ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

千葉県匝瑳市、飯高壇林跡、飯高神社です!!

2017-03-18 11:53:26 | 文化財・寺社
飯高壇林跡は、匝瑳市役所の北西約5kmのところ


一番南側が飯高神社です

妙福寺から鐘楼の前を進むと鳥居が有ります





飯高神社へ行きましょう

妙福寺の南側に参道入り口鳥居があります

神社は台地の上なので長い石段を上がります

もう一段上ですね

拝殿です




説明版です
    匝瑳市指定有形文化財

      飯高神社拝殿  一棟

          昭和61年3月26日指定

        建築年代については不明な点が多いが、現在のところ江戸時代後期頃と考えられている。

       建物は、正面9,5m側面6,85mの入母屋造りで銅板葺きである。正面の龍を模した彫

       刻は見事であり、他の部分も装飾傾向の強い特徴をもっている。

        天井には植物を描いた133枚(1枚欠損)の板絵がはめこまれており、構図もしっかり

       している。

        市内において江戸時代の代表的特徴を有し、優れた建造物である。

          昭和63年11月

                                       匝瑳市教育委員会


本殿では改修工事が行われています

珍しい玉垣の門です

説明版です
    匝瑳市指定有形文化財

      飯高神社瑞垣  一棟

          昭和38年3月30日指定
         
       神社本殿を取り囲むように垣をめぐらしたものを「瑞垣」あるいは「玉垣」と呼んでいる。本

      神社の特徴でもある装飾の強い神社にふさわしく、瑞垣にも彫刻が施され極彩色で仕上げられて

      いる。彫刻の内容は「二十四考」の彫刻であり、県内で同種のものは、成田山新勝寺以外に今の
   
      ところ知られていない。

       二十四考とは、中国の孝行者24人を著した教訓書であり、日本では江戸時代に訳本も多く刊

      行されていたようである。

       建築年代は、江戸時代中期以降と考えられている。

          昭和63年11月

                                       匝瑳市教育委員会



玉垣にも見事な彫刻が施されています

本殿の裏側にも彫刻がありました

では、飯高寺へ向かいましょう
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千葉県匝瑳市、飯高壇林跡、妙福寺です!!

2017-03-17 06:28:29 | 文化財・寺社
飯高壇林跡は、匝瑳市役所の北西約5kmのところ

県道16号線を北へ進むと、案内板に日本最古の大学とあります

大きな駐車場があり、周辺に飯高壇林寺、妙福寺、飯高神社、天神社等

文化財や巨木もたくさん有りますので、ゆっくり見て回ることにしました

(松山神社で出会った方にも薦められました)


飯高壇林跡へ行きましょう

まずは、南側の妙福寺から回りましょう、案内板を確認します
   妙福寺、飯高神社の森
          郷土環境保全地域
        指定 昭和60年5月24日
        面積 3,3ヘクタール
    郷土記念物  妙見堂  

  妙福寺は延慶3年進藤太縦空(しんどうたじゅうくう)が守護神として妙見尊を祀り建立しました。

  この地域には、妙福寺、飯高神社があり、それを中心にモミが混成したスダジイ林が広がっています。
  
  その他タブノキ、ウラジロガシなどを含み良好な社寺林を形成しています。
  
  また、北方の天神社もスダジイ林を中心として、モミ、杉、モウソウチクなどを含んでいます。

                    千葉県環境生活部自然保護課

ふる里自然散策道案内図です

妙福寺入口山門です

手水舎です

鐘楼です

妙見堂ですが・・・逆光で上手く撮れませんでした

有形文化財の案内板です、曼荼羅本尊三幅が指定されています

本堂です


本堂前に八日市場市指定有形文化財の題目板碑と付種子板碑です


梅と枝垂れ梅が見頃を迎えていました

日中友好の石碑です、中国帰還者連絡会の建立です

では、飯高神社へ行きましょう
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千葉県匝瑳市、老尾神社の大杉です!!

2017-03-16 06:51:17 | 巨樹・大木
老尾神社は、匝瑳市役所の西約2kmのところ

県道16号線を台地に上って行くと西側に匝瑳高校があります

その東側の台地上に式内社老尾神社があります

参道入り口に車を止めさせて頂きまいた




参道入り口です

老尾神社です

匝瑳市指定史跡 式内社老尾神社(しきないしゃ おいおじんじゃ)標柱です

説明版です
   匝瑳市指定史跡 式内社老尾神社
       5329平方メートル
       平成25年2月22日指定
     平安時代の「延喜式」に香取神宮などに次いで小社「老尾神社」として記載されている。
     現在の境内地は、江戸時代の「下総名勝図絵」に絵図として見られ「延喜式」から続く神社である
    由来が書かれている。
     匝瑳郡として式内社は一社であり、後には匝瑳郡の総鎮守となった記録もあり、歴史的に重要なも
    のである。
                        平成26年3月    匝瑳市教育委員会


参道入り口を入って左に曲がると鳥居です





参道の両側に境内社が並びます


手水舎です

拝殿です

本殿です

本殿西側の境内社には鳥居があります




本殿の北西側道路沿いに大杉が在ります

匝瑳市指定有形文化財 老尾神社の大杉の標柱です



 

北西側から



北側から見ました、目通り幹回り6,5mの巨木です

では、次へ行きましょう
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千葉県匝瑳市、松山神社の大杉とスダジイです!!

2017-03-15 06:25:54 | 巨樹・大木
松山神社は、匝瑳市役所の西約4kmのところ

県道106号線の元の匝瑳小学校の隣に在ります

神社鳥居脇に駐車させて頂きました


元の匝瑳小学校です

参道入り口です

参道鳥居です




参道の左手に杉の大木が有りますが、目的の杉ではありません、目通り幹回り4m程です

手水舎です

拝殿です

本殿の写真を撮り忘れてしまいましたが、高床式の立派な本殿が有ります


拝殿前右手に大杉が在ります

八日市場市指定 有形文化財 松山神社の大杉の標柱です




南から見上げました




北側から、目通り幹回り8,0mの巨木です

境内左手には、稲荷神社が有ります




稲荷神社の南側にスダジイの巨木が在ります、目通り幹周り5,5mです


境内社です

石碑が並びます

境内の、お掃除に来られていた方に、お話お聞くことが出来ました

(72歳の男性、元高校の先生をされ、松山神社の総代を前年までされていたとの事)

匝瑳小学校は、三月に閉校になってしまいました

元は、松山神社の境内で、神社北側にある小学校のプールも境内の一部でした

私の卒業したころは、350人ほどの生徒数でしたが

最近は、子供の数もえってしまい、全校児童が150人くらいになってしまったそうです

本殿は、以上に高い高床になっていて、廻廊が廻っていますが、以前一度上がったことが有るそうです

東日本大震災の時には、西側の玉垣が倒れ、幣殿の板壁も壊れる被害に遭って

修理のために苦労されたようです、

神楽殿は、新しく立て直しました、春は4月13日が毎年、神楽の奉納日だそうです

氏子が100軒ほどしかないこの地区で

この為の費用お捻出するのは大変だったそうです

昭和32年に建てられた鳥居は、御神木に継ぐ杉の巨木が在ったそうですが

鳥居修築費用の為に切られてしまったそうです

まだ、境内には数本の大木が残っています

香取神社に匝瑳神社が在りますが、ここ松山神社が、匝瑳神社の始まりだそうです

ここから北に15分ほどのところに、飯高壇林という日本の大学の始まりのところが有ります

是非、行って見てください、駐車場から歩いて15分くらいだそうです

(飯高壇林近くの天神社に行く予定だったので、飯高壇林にも行って見ましょう)


拝殿前に置かれていた、パンフレットです
    御祭神  イザナミノミコト
         アメノコヤネノミコト
    御由緒
         第51代平城天皇の大同元年(806)イザナミノミコトを祀る。
         建久5年(1194)ホコタワケノミコト・アメノコヤネノミコトを合祀する。
         旧松山大明神 松山大権現、明治に至り松山神社と改む。
    御神徳  イザナミノミコトは国生みの租神で、延命長寿、病気平癒の神、ホコタワケノミコト
         は、武勇開運の神、アメノコヤネノミコトは言魂、学問の神であります。

では、次へ行きましょう
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千葉県横芝光町、新井万福寺のスダジイです!!

2017-03-14 20:24:55 | 巨樹・大木
新井地区は、横芝光町役場の北西約4kmのところ

県道109号線を北へ県道45号線を西へ進んだ南側の地区です

地区の山際に万福寺が有ります

境内に二本の椎の大木があります

本堂前に駐車スペースが有ります




参道入り口です

山門です

山門の左手に目的の椎の木があります



南東側から見上げました

天然記念物石碑です

説明版です
   光町指定天然記念物
     椎の木 一樹
       昭和47年6月23日指定
      ブナ科の常緑樹でかなり高木になる。学名をスダジイといい、福島県附近が北限
     となる分布を示す。
      材は耐寒性・耐久性があることから、建築・家具・船舶などに用いられる。また
     皮からは、網などを染めるタンニンが多量にとれる。
      樹高18,0m目通り5,5mで当町最大のものである。
       昭和60年2月20日
                              八匝教育委員会

本堂です



もう一本、墓地の中んも、スダジイの大木が有ります

では、次へ行きましょう

上空を旅客機が通ります、成田空港が近いのを実感しました
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千葉県横芝光町、町原大銀杏です!!

2017-03-13 20:09:18 | 巨樹・大木
町原大銀杏の在るのは、横芝光町役場の西北西約4kmのところ

県道79号線の寺方信号を西へ、県道116号線で台地の上へ上がります

右手に大総小学校のクスの木を見越して間もなく左側にです

向かい側の空き地に車を止めさせて頂きました




稲荷大神は北向き参道になっています、正面に大銀杏が立ちます

鳥居です

手水舎です

拝殿です

本殿です




東側から見上げました

横芝光町指定天然記念物 町原大銀杏の石碑です



南側から、説明版等はありませんが、目通り幹回り5,5mの巨木です




西側から見上げました

では、次へ行きましょう、でも直ぐ近くです
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千葉県横芝光町、大総小学校の大クスです!!

2017-03-13 06:50:44 | 巨樹・大木
大総小学校は、横芝光町役場の西北西約4kmのところ

県道79号線の寺方信号を県道116号線へ

台地の上に上がった右手に小学校はあります

向かい側の道路端に車を止めさせて頂きました




大総小学校前のバス停です

大総小学校校庭越しに校舎です

校門です



校門の左手に大楠が在ります、校庭内なので道路から撮影させて頂きました.


南側から


南西側から

大楠の大きさは、目通り幹回り5,3mの巨木だそうです

では、次は直ぐ西側です
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茨城県かすみがうら市、宍倉鹿島神社の杉です!!

2017-03-12 20:47:05 | 巨樹・大木
宍倉地区は、かすみがうら市役所の南東約8kmのところ

県道141号線を東へ進み、宍倉地区の東端近く

県道北側に鹿嶋神社が在ります

社殿は西向きに建っています

本殿南側県道沿いに駐車スペースがあります


宍倉総鎮守 鹿島神社の参道です

鳥居です

由緒の石碑です
   鹿島神社由緒
      御祭神 武甕槌尊
     当社は、平安時代の大同4年(809)の創建と伝えられる古社で、現在の御本殿は
    江戸時代・延宝元年(1673)に、再建したものであります。水戸藩主との関わりが
    深く、御神体は徳川光圀公によって寄進されました。
     明治6年、村社に列し、宍倉・成井・上軽部・下軽部四ヶ村の総鎮守に定められまし
    た。昭和27年10月6日宗教法人となり、大字宍倉の氏神として広く尊崇されており
    ます。
     御祭神武甕槌尊は、勝運・起業・開拓の御神徳があるほか、その御名に因み雷神とし 
    て、雨乞・農耕・五穀豊穣に霊験ある神です。
       御祭礼  例 祭10月29日
            新年祭 2月23日
            新嘗祭11月29日





石碑の後に樫の古木があります

アカガシです

水盤です




参道右手に杉の巨木です




拝殿前から見上げました、目通り幹回り5,7mの巨木です

名木・巨木・珍木選定事業の標識があります、合併前の出島村が行なった事業です





境内社です

拝殿です

本殿です

では、次へ行きましょう
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茨城県石岡市、高浜神社のスダジイです!!

2017-03-11 07:30:25 | 巨樹・大木
高浜神社は、石岡市役所の南東約kmのところ

県道118号線が霞ヶ浦に流れ込む恋瀬川最下流に愛郷橋があります

橋の北側、コンビニの西側に西向きで建っています

県道沿いの駐車スペースを利用させて頂きました


高浜の海説明版です
    高浜の海
   国府の人々には、筑波山のほか、もう一つ愛着をもった景観があった。高浜の海である。
  「常陸国風土記」には、次のようにみえる。
   そもそもこの地は、花かおる春、また木の葉色づき散りしく秋になると、あるいは駕を
  命じて出向き、また舟を漕ぎ出して遊ぶ。春の浦々には花が千々に咲き乱れ、秋には岸と
  いう岸の木の葉が色づく。春はさえずる鶯の声を野のほとりで耳にし、秋は宙に舞う鶴の
  姿を海辺のなぎさで目にする。農夫の若者と海女の娘は、浜辺を逐い走って群れつどい、
  商人と農夫は、小舟に棹さして行き交う。まして真夏の暑い朝、陽光でむっと暑い夕暮れ
  になると、友を呼び僕を引き連れて、浜かげに並んで腰をおろし、海上はるかにながめや
  る。少し波立ち夕風がしずかに吹き出すと、暑さを避けて集まった者は、晴れやらぬ心の
  憂さを風に払い、岡を照らしていた日影が、しだいに動いて行くにつれ、涼を求める者は
  、喜びの心を動かすのである。
   国府の役人たちは春秋の入江の景色を楽しみ、特に夏の夕には涼を求めて集い遊んだの
  である。今は高浜の海も陸化したが、高浜よりみた筑波山の美しさなど、風土記時代のす
  ばらしい景観は、まだ残っている。
   

                 昭和60年3月
                            石岡市教   育委員会
                            石岡市文化財保護審議会


入り口の鳥居です

茅葺屋根の拝殿ですが~かなり傷んでいます

説明版です
   高浜神社 
          所在地 石岡市大字高浜865番地
          祭 神 たけみかづちのみこと
    口碑によれば、高浜の地は古代には国府の外港として栄えた。国司は都から着任すると、
   当国内の大社に報告のため巡拝し、また奉幣祈願をするのがならわしであった。
    国司が鹿島神社に参拝するには、高浜から船で行くのが順路であったが、荒天で出航不能
   のときは、高浜のなぎさに、ススキ・マコモ・ヨシなどの青草で仮屋(青屋)をつくり、遥
   拝したといわれる。
    現在は、本殿・拝殿・石鳥居などがあるが、この社殿は後世に建てられたものであろう。
                 昭和60年1月
                            石岡市教   育委員会
                            石岡市文化財保護審議会





境内南側に目的のカシの木が有ります、目通り幹回り5,2mの巨木です


御神木の杉ですが、あまり太くは有りません

立派な本殿です、本殿も茅葺です珍しくなりましたね




本殿南側のケヤキの大木です



本殿裏側(東側)のカシの木です



本殿北東側のケヤキの大木です

では、次へ行きましょう
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茨城県石岡市、三村常春寺のカヤです!!

2017-03-10 06:22:47 | 巨樹・大木
三村地区は、石岡市役所の南約4kmのところ

県道221号線を南へ、三村小学校の南東側に常春禅寺が在ります

参道入り口の南側に駐車場が用意されていますので利用させて頂きました

訪問した3月4日は、梅の花が満開でした

参道入り口です

曹洞宗 常春禅寺です

参道を登ると山門です

本堂です

鐘楼が有ります

縁起の書かれた改築記念の石碑です

鐘楼の北側に大カヤが在ります




幹の南面は、既に枯れてしまっています、残る生きた枝も僅かです




東側あら見上げました

樹勢回復の手当が行なわれていますが、カヤに関する記載はありませんでした

目通り幹回り5,3mの巨木です、長生きしていただきたいですね

では、次へ行きましょう
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茨城県かすみがうら市、中佐谷生活改善センターの大ケヤキです!!

2017-03-09 05:59:29 | 巨樹・大木
中佐谷は、かすみがうら市役所の西南西約2kmのところ

県道64号線沿いに、JA農協の倉庫が並ぶ中に、中佐谷生活改善センターがあります

隣に神社が有り、境内南西端、農協の敷地の脇に大ケヤキが在ります

神社の鳥居前に車を止めさせていただきました




中佐谷生活改善センターの建物です

隣に神社が有ります、神社は東向きに建てられています、シイの古木がみえます

水盤です


立派な本殿を持つ神社ですが名前がわかりません



石塔やお地蔵様もみられます

本殿北側には立派な鳥居の境内社があります




目的のケヤキは、本殿南西側の境内端にあります



南側の根元です




南西側から見上げました、目通り幹周り5,2mの巨木です

神社の名前は香取神社の様ですがはっきりしませんでした

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茨城県かすみがうら市、下佐谷須賀神社の大ケヤキです!!

2017-03-08 06:03:38 | 巨樹・大木
須賀神社は、かすみがうら市役所の西約kmのところ

二柱神社の直ぐ南にあります

県道53号線と県道64号線の交差点、下佐谷信号を南に100m程です

須賀神社には駐車スペースが無いので、二柱神社に車を置かせていただきました

(一度車で行ったのですが、駐車スペースが無いので戻りました)

鳥居と拝殿です

須賀神社です



社殿の東側に大ケヤキがあります


玉垣はありませんが本殿です




南東側から見ました、目通り幹回り6,2mの巨木です

ケヤキの根元には石碑が並びます




こちらは、鳥居南側のケヤキの大木です


南側から境内を見ました、境内には2本のケヤキの大木があります

では、次へ行きましょう
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茨城県かすみがうら市、下佐谷二木神社のスダジイです!!

2017-03-07 05:43:06 | 巨樹・大木
下佐谷地区は、かすみがわら市役所の西約3kmのところ

県道53号線と県道64号線の交差点が下佐谷信号です

信号の北側に参道入り口が有ります

駐車場は社殿東側の社務所の前です

目の前に、スダジイの巨木がありました



参道入り口鳥居です

二木天満神社です



参道右手のケヤキの大木です

手水舎です

拝殿です

立派な本殿です

本殿の東側社務所の前にスダジイの巨木が在ります



南西側から



東から見ました、根元の痛みが目立っています

説明版等は有りませんが、目通り幹回り5,3mの巨木です

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茨城県土浦市、法泉寺の椎(今泉城跡)です!!

2017-03-06 05:44:31 | 巨樹・大木
法泉寺は、土浦市役所の北約8kmの今泉地区にあります

常磐自動車道と県道53号線の間の丘陵地帯です

参道入り口に車を止めさせて頂きました


参道入り口です

真言宗 豊山派 紫垣山 観音院 法泉寺です

山門です

本堂です

観音堂です

東日本大震災での本堂大改修の記念碑です

境内整備の記念碑です

山門脇のイチョウの大木です

目的の樹は庫裏の裏側にあいました




南東側から見上げました

説明版です
   法泉寺の椎
     樹高 24,0m
     樹周  7,8m
     樹齢  600年
      平成17年8月
     管理者  法泉寺



南西側から

南側から

参道入り口に
   今泉城跡 土浦市教育委員会の石碑が立いました

では、次へ行きましょう
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茨城県土浦市、藤沢新田別雷神社の大ケヤキです!!

2017-03-05 09:00:12 | 巨樹・大木
藤沢新田は、土浦市役所の北西約7kmのところ

つくば市との境に流れる桜川沿いになります

県道201号線の桜川を渡る栄利橋の直ぐ西側に別雷神社があります

鳥居前の道路脇に車を止めさせていただきました



神社の陰に巨木があります


参道は東に向いています

別雷神社です

本殿です

境内社の稲荷社のようです





本殿の裏側に大ケヤキが立っています




南西側、桜川の土手中段から



北側から

境内に説明版等は有りませんでしたが、目通り幹回り6,2mの巨木です


桜川浸水実績図が土手にありました、昭和61年8月の洪水が青で描かれています

では、次へ行きましょう


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