ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

群馬県伊勢崎市、連取町「旧村松家住宅のカヤ」です!!

2024-03-26 18:44:17 | 巨樹・大木
 連取町は、伊勢崎市役所の西北西約3kmのところ

 伊勢崎市役所の北側の県道18号線を西へ進みます、約1kmで広瀬川を渡って次の交差点からは県道24号線となって西へ

 約1.1kmの「連取町十字路」信号を斜め右(北北西)へ

 約1kmで、「ニトリ伊勢崎店」の向かい側「横浜ラーメン吉田屋」の前を右(東)へ入り斜め右へ

 間も無く左手奥に大きな門が見えます

 道路脇に車を止めさせて頂きました

 表門です
 

 門の前左手にはダイオウショウです

 説明版があります
  伊勢崎市指定重要文化財
     旧森村家住宅
 旧森村家住宅は、享和元年(1801)建築の伊勢崎藩陣屋遺構を取り込み、明治9年(1876)に再建されました。
 森村家は、旗本駒井氏の地方代官を務めた家柄で、約1000坪の敷地には、主屋、土蔵2棟、長屋、表門、裏門、馬屋を配しています。
 母屋は2階建て瓦葺き入母屋造で、1階正面に陣屋の式台を配置し、西側には陣屋の書院が移築されています。
 大黒柱や差鴨居に残る刀傷は、慶応4年(1868)3月11日の打ちこわしによるものです。
 敷地内には樹齢300年をこえるカヤをはじめ多数の古木が茂り、屋敷全体が貴重な歴史的空間を形成しています。
   主屋の規模 【1階】桁行12間(22.65m)   梁間5間(9.43m)
         【2階】桁行12.75間(23.18m)梁間6間(10.90m)
   平成16年10月1日
        伊勢崎市教育委員会
 *主屋の規模の記載が間違っているような気がしますが、大きな2階が小さな1階に載っているのは、お城の石落とし等の防衛設備にも見られますね~


 開館案内です、毎月第1・第3日曜日に中を見学できるようですので、又来たいところです


 門の右手にシラカシです

 南東側道路から主屋を眺める事が出来ました

 敷地南西側の塀にの上にカヤの梢が見えました

 敷地北西側から見ました

 次に来るときは、敷地内部から見学できるように、第1か第3日曜日に来て、カヤ等の古木を見たいと思います

 では、次へ行きましょう 
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群馬県伊勢崎市、波志江町「いせさき聖苑の疣薬師とカヤの大木」です!!

2024-03-26 06:31:08 | 巨樹・大木
 波志江町は、伊勢堺市役所の北約5kmのところ

 伊勢崎市役所前の「市役所東」信号から、県道14号線から県道68号、県道73号線へと北へ進みます

 約1,6kmで東武伊勢崎線とJR両毛線の高架を潜り、さらに1.3kmからは県道103号線となった北へ

 更に約1.6kmで「聖苑西」信号を右(東)へ入ります

 約200mで左手に「いせさき聖苑」南側の入り口です

 まだ開苑前ですので、門前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 「疣薬師とカヤの大木」の入り口は直ぐ手前(西側)です

 左手にマテバシイです

 右手にヤマモモの木が並びます

 右手に又案内板です

 東側奥にカヤの木が見えました

 西側から


 説明版です
    疣薬師とカヤの大木
 このカヤはもと鹿島町の都市計画道路北部環状線内にあった大木で、傍には疣薬師と呼ばれる石仏と五輪塔の残骸があります。
 疣薬師は江戸時代、行倒れになった旅人を鹿島町の大賀俊之氏の祖父が手厚く介抱しましたが、そのかいもなく、臨終にあたり
 「お世話になった恩返しに疣で悩む人を救うためにお役に立ちましょう」と言い残しました。
 そこで大賀家ではカヤの大木の下に石仏を祀り供養を行いました。
 やがて、疣で悩む人はここに参詣して川原石を奉納する風習が現在まで伝わっています。
 今回カヤの移植にあたり根元から14世紀中頃の板碑や五輪塔の破片が出土しました。
 このことからカヤは600年以上にわたって信仰されていたことがわかります。
    昭和63年3月   伊勢崎市


 南側から見上げました

 南側根元に「疣薬師」の石仏と五輪塔です

 東側から
 
 北側から見ました

 では、次へ行きましょう
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