ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

長野県佐久市、原「諏訪神社のケヤキ群」です!!

2019-07-16 07:44:22 | 巨樹・大木
原地区は、佐久市役所の南約3kmのところ

県道138号線を南へ滑津大橋信号で国道254号線を西へ

小海線を越えて中込信号を南へ、駅前を越えて中込橋場信号を西へ

県道144号線で千曲川の野沢橋を渡り、南詰信号を左斜めに進むと

次の信号の北側に諏訪神社が北向きに鎮座します

境内脇の道路沿いに車を止めさせて頂きました


参道入口です

由緒書です
  諏訪神社由緒記
 祭神は建御名方神・誉田別神
 稲倉魂神にして以前は宮の木に鎮座されし社にして
宝永2年に本場所に遷宮したり。
 尚、明治42年3月に村内北方に祀られし野沢八幡
社、東方に在りし川除稲荷神社と西方に在りし社口社
を合祀した社なり。
 社殿は宝永4年に造営あり其后寛政8年に再建され
今日に及ぶこの氏神に鬼門除水防農事の守護を司る。
  春祭   4月25日
  秋祭   9月19日


水盤です

参道右手奥のケヤキです

参道右手のケヤキです

参道左側のケヤキです

拝殿です

本殿です

境内社や石塔が並んでいます

拝殿右手のケヤキです

拝殿左側のケヤキです

道路脇にあるのが境内で一番太いと思われるケヤキです

北東側から

東側から

南東側から、目通り幹囲5,8mの巨木です

では、次へ行きましょう
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長野県佐久市、原「中嶋公園のケヤキ」です!!

2019-07-15 06:40:23 | 巨樹・大木
原地区は、佐久市役所の南約3kmのところ

県道138号線を南へ滑津大橋信号で国道254号線を西へ

小海線を越えて中込信号を南へ、駅前を越えて中込橋場信号を西へ

県道144号線で千曲川の野沢橋を渡り、南詰信号を左斜めに進むと

すぐに中嶋公園入口です、南に入ると駐車場が有りますので利用させて頂きました


北側からの中島公園入口です

南へ周りこんで

西側駐車場からの公園入口です

公園の真中に

イチイの大木です

もう少し先に進むと

ケヤキの巨木が見えて来ました

目通り幹囲5,0mのようですが、3本の合体木の様で一番北側の木は枯れてしまっています


北側の池越に見ました


池の周りには柳の大木が並んでいます

では、次へ行きましょう
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長野県佐久市、常和「白山神社のイチヰの樹」(市指定)です!!

2019-07-14 07:14:12 | 巨樹・大木
常和地区は、佐久市役所の南南東約3kmのところ

県道138号線を南へ、滑津大橋信号で国道254号線を東へ

北耕地信号で県道120号線を南へ、県道が東へカーブし

また南へとカーブする所を、山沿いの左斜めに入ります

約1kmで左側山の麓に白山神社が鎮座します

参道入口鳥居の脇に目的のイチヰが在ります

鳥居前にまず車を止めさせて頂きました

社殿へは、境内入口鳥居脇に車を止めました

参道一の鳥居と鳥居の先に目的のイチイの巨木が在ります

南側から

文化財標柱です

説明版です
市文化財 自然記念物「イチヰの樹」
   指定年月日 昭和45年10月1日
 この樹は昔から疣神様(いぼかみさま)、虫歯神様といわれ
疣ができたら小石で疣をこすって洞中に投げ入れれば疣が治り
、虫歯が痛むときにもこすって入れれば痛みがとれると言伝え
られ、地域の人々の崇敬するこのイチヰの古樹は寛文13年(
1673年)の頃はすでに神木として崇められていた。
 樹相は目通り周囲6,0m、高さ目測18,0m、枝張り範
囲17,0m~18,0mあり、樹齢は、はっきりしないがお
およそ千年ぐらいといわれ、その大きさや古さは近在にはまれ
にみるものである。
   平成2年3月31日     佐久市教育委員会



東側から

北側から


参道奥(北側)から
参道を進むと境内入口です、鳥居は二の鳥居でしょうか

境内には大岩の上に祠があります

石段の先に建物が見えます、石段は建物の下へ入っています


建物の下を潜ると大岩の前に出ます

こちらの大岩の上にも祠が有ります

水盤です



社殿です


境内社です


大きな石碑です

では、次へ行きましょう
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長野県佐久市、平賀「平賀神社のケヤキ」です!!

2019-07-13 06:31:32 | 巨樹・大木
平賀地区は、佐久市役所の南南東約3kmのところ

県道138号線を南へ、滑津大橋信号で国道254号線を東へ

北耕地信号で県道120号線を南へ、県道が東へカーブしたところの北側に

参道を西側に開いて平賀神社が鎮座します

境内入口脇に駐車スペースが有ります


西側に一の鳥居です

参道入り口の石碑です
  小波澤氏為諸源中之者性源重康為信州平賀邑之鎮守神八幡宮者司牧
  稱尾羽澤氏七世襲其職後孫友房之長子友光通稱真直以嘉永元年三月
  朔日任神主安政二年三月入京其十五日被命大宮司明治六年四月辞職
  間居友光以其先為武人頗達弓劔之技退穏之後以圍棋岳釣為其娯友光
  少壮之際雲州之善書人梵堂世親来寓本邑友光師之 學諸體之書佳僅
  数月之間皆得其要矣上京之次就青蓮親王家士勝見孝友 學國字又塐
  其妙 郷後以此為教授入其門者幾乎三百人荳不盛哉明治十四年之春
  得篤疾四月七日終 家亨壽五十八歳以神道之法葬干邑大書其碑曰毘
  羽澤真直源友光之墓友光妻為本邑尾崎義一之娘得三璋二艽伯知義峩
  督仲友真尒産継本邑清水氏之絶並淑祐武嗣永岡氏友光所著墨 便覧
  今尚行於世云今茲明治十五年門人相諆欲別樹一碑遠求余支又為銘白
    武人之孫  變為文士  其職神衹  其業筆紙
    教人緩矣  弟子之多  良為有以  六書八法
    荳言小枝  死亦猶生  列卌賢子  
  明治十五年龍集壬牛秋九月
    東京下谷隠士枕山大沼厚撰并篆額

漢文で良く解りませんね~


参道わきの石碑は道祖神のようです

間も無く境内です

門杉状の参道と二の鳥居のようです

境内入口の石段です

由緒記です
  平賀神社由緒
     鎮座地 佐久市大字平賀字駒在家4976番地
御祭神  誉田別命 氣長足姫命 玉依比賣命
平賀八幡宮の誕生
  平賀村は、平賀氏発祥の地として知れられる旧村である。
 源氏の名家平賀氏は中世の豪族で佐久郡平賀郷を領した。甲
 斐源氏の新羅三郎義光の長男盛義は、平賀郷を領して平賀冠
 者と称し平賀城を築いた。
  その子第2代城主平賀武蔵守義信が居城した建久年間、征
 夷大将軍源頼朝が浅間山麓へ狩りに来た折城主義信と対面し
 て「源氏が隆盛になったのは先祖の頼義が石清水八幡宮を鎌
 倉に勧進して以来、その御加護によるものである。平賀氏も
 鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮を分遷して、平賀城の鎮護と平賀郷の鎮
 守の神として祭るがよい。」との頼朝の祈警を請けて、建久
 4年9月15日(鎌倉時代・1193)小波澤(尾羽澤)縫
 之亟重康を斎主とし鎌倉より八幡宮を勧進して平賀八幡宮が
 創設されたと伝えられている。
  その後、永和4年(南北朝時代・1378)に移築、文明
 15年(室町時代・1483)等の再建・建替え営繕を経て
 より旧に倍して荘厳になっていったと記録されている。
平賀神社への継承発展
  平賀八幡宮は希に聞く社歴を誇って尊崇されてきたが、平
 賀源心(玄心・玄信・成瀬)が海ノ口城に敗れた頃、社殿も
 兵火によって焼失されるなどでしばらく廃絶していたが、永
 禄元年(室町時代・1558)に再建され平賀郷の総鎮守の
 神として旧に倍して崇敬されてきた。元文4年(江戸時代・
 1739)2月6日平賀郷総社号を京都の吉田家より拝受し
 、嘉永元年(江戸時代・1848)3月神祇官より、平賀神
 社の社号を許可を受ける。
  明治6年4月(1873)村社に列せられ、明治4年(1
 907)4月神饌幣帛料を共進される神社に指定れた。明治
 41年9月村内に分散していた17神社が新たに合祀され、
 名実共に平賀村の総鎮守の社となり現在に至っている。「八
 幡さん」という親しみを込めた尊称には、こうした歴史をと
 おしてご先祖から伝えられてきた尊崇の心が込められている
 。
祭典・神事
 ・歳旦祭   1月
 ・春季例祭  4月20日
 ・秋季例祭  9月18日(湯立神事)
 ・大祓式   年2回(6月・12月)
 ・祇園祭   三年に1回(7月)
平成14年11月3日建立 平賀神社氏子中 
 


水盤です


石灯篭の蔭に目的のケヤキです

参道から

参道奥側(東側)から

南東側から、目通り幹囲5,0mの巨木です

社殿までの長い石段です

石段脇には境内社の祠が並びます

石段上には天満宮の祠です

石段上から見下ろしました

社殿前の狛犬です

社殿は石段上がって直ぐなので写真を撮れませんでした

では、次へ行きましょう
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長野県佐久市、内山「正安寺のケヤキ」です!!

2019-07-12 06:28:51 | 巨樹・大木
内山地区は、佐久市役所の南東約4kmのところ

県道138号線を南へ、滑津大橋信号で国道254号線を東へ

ガソリンスタンド手前の信号を南へ国道254号線の旧道を戻るように進みます

滑津川の橋を渡って直ぐに南へ入ると、少安寺参道入口です

駐車場は車道を上った少安寺のすぐ脇にあります


参道入口です

参道入口右手に四海八紘萬霊供養塔です

左側には庚申塔等が並びます

参道を登って行くと左手(東側)から参道に被さるような巨木が見えて来ます

目的のケヤキです

西側から


参道奥(南側)から見ました、目通り幹囲7,0mの巨木です

参道左手にもう一本目立つケヤキの大木です

間も無く参道は左に折れます

車道を渡ると杉の大木の並木です

山門です

山門を入ると六地蔵様が並びます

境内入口です

正面に方丈です

境内で一番大きな建物です

東側の建物です

覚皇殿です

他にも大きな建物が並びます

石段を下って駐車場まで戻って来ました

では、次へ行きましょう
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長野県佐久市、野沢「野沢町の女男木」(市指定)です!!

2019-07-11 06:05:40 | 巨樹・大木
野沢地区は、佐久市役所の南約3kのところ

国道141号線を南へ、跡部信号を東へ国道254号線へ入ります

国道254号線が野沢本町信号で左に曲がって内山峠へ向かうのを

真っ直ぐ県道144号線へ進むと次の信号の所に女男木は在ります

手前の銀行の駐車場に止めさせて頂きました

(信号の周りには駐車場が有りませんので注意してください)

野沢十二町交差点の南東側にケヤキの木が立って居ます(北側から)

これが女男木の残った一本だそうです

東側から

説明版です
  市文化財自然記念物 野沢町の女男木
    指定年月日 昭和46年10月1日
    所在地 佐久市大字野沢字居屋敷
 樹齢は未詳だが、野沢郷開発当初、諏訪社勧進以来の
ものといわれる古樹である。女男木として対照になった
ケヤキは東南隣地の弁財天社地にあったが、現在はこの
一本だけが御神木として残っている。
  根回り   周9,5m
  目通り   周7,2m
  樹高    27、0m
  枝張り 東西18,2m  南北21,5m
   但し、昭和63年に大雪と腐食のやめ一部伐採。
 平成4年3月31日  佐久市教育委員会


かたわらに市神様(弁天様)の祠が有ります

古い道標です、東岩村田道 北木曽路となっています

南側から

西側から

北西側から

北側から

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長野県佐久市、前山「貞祥寺のケヤキと杉」です!!

2019-07-09 06:25:40 | 巨樹・大木
前山地区は、佐久市役所の南南西約4kmのところ

国道141号線を南へ、洞源湖入口信号を南西へ

正面の山の斜面に貞祥寺が有ります

参道入口の北側に駐車場が有りますので利用させて頂きました

参道入り口です

説明版です

山門中庭の杉、銀杏樹は450年を経ているとのことです

欅の寺の歌碑です

参道脇にケヤキの巨木が在ります

北側から見上げました

根元が石垣に埋まってしまっていますが、目通り幹囲5mを越えているようです

根元にケヤキの札が有ります


更に石段を上がります

突き当り右側は通用門です

惣門です

惣門を入った左側に目的のスギが在ります

北側から

南側から、目通り幹囲5,3mの巨木です

南西側から見ました

山門へ向かいます


山門を入るとイチョウの大木です

足元には、小さい銀杏の実がたくさん落ちていました


本堂です

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長野県佐久市、前山「貞祥寺の文化財」です!!

2019-07-08 06:20:01 | 文化財・寺社
前山地区は、佐久市役所の南南西約4kmのところ

国道141号線を南へ、洞源湖入口信号を南西へ

正面の山の斜面に貞祥寺が有ります

参道入口の北側に駐車場が有りますので利用させて頂きました

参道入り口です

説明版です
  洞源山貞祥寺
    大永元年(1521年)創建
 開山 節香徳忠禅師
 開基 前山城主伴野貞祥公
 七堂伽藍備わる曹洞宗の寺です。
 末寺十二ヶ寺を有する。
1 佛殿 本尊釋迦牟尼佛。
2 法堂 佛殿が兼ねる。法要の場(本堂)。
3 僧堂 枯木堂(坐禅堂)文殊菩薩を祀る。
4 庫院(庫裏)守護神韋駄天様を祀る。
5 山門 左右に増長天・持国天(仁王)。
6 東司(西浄) 雪隠。烏枢沙摩明王を安置。
7 香水海(浴室) 跋跎婆羅菩薩を祀る。
 外に開山堂、経蔵、知客寮、方丈、江湖寮、
宝蔵、鐘楼、位牌堂、地蔵堂、三重塔(県宝)
等がある。又、財団法人洞源育英会の図書館が
ある。
 山門中庭の杉、銀杏樹は450年を経ている。
        貞祥寺32世住職岡本有光
        佐久市観光協会


案内図のある貞祥寺郷土環境保全地域説明版です
 この地域は、貞祥寺一帯の歴史的に特色のある自然
環境を守るために指定された地域です。
 貞祥寺は、大永元年(1521年)前山城主伴野貞
祥が、慶徳寺(埼玉県)の節香徳忠禅師を招
いて開山としました。境内は、ケヤキやスギの大木に
囲まれ、七堂伽藍が整っています。
 この優れた歴史的自然環境を大切に守り育てましょ
う。
  長野県自然環境保全条例 第15条の規定により
 昭和63年1月28日指定 面積3,40ha
     長野県




石碑参道は直角に曲がります

狛犬です

参道左手には島崎藤村の家が在ります

説明版です
  島崎藤村(小諸時代)旧栖の家
 島崎藤村(明治5年1872年~昭和18年1943年)
は、明治32年4月小諸義塾教師として信州小諸へ赴任、
小諸市馬場裏の旧小諸藩士宅に新家庭を構え、明治38年
4月小諸義塾教師を辞するまでの6年間を、この家ですご
した。
 この間、島崎藤村は「落梅集」「藤村詩集」を刊行する
かたわら、散文集「千曲川のスケッチ」名作「破戒」など
の稿を起して詩から散文への移行を志した。
 島崎藤村をして、詩人から小説家へ転生させたのは小諸
時代の生活で、藤村文学にとって最も重要な時代と言えま
しょう。
 この家は、大正9年その消失を惜しむ本間隆氏によって
ひとたびは佐久市大字前山南に移転されたが、以上の文学
的意義に鑑み、藤村生誕100年につづく、没後30年を
記念して、昭和49年1月10日から総工費700万円を
もって重ねて当所に解体復元工事に着手し、同49年6月
30日完成した。
 建物についての構造形式の踏襲はもちろん、後世改変部
については資料に基づき可及的当初の形式に復旧整備し、
保存を期するものである。
   建物面積35,5坪
    昭和49年6月30日   佐久市教育委員会




北側には

図書館です

更に石段を上がります

突き当り右側は通用門です

左に参道の総門が在ります

文化財標柱です

説明版です
  長野県宝 貞祥寺惣門及び山門
惣門 一間一戸草葺切妻造薬医門で、承応2年(1653)に
  建立された寺最古の建物である。小平(長方形断面)の
  親柱、控柱を円柱としあまり例を見ないものである。
   組み物につけられている象が鼻を巻き上げたような木鼻
  に特徴がある。また、大瓶束の結綿は室町後期の様式を
  持ち、木鼻は複雑な輪郭をとる。
山門 三間一戸草葺入母屋造楼門で、寛文12年(1672)に
  小泉三右衛門、重右衛門によって建立されたものである。
   建立時資料が現存し大変貴重である。
      長野県教育委員会  佐久市教育委員会



水盤です

境内社があります

山門へ向かいます

山門です

文化財標柱です


鐘楼です
宝篋印塔です

説明版です
 この塔は、佐久仏教婦人会員創立10周年を記念して
般若心経を一字一石に謹写し、世界の平和を祈願して、
昭和42年5月21日に建立されたものであるます。
    昭和57年4月  佐久仏教婦人会


狛犬です


法堂(本堂)です

懸額です

僧堂(坐禅堂)です

三重塔へ行きましょう

三重塔が見えて来ます

三重塔です

文化財標柱です、平成4年9月10日指定された県宝です

東側から

東側参道から見上げました

では、貞祥寺の巨木、大木を見ましょう
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長野県佐久市、根岸「大徳寺のカヤ」です!!

2019-07-07 07:56:52 | 巨樹・大木
根岸地区は、佐久市役所の南西約5kmのところ

国道141号線南へ、跡部信号を国道254号線で西へ

約2kmで南側を通る県道145号線へ入ると間も無く

大徳寺への案内板となる大きな石柱が有ります

南に入って道なりに進むと田圃の先に、こんもりと大徳寺の杜叢が見えて来ます

参道は北東側に伸びていますが、駐車場が有りません

大徳寺庫裏の脇に駐車スペースが有りますので利用させて頂きました


県道145号線沿いの大徳寺入口碑ですここを南に入ります

北東側の参道入口です

大徳寺の石柱です

天童山の石柱の足元には相対道祖神です

長い参道を進むと山門です

山門の右手には六地蔵様です

更に続く参道杉並木です

参道北側、六地蔵様の境内側に並ぶ二本の杉が境内で一番太い杉で、目通り幹囲4mほどです

輪廻塔ですね

参道の南側に目的のカヤの大木です

東側から

参道から

北西側から、目通り幹囲4,9mの大木です


本堂です

本堂の屋根には永楽通寶と桐の紋が並んでいます


大きな石碑は大徳寺開界碑銘です

北側の石碑です

鐘楼です

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長野県佐久市、桜井「桜井神社のケヤキ」です!!

2019-07-06 06:26:26 | 巨樹・大木
桜井地区は、佐久市役所の西南西約3kmのところ

国道141号線中込バイパスの跡部信号の一つ手前跡部北信号を西へ

約1km市道沿いに参道を南向きの桜井神社が鎮座します

東側の中桜井公会場の駐車場に車を止めさせて頂きました



中桜井公会場です



南側の参道ですが、普段は利用されていないようです、正一位桜井神社です

山門は長屋門形式です

山門前の平和塔です、大きな鳩ですね


拝殿です


本殿は覆屋の中です


境内西側の石垣の上に境内社の祠が並びます

目的のケヤキは本殿の北側に在ります

南東側から

東側から、目通り幹囲6,2mの巨木です

北側は神宮寺の墓地の中から見上げました

東側道路から境内を見ました

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長野県佐久市、伴野今岡「齋藤家墓地のケヤキ」です!!

2019-07-05 06:43:12 | 巨樹・大木
伴野今岡地区は、佐久市役所の西約5kmのところ

県道103号線を西へ、県道78号線の交差点を南へ

千曲川の佐久橋を渡ると東側が今岡地区です

今岡諏訪神社の東側に共同墓地が点在します

墓地前の道路脇に車を止めさせて頂きました


南側から見ました

墓地入口の梅林で梅の実を摘んでいる方がいらっしゃいましたので

写真を撮らせて頂いても大丈夫か確認したところ

齋藤家の方でお話を聞くことが出来ました

墓地の広い面積を獲っているのが江戸から明治期のもの

戦争に行って戦死された方の墓碑が二基東側に

新しい現在使われている墓地は、北東側にありました


墓地の西側入り口に御堂が有ります

墓地の中には、墓石以外に石像が多く有ります

廃仏毀釈の時代に頭部が落されたものが有ったそうです


墓地の中で一番大きなケヤキです

入り口のカシワ大木です


諏訪神社側の墓地です、こちらにも目通り幹囲3m程のケヤキが立っています

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長野県佐久市、伴野「今岡諏訪神社のケヤキ」です!!

2019-07-04 06:04:47 | 巨樹・大木
伴野今岡地区は、佐久市役所の西約5kmのところ

県道103号線を西へ、県道78号線の交差点を南へ

千曲川の佐久橋を渡ると東側が今岡地区です

地区の北の端千曲川の支流片貝川の断崖に面して

社殿を南向きに諏訪神社が鎮座します

神社入口です


諏訪神社です

説明版です


入り口の赤い鳥居です

社殿前左手に目的のケヤキです

東側(社殿前)から見ました、前に立っている柱は「御柱」です

北側から

西側から、目通り幹囲mの巨木です

本殿です、覆い屋の中に二階建ての様な高床の上に在ります

本殿脇のケヤキの大木です


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長野県佐久市、御馬寄「勝手神社のケヤキ」です!!

2019-07-03 06:41:30 | 巨樹・大木
御馬寄地区は、佐久市役所の西北西約7kmのところ

国道141号線から県道44号線を西へ

県道44号線は途中から旧道に入って千曲川を中津橋で渡って左岸へ

橋を渡って2つ目の路地を南へ進むと

北向に参道を開いて東向きに勝手神社が鎮座します

手前の御馬寄コミュニティーセンター脇に車を止めさせて頂きました

北向きの参道入口の鳥居です

額には「勝手宮」の文字が見えます

御馬寄コミュニティーセンターです

境内の双体道祖神です

参道は直角に曲がります

水盤です

拝殿です、拝殿の右手に目的のケヤキが在ります

本殿です

東側から勝手神社のケヤキです

標柱です「御馬寄 勝手神社のケヤキの木」となっています

北東側から

北側(コミュニティーセンター入口)から

北側から本殿が良く見えます

北西側から

西側から、目通り幹囲6,5mの巨木です

本殿南側に境内社が並んでいます、天神社と神明社左に石の祠です

石の祠が山の神でしょうか

御嶽山大権現の石碑です

では、次へ行きましょう
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長野県佐久市、塚原「赤岩弁天堂のケヤキ」です!!

2019-07-02 06:39:55 | 巨樹・大木
塚原地区は、佐久市役所の北西約4kmのところ

国道141号線から県道44号線を西へ

北陸新幹線の高架を過ぎて間もなく

県道の右手、動物病院の蔭(北側)に赤岩弁天堂が有ります

境内に1台分だけの駐車スペースが有ります

弁天堂入口です


境内の中央に目的のケヤキがあります


白蛇の看板が有ります

境内へ入ります

大岩の上に弁天堂が有ります


弁天堂の南側の赤い色の岩です

説明書きです
  弁天の赤岩
 この岩は2万4千年前の浅間山大噴火で噴出した溶岩です*

この時に起きた山体崩壊で当地に流れて来ました。

赤岩地区には同様の岩が多数散在し、地名にもなりましたが

圃場整備等で破壊され、今は少なくなりました。

全く同じ岩は群馬県前橋市にあります。(岩神の飛石など)

(*)国指定天然記念物 岩神の飛石環境整備事業報告書
                前橋市教育委員会刊
(岩神の飛石は、このブログ2013年11月25日の岩神稲荷神社に紹介しています)

西側から

南西側から

南側から

南東側から、目通り幹囲6,5mの巨木です

では、次へ行きましょう
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長野県佐久市、安原「安養寺のつきの木」です!!

2019-07-01 05:50:48 | 巨樹・大木
安原地区は、佐久市役所の東北東約4kmのところ

県道44号線から県道138号線を進むと

霞川の橋を渡って直ぐ左(北)へ、右手奥に山門が見えます

塀も垣根も無い境内です、本堂は一段上、墓地は東側の山の斜面に確認できます

安養寺参道入口を過ぎてクランク下道の先に駐車スペース?が有ります

霞川の手前に案内板があります

参道入口です

安養禅刹です

参道入口から参道の左てに「つきの木」を見ました

東側参道から

北側から

北側から目通り幹囲9,0mの巨木です

西側から、主幹の切り口が解かります

西側に離れてみました

山門の楼門です

長い参道を進み石段を上がります

本堂です

文化財標柱です

文化財説明版です

信州みその発祥の地?味噌ラーメンは安養寺ラーメンとしてラーメン博にも出ていたようです

本堂前境内から「つきの木」を見ました

庫裏の前に鐘楼が有ります

鐘楼の前から「つきの木」を見ました

では、次へ行きましょう

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