旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

瀬戸内市の餘慶寺(よけいじ)と豊原北島神社

2016-04-25 20:12:30 | 岡山
2016年4月24日、お参りしました。天台宗の寺院で、山号は上寺山(うえてらさん)です。境内は石組を利用した配置のものでした。
縁起は『天平勝宝元年(749)報恩大師によって開山され、以来1250年以上の法統継承が続いている。餘慶寺は、往古には日待山日輪寺と称し、備前四十八カ寺のひとつとして栄えた。平安時代ニは慈覚大師が再興し、本覚寺と改めた。その後、近衛天皇の勅願所となり上寺山餘慶寺と改め、国家の安泰と五穀豊穣を祈願した。武家時代には赤松則宗公の信仰を得て、さらには宇喜多氏、池田藩主の尊崇と保護を得ておおいに栄えた。山内には観音堂、薬師堂、三重塔、地蔵堂、鐘楼、日吉社、愛宕社、開山堂などの諸堂が伽藍を連ねる。本堂は観音堂で、祀られている千手観音は古くより「東向き観音」と名高く、多くの霊験をあらわしてきた。かつては7院13坊といわれた塔頭は、恵亮院、本乗院、吉祥院、定光院、明王院、圓乗院の六院が現存している。これらの塔頭の多さは中国地方でもあまり他に例を見ない。さらに山内には豊原北島神社とも隣接し、平安時代より発展した神仏習合の姿を遺存している。』
岡山県瀬戸内市邑久町北島1187
map
縁起説明書

供養塔



案内図



鐘楼



梵鐘(岡山県指定重要文化財)



地蔵堂



本堂(重要文化財)
「棟札によると永禄13年(1570)に建立、正徳4年(1714)に再建されたもので、正面の向唐破風などは江戸後期に付け加えられたものである。大棟が短く隅棟が長い特殊な構造となっているが、それぞれの棟線が美しく、寺院本堂としては、まれに見る姿になっている。」









三重塔(岡山県指定重要文化財)



三層は扇垂木となっています。



初層



八角堂

十三仏堂

愛宕社と日吉社







石組の境内





薬師堂













弁財天





豊原北島神社
「舒明天皇6年(634)より、この地に鎮座し比大神を祀ったのが起源と言われる。神社草創の時代は、山上にあった大岩に藁を敷き神座として磐座信仰を行っていたと当神社の古記録に見られる。」
鳥居











鳥居と拝殿

力石

拝殿

稲荷社



本殿







摂社







お疲れ様でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

牛窓の本蓮寺と旧牛窓警察署本館(海遊文化館)

2016-04-25 18:08:40 | 岡山
2016年4月24日にお参りしました。
「山号は経王山、宗派は法華宗本門流である。当寺の歴史は南北朝時代の正平2年(1347)、京都妙顕寺の座主であった大覚大僧正が法華堂を建立したことに始まる。」
岡山県瀬戸内市牛窓町牛窓3194
map
瀬戸内市の観光案内

牛窓の案内図

本蓮寺の参道



山門(瀬戸内市指定文化財)
「創建の年代は不詳。現在の建物は18世紀中頃のものとされている。形態は一間一戸の四脚門と呼ばれるもので、門の両側に本瓦葺、真壁造の袖壁をつける。屋根は切妻造、本瓦葺。」



境内(国指定史跡)
「本蓮寺は、江戸時代に日本国と朝鮮国の善隣友好の使者として12回渡日した朝鮮通信使の中心的な役割を担う三使(正使・副使・従事官)の宿館として4回利用された。」



庫裏の玄関

庫裏

書院

仁科琴浦先生の碑



中門への階段

中門(重要文化財)
「本堂と同じく明応元年(1492)の建立と伝えられている。門の形式は、二本の柱を主柱とする棟門と呼ばれる形式のものである。構造は切妻造、本瓦葺、破風には形の良い鰭付蕪懸魚を吊る。」





本堂(重要文化財)
「現在の建物は、明応元年(1492)に再建されたものである。平面は正面五間、側面五間、正面中央に向拝をつける。構造は寄棟造。本瓦葺、と斗栱はなく円柱の上に大斗、舟肘木を置いて丸桁を支える。」

















祖師堂(岡山県指定重要文化財)
「創建の年代は不詳。再建の時期については、元禄4年(1691)と明和6年(1769)とのニ説がある。平面は正面三間、側面四間、中央に向拝をつける。屋根は入母屋造、本瓦葺。」





鬼子母神堂

番神堂(重要文化財)
「法華経を守護する三十番神を祀った神堂で、江戸時代中期に建てられた覆屋の中に、東より東祠、中祠、西祠の三棟が並んでいる。建築年代はいずれも室町時代後期とされている。」











三重塔(岡山県指定重要文化財)
「創建の年代は棟札の写しにより元禄3年(1690)である。平面は方三間、棟高は12.6m、構造は四天柱をもち、心柱を天井裏より立てた一般的なものである。屋根は本瓦葺、軒は各重ともニ軒繁棰。軸部は粽付の円柱で台輪を使用し、斗栱、花頭窓などは禅宗様である。」









鐘楼



両祖廟堂



境内からの牛窓の港

旧牛窓警察署本館 (登録有形文化財)
「この建物は、明治20年(1887)西大寺警察署牛窓分署として建てられ、その後名称は何度か変更されるが昭和52年(1977)まで警察署として活用され、地域の陸・海の治安維持の役割を長年担った建物である。和洋折衷の擬洋風建築となっている。」
map








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

備前市の福生寺

2016-04-25 11:35:00 | 岡山
2016年4月24日、お参りしました。
説明書より『大滝山は、平安時代初期に菅原道真によって編纂された「類聚国史」寺田地の項に法隆寺や唐招提寺等の中央の大寺院と並んで「天長5年6月(828)備前国墾田四町六反大滝の寺田となす」と記されており、史書に名を留める寺として県下でも最古の寺院の一つである。縁起書には天平勝宝6年(754)に鑑真和尚により創建され、報恩大師が備前48か寺を整備するにあたりその一つに加えられた。後年真言宗に属し、寺観壮麗を極めたが万寿元年(1024)火災により一山ほとんど焼失し、その後観応年間(1350)に足利尊氏の発願により再興され、僧院33坊を数えた。明治までは13坊が残っていた。」
岡山県備前市大内999
map
案内図

説明書

仁王門(備前市指定文化財)
「応永4年(1398年)には足利義満により建立され、桃山時代の特色を有している。」



「大瀧山の額は佐文山の書として有名である。」





本堂(備前市指定文化財)







装飾







宝篋印塔



鐘楼

経蔵

大師堂



三重塔(重要文化財)
本堂の南東の小高い山の上にあります。小道を登っていきます。











上から見た本堂です。









説明書
「方三間本瓦葺の三重塔、鋳鉄製の相輪を立て、総高19.72m(うち相輪高6.12m)である。軸部の柱は総円柱、軒先の反転が目立ち、軒の出を深くし、二重繁垂木にしてある。和様の斗栱を三手先に組み尾垂木を出し、四隅に青銅の風鐸を吊り、中備には形のよい蓑束を用いている。塔全体の姿に室町時代の特長がよくでている。」



藤の花が咲いていました。

福壽院





實相院

太元師明王堂











お疲れ様でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

備前市の真光寺

2016-04-25 08:49:24 | 岡山
説明書より「真光寺は、僧行基がもとを開き、その後、報恩大師が備前四十八か寺の一つに加えた真言宗の古刹で当初小滝山真光寺と称していたが、慶長7年(1602年)に心王院勢恵上人が御室仁和寺に招かれ、その際に仁和寺の別称である「御室」から一字を賜り、山号を御瀧山と改称した。」
岡山県備前市西片上1513
map
仁王門(備前市指定文化財)
「文禄年中(1592~1596)に十萬屋良吾の寄進で建立したが、その後再建。現在の仁王門は、花蔵院宥敞が一山七坊を率いて発願し、大師講の男女130人が世話人となり、正徳元年(1711)8月に上棟、10月に完成したという。門の様式は三間一戸八脚楼門、欅、檜などの良材を用い、屋根は本瓦葺、入母屋造、軒は三手先に組んでいる。その規模、荘厳さはこの時代の特色をよく表わしている。」
仁王門と本堂などの建物は国道によって分断されていました。









鐘楼





本堂(重要文化財)
「桁行五間、梁間五間、単層、入母屋造、本瓦葺で正面に一間の向拝が付いている。寺伝には、応永年間(1394~1428)の再建とあり、昭和37年からの解体修理で、応永再建で三間堂から永正13年(1516)に五間堂に大改修したことが判明した。」











天神様(真光寺の守護社)











三重塔(重要文化財)
「方三間本瓦葺、邑久郡牛窓町の蓮華頂寺にあったものを慶長18年(1613)に移築した。創立は、その様式、手法などから、室町時代のものと思われる。」













大師堂


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする