ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

長野県富士見町、富士見「神戸八幡社のケヤキ」(町指定)です!!

2020-06-15 06:12:00 | 巨樹・大木
神戸地区は、富士見町役場の北西約5kmのところ

国道20号線の神戸八幡信号に参道入口が東向きに接しています

八幡社境内に車を止めることが出来ました


国道20号線の神戸八幡信号です



脇に参道入口が有ります

鳥居です

水盤です

イチョウの大木です

境内入口にケヤキの巨木ですが目的のケヤキではありません

境内側から


社殿です、目的のケヤキは拝殿の左手に在ります

社殿です

中には大きな本殿が有ります


説明版です
 富士見町指定有形文化財
   御射山神戸八幡社社殿
 この八幡社は古くは鍬形八幡と称され
ていたようであり、嘉禎3年(1237
)の「祝詞段」(諏訪上社の神楽職、茅
野外記大夫の記した神楽の祝詞集)に、
「神戸ニクハカタ」と記されている。
 現在の建物は宝暦12年(1762)
の建立になり、棟梁は伊那郡沢底村(
現辰野町)出身の加藤吉左衛門である。
 本殿は一間社流造にして、正面に千鳥
破風をみせ、さらに前面に軒唐破風付き
の向拝をつける。屋根はこけら葺。身舎
は三方に腰組の擬宝珠高欄付縁をめぐら
し、正面に登高欄付木階五級を構え、浜
縁を張る。柱は丸柱で、土台上に建ち、
頭貫と長押で固める。組物で軒を支え、
中備に蟇股をおく。身舎の正面は開放と
し、中央やや前寄りに中柱を建て、左右
に扉口を備えて内外陣とする。内陣は左
右二室に分けて八幡宮と諏訪明神を祀る

 この建物は建立年代および工匠が明ら
かであり、正統様式の端正な建築技法を
示す点、当地方の近世社寺建築の流を知
るうえで重要なものである。
 富士見町指定天然記念物
   神戸八幡社の欅
 このケヤキは、八幡社の本殿東側の株
である。樹高30m、胸高幹囲7,7m
。町内にみられるケヤキの中で一番の大
木であり、樹齢390年と推定される。
町内の寺院や神社の境内に植栽されてい
るケヤキには大木が多く、胸高幹囲3m
を超えるものが14株あり、そのうち4
株がこの境内のものである。
  平成15年3月
        富士見町教育委員会


右手には、境内社の墨縄神社です

墨縄神社の前から見上げました


北側から見ました


根元に天然記念物標柱です

南東側から

南側から



根元には石塔や祠・道祖神などが並びます

境内には、祠や石塔が点在しています

では、次へ行きましょう

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長野県富士見町、富士見「若宮八幡神社のカシワ」(市指定)です!!

2020-06-14 06:59:34 | 巨樹・大木
富士見若宮地区は、富士見町役場の西南西約3kmのところ

国道20号線野西側を南東側から北西側に生活道路が二本通っています

西側の道路沿いに八幡神社が鎮座します

火の見櫓が八幡社への参道入り口です

共進指定八幡神社です

地区の避難場所になっています

参道を進むと、門の様に左右にイチョウの木が立っています

鳥居です

狛犬です


大きな水盤です

拝殿です

大きな本殿は覆屋の中ですが覗くことが出来ました

説明書きです
 富士見町指定文化財
   若宮八幡社社殿
 天保2年10月中川村神宮寺
白鳥彌四郎の建造したもので、
唐破風作、蟇股、雲に麒麟、木
花獅子象、岩に松竹、宝画、支
輪雲擬宝珠、玄魚葉菊等の緻密
な彫刻は、よく名匠の手法を伝
え当町の小六柏尾社社殿ととも
に重要な文化財で、昭和42年
7月富士見町文化財保護条例の
規定にもとづき町の文化財の指
定を受けた。
 白鳥彌四郎は、寛政7年生ま
れ、宮彫および建築の技を高部
村の藤森廣八に学び、のち立川
和四郎にも師事した当代の名匠
である。
  昭和44年7月1日
    富士見村教育委員会
    若宮区

「御柱」です、諏訪神社ではなくても建てられています

玉垣に囲われた石碑です

奥山 半僧坊大権現の大きな石碑です

本殿東側にカシワの大木です

東側から

北側から

更に東側の一本です


本殿西側に境内で一番大きなカシワの木です

本殿脇から、根元近くに洞があります

境内社の鳥居です

.西側の境内社です

南西側から見ました

境内西側のクヌギの大木です

では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長野県富士見町、立沢「ドルメン類似遺跡(坪平遺跡)」です!!

2020-06-13 06:46:44 | 遺跡・史跡
立沢地区は、富士見町役場の北東約6kmのところ

県道190号線で立場川沿いを上って行きます

地区の入り口近くの本郷小学校への下り道を下りると

交差点北側にドルメン類似遺跡が有ります

前の道路脇に車を止めさせて頂きました

遺跡への入り口です

遺跡です

石碑です

説明版です
  富士見町指定史跡
    ドルメン類似史跡
 ここ坪平遺跡は、大正の末年、
郡史編纂調査の一環として民族・
考古学者の鳥居龍蔵博士らによっ
て発掘され、「ドルメン類似遺跡
」と称せられた。
 発掘されたのは石で覆った墓と
目される遺構で、4m近い間隔で
二基ならんで発見された。片方は
偶然、地主の植松夏平氏によって
掘り起こされた。南北5,7m、
東西4,5mばかりの長方形に石
積がなされ、その北端に長さ15
cm弱の人形をした石製品(立沢
区所蔵)があっらという。
 もう一方もやはり南北5m、東
西3,6mほどの長方形に積石が
みられた。掘り起こしてみると6
0cmほどの深さに積まれており
、中央やや北に寄ったところには
直径1m余りの大きな蓋石がいく
つかの支石の上に被せられていた
。支石で囲まれた不規則な室は長
さ90cm、幅30cmほどであ
るが、そこに遺物は見当たらず、
蓋石の北側から石器や土器片が発
見されたという。
 このような支石と蓋石のあり方
はヨーロッパ考古学で「ドルメン
」と称する支石墓に似ており、こ
れらは石器時代の墳墓である。そ
して、日本にも巨石文化の小規模
なものが存在したと、鳥居龍蔵は
考えた(「諏訪史」第一巻)
 こんにち、坪平遺跡は縄文時代
後期(およそ3800年前)の遺
跡として認識されている。いっぽ
う、1980年来、八ヶ岳南麓の
北巨摩郡下では墓や墓域に大量の
石を用いた同時代の遺跡がいくつ
か発掘されてきた。それらに照ら
してみると、坪平の遺構を支石墓
と断定することには疑問もあるが
、諏訪における考古学史上記念す
べき遺跡であることに変わりはな
い。その時の発見箇所100㎡ほ
どが、区有地として保護されてい
る。
 なお平成10年、この東に隣接
する土地500㎡余りを発掘調査
した。しかし、墓跡と思しき穴三
基を検出したにとどまり、同類の
遺跡は見当たらなかった。
  平成17年3月
     富士見町教育委員会


南側の甲斐駒ケ岳や鋸山方面の眺めです

では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長野県富士見町、立沢「大山祇社樹叢」です!!

2020-06-12 06:33:45 | 巨樹・大木
立沢地区は、富士見町役場の北東約6kmのところ

県道190号線で立場川沿いを上って行きます

県道17号辰野北杜韮崎線に合流すると間も無く郵便局が有ります

直先を北側に入ると間も無く大山祇社です

北側に広い駐車場が有りますので利用させて頂きました

西向きに大山祇社入口です


大きな自然石を利用した手水鉢です

前の道路が参道になっています、鳥居は南向きです

鳥居前から境内を見ました

東向きに拝殿です

境内社です

モミの大木です、大きさは天狗神社よりやや細いようです

北側から大山祇社の木々を見ました

では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長野県富士見町、立沢「天狗神社のウラジロモミ」です!!

2020-06-11 06:55:00 | 巨樹・大木
立沢地区は、富士見町役場の北東約6kmのところ

県道190号線で立場川沿いを上って行きます

県道17号辰野北杜韮崎線に合流すると間も無く郵便局が有ります

直先を北側に入ると間も無く大山祇社です

北側の広い駐車場を利用させて頂きました


駐車場の北西角から天狗神社への入り口です

道路左手に鳥居が有ります

額に天狗神社の文字が見えます


入り口脇に石塔が並びます

鳥居の西側には家形石塔が並んでいます


林の中に祠が有ります

道路に出て南側から

東側から

北側から、目通り幹囲4,3mの大木です

東側の生活道路から見えました

では、次は大山祇神社へ行って見ましょう

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長野県富士見町、乙事「諏訪神社(国指定重要文化財)のウラジロモミ」です!!

2020-06-10 06:29:00 | 巨樹・大木
乙事地区は、富士見町役場の東約4kmのところ

県道で八ヶ岳南西面へ登って行く道路です

中央高速を過ぎ県道17号線を超えると間も無く

左手に乙事諏訪神社が鎮座します



神社前の乙事区駐車場を利用させて頂きました

神社入り口です

手水舎です

入り口左に大きな石碑です

入り口右手には石灯篭です


鳥居脇左手には杉の大木です

境内内側から見ました

参道の鳥居です

説明版です
 この神社は延徳2年(1490年)
御別当明神を祀り、文化8年(181
1年)諏訪明神の神霊を勧請したこの
神社の拝殿・幣殿は神社建築史上重要
なもので本殿を有しない神社の珍しい
例である。
 諏訪神社(神富寺)の神前建物とし
て元和3年(1617年)に建立され
たものである、小規模であるが鎌倉・
室町の手法を有し、雄大豪壮な彫刻は
桃山建築の特質をよく発揮している。
 この本殿は、下社(天正年間)御別
当明神を祀ったと謂われ、文化8年(
1811年)諏訪神社の神霊を勧請の
本殿として文政2年(1819年)建
築したものを、昭和25年(1950
年)社殿の合併により移築したもので
ある。
  昭和50年9月  乙事区




社殿です

拝殿部分です

本殿の建物です

国指定重要文化財です


「御柱」が社殿の四方に立ちます

目的のモミは境内西端、墓地の脇に在ります

南東側から見上げました

北側の墓地の中から見ました

北西側から、目通り幹囲4、2mの大木です

東側の道路脇には境内社の祠が並びます

では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長野県軽井沢町、峠「熊野神社のシナノキ」(県指定)です!!

2020-06-09 06:24:00 | 巨樹・大木
新型コロナウイルス対策のため不用不急の外出自粛です

緊急事態宣言は解除になりましたが

まだまだ緊張感を持って行動しましょう。

では・・・


峠地区は、軽井沢町役場の東北東約5kmのところ

軽井沢銀座を抜けて、別荘地を通り

旧中山道碓井峠の上信国境に至ります

熊野神社の駐車スペースを利用させて頂きました

上信(群馬県上州・長野県信州)国境の石柱と県境の赤い線です

熊野神社参道です

境内案内図です、目的のシナノキは社務所の裏側に有るようです

説明版です
 熊野神社の由緒
主祭神 新宮 速玉男命(群馬県鎮座)
    本宮 伊邪那美命 日本武尊(県境鎮座)
御由緒
  当社は県境にあり、御由緒によれば
 日本武尊が東国平定の帰路に碓井峠に
 て濃霧にまかれた時、八咫烏の道案内
 によって無事嶺に達する事ができたこ
 とにより熊野の大神を祀ったと伝えら
 れる。
  碓井嶺に立った尊は雲海より海を連
 想され、走水で入水された弟橘比売命
 を偲ばれて「吾嬬者耶」と嘆かれたと
 いう。(日本書紀より)
  これら御由緒より「日本太一」とい
 う烏午王札が古来から起請文や厄難消
 除の護神札として頒布されている。
歴史大略
  鎌倉時代に武士団等の篤い信仰を受
 け、群馬県最古の吊鐘(県重文)が松
 井田より奉納されている。
  江戸時代には諸大名を始め、多くの
 人々が中山道を行き来した。関東の西
 端に位置し、西方浄土、二世安楽、道
 中安全を叶える山岳聖地として、権現
 信仰が最も盛んとなった。
  「碓氷峠の権現様は主の為には守り
 神」と旅人に唄われ、追分節の元歌と
 なって熊野信仰が全国に伝わって行っ
 た。   碓氷峠熊野神社社務所

古い狛犬です

峠のこまいぬだそうです

石段を上がりましょう、石段上には随身門です

石段を登り切ると風車です

峠の石の風車の説明版です



正面に本宮です

左に那智宮です

右には、群馬県側の新宮です


那智宮の前から目的のシナノキです

天然記念物標柱、長野県天然記念物熊野皇大神社のシナノキです

御神木です


南側から

西側から

北西側から

北側から

北東側から


長野県側の境内社です、荒神社、八咫烏社・矢立社・山神社などです


群馬県側に稲荷神社です

健康神社です

石垣の上には祠が並びます


多重塔です

随身門の群馬県側にはイチイの大木です

御神木ですね


境内から南の眺めです

では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長野県小諸市、八幡「冨士浅間神社のケヤキ」です!!

2020-06-08 06:12:00 | 巨樹・大木
新型コロナウイルス対策のため不用不急の外出自粛です

緊急事態宣言は解除になりましたが

まだまだ緊張感を持って行動しましょう。

では・・・


八幡地区は、小諸市役所の東約4kmのところ

県道134号馬瀬口小諸線を東へ

八幡信号を北へグリーンロードです、上信越自動車道の高架を越えて

石峠藤塚信号を東へ進むと間も無く左手に冨士浅間神社が鎮座します

境内入口鳥居の東側に駐車スペースが有ります

境内入口です

鳥居をくぐり参道を進みます

参道の左側に二本のケヤキが在ります、奥の社殿前のケヤキが目的の巨木です

南側から、目通り幹囲5,3mの巨木です

社殿です

境内社の祠が並びます

社殿前から見上げました

西側から

では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長野県小諸市、柏木「道祖神のケヤキ」です!!

2020-06-07 06:44:20 | 巨樹・大木
新型コロナウイルス対策のため不用不急の外出自粛です

緊急事態宣言は解除になりましたが

まだまだ緊張感を持って行動しましょう。

では・・・



柏木地区は、小諸市役所の東約3kmのところ

県道134号馬瀬口小諸線を東へ坂道を登って行きます

JA佐久浅間北大井支所前の信号を北へ登って行きます

道路左側にケヤキの巨木が見えて来ました

道路脇に車を止めさせて頂きました

根元に道祖神の石碑が有ります、道祖神のケヤキと呼ばれる所以ですね

大きな道祖神の文字石碑と左に小さな双胎道祖神様です

西側から

東側から、目通り幹囲6,0mの巨木です

北側に離れて見ました

では、次へ行きましょう

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長野県東御市、弥津「西宮の歌舞伎舞台と宮ノ入のカヤ」(県指定)です!!

2020-06-06 06:49:58 | 巨樹・大木
新型コロナウイルス対策のため不用不急の外出自粛です

緊急事態宣言は解除になりましたが

まだまだ緊張感を持って行動しましょう。

では・・・



弥津地区は、東御市役所の北東約3kmのところ

上信越自動車道東部湯の丸インターチェンジの北側に当たります

目印は、西宮の歌舞伎舞台です

まずは西宮の歌舞伎舞台を見に行きます

弥津健事神社本殿東側の境内入口に車を止めさせて頂きました

西宮の歌舞伎舞台のある弥津健事神社が鎮座します

弥津健事神社です、説明版が有ります
  西宮の歌舞伎舞台
    長野県有形民俗文化財
  昭和57年8月16日指定
 弥津健事神社境内に建つこの舞台は、
記録により文化13年(1816)の
建立で、回しのある舞台で現在でも使
用できる舞台では、日本最古といわれ
ている。
 間口8間、奥行4,5間の寄棟造木
造平屋建茅葺き。床に直径3間の回し
とセリ上ゲが三か所がある。
 舞台の装置にはセリ分ケ・セリ出シ
・田楽返しなどがある。
 地元では「舞台見るなら西宮へ、芝
居見るなら東町へ」と言い伝えられて
いる。
     東御市教育委員会

参道正面には拝殿です

参道左側の境内端に歌舞伎舞台です、戸が閉まっているので回シなどを見る事はできませんでした

説明版です
 西宮の歌舞伎舞台
   長野県有形民俗文化財
   (昭和57年8月16日指定)
 この歌舞伎舞台(まわし舞台)は、
西宮の田畑家にのこっている文書によ
ると、文化13年(1816年)に造
られたことがはっきりとしている。ま
わしのない舞台では、この舞台より古
いものが報告されているが、まわしの
ある舞台で今も使用できる舞台として
は日本で最も古い舞台であるといわれ
ている。
 この舞台の構造は、桁行8間、梁間
4間半、後方4間に1間の下屋がつき、
建坪は約40坪、屋根は寄棟造茅葺き
(現在はトタン葺き)崖づくり、床高
は前面桟敷から2,64尺、奈落で7
尺、柱高10、9尺、舞台は総板張り、
奈落は土間となっている。
・舞台は大臣柱の間が4間、まわしは
 直径3間。
・回り舞台は二条の溝がきざまれてお
 り、この溝と舞台の溝とを一致させ、
 せりわけ・せり出しによって二重舞
 台を動かす。
・せりあげ・せりさげは舞台の前面に
 三か所あり、人力によって操作され
 た。
・高座・下座は建物の中にとりこみ、
 窓を斜めに張り出している。
 この舞台の構造は、江戸の歌舞伎舞
台の構造に近い。江戸では大臣柱が宝
暦の頃(1751~1764年)には
なくなっているが、この舞台には現存
しているなど、演劇史上からも貴重で
ある。
 歌舞伎は、ごく近年まで、村の人た
ちによって演じられ、例祭とか、秋の
豊年祝などに舞台があり、娯楽の少な
かった当時の村人たちとの生活と密着
していたものと思われる。
     長野県教育委員会
     東御市教育委員会

拝殿前に大きな水盤です

拝殿です

本殿です

本殿東側に並ぶ境内社(祠)には立派な石の鳥居が有ります

多くの祠が並びます

では、宮ノ入りのカヤへ行きましょう、弥津健事神社から真っ直ぐに登って行きます

水神宮の鳥居が有ります、この手前に車を止めさせて頂きました

少し戻って道路からカヤを見ました

道路脇に入口が有ります、標柱が立っています

説明版です
長野県天然記念物
  宮ノ入のカヤ(榧)
   昭和40年4月30日指定
 カヤ(榧)は、イチイ科カヤ属の
常緑針葉樹で、高木になる(21世
紀に入って分子系統解析が進んだ結
果、イヌガヤ科カヤ属と表記される
ことも多くなった)。雌雄異株で、
4~5月にかけて開花するが、種子
が紫褐色に熟するのは、花の咲いた
翌年の秋である。山野に自生するが、
群落を作ることは少ない。
 このカヤは、雌株で、地上1,3
mにおける幹の周囲は、約6,5m、
樹高は13mほどになる。樹勢も旺
盛で、枝張りも美しく、地上2mぐ
らいのところから多数の太い枝を四
方八方に伸ばしているため、樹冠面
積は230㎡におよび、やや平たい
美しい円錐形の樹形を形造っている。
カヤの単木としては、我国有数の巨
樹で、長野県内では最も太いカヤの
大木である。
 弥津氏居館の庭木であったと言い
伝えられることから、樹齢は四百年
以上と推定される。また、種子が鈴
状であることから、「弘法大師から
賜った鈴から芽生えた木」との伝承
もあり、地元では、「カヤノ木様」
と呼んで霊木として大切にしている。
    長野県教育委員会

カヤに行きましょう

農具小屋の南側斜面に立っています

カヤの枝下に石碑が有ります
 県天然記念物 宮の入のカヤ
   昭和40年4月30日指定
 カヤノキ(イチイ科)雌雄異株
で東北地方中部を北限として全国
に分布、本県には数本の巨木が知
られている、この樹は樹幹の美し
い雌株で、わが国でも有数の巨樹
である。弥津氏居館の庭木であっ
たと言い伝えられ、この木の樹齢
600年以上と推定され、目通り
幹まわり6,5m、樹高約35m、
枝張約40m。
 保存の要件 この樹を損傷しな
いこと、また、損傷の原因となる
行為を避けること。


枝下の幹を見ました(北東側)

北西側から幹を見ました

南東側から幹を見ました

南東側から樹を見ました

南側から見ました

南からは幹が見えませんね~

天然記念物境界石が並んでいます


では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長野県東御市、島川原「黒槐の木」(市指定)です!!

2020-06-05 06:35:00 | 巨樹・大木
新型コロナウイルス対策のため不用不急の外出自粛です

緊急事態宣言は解除になりましたが

まだまだ緊張感を持って行動しましょう。

では・・・



島川原地区は、東御市役所の南東約4kmのところ

県道166号線で千曲川を渡り島川原信号を東へ

千曲川左岸の県道40号諏訪白樺湖小諸線です

500m程で右側(南)奥に諏訪神社が北西参道で鎮座します

社殿裏(東)側に駐車スペースが有ります

参道から黒槐と諏訪神社を見ました

目的の黒槐の木です

天然記念物標識です
 黒槐の木
  東御市指定天然記念物
  昭和42年12月11日指定
 幹まわりが約4,5m、高さ約
26mで、県下一・二の槐の大木
である。正確な樹齢は不明だが、
約800年と推定されている。.
     東御市教育委員会

説明版です
 東御市指定天然記念物
  黒槐の木
幹まわりが約4、5mで高さ約26
mの大木です。樹齢は800年と推
定されているが、諏訪神社の創建年
が不明であり、正確な樹齢はわから
ない。しかし、県下一、二のエンジ
ュの大木で貴重である。
     東御市教育委員会
*ほぼ同じ内容ですね

諏訪神社の鳥居です

社殿です

社殿の南側に境内社の祠が並んでいます

社殿の北側の境内社の祠です

東側から見上げました

北東側から

南西側から

社殿の南側のケヤキの大木です

境内南側には前山桜の里公園が有りますが桜の時期は過ぎているので又にしましょう

では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長野県青木村、当郷「阿鳥川神社のケヤキ」です!!

2020-06-04 06:19:00 | 巨樹・大木
新型コロナウイルス対策のため不用不急の外出自粛です

緊急事態宣言は解除になりましたが

まだまだ緊張感を持って行動しましょう。

では・・・



大法寺の参道入口からもう少し先に進みます

1km程で、右手に阿鳥川神社が鎮座します

向かい側の公民館の駐車スペースに止めさせて頂きました

神社が見えて来ました、入り口に注連縄の掛かったケヤキが見えています

向かい側の当郷公民館です

バス停が有ります

神社参道入口鳥居です

阿鳥川神社です

鳥居の左手に目的のケヤキの御神木です、幹の間が抜けて向う側が見えています

鳥居前(東側)から見上げました

鳥居をくぐった境内側から見上げました

手水舎です

阿鳥川神社に参拝しましょう

拝殿です

本殿です

境内西側には神楽殿(舞殿)の様です



西側から見上げました、目通り幹囲6,6mの巨木です



西側公民館の前道路から

では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長野県青木村、中挟「廃寺光明寺のくま杉」(村指定)です!!

2020-06-03 07:28:00 | 巨樹・大木
新型コロナウイルス対策のため不用不急の外出自粛です

緊急事態宣言は解除になりましたが

まだまだ緊張感を持って行動しましょう。

では・・・


中挟地区は、青木村役場の西約1kmのところ

国道143号線から県道12号線に入ると

右手の高い所に一本のスギが目に入ります

県道の一本上の道に入って道路脇に車を止めさせて頂きました


県道上側の道路から見ました

熊杉への登り口です

歴史の道 東山道の標柱です

庚申塔が並びます

少し上がるとお地蔵様の並ぶ光明寺跡です

くま杉は墓地の中に立っています、幹の先端から根元まで縦に傷が残ります、雷が落ちた様です

西側から、目通り幹囲4,1mの大木です

県道上の道に戻って来ました

では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長野県青木村、中村「市神社の欅の木」(村指定)です!!

2020-06-02 06:22:00 | 巨樹・大木
新型コロナウイルス対策のため不用不急の外出自粛です

緊急事態宣言は解除になりましたが

まだまだ緊張感を持って行動しましょう。

では・・・



中村地区は、青木村役場の西約1kmのところ

国道143号線から県道12号線に入って直ぐに右手の道路に入ります

体育館やプールの前を通って更に上へ進むと

道路左側に目的のケヤキが在ります

傍らに小さな祠が市神社です

直先の道路脇に車を止めさせて頂きました


道路左側の目的のケヤキが見えて来ます

根際はブロック塀の中です

天然記念物標柱です

市神社の祠です
g" border="0">
歴史の道 東山道の標柱です

北側から、目通り幹囲6,9mの巨木です

西側から見ました

では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長野県青木村、殿戸「日吉神社の大杉」(村指定)です!!

2020-06-01 12:18:00 | 巨樹・大木
新型コロナウイルス対策のため不用不急の外出自粛です

緊急事態宣言は解除になりましたが

まだまだ緊張感を持って行動しましょう。

では・・・



殿戸地区は、青木村役場の東南東約2kmのところ

国道143号線松本街道の道の駅あおきの先から南への道路を入ります

間も無く浦野川を渡って道路が登りになります

道なりに進みT字路の右手に日吉神社が鎮座します

左側の殿戸区コミュニティーセンターの広い駐車場を利用させて頂きました

殿戸区コミュニティーセンターです

T字路の所から日吉神社入口を見ました

境内入口です

県宝 日吉神社です

県宝 日吉神社復元記念碑です
 日吉神社は古くは山王大権現と
よばれ、大山咋命を祀る。この地
方一円は、平安時代から浦野荘と
呼ばれ比叡山山麓に鎮座する名社
日吉大社(山王権現ともいう)の
社領であった。
 その故をもって日吉大社の祭神
大山咋命をこの地に勧請したもの
と考えられる。伝承によれば、か
つての勧請地は大法寺近くにあり、
後世現在地に移したものという。
「五間社流れ造り」というこの本
殿の建築様式は、その規模の大き
さに於いて県下に類を見ないもの
であるが、それはかつて浦野荘の
総鎮守であり、また名社日吉大社
の直系の神社であったからであろ
う。江戸時代千魃のときは浦野組
15ヶ村の農民が総出で神輿を担
い、雨乞いの神事を行ったと伝え
る。
 今般大河直躬教授(県文化財保
護審議委員)の綿密な調査により、
室町時代中期の代表的建築と考証
され「長野県県宝」に指定された。
 これを機として社殿修復の機運
高まり、殿戸區民挙げての熱意と、
県・村・崇敬者の協力(裏面参照)
および永川強氏の精妙な技術によ
って質朴優雅な社殿が復元される
に至った。まことに慶事とすべく、
ここに記念碑を建立し永久に伝え
.ようとするものである。 
 平成4年10月吉日
撰 文長野県文化財保護協会会長
       黒板周平
   建立 殿戸区

境内には参道右手に神楽殿(舞殿)の建物ようです

参道左には宝物館です

石段の右手に目的の大杉が在ります

天然記念物標柱です

石段すぐに本殿です

本殿前から見上げました、こちら側からでは薄い方向になってしまいました

本殿右(北東)側から、目通り幹囲6,0mの巨木ですが、合体木の様です


本殿をうまく撮れませんでした

では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする