在の鐘は昭和46年(1971)日蓮聖人750年の御降誕をお祝いし、平和と安泰を祈念して幸国寺檀信徒の協力により再鋳されたものです。
鐘の表面に棟方志功画伯による釈尊像、布引の祖師像、日蓮聖人のお言葉が鋳込められております。
では、東新宿に戻って副都心線で埼玉に戻ることにしましょう
東新宿駅で地下鉄都営大江戸線へのり替えて2駅目の「牛込柳町駅」で降りました
改札を出て左への通路を進んでエスカレータと階段を上るとコンビニ前の出口です
右側(北側)の道路を西へ坂道を上って行くと間も無く
右手に幸国寺の参道が南向きに出ています
参道を進むと「題目塔」です
説明版です
新宿区登録有形民俗文化財
幸国寺の題目塔
所在地 新宿区原町2丁目20番地
登録年月日 令和元年6月3日
幸国寺山門前の題目塔は、寛政4年(1792)8月に建てられた高さ4mの大型の石塔である。
塔正面に「南無妙法蓮華経 法界万霊」、向かって右側面に「奉唱満妙題一千部」、左側面に「奉読誦妙経一百部」と刻まれていることから、万霊のための供養塔であること、施主が続けて1千回「南無妙法蓮華経」唱える唱題行と、百部の法華経読誦を達成したことがわかる。
なお施主の曽根氏については詳しい来歴は不明である。
本塔は、江戸時代に標準的な題目塔の形であるが、区内の題目塔では最も規模が大きく、保存状態も良好である。
後ろに建つ山門(区指定有形文化財)とともに、江戸時代の景観を偲ばせる文化財としても意義がある。
令和2年2月28日 新宿区教育委員会
山門です
説明版です
新宿区指定有形文化財 建造物
幸国寺の山門
所在地 新宿区原町2丁目20番地
登録年月日 平成24年5月2日
日蓮宗幸国寺の山門で、向かって右側脇に番所が併設された形式等から、江戸時代後期の建築と推定される。
形式は棟門(腕木門)で、切妻造・桟瓦葺である。背面には控柱が建ち、主柱と貫でつながれており、番所の袖壁が付属する。
全体的に雄大・素朴な作りであり、装飾的な要素はほとんど見られないが、番所には繊細な彫物による装飾が見られる。
この山門は、幕末から明治時代に檀家の長嶋三郎兵衛の寄付を得て移築したと伝えられている。
かつての幸国寺の門前町は、その後原町となり、現在も町名として残っているが、この山門は、門前町を含めた当時の面影を伝える数少ない建築であり、また、区内でも希少な江戸時代の建造物として重要である。
平成24年6月 新宿区教育委員会
山門の右て境内に目的のイチョウの木が見えました
山門を入ると左手に浄行菩薩の手水舎です
大きな報恩塔です
説明版です
新宿区指定有形文化財 歴史資料
幸国寺の日蓮聖人六百遠忌報恩塔
所在地 新宿区原町2丁目20番地
登録年月日 令和元年6月3日
江戸で豪商・伊勢屋八兵衛を営んだ加太一族と、伊勢屋各店により、明治5年(1872)正月に建てられた。
加太氏は、徳川御三卿をはじめとする諸侯に金の用達を行なった豪商で、幕末には横浜に出店し、絹製品の取引や、軍艦・武器を調達し、財を成した。
本塔は、高さ532cmの大型の報恩塔で、台座4面のうち3面には唐獅子像が、1面にはライオン像が彫られており、ライオン像の上部に英文で「このライオン像は、正確な姿に基づいて彫刻した」と陰刻されている。
日蓮聖人六百遠忌に9年も先立つ、明治5年に建てられた背景には、明治3年(1870)に没した7代目当主の三回忌と、まだ幼い8代目当主のもとで伊勢屋各店の結束を図ったことがあると推定される。
区内の報恩塔のうち規模が大きく、また英語による銘文・ライオン像の彫刻など、明治初期の文明開化の気風を強く反映した、きわめて稀有な石造物といえる。
令和2年2月28日 新宿区教育委員会
本堂です
本堂前から東側の墓地の中に目的のイチョウです
墓地内は関係者のみに解放されていますので、ここからは入る事が出来ませ
入口からズームアップしてみました
新宿区みどりの文化財のプレートが有りました
*推定樹齢は500年、幹の周囲は5メートル、高さは約16メートルにもなる区内有数の大イチョウです。
境内南西端に鐘楼です
梵鐘です
説明書きが有ります
梵鐘
正徳2年(1712)当山第7世智全院日心上人が、江戸市内を托鉢(たくはつ)し当初の鐘を作られました。
その後この鐘は、昭和19年(1944)5月戦役にて供出となりました。
現在の鐘は昭和46年(1971)日蓮聖人750年の御降誕をお祝いし、平和と安泰を祈念して幸国寺檀信徒の協力により再鋳されたものです。
鐘の表面に棟方志功画伯による釈尊像、布引の祖師像、日蓮聖人のお言葉が鋳込められております。
では、東新宿に戻って副都心線で埼玉に戻ることにしましょう