ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

富山県南砺市、井口「井口郷総社 神明宮の大杉3本」です!!

2024-04-30 19:04:59 | 巨樹・大木
 井口地区は、南砺市役所の東南東約4km、南砺市役所井口市民センターの直ぐ西側の地区です

 南砺市役所井口市民センターの西約1kmのところに「井口郷総社 神明宮」が東向きに鎮座します

 南砺市役所井口市民センター西側の県道284号井波井口城端線を南南東へ

 約500mで十字路(右手の小屋に防火水槽の赤丸標識あり)を右(西)へ

 約700mで一時停止の丁字路を左(南西)へ、県道21号井波城端線です

 約200mのX字路を鋭角に右(北)へ入って北西へ進みます

 約400mで道路左手に神明宮の社叢です

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 参道入口鳥居です

 社號標です

 手水舎です

 境内には数本の杉の大木が見られます

 参道右手すぐに注連縄を巻かれた御神木の杉です。

 右奥の杉が境内で一番太く、目通り幹囲5.4mの巨木です

 参道左手(南側)の杉です、こちらは5mに達していないようです


 社殿です

 拝殿南側の小堂です

 説明版です
   村指定文化財 井口神明宮
     板碑(板石塔婆)とその木造小堂
   〔板碑(板石塔婆)〕
 南北朝時代に造立されてと推定される石塔の一種。
 名称は扁平な塔型による。造立推定年代が古いこと、硬質な川石をそのまま用いていること蓮華座を刻んだ装飾的であること、高さ81cmですこぶる大きいこと、などが特色であり、砺波地方では珍しい遺品である。
 刻まれている梵字(古代インド文字)は「バン」で、金剛界大日如来を意味する。ただし現在は八幡宮の脇立観音という伝承と信仰があり、現在位置より南約700mの八幡宮旧地、俗称「ハチマンドウ」にあったという。おそらく、その地にあった塚上に造立されたものであろう。
   〔木造小堂〕
 建物は桁行・梁間とも1間の小堂である。
 屋根は矩勾配の切妻屋根で、当初は板葺であったと考えられる。
 造りは、正面桁行中央に引分け板戸があり平入りの形をとる。
 他の三面は堅板張りで貫に釘打ちとなっているが、両妻壁の小屋部分は横板嵌めであり、床は板張りである。
 また、妻面の破風と合掌部には懸魚が付けられており、破風の下端部と懸魚に唐草文の彫刻が施られている。
 小堂の壁板内面に天明5年(1785)の由緒書きがあり、造建年次の明らかな木造建造物としては井口村最古のものである。
    昭和62年12月26日指定
      井口村教育委員会
      井口村文化財専門委員会

 *井口村は、平成16年(2004)11月1日、 東礪波郡福野町、井波町、城端町、平村、上平村、利賀村、井口村及び西礪波郡福光町が合併して、南砺市が発足しました。

 では、次へ行きましょう
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富山県南砺市、松島「松島大杉(市指定)と松島古城公園」です!!

2024-04-30 06:40:49 | 巨樹・大木
 松島地区は、南砺市役所の東約9km、南砺市役所井波市民センターの南東側の地区です

 地区は旧井波城の城域でしたので、地区内には観光施設が多数存在します

 南砺市役所井波市民センターの西側「京願町」信号を南へ、県道27号線です

 約600mの交差点南西側に観光用有料駐車場が有ります

 「井波八幡宮の大杉」を見て参道前まで戻ります 

 案内図です

 北東へ進むと鳥居が見えて来ます「松島八幡宮」の参道入口です

 手前右上に目的の「松島大杉」です

 石段を上がります、ここが元の大手口だそうです 

 すぐ西下側から見上げました

 南側から

 説明版です
   市指定文化財 松島大杉
     昭和41年7月1日指定
 県内で、幹が1本立ちとなるスギの中で十本の指に入る大杉である。
  幹周り  7.6m
  樹高  40.4m(「巨木・名木百選」平成13年より)
  推定樹齢 450~530年(富山県林業技術センター)
 いまから約500年前、瑞泉寺は一向一揆の拠点となり、周囲に土塁をめぐらして城の形になった。
 この大杉はその城郭の正面入口附近に位置し追手門の大杉とも呼ばれた。
 天正9年(1581)武将の佐々成政が瑞泉寺を攻め町家とともに焼失したが、この大杉は残った。
 遠くからも望める大きなスギは、瑞泉寺と井波城の威容を称えてきた歴史の生き証人でもある。
     昭和17年3月22日
 スギについて
 スギの有力語源である、「すぐ木」。
 「真っすぐな木」の通り、幹は直に上に向かって伸びる。
 枝ぶりは、はじめ円錐状にシルエットであるが、老樹になると樹冠が丸みをおびてくる。
 杉は「木の文化」と言われる日本の文化を支えてきた樹で、日本人とスギの関わりは極めて深い。日本特産である。
     南砺市教育委員会


 南東側から

 すぐ奥に鳥居が見えましたので行ってみます

 松島古城公園(井波城二ノ丸跡)です

 説明版です
   市指定文化財 井波城址(瑞泉寺旧地)
        昭和30年7月指定
 周囲を土塁が囲み、北東側に深い谷が残る戦国末期の典型的な平山城である。
 一向一揆の拠点になった瑞泉寺は、寺の周囲に土塁や外堀を築いて防御した。
 しかし、天正9年(1581)に、武将の佐々成政に攻められて町家とともに兵火にかかった。
 その後、成政の家臣前野小兵衛が入って城として整備された。
 阿弥陀堂跡が本丸となり、祖師堂跡が二ノ丸、太鼓堂跡が三ノ丸になったと記録にある。
 まもなく、天正13年には前田利家に攻められて落城した。
 城の規模は、東西250m、南北230mで城としての遺構がいまよく残っている。
 現在は本丸跡に井波八幡宮の社殿、その東側に庭園のある臼浪水、そして二ノ丸跡に招魂社の社殿がある。


 手水舎です

 神武天皇像(忠魂碑)です

 ニノ鳥居です

 神馬像です

 井波町招魂社拝殿です

 由緒石碑です
   井波町招魂社 由緒
 祭神は町とかかわり深い、戦没者の御霊四百有余柱を奉斎しています。
 創建は、町民総意で決定し、住民の浄財奉献労働奉仕で、昭和13年11月社殿が完工、鎮座祭が盛大に執り行われました。
 祭礼は、例祭 11月3日に、お盆慰霊祭 8月15日に、厳粛に斎行されています。
 護持は、戦前、町が、戦後、奉賛会が鋭意務めています。
 社殿は、総体が神明造で、主として桧材です。屋根は、檜皮葺を銅板葺に替えられました。
 祖国に殉じた御霊を、より高く広く尊崇し、御加護を願って、この碑を建立しました。

 境内のサクラも満開ですでした

 では、次へ行きましょう

 2024・4・12・6・15
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