鵜木地区は、男鹿市役所の北東約12km(男鹿市若美庁舎の直ぐ北側の地区です)ところ
県道59号男鹿半島線を東へ、国道101号線との五差路信号を右(南東)へ国道へ入ります
海沿いを東へ生鼻崎第二トンネルを貫けると、寒風山県道54号の標識で左(北)へ県道54号男鹿琴丘線を進みます
JR男鹿線の踏切を越えて約6km北へ道成りに進み右手に男鹿市役所若美庁舎を過ぎると
角間境集落に入って直ぐの十字路を左(北西)へ、間も無く左手に鵜木稲荷神社が東向きに鎮座します
道路脇に車を止めさせて頂きました
参道入口です
村社 稲荷神社の社號標です
石敷きの参道を進みます
参道右手には庚申塔等の石塔や祠が並びます
社殿が見えて来ます、社殿前に目的の「親杉」のようです
拝殿です
本殿です
説明版です
鵜木稲荷神社
創設は、寿永2年(1183)後鳥羽天皇時代とされ、豊宇気毘売神(とようけひめのかみ)、息長足姫(いながたるひめ)の二柱が祀られている。いずれも農業神で、現在、豊作の神とされる稲荷神社と称されており、「村の鎮守」として豊作祈願や産土様として崇められている。
約1500坪の境内には樹齢が400年を遥かに超える御神木「親杉」があり、旧若美町から保存樹に指定されている。
鬱蒼と茂る古木に囲まれた大平山、金毘羅山(象頭山)、赤神山、産土神社の供養塔や記念碑、金精様他、多くの庚申塔がある。連綿と続く神社と地域の人々との深い繋がりが伺われる。
「寛文10年(1670)建立されたお社が老朽化した」ので、明和2年(1765)建替えの願いを出し、翌年建立寄進したとの記録がある。
改修前の社殿は、拝殿・幣殿と太鼓橋を渡って繋がる本殿で構成されており、昭和10年(1935)増改築されている。
神社は建立されて80年を過ぎ、老朽化が進み、本殿の倒壊も危惧されたので、氏子らが奉賛会を立ち上げ、地域の人々の協力を得て平成29年(2017)春、改修工事に着手し10月竣工寄進した。
平成29年10月吉日
鵜木稲荷神社改修奉賛会
北東側から「親杉」です
東南東側から、目通り幹囲5.7mの巨木です
親杉(スギ科)男鹿市指定保存樹の標柱です
南東側から
南西側から
北西側拝殿脇から
北側から見ました
大きな象頭山と数々の石碑です
祠と天狗様でしょうか
では、次へ行きましょう
県道59号男鹿半島線を東へ、国道101号線との五差路信号を右(南東)へ国道へ入ります
海沿いを東へ生鼻崎第二トンネルを貫けると、寒風山県道54号の標識で左(北)へ県道54号男鹿琴丘線を進みます
JR男鹿線の踏切を越えて約6km北へ道成りに進み右手に男鹿市役所若美庁舎を過ぎると
角間境集落に入って直ぐの十字路を左(北西)へ、間も無く左手に鵜木稲荷神社が東向きに鎮座します
道路脇に車を止めさせて頂きました
参道入口です
村社 稲荷神社の社號標です
石敷きの参道を進みます
参道右手には庚申塔等の石塔や祠が並びます
社殿が見えて来ます、社殿前に目的の「親杉」のようです
拝殿です
本殿です
説明版です
鵜木稲荷神社
創設は、寿永2年(1183)後鳥羽天皇時代とされ、豊宇気毘売神(とようけひめのかみ)、息長足姫(いながたるひめ)の二柱が祀られている。いずれも農業神で、現在、豊作の神とされる稲荷神社と称されており、「村の鎮守」として豊作祈願や産土様として崇められている。
約1500坪の境内には樹齢が400年を遥かに超える御神木「親杉」があり、旧若美町から保存樹に指定されている。
鬱蒼と茂る古木に囲まれた大平山、金毘羅山(象頭山)、赤神山、産土神社の供養塔や記念碑、金精様他、多くの庚申塔がある。連綿と続く神社と地域の人々との深い繋がりが伺われる。
「寛文10年(1670)建立されたお社が老朽化した」ので、明和2年(1765)建替えの願いを出し、翌年建立寄進したとの記録がある。
改修前の社殿は、拝殿・幣殿と太鼓橋を渡って繋がる本殿で構成されており、昭和10年(1935)増改築されている。
神社は建立されて80年を過ぎ、老朽化が進み、本殿の倒壊も危惧されたので、氏子らが奉賛会を立ち上げ、地域の人々の協力を得て平成29年(2017)春、改修工事に着手し10月竣工寄進した。
平成29年10月吉日
鵜木稲荷神社改修奉賛会
北東側から「親杉」です
東南東側から、目通り幹囲5.7mの巨木です
親杉(スギ科)男鹿市指定保存樹の標柱です
南東側から
南西側から
北西側拝殿脇から
北側から見ました
大きな象頭山と数々の石碑です
祠と天狗様でしょうか
では、次へ行きましょう
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