塩山竹森地区は、甲州市役所の北北東約4kmのところ
甲州市役所前信号から北北東へ進みます
約1.7kmの「千野駐在所前」信号で国道411号線に合流して北へ
約100mで左斜めの道路県道207号線(座禅草のみち)に入ります
道成りに約2km坂道を上って行きます
道路右手に玉諸神社が見えて来ました
境内南西端に目的の御神木スギです
前の道路脇に車を止めさせて頂きました
郷社 玉諸神社の社號標です
東側から、実測してみました、目通り幹囲403cmの大木です
北側から、根元は大きく洞状になっています
手水舎です
ニノ鳥居です(境内入口の一ノ鳥居は台座だけになっています)
随神門です
石段を上がると拝殿です
本殿です
説明版です
玉諸神社
当社は延喜式内社 玉諸神社と称し、その創建勧請の年代は詳らかではないが、祭神は天羽明玉命(天の岩戸の変の時、真榊の枝にかけた、八坂瓊五百個御統玉を造った神)である。
社記(天平18年宮司綱蔵式部正記)によれば
「当社は、往古より、当地の鎮守として、代々御朱印、御墨付を頂戴し、醍醐天皇延長5年延喜式神名簿に登録され、御神体は水晶の玉石で、高さ七尺余 上六角 太さ六尺八寸余りあり 甲斐源氏の祖 新羅三郎義光公造営以来 幾代かに亘り造営 言々」
以下地名の由来、神事等につき記録されている。
代表的な神事として11月14日(現在は10月14日)鳥乞の神事が現在も伝承されている、又社記には武田信重の次の二首が記されている。
「神垣に かがやく玉の 光をぞ 身の行末かけてたのまん」
「あとたれし 神の恵みも 世にしるく 玉の光の 数もそえゆく」
なお、竹森山(通称水晶山)中腹に奥の宮・玉宮大明神が祀られている。
平成元年10月14日 玉諸神社総代会
では、次へ行きましょう
甲州市役所前信号から北北東へ進みます
約1.7kmの「千野駐在所前」信号で国道411号線に合流して北へ
約100mで左斜めの道路県道207号線(座禅草のみち)に入ります
道成りに約2km坂道を上って行きます
道路右手に玉諸神社が見えて来ました
境内南西端に目的の御神木スギです
前の道路脇に車を止めさせて頂きました
郷社 玉諸神社の社號標です
東側から、実測してみました、目通り幹囲403cmの大木です
北側から、根元は大きく洞状になっています
手水舎です
ニノ鳥居です(境内入口の一ノ鳥居は台座だけになっています)
随神門です
石段を上がると拝殿です
本殿です
説明版です
玉諸神社
当社は延喜式内社 玉諸神社と称し、その創建勧請の年代は詳らかではないが、祭神は天羽明玉命(天の岩戸の変の時、真榊の枝にかけた、八坂瓊五百個御統玉を造った神)である。
社記(天平18年宮司綱蔵式部正記)によれば
「当社は、往古より、当地の鎮守として、代々御朱印、御墨付を頂戴し、醍醐天皇延長5年延喜式神名簿に登録され、御神体は水晶の玉石で、高さ七尺余 上六角 太さ六尺八寸余りあり 甲斐源氏の祖 新羅三郎義光公造営以来 幾代かに亘り造営 言々」
以下地名の由来、神事等につき記録されている。
代表的な神事として11月14日(現在は10月14日)鳥乞の神事が現在も伝承されている、又社記には武田信重の次の二首が記されている。
「神垣に かがやく玉の 光をぞ 身の行末かけてたのまん」
「あとたれし 神の恵みも 世にしるく 玉の光の 数もそえゆく」
なお、竹森山(通称水晶山)中腹に奥の宮・玉宮大明神が祀られている。
平成元年10月14日 玉諸神社総代会
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