平成23年(2011)3月11日14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生して13年を迎えました
その後も、平成28年((2016)4月14日21時26分以降に立て続けに発生した震度7~6強の熊本地震、今年1月1日の能登半島地震と、日本は地震の多い国です。
今後も、南海トラフや東南海地震、東京湾での直下型地震なども噂されていますので、食料や水・携帯トイレなどの備蓄にも心がけて行きたいものです
では、本日の投稿です
神宝町1丁目は、東久留米市役所の東北東約1.5kmのところ
「東久留米市役所前」信号から「まろにえ富士見通り」を東北東へ進みます
約250mの信号を右(南南東)へ、道成りに東へ進むと約300mで西武池袋線の踏切を越えます
また道成りに北へ進んで約350mで信号を右(東北東)へ都道125号線です
約800mで信号を右(南)へ鋭角に入ります、都道24号線です
道成りに東へ進むと、約300mで右手に北北西向き参道で氷川神社が鎮座します
地区の住居表示街区安内(道路の南側に建っていますので下側が北になっています)です
鳥居脇にイチョウです
保存樹です、平成11年4月1日指定第907号です
鳥居には「鎮守社」の額が懸かります
境内側参道からイチョウを見ました
目的のヤマザクラです
西側から見上げました
東久留米の名木百選No45のプレートです
南側から見ました
手水鉢です
拝殿です
本殿覆い屋です
氷川神社新築落成記念碑です
神山氷川神社由来記
神山氷川神社は、室町の末期・文安年間(1444年~ 49年)に浄牧院創建と共に、その土地堂の鎮守として祭祀せられ、徳川の初期、その地が浄牧院の寺領朱印地と定められるるや、岡野、土屋、並木、新倉、峰岸、志賀野、貫井等神山中心の家系の人々によって護持せられ、社殿は玄和5年浄牧11世陽岳宗春によって再建された。
ついで、遠保、元禄、天明と改修を重ね、後更に大工籐七を棟梁として改築し、天保の改修についで、嘉永元年大改築を行い、その10月21日に遷宮祭祀した。
斯くて明治維新以後完全に神山村の鎮守とし、村民一同によって祭祀せらるることとなり、明治22年にも神山村民一同で修復して、大正、昭和の時代を通し、此の社殿の護持につとめてきた。
然るところ、昭和の第二次世界大戦により社会及び経済状態の大変化に伴い、神山村も神室町、金山町、上の原と改称され、団地その他住宅地として、大きく発展変貌し、氷川神社も此の世相に應じ、大改築の議起り、衆議一決したるにより、岡野平次郎以下15名を建築委員として、喜捨寄進を進め、玉木健夫を棟梁として、根本的に設計大改築を成し遂げ、昭和46年6月5日を以て遷宮鎮座祭を行った。
社殿と共に社務所、公会堂も同時に落成し町民の敬神和楽の道場となり、鎮守神として除災招福の神事を行い、氏子一同の繁栄鎮護の氏神とし神威を増加し、町内安全を祈り、変遷の由来を印、後世に傳えんとするものである。
昭和47年3月吉日
東久留米市長 藤井顕孝 撰
現 浄牧寺31世
本殿西側のアカマツです
保存樹です、へいせい11年4月1日指定第906号です
拝殿前からヤマザクラを見ました
拝殿左手(東側)にカシノキです
保存樹です、平成11年4月1日指定第909号です
根本には鳥居新築記念碑です
文面は・・・氷川神社鳥居新築記念碑
氷川神社鳥居は、嘉永3年に建立されたものであり、歳月を経老朽していた処、昭和61年3月23日雪害を被り倒壊した。
よって氏子崇敬者相謀り協賛を得て、7月吉日新装落成を見たものである。
旧基礎石と共に、旧記を残し、神恩益々御加護あらんことを祈念し、茲に記念の碑を建立するものである。
昭和61年10月
神山氷川神社氏子崇敬会一同
*関東地方では、南岸低気圧の影響で春に大雪はありますので注意して下さいね、今年も3月に入って二回ゆくがふりましたね
では、次へ行きましょう
その後も、平成28年((2016)4月14日21時26分以降に立て続けに発生した震度7~6強の熊本地震、今年1月1日の能登半島地震と、日本は地震の多い国です。
今後も、南海トラフや東南海地震、東京湾での直下型地震なども噂されていますので、食料や水・携帯トイレなどの備蓄にも心がけて行きたいものです
では、本日の投稿です
神宝町1丁目は、東久留米市役所の東北東約1.5kmのところ
「東久留米市役所前」信号から「まろにえ富士見通り」を東北東へ進みます
約250mの信号を右(南南東)へ、道成りに東へ進むと約300mで西武池袋線の踏切を越えます
また道成りに北へ進んで約350mで信号を右(東北東)へ都道125号線です
約800mで信号を右(南)へ鋭角に入ります、都道24号線です
道成りに東へ進むと、約300mで右手に北北西向き参道で氷川神社が鎮座します
地区の住居表示街区安内(道路の南側に建っていますので下側が北になっています)です
鳥居脇にイチョウです
保存樹です、平成11年4月1日指定第907号です
鳥居には「鎮守社」の額が懸かります
境内側参道からイチョウを見ました
目的のヤマザクラです
西側から見上げました
東久留米の名木百選No45のプレートです
南側から見ました
手水鉢です
拝殿です
本殿覆い屋です
氷川神社新築落成記念碑です
神山氷川神社由来記
神山氷川神社は、室町の末期・文安年間(1444年~ 49年)に浄牧院創建と共に、その土地堂の鎮守として祭祀せられ、徳川の初期、その地が浄牧院の寺領朱印地と定められるるや、岡野、土屋、並木、新倉、峰岸、志賀野、貫井等神山中心の家系の人々によって護持せられ、社殿は玄和5年浄牧11世陽岳宗春によって再建された。
ついで、遠保、元禄、天明と改修を重ね、後更に大工籐七を棟梁として改築し、天保の改修についで、嘉永元年大改築を行い、その10月21日に遷宮祭祀した。
斯くて明治維新以後完全に神山村の鎮守とし、村民一同によって祭祀せらるることとなり、明治22年にも神山村民一同で修復して、大正、昭和の時代を通し、此の社殿の護持につとめてきた。
然るところ、昭和の第二次世界大戦により社会及び経済状態の大変化に伴い、神山村も神室町、金山町、上の原と改称され、団地その他住宅地として、大きく発展変貌し、氷川神社も此の世相に應じ、大改築の議起り、衆議一決したるにより、岡野平次郎以下15名を建築委員として、喜捨寄進を進め、玉木健夫を棟梁として、根本的に設計大改築を成し遂げ、昭和46年6月5日を以て遷宮鎮座祭を行った。
社殿と共に社務所、公会堂も同時に落成し町民の敬神和楽の道場となり、鎮守神として除災招福の神事を行い、氏子一同の繁栄鎮護の氏神とし神威を増加し、町内安全を祈り、変遷の由来を印、後世に傳えんとするものである。
昭和47年3月吉日
東久留米市長 藤井顕孝 撰
現 浄牧寺31世
本殿西側のアカマツです
保存樹です、へいせい11年4月1日指定第906号です
拝殿前からヤマザクラを見ました
拝殿左手(東側)にカシノキです
保存樹です、平成11年4月1日指定第909号です
根本には鳥居新築記念碑です
文面は・・・氷川神社鳥居新築記念碑
氷川神社鳥居は、嘉永3年に建立されたものであり、歳月を経老朽していた処、昭和61年3月23日雪害を被り倒壊した。
よって氏子崇敬者相謀り協賛を得て、7月吉日新装落成を見たものである。
旧基礎石と共に、旧記を残し、神恩益々御加護あらんことを祈念し、茲に記念の碑を建立するものである。
昭和61年10月
神山氷川神社氏子崇敬会一同
*関東地方では、南岸低気圧の影響で春に大雪はありますので注意して下さいね、今年も3月に入って二回ゆくがふりましたね
では、次へ行きましょう