広上町は、砺波市役所の南西約2kmのところ
砺波市役所から国道156号線を南へ直ぐの栄町信号を右(西)へ入ります
すぐ先の栄町西信号を左(南)へ、県道20号線です、約700mで斜め右へ、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/09/9dc185ed51de07a4687f7fd6a9996508.jpg)
約900mで道路左側に「出町けやき公園」があり![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_en.gif)
前の道路脇に
車を止めさせて頂きました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/da/e3b263ef4703a15e07f6f0751fd36bf9.jpg)
北側から見ました、大きなケヤキが立ています![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_sup.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/c4/65c7f7fe3480a9d0b651dd88db707a65.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/17/7f14c89e31ff0ebfce4163c381b41bc1.jpg)
西側から![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/f6/efc574bfd3d367e5f5a546d91252016a.jpg)
説明版です
出町の大ケヤキ(砺波市保存樹)
二レ科落葉高木
幹周り約6.6m
幹直径約2.1m
樹高 約30m
樹齢 約500年
今から約500年前の室町時代には、このケヤキの西側に庄川の一支流である中村川が、時には河幅100m程にもなって流れており、ケヤキは行き来する人の大切な目印になっていたという。
また、この樹の周辺水が淀んでいつしか船の渡し場なっていたとも伝えられる。
慶安2年(1649年)、杉木村二郎兵衛らが杉木新町を開き、後にこの大ケヤキの周辺が町の共同墓地となった。
寛政9年(1797年)に墓地の入口に杉木新町若連中の手で六体地蔵堂が建てられており、旧町名の「地蔵町」はこれに因んだ。
西にあった中村川は、江戸時代に入って治水工事がすすむと、締切られて廃川地は開拓され、貞享2年(1685年)に長さ4kmに及ぶ細長い鷹栖出村が誕生した。
安政3年(1856年)4月15日、加賀藩主13代前田斉泰公の大名行列が江戸からの帰国途中に城端善徳寺にお立寄りの際、西町鷹栖屋甚兵衛でご休憩の後、この樹の下を通って福野へ向かわれてのであった。
明治21年(1888年)出町、津沢間の道路改修にあたり大ケヤキの北に道路が新設されて、共同墓地は現在地は現在地に移転したが、大正時代までこの大ケヤキを中心にして付近に大小多数のケヤキが繁って大きな森となり、四季を通じて鳥の楽園であった。
砺波散居村の500年の歴史を語る生き証人は、いま出町では唯一この大ケヤキあるのみである。
なお、この公園は平成15年度まちづくり総合支援事業「出町大けやき公園」建設工事により整備された。
平成16年3月 334ⅠⅮ地区第2R第3z・となみセントラルライオンズクラブ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/b8/3d1294de11b19c82a6e5f926e2a86d58.jpg)
西南西側から![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
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南側から![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
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大きな出町上水道記念碑があります
出町上水道記念碑
産業を振興し民福を増進せんと欲せば、須らく先ず保険防火の施設を為さざるべからず、項日出町長永井加悦氏来り語て曰く、我町古来井水に乏しく、町民皆灌漑用水の末流を飲用せり、是を以て積潦時に横溢し泥沙或は溷濁して、連日共用を絶つに至ることなり。
殊に悪疫流行の際には、蔓衛尤も甚しく死者相継ぎ、為に生を傷り産を害せしこと蓋し幾何なるを知らず。
我町有志風に此を患へ、上水道敷設の議を倡へ、大正2年始て設計に着手し、同7年、時の町長神澤新右衛門氏、最も其急を認め、工費7萬圓の豫算を以て町会に諮り、一致の協賛を得たり。
越えて9年規模を拡張して11萬1千圓に増加し、翌10年4月工を起し、11年更に5千圓を追加し、12年8月通水し、13年4月18日を以て竣工式を挙行せり。
其間の経営苦辛固より尠からざりしも、町民皆能く恩して其成を楽に遂に、地方未曽有の享業を完成するを得たり。縣郡其費を補助し、政府又国努を賜ふ仍て石を建て之記せんと欲し、題額は我町と縁故ある大阪商舩会社長従五位勲三等堀啓次郎翁に請へり、子幸に記するあれと余惟ふに、出町の東西両砺波郡の中央に位し、四達の要路に当るを以て、藩政時代には郡奉行所あり、明治維新後亦長く郡役所を置かれ、現に区裁判所・税務署・警察署竝に技芸女学校等あり、鉄道貫通して百貨輻湊し、市街殷賑自ら南砺文化の中心地なり、今や上水道の設備完成して衛生保健の安固と、水利防火の便益とを得挙町頼て以て生を・んし、業を励は将来の進展期して竣のべきなり。此の洵に地方の慶事にして宣く其範を胎し其功を傳ふべし。
余議学非才を以て職を砺波中学校に捧ぐ、出町に朝夕なること20年町勢の隆昌を聞観し有志と相識る深し昌に離するを得ん乃ち銘して曰く
闔郷戮力 巨費肇工 北陸嚆矢 道通誦功 浄水混混 戸給路通 綏生黴災 恵澤無窮 官弊助成 貞珉績祟
昭和3年戌辰秋10月 富山県立砺波中学校教諭正七位 吉波彦作 撰
尋常高等小学校長正七位勲八等 岡田直䡄 書
*戦前の文章は、読めない文字が多すぎますね~
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/34/d35416ab1fcdf2eecc216cfddbe6f20f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/b4/ce768244c5a8ef2af7574c711a9e5e6c.jpg)
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北東側から![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/ec/750ed48e89119a4b6ee9df50efaed7e9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/63/b7c99f749cbb6d2bbe2bc2bba9d69420.jpg)
幹を西側から見上げました![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_sup.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/de/7458f8e3a5e193d089c976356826acd2.jpg)
南側からの太い幹です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_en.gif)
では、次へ行きましょう![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cars_red.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/up.gif)
2023年5月4日午後3時50分訪問です
砺波市役所から国道156号線を南へ直ぐの栄町信号を右(西)へ入ります
すぐ先の栄町西信号を左(南)へ、県道20号線です、約700mで斜め右へ、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/09/9dc185ed51de07a4687f7fd6a9996508.jpg)
約900mで道路左側に「出町けやき公園」があり
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_en.gif)
前の道路脇に
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cars_red.gif)
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北側から見ました、大きなケヤキが立ています
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_sup.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/c4/65c7f7fe3480a9d0b651dd88db707a65.jpg)
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西側から
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/f6/efc574bfd3d367e5f5a546d91252016a.jpg)
説明版です
出町の大ケヤキ(砺波市保存樹)
二レ科落葉高木
幹周り約6.6m
幹直径約2.1m
樹高 約30m
樹齢 約500年
今から約500年前の室町時代には、このケヤキの西側に庄川の一支流である中村川が、時には河幅100m程にもなって流れており、ケヤキは行き来する人の大切な目印になっていたという。
また、この樹の周辺水が淀んでいつしか船の渡し場なっていたとも伝えられる。
慶安2年(1649年)、杉木村二郎兵衛らが杉木新町を開き、後にこの大ケヤキの周辺が町の共同墓地となった。
寛政9年(1797年)に墓地の入口に杉木新町若連中の手で六体地蔵堂が建てられており、旧町名の「地蔵町」はこれに因んだ。
西にあった中村川は、江戸時代に入って治水工事がすすむと、締切られて廃川地は開拓され、貞享2年(1685年)に長さ4kmに及ぶ細長い鷹栖出村が誕生した。
安政3年(1856年)4月15日、加賀藩主13代前田斉泰公の大名行列が江戸からの帰国途中に城端善徳寺にお立寄りの際、西町鷹栖屋甚兵衛でご休憩の後、この樹の下を通って福野へ向かわれてのであった。
明治21年(1888年)出町、津沢間の道路改修にあたり大ケヤキの北に道路が新設されて、共同墓地は現在地は現在地に移転したが、大正時代までこの大ケヤキを中心にして付近に大小多数のケヤキが繁って大きな森となり、四季を通じて鳥の楽園であった。
砺波散居村の500年の歴史を語る生き証人は、いま出町では唯一この大ケヤキあるのみである。
なお、この公園は平成15年度まちづくり総合支援事業「出町大けやき公園」建設工事により整備された。
平成16年3月 334ⅠⅮ地区第2R第3z・となみセントラルライオンズクラブ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/b8/3d1294de11b19c82a6e5f926e2a86d58.jpg)
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西南西側から
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南側から
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/da/5b02b3b476554cdddae9a590cd269ce9.jpg)
大きな出町上水道記念碑があります
出町上水道記念碑
産業を振興し民福を増進せんと欲せば、須らく先ず保険防火の施設を為さざるべからず、項日出町長永井加悦氏来り語て曰く、我町古来井水に乏しく、町民皆灌漑用水の末流を飲用せり、是を以て積潦時に横溢し泥沙或は溷濁して、連日共用を絶つに至ることなり。
殊に悪疫流行の際には、蔓衛尤も甚しく死者相継ぎ、為に生を傷り産を害せしこと蓋し幾何なるを知らず。
我町有志風に此を患へ、上水道敷設の議を倡へ、大正2年始て設計に着手し、同7年、時の町長神澤新右衛門氏、最も其急を認め、工費7萬圓の豫算を以て町会に諮り、一致の協賛を得たり。
越えて9年規模を拡張して11萬1千圓に増加し、翌10年4月工を起し、11年更に5千圓を追加し、12年8月通水し、13年4月18日を以て竣工式を挙行せり。
其間の経営苦辛固より尠からざりしも、町民皆能く恩して其成を楽に遂に、地方未曽有の享業を完成するを得たり。縣郡其費を補助し、政府又国努を賜ふ仍て石を建て之記せんと欲し、題額は我町と縁故ある大阪商舩会社長従五位勲三等堀啓次郎翁に請へり、子幸に記するあれと余惟ふに、出町の東西両砺波郡の中央に位し、四達の要路に当るを以て、藩政時代には郡奉行所あり、明治維新後亦長く郡役所を置かれ、現に区裁判所・税務署・警察署竝に技芸女学校等あり、鉄道貫通して百貨輻湊し、市街殷賑自ら南砺文化の中心地なり、今や上水道の設備完成して衛生保健の安固と、水利防火の便益とを得挙町頼て以て生を・んし、業を励は将来の進展期して竣のべきなり。此の洵に地方の慶事にして宣く其範を胎し其功を傳ふべし。
余議学非才を以て職を砺波中学校に捧ぐ、出町に朝夕なること20年町勢の隆昌を聞観し有志と相識る深し昌に離するを得ん乃ち銘して曰く
闔郷戮力 巨費肇工 北陸嚆矢 道通誦功 浄水混混 戸給路通 綏生黴災 恵澤無窮 官弊助成 貞珉績祟
昭和3年戌辰秋10月 富山県立砺波中学校教諭正七位 吉波彦作 撰
尋常高等小学校長正七位勲八等 岡田直䡄 書
*戦前の文章は、読めない文字が多すぎますね~
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/34/d35416ab1fcdf2eecc216cfddbe6f20f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/b4/ce768244c5a8ef2af7574c711a9e5e6c.jpg)
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北東側から
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幹を西側から見上げました
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南側からの太い幹です
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では、次へ行きましょう
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cars_red.gif)
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2023年5月4日午後3時50分訪問です
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