ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

静岡県袋井市、村松「油山寺の御霊スギ」(県指定)です!!

2025-02-01 06:37:16 | 巨樹・大木
 村松地区は、袋井市役所の北北東約4kmのところ

 袋井市役所北側の「袋井市役所前」信号を東北東へ、県道413号線です

 国道1号の袋井高架橋を潜った約1.3kmの「久津部」信号を左(北北西)へ、角に「目の霊山 油山寺入口」の大きな立て看板が建っています

 道成りに約3.0kmで「油山寺」山門前に出ました

 山門前の左(西)側の駐車場に車を止めさせて頂きました

 「医王山 油山寺(ゆさんじ)」寺号標です

 駐車場に大型バスが入って来た、大勢の観光客が降りて来ています、写真撮影に影響しますので急ぎましょう

 一段上がった山門です

 説明版です
   重要文化財 油山寺山門
 屋根瓦と漆喰のコントラストが美しいい。
 油山寺に保環されている棟札に。「掛川城御玄関前大手二之門」とあります。
 太い柱や一枚板の扉も豪壮で、江戸時代の城門の姿をよく残しています。
   万治 2(1659)年、井伊直好の創建
   享保18(1732)年、修理
   明治 5(1872)年、掛川城廃城
   明治 6(1873)年、掛川城より油山寺へ移築
   大正12(1923)年、修理
   昭和46(1971)年、半解体修理
 間口は約9m、奥行き4.55m、片潜り付き櫓門、前後に庇屋根、柱は65cm角、二階は15畳敷の広さ。
 重要文化財指定 昭和29年9月17日
 説明版設置   平成 6年3月29日
     静岡県教育委員会・袋井市教育委員会

 重要文化財案内板です

 もう一枚説明版です
   油山寺山門(元掛川城大手門)
     国指定重要文化財(指定昭和29年)
 醫王山薬王院油山寺は、行基菩薩の開創で、天宝勝宝元年(749)孝謙天皇の勅願所となった、真言宗の古刹である。
 本尊薬師瑠璃光如来は諸病全快、特に眼病平癒で深く信仰され、その他不動明王、大日如来、軍善坊大権現、光明稲荷、茶祖栄西禅師、四国八十八箇所、西国三十三観音霊場等、諸天善神が奉祀されている。
 山門あは掛川城大手二の門である。明治6年(1873)廃藩に際し、太田備中守の寄進により現地にいちくした。
 万治2年(1659)井伊兵部直好公が、掛川城玄関前に建立され、その後享保16年(1731)小笠原壱岐守の修理を経て明治に至った。
 当初は本瓦葺で大棟に鯱を飾っていたが、大正12年(1923)修理の際に屋根を銅版葺として、その他多分に変形、破損していたので、昭和45年1月より、国、県、市の助成を得て大修理を施し建立当初に復元、良く46年7月竣工した。
 片潜付の櫓門で、前後に軒屋根のあるのは全国にも珍しく、江戸時代初期の城門で県下唯一の城郭史上重要な建物である。
     重要文化財附 鯱一対
 元掛川城大手門の大棟両端に飾られていたものである。大正の大修理に下ろし、門の二階、方丈の大床に飾り保存している。
 この鯱は、門の建立当初に作られたものであり、江戸初期の名作として重要なものである。
     昭和47年7月吉日    醫王山油山寺  執事 誌

 右手に目的の「御霊スギ」が斜めに生えています

 西側から

 「天然記念物 御霊杉」の標柱です

 説明版です
   天然記念物 御霊杉(みたますぎ) 昭和27年4月県指定
 伝説、昔、弘法大師が来錫の砌、村ざとに貧しい夫婦あり、愛しき児がお大師様のご祈祷・秘法・お手あてのおかげで、一命が救われました。
 両親は、深く感謝し、ま心こめて夫は松、妻は杉の枝をとって、一ぜんの箸を作り、お大師さまにささげました。
 やがてお大師さまは、旅立ちに際し、この浄地に箸をさして行かれ、後に不思議にも幹がマツ、枝葉がスギという珍しい霊木となりました。
 お大師さまのお心恩情、夫婦和合の木であります

 西北西側から

 南側から見ました

 山門を潜って参道を進みましょう

 参道左手の「金龍弁財天」です

 右手には「出世薬師」です

 新しい「袖切薬師」の御堂です

 説明版が有ります
   良縁を結び、悪縁を縛る
     袖切薬師
 袖切薬師が奉安されていた瀬ケ谷瑠光山薬師堂は、正保4年(1647)に建立され、同じく奉安されていた願成薬師は建立の折、西楽寺4世龍義により開眼されました。
 時は令和3年春、薬師堂の老朽化と護持に悩まれた袋井市宇刈三沢西尾英俊氏の仏を想う真心に打たれた油山寺山主は、宇刈三沢の薬師堂に祀られる袖切薬師、願成薬師、弘法大師の三尊を当山境内へ勧請することを約束しました。
 山主が仏像を確認するため宇刈三沢本村を訪ね、厨子を開くとそこに祀られていたのは七光たなびく名仏。強い法力を放ち、400年の時を経ても色焦ることなく、古老の話に現れる袖切薬師とは彼の仏であったかと感動し、早速堂宇の支度に入ることに致しました。
 その夜、山主が寝ていると、山主の枕元に三体の仏様がお立になり、「善哉善哉(よいかなよいかな)、我ら汝の勧請に応え、瀬ケ谷より油山へと遷座す。この地より永久(とわ)に諸縁吉祥の力を及ぼさん。宇刈松村を護ることは言うに及ばず。されば、速やかに堂宇を整えるべし」と仰せになられました。
 奇しくもコロナ禍による木材不足のため、油山寺山内の霊木を伐採しお堂の材とし、全国のご信徒さまの尊いご助力に救われ、材を督し、工を励まし、令和4年10月、皆様のお力により無魔落慶に至りました。
     右側 縁結び 袖切薬師
 男女の縁、家族の縁、商売の縁、土地の縁、人と人、物と物、人の物・・・あたかも磁石のNとSが引き合うようにすべての者を強く引き付けるご利益があります。
 良縁を招くには二本の紐で鰐口を鳴らし、結縁守りを授かり、ご利益を受けてくださいませ。
     中央 悪縁縛 願成薬師
 袖切薬師の結ぶ縁には良からぬ縁も含まれてしまいます。常の薬師如来が右手に「施無畏印」を結ぶのに対し、願成薬師は「降魔印」を結び、悪縁縛、悪難悪病退散のお力を発揮されております。
 悪縁を縛るには一本の紐で鰐口を鳴らし、悪縁縛霊符に縛る悪縁をお書きになり、結縁塔に強く縛ってお帰りください。悪縁を願成薬師様にお預けすることができます。
     左側 弘法大師
 弘法大師様は、袖切薬師様と願成薬師様と私達の繋いでいただける方、仏様の世界と私達の世界の架け橋となっていただける仏様です。
     瀬ケ谷の袖切薬師「袋井に伝わる昔話」第85話
 袋井市宇刈の、宇刈川南にある本村に瀬ケ谷という所があり、そこに小さなお堂が建っています。これを「瑠光山薬師堂」(るこうさんやくしどう)と言います。昔は本村へ行くには川が曲がっていて、橋も今より東の方で木の橋でした。この橋を「袖切橋(そできりはし)」と言い、その付近で転ぶと袖がなくなるという言い伝えがありました。
 昔、本村に美しい娘がいました。ある年のこと、娘は隣村のお祭りに友だちといっしょに遊びに行くことになり、その年に作った一番美しい着物を着て出掛けました。
 お宮参りをしての帰り道、村の入り口のこの橋まで来ると、どうしたはずみか前へ転んでしまいました。別にけがはなかったのですが、大事な着物の片袖がなくなっているのです。泣き泣き家に帰って家の人にこの事を話しました。
 それからずっと月日が過ぎたある日のことです。大雨で村じゅう大水となり、宇刈川も所々で堤が切れてしまいました。三沢でも本村へ行く橋の上で堤が切れてふちができ、村じゅう大さわぎとなりました。
 ところが、みの笠をつけた村の人達が見守るうず巻きの中から、一体の仏様が浮かび上がりました。びっくりした村人達は、力を合わせてみんなでその仏様を拾い上げてみると、なんと片袖の無いお薬師様ではありませんか。
 さては、以前娘の片袖がとられたのはこのお薬師様が世に出たくてとったのかと、みんなで仏様をきれいに洗い、瀬ケ谷にお堂を建ててお祀りしました。以前、着物の袖を取られた娘は今はひときわ美しくなり、一心にお薬師様に信心しました。
 ある夜のことです、娘の夢枕にお薬師様が現われ、「先年なんじの片袖をとって世上に出て世人の信仰を得て本望をとげた。その片袖を返すから明朝参拝せよ」と告げられました。
 娘は夜明けを待ってお堂に行くと、不思議なことに片袖はお堂の前の松の木にかかっていました。娘は袖をもらって、急いで家に帰り、そのことを父母に話しました。
 この話はそれからそれへと伝わり、娘には縁談がふるようにあって良縁を得て嫁ぎ、長生きをし、幸せに暮らしたという事です。
 実家はもとより嫁ぎ先の家も今なお栄え、お薬師様は「袖切薬師」、仏像の浮かんだ淵は、「堂岸(どうがん)ぶち」と言われています。

 長く成りましたので、続きとさせて頂きます<m(__)m>



 2025・1・23・10・45

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