ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

埼玉県横瀬町、秩父札所九番、明智寺です!!

2019-04-15 04:45:42 | 文化財・寺社
明智寺は、横瀬町役場の南東5mのところ

国道299号線の町民会館前信号を南に入り

カーブを曲がって坂道を上った右側です

車を境内に駐車させて頂きました

南側に三菱マテリアルの大きな工場が有ります



札所九番明智寺です

境内入口のお地蔵様です

板碑が三基並んでいます


観音堂です

説明版です
  町指定文化財 昭和48年1月31日指定
 秩父観音霊場札所九番  明智寺
本尊  如意輪観世音
御詠歌 廻りきてその名を聞けば明智寺
          心の月はくもらざるらん
 明智寺は建久2年(1191)明智禅師の創建
と伝えられる。江戸時代の観音堂は札所五番語歌
堂と同時代同形式の、三間五尺4面で建立された
が、明治16年(1883)落雷により焼失した
。その後長く民家風の仮堂であったが、平成2年
に至って現在の観音堂が再建された。
 当寺は安産子育ての観音として広く知られてお
り、1月16日の縁日には各地より女性参詣者で
賑いをみせる(平成20年までは8月16日も縁
日だった)。境内には室町時代の板石塔婆3基や
、その昔女性の願いを納めたと云う石碑「文塚」
(道標を刻む)がある。
        横瀬町教育委員会


境内南西隅に文塚です

「文塚」と刻まれた石碑です

由来です
   文塚の由来
 明智寺は建久2年(1191年)明智禅師が開
創、人皇六十六代一條天皇の御后寛弘年中御懐胎
し難産に及び苦痛転動、恵心僧都が勅命を蒙り、
御長さ九寸一分の香木に如意輪観音の尊像を彫刻
し御山平安の御祈り有る慮に御后御心健かならせ
給ひやすやすと皇子誕生成為ひ武州横瀬の地で女
人難産の苦を救ひ永く衆生の群類を利益せんと告
終わるなり。
 以後女人の苦を救う為願ひを書いて納めたのが
この文塚で宝永元年6月(1704年)建立、写
経習字等の下書の供養、又学業の向上・就学願い
の成就と家庭の繁栄・安全幸福と平和を祈念する

   昭和60年4月      明智寺

では、次へ行きましょう
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埼玉県横瀬町、秩父札所第八番西善寺と「コミネカエデ」(県指定)です!!

2019-04-14 07:18:03 | 巨樹・大木
西善寺は、横瀬町役場の南東約2kmのところ

国道299号線の南側、西武鉄道の線路をくぐり

城谷沢の井への道路の先を左に上ったところです

山門の南側に駐車場が有りますので利用させて頂きました

駐車場から見た武甲山です、直近くに見えます

このとき山から発破の音が響きました近くで二度、遠くで一度聞こえました

山門です

東国花の寺百ヶ寺にもなっています

臨済宗 西善禅寺です

山門から一段低くなって南東向きの本堂です

本堂前に埼玉県指定天然記念物の「こみねもみじ」です(指定名は西善寺のコミネカエデ)

南西向きに六地蔵様です

南西側から

南西側根元から

大きな石燈籠です

本堂前北西側から見上げました、根元にはの如意輪観音様と板碑が一枚立って居ます

天然記念物こみねもみじの案内板です

北側から観ました、推定樹齢500年とも600年とも言われ

目通り幹囲3,75m、樹高10,0m枝張り東西南北共に17,5mの大木です


なで佛様です、頭や膝・おなかをなでる人達が多いようですね

では、次へ行きましょう
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埼玉県秩父市、明ヶ指 「たまご水と大カツラ」(県指定)です!!

2019-04-13 07:57:04 | 巨樹・大木
日野地区は、秩父市訳書の西南西約10kmのところ

国道140号線を山梨方面へ進みます

秩父鉄道ぶしゅうひの駅の手前

荒川中学校前信号を中学校の反対側、南へ入ります

秩父鉄道の踏切を渡って道なりに進みます

目印は「たまご水」です

蕎麦屋さんの南に十二天神社が鎮座します

鳥居前に車を止めさせて頂きました

車を置いて安谷川を渡って「たまご水」を目指しました





たまご水入口です

秩父ジオサイトの案内板です、明ヶ指たまご水と大カツラも載っています


山道を下って行きます

安谷川木橋を渡って対岸へ

今度は登りです

花いっぱいの山道を登っていきます

住宅の前を通ってこの道を進みます

薬師堂の前に出ました

キャンプ場の前を通り

杉林を過ぎると鉄橋です、橋の先に案内板が有ります右に1分

バンガローを左に見ながら進むと湧水はこの先です

沢が見えて来ました

明ヶ指の卵水の標柱です

河原側に回ると綺麗な水が出ています、飲んでみるとかすかに卵臭い香りがしました


卵水の前から安谷川の上流側を見ると大カツラが見えます

河原から見上げました

登山道から

山側から

標柱です、カツラでは県内随一、巨木の中で県内第二位の幹周りと表示されています

(ちなみに埼玉県内1位は、越生町上谷の大クスで幹囲15mこのブログ2015/4/18に紹介、
、2位は東松山市正法寺(岩殿観音)のイチョウ幹囲13,5mこのブログで2015/11/18に紹介しています)

上流側から


新芽が伸び始めていました


カツラノ脇には炭焼き窯の跡があります

では、戻って次へ行きましょう
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埼玉県秩父市、日野「十二天神社の夫婦杉」です!!

2019-04-12 08:24:44 | 巨樹・大木
日野地区は、秩父市訳書の西南西約10kmのところ

国道140号線を山梨方面へ進みます

秩父鉄道ぶしゅうひの駅の手前

荒川中学校前信号を中学校の反対側、南へ入ります

秩父鉄道の踏切を渡って道なりに進みます

目印は「たまご水」です

蕎麦屋さんの南に十二天神社が鎮座します

鳥居前に車を止めさせて頂きました




案内板には「たまご水」があります

蕎麦屋さんの前にたまご水への案内板です

秩父ジオサイトの説明版がありますが十二天神社の表記はありません



蕎麦屋さんの前に十二天神社への案内板がありますここを入ります

参道の鳥居です

正面に十二天神社の祠です

右手の祠には名前が見当たりません

右手の祠の後側に目的の夫婦杉が在ります



十二天神社祠の後側から見上げました

反対側に回りました

大きさの表示等はありませんが、二本の合計幹周は5m以上ありそうです


単独の杉では十二天神社祠前のこのスギが一番太いようです

安谷川に行って見ましょう

十二天水(湧水)です

綺麗な水が出ています、ステンレスのコップが有ります

飲んでみるとあまり冷たく無くて喉に優しい美味しい水です


では、ここから川を渡って「たまご水」と「カツラ」へ行って見ましょう

道すがらの花を紹介いたします

こんにゃくの仲間のテンナンショウ属の花です(カミコウチテンナンショウに似ています)

かわいいカタクリ

白い花のスミレの仲間(ヒカゲスミレに似ています)

キャンプ場脇の水仙

水の湧き出しているところには山葵(ワサビ)です、花が咲き始めています

レンギョウの黄色がきれいです

ユキヤナギの白も目に鮮やかです

木瓜(ボケ)の赤い花です

白い小ぶりな花はコブシです

シデコブシでしょうか

花の時期ですね
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埼玉県ときがわ町、椚平の「カツラ」です!!

2019-04-11 06:19:16 | Weblog
椚平は、ときがわ町役場の西南西約8kmのところの集落です

県道172号線を西へ白石峠を目指します

慈光寺への交差点を反対側(萩ヶ丘小学校側)に

道なりに進むと大戸の前で左の分かれ道へ

氷川の沢伝いに登ります(道路は終点まで舗装されています)

しばらく登って行くと大きな右カーブの手前

左手に木の橋があり案内板が立っています

道路脇に車を止めさせて頂きました

木戸のところを左に入ります

木戸のところの案内図です

左下に「カツラ」が表示されています


姥樫から先に約600mのところに在ります

山道は真直ぐに伸びています

沢が詰まった所に二つ目の案内板が有って残り300mです、道は折り返してさらに登っています

上の折り返しから「姥樫」が見えました

かなり登って来ました

三つ目の案内板が有ります、ここから沢へ下って行くようです、残り60mです

トラバース気味に下ります

正面にカツラが見えて来ました

カツラです、沢の源頭部に立って居ます

説明版です
カツラ
カツラ科の落葉高木。渓流沿いなど水気の多い
山中に生育することが多い木である。丸みを帯び
たハート型の葉に特徴があり、春の新芽、秋の黄
葉ともに美しい。
秩父地方の山間部ではごく普通に見られるが、
外秩父のこのあたりでの生育は珍しい。株立ちは
カツラの特徴で、この木の場合も多数のヒコバエ
が伸びている。
*主幹の幹周り3,00m(2002年計測)


足元が崩れていますので注意が必要です


すぐ下に砂防堰堤が有ります、下流側から見上げました

砂防堰堤から見上げました



上流側から

では、戻って次へ行きましょう
(さらに奥、林道の終点手前から山道を2kmにヒノキがあるのですが
山登りの装備を持ってこなかったので諦めました)
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埼玉県ときがわ町、椚平「姥樫」です!!

2019-04-10 07:50:57 | 巨樹・大木
椚平は、ときがわ町役場の西南西約8kmのところの集落です

県道172号線を西へ白石峠を目指します

慈光寺への交差点を反対側(萩ヶ丘小学校側)に

道なりに進むと大戸の前で左の分かれ道へ

氷川の沢伝いに登ります(道路は終点まで舗装されています)

しばらく登って行くと大きな右カーブの手前

左手に木の橋があり案内板が立っています

道路脇に車を止めさせて頂きました




大戸の前の道路を左に入ります

大戸の前の案内板です

左角に「姥樫」と「カツラ」です

林道を登って来ました、案内板です

木の橋を渡って林道を進みましょう

暫らく登ってこの辺りから上を見ると

姥樫です

姥樫への最後の登りです

尾根筋に姥樫です

説明版です
姥樫
和名はアカガシ(赤樫)。ブナ科の常緑高木で、
比較的暖かい地方の山地に多い。地元では古くから
ウバッカシと呼ばれてきた。姥のような老樹という
意味らしい。
幹は大きくねじれることで、より頑強さを増して
いる。イチイガシの巨木は多いが、アカガシでこれ
ほどのものは、全国的に見ても希少である。
*幹周り6,58m(2002年計測)



東側から

南東側から、幹のねじれが分かります

南側から

見学者用通路は南側に大きく迂回しています

西側から

大きな幹が見えました

では、戻ってカツラを身に行きましょう
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茨城県下妻市、高道祖「光明寺のイチョウ」です!!

2019-04-09 07:02:58 | 巨樹・大木
高道祖地区は、下妻市役所の南西約1kmのところ

関東鉄道常総線しもつま駅のすぐ西側に光明寺があります

山門前南側に駐車場が有りますので利用させて頂きました



光明寺です


山門前左にはケヤキの大木です

南側から

西側から

山門前右手の菩提樹です


西側から

説明版です
 市指定文化財 天然記念物 
親鸞御手植の菩提樹 一樹
 指定年月日 昭和52年3月22日
  大幹樹高     2,73m
  小幹樹高     2,42m
  大幹小幹共幹周囲 1,50m
  推定樹齢    700年以上
 この樹は建保年間(1213~18)浄土真宗の開祖
親鸞聖人が小島の草庵に三年間滞在し、伝導に務めてい
たが、稲田に去る際記念に植樹したものと伝えられ、聖
人御遺跡巡拝者の間では有名な老樹である。
 歌人長塚節もしばしば当地訪れており、菩提樹を詠ん
だ一首が傍の歌碑にある。
   うつそみの人のためにと菩提樹を
        ここに植るけむ人の尊とさ
平成2年3月建立    下妻市教育委員会




山門を入ると右手にヒイラギが在ります、しかし主幹が倒れてしまっています

説明版です
 市指定文化財 天然記念物  
明空御手植の柊 一株
 指定年月日 昭和52年3月22日
  樹高    5,87m
  幹周    2,90m
  推定樹齢 700年以上
 光明寺開基明空房は寺伝によれば俗名三浦荒次郎義
忠といい、親鸞の弟子となり、仏道に励んだ。明空は
ヒイラギを好み、境内に多く植えたので、光明寺を「
柊道場」とも呼ばれた。この老樹は当時のものといわ
れている。傍に次の歌碑がある。
   われもまた心に造る罪科を
        名にあらわして 植える一本
                    明空
平成2年3月建立    下妻市教育委員会



柊道場の石碑です

歌碑です


手水舎です



鐘楼です

本堂です

親鸞聖人様です

本堂前に目的のイチョウです




西側から、目通り幹囲6,0mの巨木です





庫裏前、枝垂れの紅梅白梅が満開でした

では、次へ行きましょう
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茨城県石岡市、吉生「吉生香取神社のケヤキとエノキ」です!!

2019-04-08 05:32:21 | 巨樹・大木
吉生地区は、石岡市役所の西北西約13kmのところ

県道7号線で柿岡地区を抜けてフルーツラインを南に進み吉生信号を西へ入ります

公民館をすぎて、道路が南へカーブする外側(西)に香取神社が鎮座します

道路脇に車を止めさせて頂きました



西向きの参道から鳥居です(西向き参道の先は畑で先へは行けないようです?)

拝殿です社殿の屋根の改修中で足場が組まれていました

本殿です


社殿の左側(北側)にケヤキとエノキの大木が在ります


説明版です
石岡市認定保存樹
 「吉生香取神社のケヤキ(欅)とエノキ(榎)」
認定年月日  平成15年10月3日
樹種名    ケヤキ(ニレ科・ケヤキ属)エノキ(ニレ科・エノキ属)
所在地    石岡市吉生字辻914番地
管理者    香取神社氏子総代
 幹周    4,7m         5,5m
 樹高   25,6m        30,0m
 推定樹齢    不詳           不詳
 当神社の創建年代は不詳であるが、戦国時代この地で続い
ていた小田対佐竹の戦いに際し、小田方についた当時の領主
が元亀2(1571)年武運を祈って村の氏神に定められた
と伝えられる。以来御神木とされてきたスダジイは社殿の右
奥にあり、推定樹齢4百年余り。
 一方、このケヤキとそれに並ぶエノキはその後かなりの年
数を経て、植栽されたものと思われる。時代が下がって平成
14年4月スダジイは老齢化のため東側半分が裂け落ちてし
まった。先人がこの難を予測し、次代の後継木としてここに
2本の樹を植えたものであろうか。
 なお、境内に見える土俵は昔行なわれていた奉納相撲の名
残であるが、現在は祭礼の日の行事として子供たちに相撲を
とらせるため小型化・平面化されている。
  平成15年10月     石岡市教育委員会


ケヤキを南側から見上げました


ケヤキの東にエノキの巨木です(北側から)

北東側から



御神木のスダジイの大木ですが、西側半分が涸れてしまっています

北側の道路から見ました


拝殿南側に三角点でしょうか

では、次へ行きましょう
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茨城県石岡市、柿岡「諏訪神社のエノキ」です!!

2019-04-07 05:44:40 | 巨樹・大木
柿岡地区は、石岡市役所の北西約10kmのところ

県道7号線を進むと県道64号線と合流して間もなく

南側に柿岡小学校が有ります、かつての柿岡城の跡です

小学校の南側に西向き参道の諏訪神社が鎮座します

参道入口前の道路脇に車を止めさせて頂きました



西向きの参道です

社殿です

社殿南側境内端に目的のエノキです


説明版です(認定保存樹の説明版は初めてかな?)
   石岡市認定保存樹
 「諏訪神社のエノキ(榎)」
認定年月日  平成14年3月26日
樹種名    エノキ(ニレ科エノキ属)
所在地    石岡市柿岡字館2217番地
管理者    諏訪神社氏子総代
幹周      5,5m
樹高     16,5m
樹齢     不詳
 エノキは街道の一理塚に植えられ、松の次
に多い樹種である。また、道祖神のご神木と
しても知られる。
 「さえのかみ」即ち道祖神は、地蔵尊など
と同様に村の境にあって、疫病や悪霊の襲う
のを防ぎ止めたり追い払ったりするする神の
ことで、道祖神の神木をサエノキと称し「左
榎」などと書いた。
 エノキは文学上で人間による植栽の最も古
い歴史を持っていて徒然草の「榎の僧正」の
話とか、万葉集に「わが門の榎の実もり喫む
百千鳥千鳥は来れど君そ来まさぬ」と詠われ
て、親しまれている木でもある。
 この諏訪神社は柿岡城の城域東端に当たり
、小高い台地の見晴らしは、東及び南に対す
る見張り櫓のあった位置と思われる。このエ
ノキは創建当時に遡ると思われるほどの樹齢
とそれに相応しい風格がある。
  平成14年3月   石岡市教育委員会


西側から

北西側から見上げました

東側から



境内北西端から見ました

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茨城県石岡市、「佐久の大杉」です!!

2019-04-06 06:13:11 | 巨樹・大木
佐久地区は、石岡市役所の北西約9kmのところ

県道7号線で柿岡へ、柿岡から県道64号線を北へ進みます

約3km東側に入った集落が佐久です

集落の中に鹿島神社が鎮座します

参道入口前の道路脇に車を止めさせて頂きました




案内板が有ります

参道入口です

東向きの参道です

参道脇には石碑です

鳥居です、目的のスギが見えます

社殿です

社殿の裏側に回ると巨大な幹が見えました

説明版です
茨城県指定天然記念物 佐久の大杉
       昭和16年3月31日指定
       樹高     28,6m
       幹周り     8,9m
       推定樹齢    千三百年
 この大杉は、鹿島神社の御神木として、長い
歳月にわたり地域の人々に親しまれ崇拝されて
きました。伝承によれば、神社が創建されたと
いわれる応永期(1384~1428)には、
「すでに千年に近い杉」として知られていたと
いわれています。
 度重なる落雷や台風等の被害によって、樹勢
の衰退が目立つようになったことから、平成9
年から12年にかけて、茨城県・八郷町・佐久
の大杉保存会・樹木医が一丸となり、樹勢回復
の治療に取り組みました。土壌改良、大枝の落
下防止のための銅管支柱の取り付け、樹幹の亀
裂部分への特殊な樹脂の注入などが施され、現
在は着葉量も増加し、緑もますます濃くなって
きました。
 また、土壌改良により発根した多数の細根を
保護するために、樹木医の橋本憲二氏から見学
者用の歩廊が寄贈されました。この巨木を後世
に残すためにも、歩廊から見学されますようご
協力お願いいたします。
   平成21年3月  佐久の大杉保存会
            石岡市教育委員会

 
こちらも
 県指定天然記念物
   佐久の大杉
  指定年月日 昭和16年3月31日
  所在地   石岡市佐久
 杉は湿潤な日本の風土に適した、日本固有の
樹種である。古代より住居、日用品等に活用さ
れてきた。稲作が伝来した際用水の管理等に大
きく貢献した。
 当大杉は鹿島神社の神木として地域の人々の
厚い信仰をうけ、長年月にわたりかつ稀にみる
丁重さで余命を保ってきた。
 経、樹齢等、東日本を代表する巨樹である。
数次にわたる落雷、台風等の損傷を受けながら
、数本の大枝になお緑の活力を保っている姿は
、御神木にふさわしい尊さである。
   昭和6年3月  石岡市教育委員会

大杉の周りを左回りに見て回ります


北西側から



西側から

南西側から

南側から

南東側から

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茨城県笠間市、上郷「羽柴山神社のスギ」(市指定)です!!

2019-04-05 07:26:49 | 巨樹・大木
上郷地区は、笠間市役所の南西約6kmのところ

(笠間市役所はJR常磐線ともべ駅の南です)

国道355号線から県道280号線を西へ

真っ直ぐな県道が北にカーブする所の正面に羽柴山神社が鎮座します

鳥居前の道路脇に車を止めさせて頂きました



参道入り口鳥居です


式内羽柴山神社の石碑です

相生の杉のの歌碑です「壱千年の 歴史なひませ みやしろの 霊験しるき 相生の杉」

手水舎です

拝殿です

本殿です


本殿裏側に目的のスギが在ります


本殿裏側から見上げました

西側から、目通り幹囲8,0mの巨木です

説明版です
  笠間市指定天然記念物
 羽柴山神社のスギ
     所在地  笠間市上郷3161
     指定日  平成14年5月20日
     大きさ 目通り幹回り  約8m
         樹高     約40m
         樹齢   推定500年
 樹種はスギ科のスギ、羽柴山神社の御神木である。
 地表より4m位から双幹に分かれ、更にそれぞれが
枝分かれしており、4幹がまっすぐにそびえている。
 羽柴山神社はの霊験と相俟って、縁結び・夫婦和合
・子孫繁栄・長寿の象徴として崇拝される。
 スギは、本州北端青森から九州屋久島まで分布する
日本特産の樹木である。材は軽くて軟らかいので細工
がしやすく、建材その他の細工物など多方面に用いら
れている。水分の豊かな土地を好むので、谷沿いなど
に多く植林されている。幹が真っすぐにすくすくと伸
びるので直木(すぎ)を語源としてスギといわれると
いう。まっすぐにのびる樹形が美しく、各地に巨木・
銘木がある。
            笠間市教育委員会


本殿左側のモミの大木も御神木です

ケヤキにも注連縄が巻かれていますので御神木です

境内でもう一本注連縄の巻かれた杉が在ります



石碑です
 式内郷社 羽柴山神社
  所在地 岩間町大字上郷3161番地
  御祭神 木花咲耶姫命





注連縄の巻かれて記念碑です

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茨城県水戸市、赤尾関「春日神社のケヤキ」です!!

2019-04-04 07:17:21 | 巨樹・大木
赤尾関地区は、水戸市役所の西約9kmのところ

JR常磐線と磐越自動車道に挟まれた地区です

地区の南西端に春日神社が鎮座します

同じ境内には満徳寺や薬師堂・集落センターなどがあり

境内集落センター前に車を止める事ができました

目的のケヤキは、境内への入り口に在ります



東側道路から

南側から

南西側から目通り幹囲5,7mの巨木です

参道鳥居です

鳥居前から

鳥居をくぐって境内から

拝殿です

本殿は覆い屋の中です

説明版です
 水戸市指定文化財 建造物
   春日神社本殿 附棟札2枚、扉板2枚
 春日神社は、戦国時代の元亀元(1570)年に赤尾関村庄屋
塚本吉右衛門が創祀したと伝えられている。祭神は、天児屋根命
で、奈良の春日神社の主祭神である。現在、1月、7月、11月
の年3回、祭礼が行なわれている。
 本殿内には2枚の棟札と墨書のある扉板一組が所蔵されている
。この棟札及び扉板から、春日神社は万治3(1660)年に再
建され、享保2(1717)年に神座が設けられたことが明らか
になる。明和8(1771)年には本殿が再建されている。
 現在の本殿は、彫刻などの意匠に江戸時代後期の技法が色濃く
残っていることから、明和8年に再建されたものと考えられる。
 形式は本殿建築として典型的な一間社流造で、小振りな建物規
模に対し、木割(部材寸法)が太く、全体的に力強い構造である
。板葺の屋根には、全く風食の跡が見られず、良好に当時の姿を
残していることからも、明和8年の再建当初から覆屋(平成3年
新築)に納められていたと考えられる。
 なお、町内の神社には覆屋を設けている例が複数見られるが、
明治以前の遺例は確認できない。
 春日神社本殿は保存状態の良さと、再建年代や修理の履歴が分
かることから、連棟建築の歴史を紐解く上で貴重な建造物である
。                  水戸市教育委員会
 



本殿裏側にもケヤキの大木が在ります

社殿の西側には薬師堂です

満徳寺本堂です

軒下の満徳寺由来が掲げられています
  満徳寺の由来
 抑々、當山は意浮山秀乗院満徳寺と稱し、総本山は真言宗智山
派京都智積院なり。今を去ること五百年前1493年宥誉上人の
開山にて寺恰も室町幕府の全盛足利義満の時代である。本尊は大
日如来にして作者不明なれども今より470年前の作である。五
間四面の堂宇に本尊が安置されしが、中御門天皇の御代正徳2年
不幸にして祝融に罹り灰塵に帰せり、檀徒の熱意によりて正徳5
年浄財26両お費やして薬師堂が建てられた。當満徳寺は宍戸藩
の領内にして、藩より十石五斗の御朱印を賜り居りしも寺運次第
に衰頽に傾きつつある折柄、明治元年4月14日夜、風魔火災を
発生檀家を焼き拂へ余勢を寺社の向けて忽ちにして檀徒必死の防
火も空しく遂に本堂薬師堂庫裏悉く烏有に帰せり、以来120年
有余年檀徒のちからに依りてあらゆる困難を斥けて今日に至れり

 その間假堂宇を以って寺院とし、明治の中期には住職を失い、
明治35年和光院に兼務を委ね、昭和41年9月16日中僧都中
山本宣師が當山住職に定まれり。
 假堂宇も積年の老朽と風化により見るに忍びざる有様を如何に
せん時、隅々大日如来の所有地の一部が建設省より常磐自動車高
速道の用地売収があり、その所得の一部を充てて予てより檀徒の
宿願寺院再建を計画檀家一同の協賛を得て昭和57年2月6日起
工さらに當山先師尊霊の碑を建てて供養し、総工費700万を費
して4月29日落慶す。
 茲に謹んで開山以来寺院の進展に盡力されし先賢各位の功績を
顕彰し當山由来かくの如し。
  昭和62年10月12日    赤尾関満徳寺檀徒一同

 



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茨城県水戸市、加倉井「中根寺のケヤキとイチョウ」です!!

2019-04-03 07:24:46 | 巨樹・大木
加倉井地区は、水戸市役所の西北西約9kmのところ

国道5号線を西へ、常磐自動車道水戸インターチェンジのすぐ西側

インターチェンジの出口信号の南西側に中根寺が有ります

境内南側の墓地南の駐車場を利用させて頂きました


東向きの参道入り口です

真言宗豊山派 来迎山浄心院 中根寺です

境内に入ると左手にイチョウの大木です

保存樹標識があります
  保存樹
 この樹木は、水戸市緑化の推進及び緑の保全に
関する条例により指定された保存樹です。
 この貴重な緑の財産を市民のみなさんで大切に
守りましょう。
指定番号 第23-03号006番 
指定年月日昭和52年10月1日
本数  1本  樹種  イチョウ
樹高  30m  幹周 4,32m  推定樹齢 300年





南西側から

鐘楼です

千日堂です

千日堂の説明書きがあります
  中根寺千日堂
 来迎山中根寺は、元仁元年(1224)文寬の開山と伝えられ。
境内の阿弥陀堂には千体仏があり千日堂と呼ばれる常念仏の道場で
あった。新田宮流居合術で名声高かった水戸藩士和田平助正勝は、
天和3年(1683)故あって藩を追放され、この千日堂の前で切
腹した、その時所持した摩利支天像は他の遺品とともに隣の摩利支
天堂に安置されている。



南側の墓地入口には六地蔵様です

北側に本堂です、法用が行なわれていました

弘法大師様です

境内の赤い建物は、剣聖和田平助堂(摩利支天堂)です

こちらは薬師堂です

本堂東側のケヤキの巨木です


西側本堂軒下から見ました

保存樹標識です
 指定番号 23-3-4-6
 指定年月日 昭和52年10月1日
 本数  3本
 樹種 ケヤキ(2本)イチョウ
 ケヤキ  樹高 15m 幹高7,0m 推定樹齢 800年
 ケヤキ  樹高 20m 幹高6,5m 推定樹齢 800年
 イチョウ 樹高 30m 幹高4,0m 推定樹齢 250年


番号札が有ります、23-3-4です


南東側歩道橋の足元から見ました、目通り幹囲7,0mの巨木です




本堂北東側境内端にももう一本のケヤキの巨木です

南側から見ました

庚申塔や二十三夜塔の建つ東側歩道橋の下からみました

北東側から、こちらも目通り幹周 6,0mの巨木です

番号札です、23-3-5となっています

剣聖和田平助先生霊場の石碑です

南側駐車場から境内を見渡しました

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新潟県五泉市、郷屋水芭蕉公園に春の妖精を見てきましたよ!!

2019-04-02 06:20:19 | 草花
水芭蕉公園は、五泉市役所の南東約6kmのところ

県道436号線を東へ、JR磐越西線さるわだ駅前を過ぎて

県道435号線を南へ、国道290号線を超えて南へ

間も無く左手に水芭蕉公園の幟が並んで道案内になっています

用水路沿いの細い道路を入って東側の山裾の文殊堂が目印です

水芭蕉公園南側の駐車場が整備されて車を止める事が出来ました

水芭蕉公園の幟です

公園への入り口です

公園内は木道が整備されています

今年は雪が少なかったのか水量が少な目です

花の色は綺麗で遅霜の影響は少ないようです

水の有るところは雰囲気が良いですね

広い園内を木道を渡って巡って来ました

公園の広場の縁には、ショウジョウバカマの群落や

雪割草(ミスミソウ)の可愛い花や

カタクリも咲いていました

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埼玉県所沢市、滝の城址の夫婦樫と桜のハートマークです!!

2019-04-01 06:20:57 | 城跡・館跡・陣屋跡
3月31日、久しぶりの滝の城址訪問です

所沢市役所の東約6kmのところ

武蔵野台地が柳瀬川に落ち込む段丘の上に本丸跡があります

国道463の南側の県道179号線から南に入ると

所沢東病院の向かい側に入口が有ります

城跡内の二の丸跡が駐車場になっています

この先を左です

「武州滝の城」の幟があります

こちらの幟には「所沢滝の城」とあります

鳥居をくぐると二の丸です

鳥居脇右の二重掘りです

左側の堀跡です

社務所脇に案内板が有ります、滝の城のパンフレットも設置されています

本丸へ行きましょう

右(南側)の堀跡のサクラが見頃です

左(北側)の堀跡です、以前来た時より綺麗に管理されています

手水舎です

拝殿です

本殿です

拝殿西側の土塁上に御神木でしょうか、注連縄の巻かれた夫婦樫です

案内板です

城跡碑です

こちらも立派な城址碑です

説明版です

本丸跡のサクラです、こちらはまだ五分咲きですね

本殿裏側から馬出お見ました

元は橋があって本丸の出入口はこちら側だったようです

城跡の東側斜面には横穴墓群があります、古代からの斜面をそのまま城に使用していたのでしょうか

柳瀬川沿いの滝の城運動公園沿いのサクラは満開のようです

武蔵野線を貨物列車が通っていました

本丸跡のサクラです


帰り際の本丸入口でハートマークを見つけました

サクラの木の幹にできた瘤がハートに見えました

山梨県富士吉田市の小室浅間神社参道のハートマークと遜色ないと思います

二ノ丸のサクラです

可愛いスミレが咲いていました

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