旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

正法寺(洛西の名刹)

2015-11-20 20:26:42 | 京都
2015年11月19日、お参りしました。
縁起
パンフレットより「当寺は、京都市西京区大原野にある真言宗の寺で法寿山と号します。奈良唐招提寺を創建した鑑真和上の高弟、智威大徳が隠世したのが始まりで、天平勝宝年間の創建です。後に、弘仁年間の時、弘法大師が巡錫され42歳の厄除けのため、聖観音を彫刻されました。長岡京の氏神「大原野神社」の向かいに当寺はあり、応仁の戦火で焼失しましたが元和元年(大阪城落城の年)、恵雲・徴円の両律師により再興され、西山のお大師さまとして古くから親しまれてきました。」
庭園拝観料300円です。
京都市西京区大原野南春日町1102
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参道

説明書



極楽橋







春日不動尊









遍照塔(京都市有形文化財)



説明書







春日稲荷

































































襖絵





水琴窟、竹筒に耳を当てると、琴の音色が聞こえます。

































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大原野神社(源氏物語ゆかりの地)

2015-11-20 20:23:59 | 京都
2015年11月19日、お参りしました。紅葉が素敵でした。
京都市西京区大原野南春日町1152
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説明書
『桓武天皇は長岡京遷都に際し、藤原氏出身の皇后のために、大和の春日社の分霊を、この地(平安京西郊、小塩山東麓)に勧請したことに始まり、平安時代に入って文徳天皇が外祖父、藤原冬嗣の念願を受けて神殿を建立、地名にちなみ大原野神社とした。当社は藤原氏の氏社として、斎王にならい藤原氏の子女を斎女として置いた。藤原氏の皇后ゆ中宮の参詣が多く、紫式部も中宮彰子について参詣しており、また紫式部は、父藤原為時の任国である越前(福井県)で、雪の日野山を見ながら小塩山を思い出し「ここにかく日野の杉むらに埋む雪 小塩の松に今日やまがへる」(『紫式部集』)と詠っている。『源氏物語』「行幸」では、冷泉帝が大原野行幸を行い、京の人々が見物に訪れるなか、玉鬘や六条院の人々も車を寄せて行幸を見物している。物忌で同行しなかった光源氏は、帝からの歌に応えて「小塩山みゆきつもれる松原に 今日ばかりなる跡やなからむ」と寿いだ。』



鳥居







参道





紅葉が素敵です。雲つていました。晴れていれば、もっと映えたでしょうね。





鯉沢の池













瀬和井

手水舎、龍ではなく鹿です。

由緒書

境内

歌碑













本殿



西廊

文化財説明書(本殿・中門・東西廊は京都市指定文化財)

中門

鹿、狛犬ではありません。









樅の木、樹齢約450年









社務所



若宮社

春日之茶屋で昼食です。大原野神社の境内の中にあります。







よもぎ餅

舌(ぜつ)という陶芸家の河童











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勝持寺(花の寺)

2015-11-20 20:21:25 | 京都
2015年11月19日、お参りしました。阪急電車東向日駅下車で阪急バスで約20分乗車し南春日町下車して約1kmほど歩きます。天台宗の勝持寺(しょうじじ)は大原野にあります。拝観料400円です。
縁起
パンフレットより「当山は、京の西山連峯の麓にあって、小塩山大原院勝持寺と呼ぶ古刹であります。白鳳8年(679)・天武天皇の勅によって神変大菩薩役の行者が創建したのが始まりで、延暦10年(791)に伝教大師が桓武天皇の勅を奉じて堂塔伽藍を再建され、薬師瑠璃光如来を一刀三礼をもって刻まれて本尊とされました。承和5年(838)仁明天皇の勅によって塔頭49院を建立されましたが、応仁の兵火に遭い、仁王門を除きすべて焼失しました。現在の建物は乱後に再建されたものであります。」
京都市西京区大原野南春日町1194
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阪急東向日駅よりお寺は西側約5kmくらいのところです。

バス乗り場

時刻表

案内図

道標







のどかな道を歩きます。



大原野神社から勝持寺への竹林の道です。





仁王門
「応仁の兵火を免れた仁寿の旧構を残す当寺最古の建造物です。」



金剛力士像(重要文化財)
「当初、寺より500m山麓の仁王門に安置されていました。像高3m、寄木造りで湛康・慶秀の作(鎌倉時代)」



参道

勝持寺子院跡の石塁と石垣の説明書
「室町時代には、足利尊氏の帰依などにより寺運は隆盛し、現在の勝持寺の周辺には多くの子院(本寺に付属する小寺院)が存在したといわれています。調査で、建物・井戸石垣や石塁などが見つかっています。」







参道



紅葉が綺麗です。







南門

受付

十三重塔

東門

書院



境内の紅葉

紅葉が赤くなっていました。



阿弥陀堂









不動堂
「弘法大師か平安の始め、眼病になやむ人達のため、不動明王に病魔退散を祈願されたところ、霊験あらたかでありました。よって石不動明王を刻んで岩窟中に安置されまたと伝えられています。」









境内

西行桜



鐘楼堂

鏡石

冴野の沼





魚籃観音































賓頭盧尊者像






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