ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

東京都杉並区、和泉3丁目「和泉熊野神社のクロマツ」(区指定)です!!

2024-02-17 19:00:46 | 巨樹・大木
 練馬区早宮3丁目の「内田家のケヤキ」から、豊島園駅へ戻って、都営大江戸線で新宿まで戻ります

 新宿駅で、京王新線に乗り換えて「明大前駅」で降りました

 駅の改札を西に出て明大通りを北へ進みます

 約200mで甲州街道を歩道橋で越えると明治大学の東側駐輪場(明大前北駐輪場)の中を北東に抜けます

 京王井の頭線の線路を左に見ながら坂道を下って行きます、鍵の手に曲がってまた線路沿いに出ると

 駐輪場から約500mで神田川の蔵下橋の手前を神田川に沿う様に北へ

 約200mで宮前橋の北西側に和泉熊野神社の社叢が見えて来ました

 参道は東側道路に開いています

 社號標です

 説明版です
   和泉熊野神社
 当社は旧和泉村の鎮守で、祭神は天御中主命・伊弉諾尊・伊弉冉命です。
 社伝によれば、文永4(1267)年に紀州(現在の和歌山県)熊野神社の分霊を祀ったのが当社の創建で、弘安7(1284)年に社殿を修造し、その後、北条氏綱が上杉朝興と戦い江戸城を攻略した際にも、大掛かりな改修を加えたと伝えられています。
 江戸時代には寛永16(1639)年と元禄9(1696)年の両年に社殿の改修をおこなったことが、棟札によってわかります。
 「新編武蔵風土記稿は、江戸時代の当社について「除地三百坪 村ノ北ノ方二アリ 上屋二間四方 本社モ五尺四方 拝殿二半間二二間 社前二木ノ鳥居ヲ立」と述べています。現在の社殿は、文久3(1863)年の造営で、明治4(1871)年に修復がおこなわれています。
 当社の境内からは、かつて縄文時代の土器・石器、古墳時代の土師器なども出土しており、古い時代から人々が、この地で生活していたことがわかります。また、境内には徳川家光が鷹狩りの途中に休憩した時に植えたと伝えられる松の大木もそびえています。
    令和6年3月  杉並区教育委員会
 *令和6年3月は間違いでしょうね~、さてさて何年に建てられて説明版なのでしょうか
 また、「天御中主命」は「造化三神」の一柱として「古事記」の序文に最初に現れた神様です

 境内は杉並区の保存樹林に指定されています

 三ノ鳥居は木製です、周りにはマツなどの大きな木々が並んでいます

 石段を上がって来ました

 右手(境内北側)には神楽殿です

 参道左手に手水舎です

 拝殿です

 拝殿の左側(南側)に目的のクロマツです

 横アングルで撮影しました

 天然記念物標柱です
 説明欄には・・・
  平成2年11月14「日指定
    杉並区指定天然記念物
      和泉熊野神社のクロマツ   杉並区教育委員会
 和泉熊野神社のクロマツ 1本
 社殿横の本クロマツは、幹周(目通り)3.1m、根元周囲6.3m、樹高(目測)は17mあり、樹齢は350年以上と推定されています。
 クロマツは俗に雄松と呼ばれ、アカマツに比べて大形で葉は大きく、樹皮が黒褐色をおびています。
 近年クロマツは、環境の悪化により都内では年々少なくなってきたいます。
 このクロマツには、徳川家光お手植えとの伝承があり、御神木として古くから氏子の人々によって、手厚い保護を受け、都内でも有数のクロマツの巨樹として貴重なものです。

 南東側から見上げました、本殿の屋根も見えています

 南側の境内社です、「北野神社・御嶽神社・山神社」(末社)が祀られているようです

 拝殿前の「モッコク」です

 モッコクも「杉並区貴重木」に指定されています

 北側には「稲荷社」(末社)です

 しだれ梅が咲いています

 社務所の塀の中です

 まだ二分咲き程でしょうか

 では、次へ行きましょう
コメント
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