山陽電気鉄道明石駅から東へ一つ目の人丸前駅の北側人丸山に柿本神社が鎮座します
(柿本人麿は、実家のすぐそばにある人丸神社の御祭神です、ご先祖様は明石から栃木県佐野に移り住んだそうです・・・昔々の話しだそうです<大叔父から聞いた話し>)
人丸前駅の駅の名前も、柿本人麿を祀る神社がある山の名前も人丸と言います
人丸駅ホームに子午線表示が有ります、地球の赤道に直角に交差する南極と北極を結ぶ線です
東経135度は、日本の標準時・時刻基準になっているところ、太陽が12時に南中する線です、後方の塔は明石市天文科学館です
これから行く柿本神社は天文科学館のすぐ北側です
人丸前駅です、出入り口は線路の南側です
駅前の案内板ですが、日に焼けてしまっています
JRの高架も潜ります
天文科学館です
南東側に参道鳥居です
人丸山 柿本神社です
石段を上り切りました
境内入口神門です、神門前には日時計があります、天文科学館の北側出口にあたるからでしょうか
縣社 柿本神社です
右には手水舎です
左には五社稲荷社です
境内の石碑や歌碑です
明石市文化財の狛犬です
拝殿です
本殿です
由緒書きです
御由緒
当社御祭神、柿本人麿公は、飛鳥時代に官廷にお仕えになられた歌人で、明石にて詠まれた歌も数多くあります。
元和6年(1620年)当時、明石城主であった小笠原忠政公が人麿公を歌聖として大変崇敬され、緑深いこの地にお祀り致しました。
主なご神徳は、学問・安産・火災除、更には、非常に愛妻家として知られる公を夫婦和合の神としてもお祀りしております。
御命日とされる旧暦3月18日(現在では4月の第二日曜日)には本神輿に地域の子供達の神輿も加わり計5基のお神輿が練り歩き賑います。
■末社
五社稲荷社
天神社
荒神社
天離る夷の長通ゆ恋い来れば 明石の門より大和島見ゆ
留火の明石大門に入る日にか 漕ぎ別れなむ家へのあたり見ず
社務所前の八房梅です
拝殿前右手に盲杖桜です、
拝殿前左手に御神木の筆柿です
小さな細長い実が生っています
境内社の天神社と荒神社が並びます
社殿の南側の人麿像でしょうか
なぜかこんな所に大砲が
では、次へ行きましょう
(柿本人麿は、実家のすぐそばにある人丸神社の御祭神です、ご先祖様は明石から栃木県佐野に移り住んだそうです・・・昔々の話しだそうです<大叔父から聞いた話し>)
人丸前駅の駅の名前も、柿本人麿を祀る神社がある山の名前も人丸と言います
人丸駅ホームに子午線表示が有ります、地球の赤道に直角に交差する南極と北極を結ぶ線です
東経135度は、日本の標準時・時刻基準になっているところ、太陽が12時に南中する線です、後方の塔は明石市天文科学館です
これから行く柿本神社は天文科学館のすぐ北側です
人丸前駅です、出入り口は線路の南側です
駅前の案内板ですが、日に焼けてしまっています
JRの高架も潜ります
天文科学館です
南東側に参道鳥居です
人丸山 柿本神社です
石段を上り切りました
境内入口神門です、神門前には日時計があります、天文科学館の北側出口にあたるからでしょうか
縣社 柿本神社です
右には手水舎です
左には五社稲荷社です
境内の石碑や歌碑です
明石市文化財の狛犬です
拝殿です
本殿です
由緒書きです
御由緒
当社御祭神、柿本人麿公は、飛鳥時代に官廷にお仕えになられた歌人で、明石にて詠まれた歌も数多くあります。
元和6年(1620年)当時、明石城主であった小笠原忠政公が人麿公を歌聖として大変崇敬され、緑深いこの地にお祀り致しました。
主なご神徳は、学問・安産・火災除、更には、非常に愛妻家として知られる公を夫婦和合の神としてもお祀りしております。
御命日とされる旧暦3月18日(現在では4月の第二日曜日)には本神輿に地域の子供達の神輿も加わり計5基のお神輿が練り歩き賑います。
■末社
五社稲荷社
天神社
荒神社
天離る夷の長通ゆ恋い来れば 明石の門より大和島見ゆ
留火の明石大門に入る日にか 漕ぎ別れなむ家へのあたり見ず
社務所前の八房梅です
拝殿前右手に盲杖桜です、
拝殿前左手に御神木の筆柿です
小さな細長い実が生っています
境内社の天神社と荒神社が並びます
社殿の南側の人麿像でしょうか
なぜかこんな所に大砲が
では、次へ行きましょう
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