ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

長野県箕輪町、中箕輪「南宮神社社叢(ケヤキ群)」(町指定)です!!

2020-08-16 06:15:00 | 巨樹・大木
中箕輪木下地区は、箕輪町役場の南約2kmのところ

JR飯田線きのした駅の西側入り口に

国道153号線に面して南宮神社が鎮座します

参道は国道に面して西に開いていますが

社殿は南向きに建っています

国道沿い南側の駐車スペースを利用させて頂きました

国道に面した参道入口です

郷社 箕輪南宮神社です

狛犬です

手水舎です

南宮神社社叢は天然記念物です

車止めを越えて境内へ入ります

境内の中央に一番太いケヤキです

南側から、注連縄の巻かれた御神木です

東側から、目通り幹囲7,2mの巨木です

北側から

北西側から

西側の鳥居脇のケヤキです

境内南側のケヤキ二本です、奥のケヤキは合体木のようですが境内で二番目に太いケヤキです

説明版です
  箕輪町指定文化財
 箕輪町文化財保護条例第3条
の規定により左記の通り指定す
る。
1、種別 有形文化財(天然記念物)
1、名将 南宮神社社叢
1、所在地 箕輪町大字中箕輪12500番地
1、指定年月日 平成元年7月12日
   記
 箕輪南宮神社の創建は詳らかで
ないが、中世の文安2年(144
5)箕輪城主箕輪左衛門尉義雄が
、一の宮からこの地に遷したもの
という。
 当社叢は、現在地へ遷宮の時点
およびその後ご神木として植えた
木々が、成育して今日の姿になっ
たものと思われる。
 目通り7m余の大木をはじめと
する9本のケヤキを主とし、その
ほかサワラ・スギ・マツ・エンジ
ュ・イチョウ・カエデなどの諸樹
からなる社叢は、遠望しても樹下
にあってもまことに壮観である。
 樹齢は、ケヤキの最大のもので
、遷宮の時の植樹とすれば、54
0年ほどになる。
   箕輪町教育委員会


拝殿です

本殿です

本殿も町指定文化財です

神楽殿です

社殿の東側に境内社が並びます

神楽殿の東側には、杏林製薬の創業者萩原廣翁の銅像が有ります

では、次へ行きましょ
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長野県箕輪町、中箕輪「木ノ下のケヤキ」(県指定)です!!

2020-08-15 07:06:14 | 巨樹・大木
中箕輪地区は、箕輪町役場の南約2kmのところ

国道153号線を南へ帯無川を渡って次の信号を東へ

国道153号線とJR飯田線の間に木下北保育園が有ります

保育園の敷地?南端に目的のケヤキは在ります

保育園の駐車場を利用させて頂きました(土曜日で保育園は休みでした)

木下北保育園です、後方に目的のケヤキが見えます

太い幹が見えました

南側道路に回って来ました

フェンスの陰になってしまっていますが天然記念物標柱と石碑が有ります

長野県天然記念物 木下のケヤキ

木ノ下のケヤキ 長野県天然記念物
  昭和40年2月25日指定
 ケヤキ(ニレ科)本州四国九州の
特産種で、北海道を除き全国に分布
し、材質のよいことと、よく成育す
ることで知られ、いたるところに巨
木が見られる。本県にも30数本の
巨木が知られているが、ケヤキの特
性をよく現した樹形を示すものは少
なく、典型的に樹形の整った巨木と
いうことでは、この樹の右に出るも
のはない。
 目通り幹囲10、35m
     長野県教育委員会
     箕輪町


真南から

南東側から、説明書きのとおりに良い樹形です

東側から、ケヤキの所だけフェンスに囲まれています

ケヤキの保護のためなのでしょうか


駐車場脇の道路西側には沢山の庚申塔が並んでいます

では、次へ行きましょう
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長野県辰野町、伊那富新町「新町諏訪神社のスギ」です!!

2020-08-14 07:10:53 | 巨樹・大木
伊那富新町地区は、辰野町役場の南南西約2kmのところ

国道152号線を南へ進むとJR飯田線いなしんまち駅の西側です

荒神山入口信号の一つ北側の交差点を西へ入ります

道路脇には神社の幟の支柱が立っています

道路を突き当りまで行きましょう

諏訪神社の鳥居が見えて来ました

鳥居前の幟の支柱です明治34年10月の銘が解かります

車を鳥居脇の道路に止めさせて頂きました

杉並木の参道を進みます

手水舎です新しくなっていますね

拝殿前の石段脇には杉の大木5本が並びます

拝殿です

本殿は覆屋のなかですね

目的のスギは、拝殿前左手玉垣の中に在ります

拝殿前(東)から見上げました

南側から、目通り幹囲5,0mの巨木です

杉の西側の社殿への入口の様です

社殿東側の境内社です

絵馬堂と右端には新町天満宮の祠と鳥居です

境内に説明版等の記述はありませんでした

では、次へ行きましょう
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長野県辰野町、伊那富宿ノ平「宿ノ平のサイカチ」(町指定)です!!

2020-08-13 10:02:43 | 巨樹・大木
伊那富宿ノ平地区は、辰野町役場の西約5kmのところ

国道153号線の信号から小横川川沿いを西へ入ります

小横川川左岸に沿って遡って行きます

一度右岸に渡り暫く進んで又左岸側に渡りかえして

杉林を抜けると間も無く舗装道路が終わって間もなく

小横川ます池まで1km余りのところです

道路脇に車を止めさせて頂きました

道路右手にサイカチの巨木が見えます

道路向かい側から見上げました

辰野町保存樹木標識です

説明版です
 宿ノ平(しゃくのたいら)のサイカチ
町天然記念物 指定 平成17年3月14日
 このサイカチは、幹周り6m
余り、樹高約20mと、県内は
もとより全国的に見ても最大級
の巨樹である。地上1mほどで
4本に分れる幹の樹勢は旺盛で
、四方に伸び伸びと張った枝は
、南北では約28mに達し、見
事な樹形を見せる。
 江戸時代、この辺りから奥の
山々は小横川山と呼ばれ、上伊
那北部の村々が山資源を求めた
入会山であった。その頃からこ
こが刈敷の採取や山作業の木場
で、山ノ神の御神木としてこの
サイカチの木があったことは、
根元に祀られている「大山祗命
」の石碑により容易に想像され
る。
 宿ノ平の集落は、明治末期に
二十数戸を数えたが、昭和30
年代から離村が始まり、47年
ついに廃村となった。村に人々
が暮らしていた頃、サイカチの
周りは子どもたちの遊び場で賑
やかだったという。
 毎年6月中旬には、枝いっぱ
いに黄緑色の小さな花を房状に
つけるが、サイカチ特有の大き
な鞘を枝から下げた姿を見たこ
とがない。この木の傍らに住ん
だ平林さんによると、実をつけ
るのは希で、10年に一度くら
い、しかも北に伸びた一本の下
枝にしかつかないとのことであ
る。
 町内ではめったにサイカチを
見ないが、小横川川沿いには数
本のサイカチが自生している。
このサイカチの種子が発芽し成
長したものであろうか。
   平成18年3月
    辰野町教育委員会

説明版に有った「大山祗命」の石碑です

「甲子」の石碑です


南側から

更に南側から見ると南に枝が伸びていますが、一部の枝には葉が有りません

南西側から

北西側からの幹です、注連縄が巻かれています

北側から、幹に大きな穴が空いています

側を道路が通っていたりして樹勢は落ちてしまっているのかもしれませんね

では、次へ行きましょう

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長野県辰野町、辰野「七蔵寺の子持桂」です!!

2020-08-12 06:38:00 | 巨樹・大木
辰野地区は、辰野町役場のすぐ北側のところですが

七蔵寺は役場の北北西約3kmの山の中です

JR中央本線のたつの駅の南側の陸橋を越える

県道187号線を北西へ進みます

道路はJR中央本線の下を潜って国道153号線へ接続していますが

県道は線路をくぐる手前で北側の道路に入っていきます

線路に沿って北側の道路を北西に進むようになり

道路が細くなって沢の出会いに七蔵寺の標柱が立っています

林道の様な道路ですが舗装されています

220本余りの七蔵寺杉並木です

砂防堰堤を右に見てつづら折りに高度を上げて行きます

沢沿いに登って行くと七蔵寺参道入口です

高野山真言宗 醫王山 七蔵寺です

七蔵寺参道石段です

目的のカツラは、石段下右手の沢の対岸に立っています

中央の主幹を失って周りのヒコバエが成長して樹形を形成しています

子持桂の由来記と辰野町保存樹木の標識があります

弘法大師巡錫の時、ついて
来た恩杖をさしたら根のつ
いたといい伝えられ、この
大樹のになり、小笠原長径
公が子持木と名づけ、子宝
に恵まれない人の参詣のせ
つ、この樹に祈願すれば、
子宝を授かると伝えられて
いる。
   当山執事


*沢に掛かる丸太を4本並べた橋は壊れそうだったので渡りませんでした

沢の上流側から見ました

石段から見ました、目通り幹囲11、5mの巨木です

手前の沢のなどの様子が良く見えました

七蔵寺の石段登り口の左手には釜神が鎮座します

長い石段を登って七蔵寺へお参りしましょう、冠木門の先に本堂の屋根が見えて来ました

参道左手に水盤です

最後の石段です


境内に入ると正面に本堂です

説明版です
醫王山七蔵寺縁起
 天平勝宝9年(775)聖武
天皇の勅命を奉じ国ごとに国分
寺を置くため、行基菩薩が諸国
の霊場を探りし時、当山麓を過
ぐるに、渓流清冽にして山容尋
常でないのを感じ流れに沿って
さかのぼるに、果たして一霊場
を得た、亦この山の地中に七宝
の隠没せるを感得し堂宇を構え
寺号を醫王山七蔵寺と称す。
 桓武天皇の延歴年間、坂上田
村麿東夷征討の途次当山如来の
霊験著しきを聞き来たり戦勝を
祈る逆徒を誅し凱旋の後、大同
元年(806)堂塔を再建す。
その後弘仁年中弘法大師諸国を
遍歴してこの地を過ぎ山上瑞気
あるを感じて暫く錫を留めて堂
宇を一新し薬師如来の金像を鋳
造し安置す、拠って大師を二代
の開祖となす。
 後高遠藩代々の帰依を受け、
その祈願寺となる。現在の本堂
は明治2年(1869)高遠藩
最後の直轄事業として近郷の寄
附により再建致したものなり。
 寺宝
1、御正躰(けぼり懸仏)製作年代平安末期(1100年代)
2、懸 仏(薬師如来)七蔵寺本尊鎌倉時代後期(1300年代)
3、鰐 口 永正7年(1510年)
  昭和59年10月吉日
弘法大師御入定1150年御遠忌記念建立
 七蔵寺信徒総代会
 七蔵寺兼務住職、備前宥純代

右手に観音様に水道の蛇口が付いていますので手水のようです

鐘楼です


鐘楼脇には辰野町保存樹木のイロハモミジです、ほかに25本が指定されているようです

境内左端には古見堂です


長野県宝や町文化財の説明版です

古見堂の裏側山の斜面には沢山の石仏・石塔・石灯篭などが並んでいます

境内から一段下がった所の杉の大木です

では、次へ行きましょう






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山梨県山梨市、牧岡町柳平「琴川ダム」です!!

2020-08-11 06:41:08 | ドライブ
柳平地区は、山梨市役所の北約15kmのところ

県道210号線を北へ琴川沿いを進みます

急な坂道をどんどん進んで、登り切った所がです

金峰山や奥仙丈・北奥仙丈・国師ヶ岳などに登った時に

大弛峠まで、このルートを使っていました


道路標識に従ってダムを見に行きましょう

ダム湖沿いの道を戻るように進みトンネルを貫けて駐車場に入りました

管理棟です

管理棟案内図です

乙女湖 琴川ダムです



総合案内図です

琴川ダム概要案内板です


ダム本体へ進みましょう

下流側は勢いよく水が流れています、雲が低く甲府盆地は見えません

上流側には集落が見えます、晴れていれば北奥仙丈岳などの大弛峠の山々が見えるようです

では、次へ行きましょう
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山梨県山梨市、牧岡町柳平「姥の栃」です!!

2020-08-10 06:26:35 | 巨樹・大木
柳平地区は、山梨市役所の北約12kmのところ

国道140号線の牧丘トンネルを貫けた所から県道219号線へ

ひたすら登って行くと杣口のサワラ林を過ぎて約3km

大きな右カーブの手前のゆるい左カーブの右側(山側)が広くなった所

沢になっている所に「姥の栃」は在ります


カーブの外側に楓の枝の陰にトチの葉が見えます

大きなトチノキが立っています

道路向かい側から見ました

北東側根元から見上げました

奥(西)側から

道路先(南)側から、目通り幹囲6、6mの巨木です

南側から見上げました

ゴツゴツした幹が樹齢を感じさせます



水場になっています

俳句か

沢の奥側にはお地蔵様が


道路向かい側です

道路を潜った沢の出口付近にも大きなトチノキがあるようです

では、次へ行きましょう
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山梨県山梨市、牧丘町杣口「杣口のサワラ林」(市指定)です!!

2020-08-09 06:22:00 | 巨樹・大木
牧岡町杣口地区は、山梨市役所の北約9kmのところ

国道140号線の牧丘トンネル先(東口)からすぐを左へ入り

県道219号線クリスタルラインを北へ進みます

高度が上がるにつれて人家が少なく成ります

赤い鳥居(金桜神社)を右に見て林の中へ杣口林道を登って行きます

しばらく登って行くと奥社地跡入口です


説明版です
 金桜神社奥社地跡
  町指定文化財
  昭和51年3月30日
 金桜神社は仁寿3年(853
)大和国より勧請米沢山大樺寺
の鎮社なり、この地を高天が原
と称し山岳信仰と密教との修験
道場の聖地とした頃は金峯山東
登山道の里宮として栄えた。
 ここより黒駒に達する道を道
社街道という。天正10年(1
582)織田軍の兵火に遭い、
社殿等焼失す。以後里宮は二本
松を経て正徳2年(1712)
に今の地に移る。奥社地には往
時の石垣、建物の礎石、古代文
字の碑が残され、付近には東谷
、西谷、青山千坊、護摩坂、堂
の上、大門くだりなど社人、社
僧の実権を偲ぶ史跡を存す。
  平成16年12月
     牧丘町教育委員会

暫く登ります

カーブに大きな木が見えて来ます


琴川ダムまで5,4kmのところ周辺です

沢山のサワラの古木・大木が見られます


道路から見ました




まだまだ在ります


道路から見える範囲で最大の一本です、目通り幹囲5,5mの巨木です


道路先側から



道路沿いのもう一本です



やまなしの森林百選「杣口のサワラ林」案内板です

説明版です
  学術参考林
(杣口のサワラ林)
〇設置の目的
 この森林は、およそ標高11
50m~1400mに分布し、
県下でも珍しいサワラ(ヒノキ
科)が安山岩質の火山岩のうえ
に群状に生育する、おおよそ林
齢70年生の天然針葉樹林です

 サワラは、一般に中腹以下の
谷筋、沢ぞいの比較的湿潤な場
所に生育しますが、このように
岩石が累積したところや急峻地
にも自生することがあります。
 このサワラ林は、サワラの特
質をよくあらわした天然林です
ので、学術参考林として保存し
ます。
〇位置及び面積
 東山梨郡牧丘町大字杣口字杣口山
 県有林 塩山事業区第29林班は4・は5小班
 面積 9、99㌶
(昭和59年3月標識設置)
   山梨県林務部



案内板の奥にもサワラが続きます


案内板の有る沢の下流側(道路沿い)にも大木が見られました

では、次へ行きましょう  
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山梨県山梨市、三富川浦「広瀬の大なら」(市指定)です!!

2020-08-08 06:33:00 | 巨樹・大木
川浦地区は、山梨市役所の北北東約12kmのところから

笛吹川左岸の国道140号線から雁坂峠側秩父までの広い地区です

道の駅「花かげの郷 まきおか」を過ぎて

旧三富村に入り山梨市三富支所を過ぎ広瀬ダムに至ると

広瀬湖畔を進みます

広瀬湖に流込む谷渡川の右岸に目的の楢の巨木が在ります

国道脇に車を止めさせて頂きました


説明版です
 村指定天然記念物
  広瀬の大なら
指定年月日 昭和56年9月2日
所在地 東山梨郡 三富村 大字川浦字広瀬1818番
樹種 小なら(コナラ属)
推定樹齢 350年
樹高   24、85m
太さ根廻り 6、15m
  目通り 5、64m
  直径  1、80m
枝張り 東12,20m
    西 6,50m
    南13,20m
    北 9,80m
由来
 幹の中にある空洞に、大山祗
命を祀り、ふるくから「山の神
」として、広瀬集落の民の信仰
をあつめ御神木として崇められ
、毎年5月17日には「山の神
」祭りを行っている。
  平成11年3月 
    三富村教育委員会

南西側から



南側から

南東側から

数少ないコナラの巨木で、全国で7番目くらいのものです

このブログの中でも群馬県前橋市や福島県猪苗代町、長野県佐久市などを紹介しています

では、次へ行きましょう
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山梨県山梨市、三富上釜口「広瀬ダム」です!!

2020-08-07 06:21:00 | ドライブ
今日から暦の上では秋の立秋です

まだまだ暑い日が続きますし、新型コロナウイリスのため、マスクをしていると、熱中症に成りやすくなりますので注意してくださいね😉❗❗

では、今日の投稿です

三富上釜口地区は、山梨市役所の北北東約12kmのところから

笛吹川右岸の国道140号線沿いから甲武信岳へ至る広い地区です

道の駅「花かげの郷 まきおか」を過ぎて

旧三富村に入り山梨市三富支所を過ぎると

徐々に高度を上げて行きます


広瀬ダムです

ダム本体前に駐車場が有ります

広瀬ダム案内図です


ダム下流側です

上流側です

ダム標準断面図です

広瀬ダムの貯水位は夏と冬で違います


大きな水源の碑です

水神碑です

故郷の碑です

広瀬ダム建設協力感謝の碑です
 広瀬ダムは、着工以来多くの
方々の深い御理解と御協力によ
って完成しました。永年住みな
れた故郷の地が湖底となるため
他の地へ転土された32戸の協
力者をはじめ伝来の貴重な墳墓
・畑・山林などを提供された協
力者は62名に及んでいます。
特に亀田林業所殿には、15㌶
に及ぶ山林提供、広瀬事業所及
び墳墓の移転、ダム本体の芯を
形成する233000立方mに
及ぶ山土の無償提供等のほか、
ダム周辺緑化のために多数の苗
木を寄贈されました。
 広瀬ダムの完成にあたり、以
上を銘記し、深く感謝の意をさ
さげます。
   昭和50年3月
       山梨県



法面水平移動量測定基準点が国道側に有ります

雁坂峠の説明版です
 雁坂峠の由来
1、日本で一番古い歴史をもつ峠(日本三大峠の一つ)
2、武田信玄公が整備した軍道(甲斐九筋の一つ、烽火台の道)
3、罪人の国外追放の道(罪人の駆(かり)雁坂峠の語源)
4、信仰の道(身延山・善光寺・三峰山・伊勢講往来の道)
5、シルクロード(甲斐と秩父の物資交流の道)
6、雁門の道(渡り鳥、雁の群の航路)
 「日本書紀」の景行記による
と日本武尊が東征のため通った
道が雁坂峠では日本最古の峠道
であったとされている。
 日本列島には多くの山や峠が
あるが、雁の名のつくものはほ
とんど見当たらない。しかし雁
坂峠付近には雁の名のつく山々
が集中的に存在している。
 昔、里人が毎年秋になれば、
高い山脈の稜線を雁行状にスレ
ズレ山越えして行く雁の群れに
強烈な印象をうけて名付けたも
のと云われている。
 また、和歌で有名な凡河内躬
恒が雁坂峠を「秋風に山飛ひ越
えてくる雁の羽むけにきゆる峰
の白雪」と歌い新拾遺集のなか
に残している。
 山頂付近からは古銭や縄文中
期の遺物が出土しており歴史を
物語る峠でもある。
 中世の時代甲斐の九筋の一つ
で、秩父街道の難所とされた雁
坂峠の入口は、当地で、ここか
ら赤志を通り急峻な道を登り詰
めると雁坂峠の山頂で、この峠
は奥秩父の縦走路と交わってお
り、ここから北側は増富の瑞牆
山、南側は雲取山につながって
いる。
 また、この雁坂峠は八里八町
人家なしと云われた険しい峠で
もありました。平成10年4月
23日雁坂トンネル(延長66
25m)として開通したが、峠
は今も昔の姿を留めています。
  平成14年度
    三富村教育委員会

*トンネルには向かわずに戻ります

では、次へ行きましょう

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山梨県山梨市、上柚木「魔王権現の桧」(市指定)です!!

2020-08-06 06:21:00 | 巨樹・大木
上柚木地区は、山梨市役所の北北東約9kmのところ

笛吹川右岸の国道140号線雁坂道を秩父方面へ

道の駅「花かげの郷 まきおか」を過ぎて

旧三富村に入ると間もなく左岸側に千原松ノ木橋を渡ります

渡って直ぐを左(北)へ入ります

「柚木窯」への案内板が目印になります

次の右側からの沢の先を右へ坂道を登ります、案内板は右の壁に在ります

案内板に従ってまた右へ道なりに進むと

次は左へ

二本ヒノキを過ぎると間も無く「柚木窯」の裏口が見えて来ます

手前の道路の広い所に車を止めさせて頂きました

柚木窯の裏口の道路を入ると防獣柵が有ります

左へ進みましょう

次の扉の中に・・・

天然記念物標識です

説明版が有ります
 魔王権現の桧
所在地 三富村上柚木732番地
推定樹齢400年 管理者 広瀬徳王
根廻り  7.8m
目通し  5.5m
高さ  25.0m
枝張り 東11.0m
    西11.5m
    南10.0m
    北 8.2m
 集落より徒歩4分で根元まで行ける。
地上より7本に別れ、樹勢旺盛で魔王
第六天を祀るにふさわしく異様な雰囲
気と威圧感にうたれるまれに見る大樹
である。
  昭和56年3月
     三富村教育委員会

さてさて、ヒノキが見えません

しかたなく踏み跡らしき所を倒木を越えて登ってみます

説明版に集落からわずか4分とありますので見えてよいはずなのですが・・・


見付けました、手前のヒノキの枝が魔王権現の桧を隠しています

異様な形は「立山杉」の様です

南側から

東側から、説明版に有るように7本に開かれた幹が解かります

北東側から、根元右側に柚木窯の北側の住宅の屋根が見えますが写真では解かりませんね

北側から

北西側から

西側から見ました、また手前のヒノキに隠れてしまいますね

では、次へ行きましょう
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山梨県山梨市、三富上柚木「二本ヒノキ」です!!

2020-08-05 06:20:00 | 巨樹・大木
上柚木地区は、山梨市役所の北北東約9kmのところ

笛吹川右岸の国道140号線雁坂道を秩父方面へ

道の駅「花かげの郷 まきおか」を過ぎて

旧三富村に入ると間もなく左岸側に千原松ノ木橋を渡ります

渡って直ぐを左(北)へ入ります

「柚木窯」への案内板が目印になります

次の右側からの沢の先を右へ坂道を登ります、案内板は右の壁に在ります

案内板に従ってまた右へ道なりに進むと

次は左へ

左カーブの先に顕著な太い幹が道路脇に見えて来ます

すぐ先の道路脇に車を止めさせて頂きました


こちら側から見ると二本に見えませんが・・・

北東側から見ると二本のヒノキの大木が根元で融合しているようです

目通り幹囲は5,5mに及ぶ巨木です

では、目的の「魔王権現のヒノキ」へ行きましょう
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長野県茅野市、湖東笹原「笹原公民館のシダレヤナギ」(市指定)です!!

2020-08-04 06:19:00 | 巨樹・大木
湖東笹原地区は、茅野市役所の東北東約9kmのところ

国道152号線堀信号から県道191号湯みち街道を東へ

白山社を越え更に登って行くと笹原集落です

道路のカーブ正面に笹原公民館が有ります


公民館前(左手)の駐車場に目的のシダレヤナギです

東側から

説明版です
 市指定天然記念物
  笹原のシダレヤナギ
昭和55年3月14日指定
樹種シダレヤナギ(ヤナギ科)
大きさ 目通り幹周2,22m
 シダレヤナギは、古く中国よ
り渡来したものといわれる。花
は、4月頃発芽とともに開く。
 この木は、かつて笹原学校の
あった頃(明治5~18年)、
一生徒が授業料が納められない
、その代わりに柳の木を一本持
ってきて植えた、それが、この
シダレヤナギであるという言い
伝えがある。
 大きさでは、諏訪地方最大級
のもので、樹齢は100余年と
推定される。
 この木は、笹原学校から笹原
支学校~同分教場~同分校(昭
和46年3月廃校)と、明治・
大正・昭和の三時代いわたって
児童・生徒に親しまれてきた。
  昭和56年3月
    茅野市教育委員会



南側から

西側から

北側から

北東側から

笹原集落くらと旧跡案内図です、集落内には多くの蔵が残っています

では、次へ行きましょう
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長野県茅野市、湖東須栗平「白山社の大柏樹」(市指定)は倒れてしまいました!!

2020-08-03 06:18:00 | 巨樹・大木
湖東須栗平地区は、茅野市役所の東北東約8kmのところ

国道152号線堀信号から県道191号湯みち街道を東へ

しばらく八ヶ岳西面の斜面を登って行きます

県道の南側(右)に白山社が西向きに鎮座します

目的の大柏樹は、神社北側の県道沿い左手にあったはずですが

2020年7月12日午前に訪れた時には北側に倒れてしまっていました

北側からの白山社入口です

社殿です


境内の御柱です

社殿北側の境内社です

境内から大柏樹のあるはずの道路北側を見ました”樹が倒れてしまっています”

道路に戻ってみました

下の物置の青いトタン屋根を押しつぶしています

根元から倒れています



カラーコーンは安全対策のため置かれていたようです




説明版が残っています
 市指定天然記念物
  白山神社の大柏樹
   昭和42年2月1日指定
樹種 カシワ(ブナ科)
大きさ 目通り幹周4m25
    樹高 約17m
    枝開張東西約21m
       南北約14m
樹齢 推定400年
 県道渋ノ湯堀線が堀から須栗
平に入るとすぐ右手台地上に白
山社の森が見え、道をはさんで
左手道わきに左に傾いた樹形の
大木が見える。これが白山社の
大柏樹である。
 この大柏樹はブナ科のカシワ
で、食物を葉に盛った古代には
、その葉をすべて炊葉と呼んだ
が、今は本種だけにその名をと
どめている。
 地上3mで三本にわかれてい
たが、南側の一本は枯損したた
め1m余上から切断した。現在
は切り口近くにあった小枝が3
m余に成長し、中央と北側の主
幹と共に樹形を形成している。
上部の枝にはヤドリギが、下部
の樹皮にはノキシノブが着生す
るなどしており、カシワでは市
内最大で、諏訪地方でも稀な大
きさのものである。
 古老によると、ここは須栗原
新田の開発以前に親郷南大塩村
の山ノ神のあったところで、そ
のころすでに生えていたもので
あろうとのことである。須栗原
新田の歴史と共に生き続けてい
る貴重なカシワの木である。
  平成15年3月
      茅野市教育委員会

残念です


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長野県茅野市、北山「芹ヶ沢子ノ社のケヤキ」です!!

2020-08-02 06:23:20 | 巨樹・大木
北山芹ヶ沢地区は、茅野市役所の東北東約8kmのところ

国道152号線を東へ、芹ヶ沢信号の手前で道路が下りになる所に

目的のケヤキが立っています、脇道に車を止めさせて頂いて

子ノ社はずっと下の渋川と支流の中州の様なところに鎮座しています

子ノ社参道入口から下り参道になっている「下り宮」形式です

国道の左側に祠が有ります、この脇を左に入りました

車を止めさせて頂いた道路脇から子ノ宮入口とケヤキを見ました

幟の支柱です、天保十年(1841)の文字がみえます

降り参道です

目的のケヤキです、上側道路(南側)から見ると大きな傷が縦に走っています、落雷の聖でしょうか


東側から見ました

石段を少しおりて西側から見上げました、目通り幹囲5,6mの巨木です

子ノ社にお参りしましょう

鳥居です

杉並木の参道が沢を渡ります

手水舎です

子ノ社社殿です

社殿前から参道を見ました

境内社の天照大神宮の祠です

境内東側には天満宮など沢山の祠が並んでいます

では、次へ行きましょう
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