旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

上賀茂神社(賀茂別雷神社)

2014-07-30 16:03:17 | 京都
2014年7月29日、お参りしました。
御祭神は賀茂別雷大神です。世界遺産に登録されています。
由緒書より「神代の昔、本社の北北西にある、秀峰神山に御降臨になり、天武天皇の御代(678)、現在の社殿の基が造営されました。 本殿御鎮座以後も広く庶民の信仰を集め、皇室の御崇敬は歴代にわたり、行幸啓は枚挙にいとまなく、国家の重大時には必ず奉幣、御祈願がありました。 二葉葵 嵯峨天皇は御杖代として皇女有智子内親王を斎王と定め、その制度は以来三十五代、約四百年続きました。」
京都市北区上賀茂本山339
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神社の前の売店



案内図

一ノ鳥居

参道

外幣殿、重要文化財(国指定)



二ノ鳥居

楽屋、重要文化財(国指定)
「江戸前期の寛永5年(1628)頃建築、桁行三間、梁間二間、一重、切妻造、檜皮葺。」

土屋(到着殿)、重要文化財(国指定)
「江戸前期の寛永5年(1628)頃建築、桁行五間、梁間二間、一重、入母屋造、檜皮葺。」

舞殿(橋殿)、重要文化財(国指定)
江戸末期の文久3年(1863)建築、桁行六間、梁間一間、一重、入母屋造、檜皮葺。」

拝殿(細殿)、重要文化財(国指定)
「江戸前期の寛永5年(1628)建築、桁行五間、梁間二間、一重、入母屋造、檜皮葺。」

円錐状の2つの砂の山を立砂又は盛砂ともいいます。神体である神山を模したもので、鬼門・裏鬼門にまく清めの砂の起源とされています。

境内を流れる小川と橋

手水舎

境内

岩上(がんじょう)
賀茂祭には宮司がこの岩の上に蹲踞、勅使と対面し、御祭文に対して神のご意志を伝える「返祝詞」を申す神聖な場所です。

楼門、重要文化財(国指定)



拝殿





本殿、国宝









東御供所、重要文化財(国指定)
「江戸前期の寛永5年(1628)建築、桁行五間、梁間二間、一重、切妻造、檜皮葺。」

紫式部歌碑
ほととぎす声まつほどは片岡のもりのしずくに立ちやぬれまし

摂社
須波神社、重要文化財(国指定)

片岡社、重要文化財(国指定)
「江戸前期の寛永5年(1628)建築、桁行一間、梁間一間、一重、切妻造、妻入、檜皮葺。」

新宮神社

伊勢神宮遙拝所

賀茂山口神社

末社
岩本社

川尾社

梶田社

山森社

奈良社鳥居

奈良社

北神饌所(庁舎)、重要文化財(国指定)
「江戸前期の寛永5年(1628)頃、建築、桁行十三間、梁間四間、一重、入母屋造、檜皮葺。」

校倉

渉渓園、曲水宴が催される庭園

睦の木、このスジダイの木は300年以上の昔からこの台地に根ざし、一つの根より大樹が何本も伸びているところから、仲睦ましい家族を表し、家族の絆や家内安全を見守っています。

願い石(陰陽石)
この渉渓園は、龍が住む池があったと云われ、池の底より出土した「陰陽石」は陰と陽が極まり融合した姿と言われています。

斎王桜

稲荷

境内の中を流れる明神川で子ども達が水遊び

賀茂川
サギが水遊び、でなく餌取り



賀茂川で子ども達が水遊び

上賀茂保存地区の街並


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正伝寺・臨済宗南禅寺派の寺院

2014-07-30 13:59:35 | 京都
2014年7月29日、お参りしました。
山号は吉祥山、臨済宗南禅寺派の寺院です。
由緒書より「鎌倉時代に来朝された宗の兀菴普寧禅師の法をつがれた東厳慧安禅師が、文永5年(1268年)創立せられたのであります。弘安五年に加茂の嗣官森経久が西加茂の地に荘園を寄付して諸堂伽藍を造営して壮観を極めたと伝えられています。薾来皇室の御信仰厚く五穀豊穣国家安泰を祈願する道場とされ、今日まで法燈7百年余りの歴史が続けられています。」
庭園拝観料400円です。
京都市北区西賀茂北鎮守菴町72
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山門



八幡宮

参道



境内

鐘楼

庫裏

狸さん、かわいいですね。

獅子の児渡し庭園
パフレットより「本堂前の枯山水の庭園は小堀遠州作と伝えられています。白砂敷平庭でサツキの刈込によって七五三調を表現した枯山水ではるかに比叡の霊峰を取り入れた借景式の庭園で、その枯淡な風格は禅苑の心のしずけさを味わえるものがあります。」









方丈
「伏見桃山城にあった遺構で御成殿と称せられていました、承応2年当山に移築して本堂としたものであります。」



血天井
「方丈の広縁の天井は関ヶ原の戦の直前伏見城に立籠った徳川方の重鎮鳥居彦エ門元忠以下千二百余名がその落城の際割腹し果てた廊下の板を天井としたものであります。今尚板上に残るおびただしい血痕は当時の悲惨な武士道を物語っています。最近血液学の権威として知られている古畑種基博士の研究によって、368年以前の人間の血液であると云い伝えられているむこの斑点より反応のある科学的証明をされました。今日菩提追善の念を新たにするものであります。」
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