ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

東京都東久留米市、野火止3丁目下里本邑遺跡公園「東久留米名木百選No.20クスノキ」です!!

2024-03-24 06:30:50 | 文化財・樹木
 春分の日を過ぎて間も無く🌸桜(ソメイヨシノ)の開花宣言が東京でも出そうなので、今日から午前と午後の一日2回の投稿を再開したいと思いますので、ご覧くださいね

 野火止3丁目は、東久留米市役所の北西約2.5kmのところ

 「東久留米市役所前」信号から西南西へ、約700mの信号を右(北北西)へ、さいわい通りです

 道成りに進んで西南西に向きを変えた約900mの「野火止1丁目」信号を右(北北東)へ、都道15号小金井街道です

 約200mで黒目川の上落馬橋を渡ります、約100mで左へ、東久留米特別支援学校の雑木林と都営住宅の間の道を西へ進みます

 約200mで都営住宅西側を北へ入って、クロガネモチの木を見て、すぐ北側の野火止用水沿いのグレープフルーツを見ました

 野火止用水沿いの野火止通り(水道道路)を西南西へ進みます

 雑木林のみちの案内板です

 道路が黒目川への下り坂に差し掛かると歩道の左手(東側)に

 下里本邑遺跡公園入口です

 下里本邑遺跡公園です

 説明版です
   下里本邑遺跡公園
 遺跡がある場所は、むかし下里の「本邑」と呼ばれていたことから、それが遺跡の名前になりました。
 黒目川と出水川が合流するこの場所は、日あたりの良い高台と、豊かな水の流れ、さらに川の脇に広がる河川敷があることから、原始・古代の人々が住む理想的な条件を満たしていました。
 下里本邑の地に最初に人が住み始めたのは、氷河時代の終わりころにあたる旧石器時代(今から約3万年前)で、ナウマンゾウやオオツノジカなど大型動物の群れを追って生活する狩人の時代でした。
 今から約1万年前ころになると次第に暖かくなって氷河時代が終わります。
 縄文時代になると、台地と川岸を利用したムラがつくられるようになりました。ところが、縄文時代中期を過ぎると生活の跡がとだえます。
 そして弥生時代を迎えます。下里本邑遺跡は、東久留米市域で弥生時代のムラがつくられた唯一の場所です。台地の上から、竪穴住居跡とともに方形周溝墓が発見されています。方形周溝墓は、当時の指導者の墓です。推定ですが、黒目川の川岸近くに水田があった可能性も考えられます。
 その後、この場所からまたもや人間の生活の跡がとだえます。
 奈良時代の終わりころ(今から1200年程前)になると再びムラがつくられるようになり、それは平安時代まで続きました。
 下里本邑遺跡は、いくつもの時代にわたって生活の場となった「複合遺跡」と呼ばれる貴重な遺跡です。そのため、このような大切な文化財を後世の人々に伝えようということになり、遺跡の主要部分約8000㎡が保存され、遺跡公園として整備されました。さらに公園内の低地部分には、下里本邑遺跡の特徴を説明して土器や石器類を展示した「下里本邑遺跡公園」もつくられました。
 みんなでこの下里本邑遺跡を大切に守って行きましょう。
     東久留米市教育委員会
 *下里本邑遺跡公園は、南側の黒目川左岸沿いにあります。

 公園の広場にはテーブルやベンチが据え付けられています

 平安時代の住居跡の説明です
   平安時代の住居跡
 この場所には、発掘調査によって発見された平安時代(約1000年前)の住居跡が埋没保存されています。
 東西3.6m、南北2.8mの長方形の住居跡です。カマドや柱の跡はなく、ごく簡素な作りの住居だったと思われます。
 現在公園となっているこの台地には、同じころの住居跡が他にも残されていると推定されます。
     東久留米市教育委員会


 すぐ東側(公園中央付近)に目的のクスノキです

 北側から太い幹を見上ました

 南西側から

 南東側から、久留米市の名木百選のプレートは有りませんでした


 東側から見ました

 では、次へ行きましょう
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東京都東久留米市、野火止2丁目「東久留米名木百選No.22クロガネモチとNo.21グレープフルーツ」です!!

2024-03-23 18:32:37 | 文化財・樹木
 野火止2丁目は、東久留米市役所のの北西約2kmのところ

 「東久留米市役所前」信号から西南西へ、約700mの信号を右(北北西)へ、さいわい通りです

 道成りに進んで西南西に向きを変えた約900mの「野火止1丁目」信号を右(北北東)へ、都道15号小金井街道です


 約200mで黒目川の上落馬橋です

 「雑木林のみち 小山・金山コース」の案内板です

 黒目川・落合川ジョギング。ウォーキングコースの案内板です

 *市内の北側を流れる黒目側と南を流れる落合川は、それぞれ東北東に流れて埼玉県新座市との境近くで合流します、川沿いは市民の憩いの場や健康管理に使われているようです

 約100mで左へ、東久留米特別支援学校の雑木林と都営住宅の間の道を西へ進みます

 約200mで都営住宅西側を北へ

 都営住宅北側に公園の縁に、クロガネモチの木が4本在ります

 南西端の一本です

 東京都営住宅供給公社がプレートを付けてくれています、201-008です

 すぐ北側の1本です

 201-010です

 北側の道路沿いの一本です、二本の幹が立ち上がった一番太いクロガネモチです

 201-012です

 南側から見ました

 更に東側の一本です

 201-16ですが、東久留米市の名木百選のプレートは有りませんでした

 すぐ北側の野火止用水沿いにもう一本の東久留米市の名木が在りますので行ってみます

 公園の直ぐ西側から北への道路を進むと、約100mで野火止用水沿いの野火止通り(水道道路)に出ました

 西側の用水沿いに黄色い丸い実をつけたグレープフルーツです

 北東側から見ました

 奥側のフェンスに東久留米市の名木百選No21 グレープフルーツのプレートです

 北西側から

 西側にももう一本細いグレープフルーツが在りました

 では、次へ行きましょう
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東京都東久留米市、幸町4丁目米津寺「米津家墓所と東久留米名木百選No.60シキミ」です!!

2024-03-22 19:23:00 | 文化財・樹木
 幸町4丁目は、東久留米市役所の西約1kmのところ

 「東久留米市役所前」信号から西南西へ、約700mの信号を右(北北西)へ、さいわい通りです

 約200mの信号を左(西)へ、約400mで右手に

 米津寺の参道入口です

 長い参道を進んで「ヤマザクラ」と「モミジ」を見て

 本堂です

 本堂西側の墓地入口には六地蔵様です
 
 米津家墓所は、墓地の一番奥(北側)近くにあるようです

 東向きに米津家墓所の入り口です、入口には六地蔵様が三体づつ南北に別れていらっしゃいます

 説明版です
 東京都指定史跡 
     久喜藩主・長瀞藩主米津家墓所
       所在地 東久留米市幸町4丁目2番40号米津寺墓地
       指定 平成8年3月18日
 圓通山米津寺(旧多摩郡前沢村)は、万治2年(1659)米津出羽守田盛を開基とする臨済宗妙心寺派の寺院であり米津家の菩提寺である。
 本堂左手奥の墓域に、2代田盛・4代政矩・6代政崇・8代政容の墓標と供養塔や石灯籠などが並んでいる。墓標の形状は笠付六角塔身型で統一した形式であり、都内多摩地域に残る唯一の大名家墓所である。塔身には臨済宗の重要な典耤である「碧巖録」の引用がある。
 米津家は三河出身の徳川譜代の家臣で、初代田政は慶長9年(1604)から20年間江戸町奉行を勤め、武蔵・下総・上総に5000石の領地を与えられた。2代田盛は大番頭を経て大坂定番となり、10000石を加増されて15000石を領する大名となった。
 3代政武は弟田賢に3000石を分知し、自らは12000石を領して久喜に陣屋を構えて武蔵久喜藩が成立した。4代政矩は弟政容に1000石を分知したため所領は11000石となった。7代通政は寛政10年(1798)出羽村山郡長瀞村(現在の山形県東根市)に所領を移された。
 門前村・神山村・前沢村(現在の東久留米市)、乙津村・上代継村・下代継村(現在のあきるの市)、木榑村(現在の練馬区)などが米津藩であった。
   平成9年3月31日 建設
        東京都教育委員会
 *文面は参道入口にあった説明版と同じでした

 正面の墓碑です

 左手(南側)に3基の墓碑です、一段低い台座になっているようです

 米津寺で3番目の目的の「シキミ」です

 東側から

 「東久留米名木百選No.60シキミ」のプレートです

 *シキミ(樒、学名: Illicium anisatum) は、マツブサ科シキミ属に分類される常緑性小高木から高木です。
 葉は枝先に集まってつき、春に枝先に多数の黄白色の花被片をもつ花をつけ、本州から沖縄諸島および済州島に分布します。
 アニサチンなどの毒を含み、特に猛毒である果実が中華料理で多用される八角に似ているため、誤食されやすい危険な有毒植物です。
 ときに仏事や神事に用いられ、しばしば寺院や墓地に植栽されておるい、また材や抹香、線香として利用されることもあります。
 別名が多く、「シキビ」「ハナノキ」「ハナシバ」「ハカバナ」「ブツゼンソウ」「コウノキ」「コウシバ」「コウノハナ」「マッコウ」「マッコウギ」「マッコウノキ」などがあります。(以上ウィキペディア一部抜粋です)

 
 薄黄色の花が咲いています

 北東側から

 北側から見ました

 では、次へ行きましょう
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東京都東久留米市、幸町4丁目米津寺「東久留米名木百選No.44ヤマザクラとNo.97モミジ」です!!

2024-03-21 18:48:00 | 文化財・樹木
 幸町4丁目は、東久留米市役所の西約1kmのところ

 「東久留米市役所前」信号から西南西へ、約700mの信号を右(北北西)へ、さいわい通りです

 約200mの信号を左(西)へ、約400mで右手に

 米津寺の参道入口です

 臨済宗 妙心寺派 米津寺の寺号標です

 そばに説明版が建っています
   東京都指定史跡 
     久喜藩主・長瀞藩主米津家墓所
       所在地 東久留米市幸町4丁目2番40号米津寺墓地
       指定 平成8年3月18日
 圓通山米津寺(旧多摩郡前沢村)は、万治2年(1659)米津出羽守田盛を開基とする臨済宗妙心寺派の寺院であり米津家の菩提寺である。
 本堂左手奥の墓域に、2代田盛・4代政矩・6代政崇・8代政容の墓標と供養塔や石灯籠などが並んでいる。墓標の形状は笠付六角塔身型で統一した形式であり、都内多摩地域に残る唯一の大名家墓所である。塔身には臨済宗の重要な典耤である「碧巖録」の引用がある。
 米津家は三河出身の徳川譜代の家臣で、初代田政は慶長9年(1604)から20年間江戸町奉行を勤め、武蔵・下総・上総に5000石の領地を与えられた。2代田盛は大番頭を経て大坂定番となり、10000石を加増されて15000石を領する大名となった。
 3代政武は弟田賢に3000石を分知し、自らは12000石を領して久喜に陣屋を構えて武蔵久喜藩が成立した。4代政矩は弟政容に1000石を分知したため所領は11000石となった。7代通政は寛政10年(1798)出羽村山郡長瀞村(現在の山形県東根市)に所領を移された。
 門前村・神山村・前沢村(現在の東久留米市)、乙津村・上代継村・下代継村(現在のあきるの市)、木榑村(現在の練馬区)などが米津藩であった。
   平成9年3月31日 建設
        東京都教育委員会

 両側を住宅に囲まれた長い参道を進みましょう

 境内が見えて来ました

 まず一つ目の目的の「ヤマザクラ」です

 「東久留米名木百選No.44ヤマザクラ」のプレートです

 東久留米市の保存樹にも指定されています

 北東側から見ました

 西側に光寿堂(八角堂)が東向きにあります

 本堂前に二つ目の目的の「モミジ」です(南東側から)

 南側から

 西側から

 「東久留米名木百選No.97モミジ」のプレートです

 本堂です

 境内西側には、左(南)から畜魂供養塔・鰻之供養塔・そして祠の中には石橋供養塔です

 長く成りそうなので、続きとさせて頂きます
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東京都東久留米市、小山1丁目子ノ神社「東久留米名木百選No.No.62シラカシの切株とNo.88ムクロジ」です!!

2024-03-20 19:08:40 | 文化財・樹木
 小山1丁目は、東久留米市役所の北約1kmのところ

 「東久留米市役所前」信号を北北西へ「本町ふれあい通り」です
 
 約200mで丁字路信号を左(西南西)へ、約150mで「南沢交番前」信号を右(北)へ

 約300mで黒目川を曲橋で左岸(北側)に渡ると間も無く大圓寺山門が見えて来ます

 大圓寺の東側の通りを北へ進みます

 間も無く鳥居が見えて来ます

 鳥居脇のケヤキと石段中段のウラジロガシを見て

 更に石段を上がります

 右側境内に手水舎です

 左側境内には大きな切り株です

 幹が切り倒されています、東久留米の名木百選No.62シラカシの切株です

 拝殿です

 説明版です
   子ノ神社略記
 1、鎮座地 東京都東久留米市小山1丁目14番25号
 2、祭神  大国主命
 3、例祭  祈年祭  2月20日
       例大祭 10月 2日
       新嘗祭 11月20日
 4、境内地 2323㎡(704坪)
 5、由緒
 当社は小山村の鎮守にして、文録元年(1592)8月、領主矢部藤九郎により本地仏は地蔵の勧請と伝えられ、除地1町5段(4500坪)を有し、社地には槻・杉雑樹など繁茂していたといわれる。
 拝殿は、文政元年(1818)10月建立し、後明治4年(1871)8月、明治42年(1909)5月等数回に亘り修築がなされた。
 神社名はもと「根神明神」と称したが、後世にいたり十二支の子を用い「子ノ神社」と変更された。子は大黒天の神使であり、縁日を甲子祭として子の日を選ぶなどの故事から習合されたものと思われる。
 祭神大国主命は出雲大社の祭神と同一神にして国土開発の神であると共に、縁結び・子孫繫栄・五穀豊穣の神とされている。
 創立者矢部氏は相模三浦氏の子孫で、小田原北条氏に仕えていたが、徳川時代の初め、300石を賜り小山村の地頭となった。神社の西方畑地にその屋敷跡があったという。後、寛文5年(1665)2月死去し江戸牛込多聞院に葬られたといわれている。
 氏子によって奉納される神田流の「おはやし」は、昭和42年3月市の無形文化財に指定されている。
 6、境内末社
 (1)稲荷神社
 保食神を祀り玄和年間(江戸初期)字稲荷山(当村南方)、字西原(当村西方)、字大堂(当村北方)にそれぞれ創立された3社は、明治11年(1878)8月境内末社として合祀された。
 毎年2月初午を祭日とする。
 (2)津島神社
 牛頭天王を祀り毎年7月27日を祭日とする。
     昭和55年10月2日
          子ノ神社
 *白く塗られているところには落書きのイタヅラが有るようです



 本殿覆い屋です

 本殿西側に目的のムクロジです

 北側から

 「東久留の米名木百選No.88ムクロジ」のプレートです

 西側から

 南西側から見上げました

 拝殿東側に津島神社と稲荷神社です

 では、次へ行きましょう
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東京都東久留米市、小山1丁目子ノ神社「東久留米名木百選No.27ケヤキとNo.9ウラジロガシ」です!!

2024-03-19 19:33:54 | 文化財・樹木
 小山1丁目は、東久留米市役所の北約1kmのところ

 「東久留米市役所前」信号を北北西へ「本町ふれあい通り」です
 
 約200mで丁字路信号を左(西南西)へ、約150mで「南沢交番前」信号を右(北)へ

 約300mで黒目川を曲橋で左岸(北側)に渡ると間も無く大圓寺山門が見えて来ます

 大圓寺の東側の通りを北へ進みます約200mで

 鳥居が見えて来ます

 子ノ神社の社號標です

 目的一つ目のケヤキです


 南側から見上げました

 「東久留米の名木百選No.27ケヤキ」のプレートです

 保存樹でもあります

 鳥居前南東側から見ました

 鳥居です

 参道石段を上がります

 石段中段の狛犬の東側にヒコバエが藪の様になって目的のウラジロガシです

 南西側から

 「東久留米の名木百選No.9ウラジロガシ」のプレートです

 南側から見上げました

 
 更に石段を上がりましょう

 少し長くなりそうなので続きとさせて頂きます
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東京都東久留米市、小山2丁目大圓寺「東久留米名木百選No.79ボダイジュとNo.74ヒトツバタゴ」です!!

2024-03-18 18:30:56 | 文化財・樹木
 小山2丁目は、東久留米市役所の北約500mのところ

 「東久留米市役所前」信号を北北西へ「本町ふれあい通り」です
 
 約200mで丁字路信号を左(西南西)へ、約150mで「南沢交番前」信号を右(北)へ

 約300mで黒目川を曲橋で左岸(北側)に渡ると間も無く大圓寺山門が見えて来ます

 大圓寺参道入口です

 仁王門です

 仁王門を潜ると正面に本堂です

 本堂前の石灯籠一対は、上野寛永寺に墓所があります、8代将軍「徳川吉宗公」の墓前にあったものです。
 「有徳院殿」とあるのは吉宗公の戒名です。
 昭和39年に御寄附頂きました。
     61世山主

 大圓寺会館前に目的のボダイジュです

 東側から見ました、東久留米市の名木百選のプレートは有りませんでした

 大圓寺会館前のイチョウです

 保存樹です

 北東側から見ました

 境内東側に西向きに護摩堂です

 護摩堂の直ぐ北側に目的のヒトツバタゴです

 南西側から見上げました

 「東久留米名木百選No.74ヒトツバタゴ(別名ナンジャモンジャ)」のプレートです

 *ヒトツバタゴ(一つ葉タゴ、一つ葉田子、Chionanthus retusus)とはモクセイ科ヒトツバタゴ属の一種です。
 同じモクセイ科のトネリコ(別名「タゴ」)に似ており、トネリコが複葉であるのに対し、本種は小葉を持たない単葉であることから「一つ葉タゴ」の和名があります。
 別名はナンジャモンジャノキであるが、「ナンジャモンジャ」と名付けられる植物の樹種には、ヒトツバタゴのほかにクスノキ(樟)、ニレ(楡)、イヌザクラ(犬桜)、ボダイジュ(菩提樹)などがあり注意を要します。(以上ウィキペディア一部抜粋です)

 南東側から見ました

 では、次へ行きましょう
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東京都東久留米市、小山2丁目 大圓寺「東久留米名木百選No.65ダイオウショウとNo.95モミジ・No.78ヒメシャラ」です!!

2024-03-17 18:49:45 | 文化財・樹木
 小山2丁目は、東久留米市役所の北約500mのところ

 「東久留米市役所前」信号を北北西へ「本町ふれあい通り」です
 
 約200mで丁字路信号を左(西南西)へ、約150mで「南沢交番前」信号を右(北)へ

 約300mで黒目川を曲橋で左岸(北側)に渡ると間も無く大圓寺山門が見えて来ます

 大圓寺参道入口です

 仁王門です

 仁王門を潜ると正面に本堂です

 仁王門の東側に、二つ目の目的の「ダイオウショウ」です(西側から)

 南西側(仁王門脇)から

「東久留米名木百選No.65ダイオウショウ」と「保存樹木」のプレートです

 南側から

 南東側から

 東側から見ました


 三本目の目的の「モミジ」と西側に「ヒメシャラ」ですがヒメシャラには表示が有りません

 西側から

 南側から

 「東久留米名木百選No.95モミジ」のプレートです

 東側から見ました

 長くなりましたので続きとさせて頂きます
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東京都東久留米市、小山2丁目大圓寺「東久留米名木百選No.71ニッケイ」です!!

2024-03-16 18:53:00 | 文化財・樹木
 小山2丁目は、東久留米市役所の北約500mのところ

 「東久留米市役所前」信号を北北西へ「本町ふれあい通り」です
 
 約200mで丁字路信号を左(西南西)へ、約150mで「南沢交番前」信号を右(北)へ

 約300mで黒目川を曲橋で左岸(北側)に渡ると間も無く大圓寺山門が見えて来ます

 大圓寺参道入口です

 天台宗 普門山 大圓寺の寺号標です

 参道入口右手(東側)に庚申塔と石橋供養塔です

 説明版です
   東久留米市指定文化財  小山2丁目10番
 右 庚申塔
 庚申信仰は、60日ごとの庚申の日の夜に眠っている人の体から三戸の虫が抜け出て、その人の罪を天帝に報告するという道教の思想からきたとされています。
 人々は、庚申の夜には儀式や宴会をしてすごしまいた。
 この庚申塔は市内で最も古い延宝8年(1680)の造立です。
 左 石橋供養塔
 目黒川に架けた石橋の供養塔で、天保6年(1835)に造られたものです。
 観音立像が彫られており、もとは橋の傍らにあったものと思われます。
 大正13年(1924)に改修した記事も見られます。
      東久留米市教育委員会

 左手(西側)にも庚申塔と馬頭観音塔です

 説明版です
   東久留米市指定文化財  小山2丁目10番
 右 庚申塔
 庚申信仰は、60日ごとの庚申の日の夜に眠っている人の体から三戸の虫が抜け出て、その人の罪を天帝に報告するという道教の思想からきたとされています。
 人々は、庚申の夜には儀式や宴会をしてすごしまいた。
 この庚申塔は延享3年(1746)の造立です。
 左 馬頭観音塔
 馬の供養や無病息災、交通安全を願って天保9年(1838)に造られた馬頭観音塔です。
 もとは旧下里村の秩父道(所沢街道)沿いにあったものです。
 左側面に「東 いたはし(板橋)五里、西 八わうし(八王子)五里、南 江戸四つ谷五里、北 川ご絵(川越)五里」と刻まれていることから、五里五里馬頭と呼ばれて親しまれています。
      東久留米市教育委員会
 *都道4号線と下里本邑通りの交差点付近から、東板橋は約21km、西八王子駅は約20km、南東に約23kmで四ツ谷、来たに約21kmで川越喜多院附近に成りますね、南だけが全体的な方向が違っているようです

 北側に水子地蔵尊です
 
 更に北側には、東向きに地蔵堂です


 境内南東側に鐘楼です

 鐘楼の北側に、まず一つ目の目的の「ニッケイ」です

 北西側から

 「東久留米名木百選No.71ニッケイ」のプレートです

 東側から

 南東側から見ました

 参道に戻ると仁王門です

 仁王門前左手に「矢部藤九郎の墓」です

 長く成りそうなので、続きにさせていただきます
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東京都東久留米市、本町3丁目東久留米市役所前「東久留米名木百選No.8ウメとナシ」です!!

2024-03-15 19:08:13 | 文化財・樹木
 東久留米市役所の前の北東側の屋外広場の東側に

 目的のウメがあります

 北西側から

 「東久留米の名木百選No.8ウメ」のプレートです

 東久留米の名木百選の認定証もあります


 群馬県榛名町と平成9年(1997)2月7日に姉妹都市提携10周年記念樹です

 *榛名町は、平成18年(2006)10月1日に高崎市に編入しました。

 南側か見上げました

 直ぐ東側にも姉妹都市提携10周年記念樹の梨です

 *姉妹都市提携は解消されましたが、旧榛名町地域とは地域間交流という形で交流事業は継続しているそうです。


 市民憲章の案内板です
   東久留米市民憲章
 さわやかな空気と、水と緑に恵まれた東久留米、そこには古くから、武蔵野の自然と人間の営みがありました。
 わたくしたちは、この先人の歩みを大切にし、未来へつながるふるさととしてここに新しい文化を育て、よりよいまちをつくるため市民憲章を定めます。
  わたくしたちは、
 自然を生かし、清潔で調和のとれたまちをつくります。
 お互いを重んじ、心をくばり、誰もが明るく暮らせるまちをつくります。
 こどもたちがいきいきと育ち、おとしよりも生きがいのあるまちをつくります。
 自由を愛し、勇気をもって秩序あるまちをつくります。
 知恵をだしあい、選んでまちづくりに参加し、住みよい東久留米をつくります。
   東久留米市の木・花・鳥
      イチョウ・ツツジ・オナガ

 *最初にここへ来ておいた方が良かったかもしれませんね

 では、次へ行きましょう
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東京都東久留米市、上の原1丁目「東久留米名木百選No.70ドウダンツツジとNo.92メタセコイア」です!!

2024-03-14 18:51:28 | 文化財・樹木
 上の原1丁目は、東久留米市役所の北東約2kmのところ

 「東久留米市役所前」信号から「まろにえ富士見通り」を東北東へ進みます

 約250mの信号を右(南南東)へ、道成りに東へ進むと約300mで西武池袋線の踏切を越えます

 また道成りに北へ進んで約350mで信号を右(東北東)へ都道125号線です

 約800mの信号で斜め左へ都道24号線です、宝泉寺を右に見て坂道を登って行きます

 約400mで、田無警察署上の原交番前の信号を左(西)に入ります

 「クリーンヒルズ東久留米」の案内図です、目的の東久留米名木百選のドウダンツツジとメタセコイアはこの西側に在るようです

 歩道両側にメタセコイアが見えて来ました

 左手にドウダンツツジです

 東久留米の名木百選No70のプレートです

 北西側から見ました

 すぐ右手にメタセコイアです

 南側から

 東久留米の名木百選No92のプレートです

 西側から見上げました


 南西側にも二本のメタセコイアです
 
 西側から三本を見ました、一番西側のメタセコイアが一番太いようでした(実測はしていません)

 では、次へ行きましょう
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東京都東久留米市、神宝町2丁目宝泉寺「東久留米の名木百選No.55ソメイヨシノ・No.13カキにNo.96モミジ」です!!

2024-03-13 19:12:10 | 文化財・樹木
  神宝町1丁目は、東久留米市役所の東北東約1.5kmのところ

 「東久留米市役所前」信号から「まろにえ富士見通り」を東北東へ進みます

 約250mの信号を右(南南東)へ、道成りに東へ進むと約300mで西武池袋線の踏切を越えます

 また道成りに北へ進んで約350mで信号を右(東北東)へ都道125号線です

 約800mの信号で斜め左へ、都道24号線です、緩く登り約200mで右(東)へ入ると

 左手に宝泉寺です、東久留米名木百選No.82ヒメコマツ(ゴヨウマツ)を見て

 山門を入ります

正面に本堂です

 右手に目的のソメイヨシノです

 南側から見上げました

 東久留米の名木百選No55のプレートです

 東側から見ました

 ソメイヨシノの東側にも東久留米の名木百選のカキが在ります

 南側から

 東久留米の名木百選No13のプレートです

 南東側から見ました

 参道左手に目的のモミジです

 南側から

 東久留米の名木百選No96のプレートです

 西側から見上げました

 西側から見ました

 では、次へ行きましょう
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東京都東久留米市、神宝町2丁目宝泉寺「東久留米名木百選No.82ヒメコマツ」です!!

2024-03-12 18:29:02 | 文化財・樹木
  神宝町1丁目は、東久留米市役所の東北東約1.5kmのところ

 「東久留米市役所前」信号から「まろにえ富士見通り」を東北東へ進みます

 約250mの信号を右(南南東)へ、道成りに東へ進むと約300mで西武池袋線の踏切を越えます

 また道成りに北へ進んで約350mで信号を右(東北東)へ都道125号線です

 約800mの信号で斜め左へ、都道24号線です、緩く登り約200mで右(東)へ入ると

 左手に宝泉寺です

 天台宗 宝泉寺の寺号標です

 境内参道左手(西側)に目的のヒメコマツ(五葉松)です

 南東側から

 東久留米の名木百選No82のプレートです

 東側から見上げました

 参道西側手前に六幢六地蔵です

 お地蔵様です   


 説明版です
   東久留米市指定文化財
     神室町2丁目13番 宝泉寺
  六幢六地蔵 有形民俗文化財第27号
 市内に唯一現存するこの石六幢六地蔵は、六面体の石幢に六道を表現した地蔵菩薩が刻まれています。
 銘文には、文化9年(1812)11月吉日の年記と「西国、秩父、坂東」という観音霊場の名が見られ、観音信仰の色彩が強いことがうかがえます。

  地蔵菩薩  由敬民俗文化財第17号
 嘉永2年(1849)に造立されたこの地蔵菩薩は、3人の童子がすがりつく慈愛に満ちた子育て地蔵の姿を現しています。
 意匠と技術の優れた石仏で、台座には、この石仏の造立に関係した多数の人名が記されており、当時の信仰の様子を知るうえでも貴重な文化財です。
     東久留米市教育委員会

 本堂建築記念碑です
  当宝泉寺は承和5年(838)慈覚大師の開基と伝えられ、新編武蔵風土記には「宝泉寺は神山村の北にあり、天台宗入間郡古尾谷村灌頂院の末寺亀山洞明院と号す。本堂7間に4間、南向、本尊阿弥陀如来の立像にて長2尺許」と記されている。
 現在の本堂は当山44世亮人総代世話人と相計り、檀信徒一丸となって、新築を発願、本堂竝に後面崖工事等総予算1億1千万円にて、昭和53年1月着工、同54年5月完成、翌55年4月20日盛大に落慶法要を嚴修した。
 銅板噴総欅造り51坪であり、宗祖大師の御精神を奉じ、衆生済度と浄佛国土建設の理想実現と檀信徒各家の繁栄を祈念する道場である。
    昭和56年3月21日
      当山第44世權大僧正亮人謹記


 参道右手には、新旧の六地蔵様が並んでいます

 山門です

 少し長く成りましたので続きとさせて頂きます
 
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東京都東久留米市、神宝町1丁目氷川神社「東久留米の名木百選No.45ヤマザクラ」です!!

2024-03-11 18:33:16 | 文化財・樹木
 平成23年(2011)3月11日14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生して13年を迎えました

 その後も、平成28年((2016)4月14日21時26分以降に立て続けに発生した震度7~6強の熊本地震、今年1月1日の能登半島地震と、日本は地震の多い国です。

 今後も、南海トラフや東南海地震、東京湾での直下型地震なども噂されていますので、食料や水・携帯トイレなどの備蓄にも心がけて行きたいものです

 では、本日の投稿です

 神宝町1丁目は、東久留米市役所の東北東約1.5kmのところ

 「東久留米市役所前」信号から「まろにえ富士見通り」を東北東へ進みます

 約250mの信号を右(南南東)へ、道成りに東へ進むと約300mで西武池袋線の踏切を越えます

 また道成りに北へ進んで約350mで信号を右(東北東)へ都道125号線です

 約800mで信号を右(南)へ鋭角に入ります、都道24号線です

 道成りに東へ進むと、約300mで右手に北北西向き参道で氷川神社が鎮座します


 地区の住居表示街区安内(道路の南側に建っていますので下側が北になっています)です

 鳥居脇にイチョウです

 保存樹です、平成11年4月1日指定第907号です

 鳥居には「鎮守社」の額が懸かります

 境内側参道からイチョウを見ました

 目的のヤマザクラです

 西側から見上げました

 東久留米の名木百選No45のプレートです

 南側から見ました

 手水鉢です

 拝殿です

 本殿覆い屋です

 氷川神社新築落成記念碑です
  神山氷川神社由来記
 神山氷川神社は、室町の末期・文安年間(1444年~ 49年)に浄牧院創建と共に、その土地堂の鎮守として祭祀せられ、徳川の初期、その地が浄牧院の寺領朱印地と定められるるや、岡野、土屋、並木、新倉、峰岸、志賀野、貫井等神山中心の家系の人々によって護持せられ、社殿は玄和5年浄牧11世陽岳宗春によって再建された。
 ついで、遠保、元禄、天明と改修を重ね、後更に大工籐七を棟梁として改築し、天保の改修についで、嘉永元年大改築を行い、その10月21日に遷宮祭祀した。
 斯くて明治維新以後完全に神山村の鎮守とし、村民一同によって祭祀せらるることとなり、明治22年にも神山村民一同で修復して、大正、昭和の時代を通し、此の社殿の護持につとめてきた。
 然るところ、昭和の第二次世界大戦により社会及び経済状態の大変化に伴い、神山村も神室町、金山町、上の原と改称され、団地その他住宅地として、大きく発展変貌し、氷川神社も此の世相に應じ、大改築の議起り、衆議一決したるにより、岡野平次郎以下15名を建築委員として、喜捨寄進を進め、玉木健夫を棟梁として、根本的に設計大改築を成し遂げ、昭和46年6月5日を以て遷宮鎮座祭を行った。
 社殿と共に社務所、公会堂も同時に落成し町民の敬神和楽の道場となり、鎮守神として除災招福の神事を行い、氏子一同の繁栄鎮護の氏神とし神威を増加し、町内安全を祈り、変遷の由来を印、後世に傳えんとするものである。
     昭和47年3月吉日
       東久留米市長 藤井顕孝 撰
         現 浄牧寺31世

 本殿西側のアカマツです

 保存樹です、へいせい11年4月1日指定第906号です


 拝殿前からヤマザクラを見ました

 拝殿左手(東側)にカシノキです

 保存樹です、平成11年4月1日指定第909号です

 根本には鳥居新築記念碑です
 文面は・・・氷川神社鳥居新築記念碑
 氷川神社鳥居は、嘉永3年に建立されたものであり、歳月を経老朽していた処、昭和61年3月23日雪害を被り倒壊した。
 よって氏子崇敬者相謀り協賛を得て、7月吉日新装落成を見たものである。
 旧基礎石と共に、旧記を残し、神恩益々御加護あらんことを祈念し、茲に記念の碑を建立するものである。
     昭和61年10月
       神山氷川神社氏子崇敬会一同

 *関東地方では、南岸低気圧の影響で春に大雪はありますので注意して下さいね、今年も3月に入って二回ゆくがふりましたね

 では、次へ行きましょう
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東京都清瀬市、松山3丁目松山緑地「清瀬の名木・巨木百選No.73ヒマラヤスギ」です!!

2024-03-10 18:52:40 | 文化財・樹木
 松山3丁目は、清瀬市役所の南西約2.3kmのところ

 清瀬市役所の西側の市役所通りを南東へ進みます、約600mで右(西南西)へ、都道40号志木街道です

 約1kmの信号で斜め左(南西)へ一方通行路を進みます、約700mで西武鉄道池袋線の踏切を越えて斜め右へ

 約200mの梅園駐在所前信号を左(南東)へ、約400mで清瀬高校南側を右に入ります

 間も無く右手に松山緑地の南東側入口です

 清瀬松山緑地保全地域の雑木林を見て回りました

 
 西側と北東側の出入り口を結ぶ舗装路のところから、目的のヒマラヤスギです

 「清瀬の名木・巨木百選No.73ヒマラヤスギ」のプレートです

 西側から

 南側から

 東側から

 北東側から見ました

 緑地の北東側出入口へ向かいました

 出入口手前左手にヤマザクラです

 南東側から

 説明版です
   清瀬の自然を守る会 創立30周年記念植樹
 このヤマザクラは、「清瀬の自然を守る会」の創立30周年を記念して植樹されたものです。
 「清瀬の自然を守る会」は、昭和51年(1976年)に清瀬に残る貴重な自然を守り、後世に伝えるために市民有志が集まり結成された団体で、この清瀬松山保全地域の指定にも多大な貢献をしました。
   平成18年11月26日

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