旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

醍醐寺(世界文化遺産)、上醍醐

2016-05-22 19:54:13 | 京都
2016年5月20日、お参りしました。下醍醐をお参りした後、山上にあるお堂を目指しました。上醍醐への登山口にあたる女人堂から約1時間、山道を登ると醍醐寺開創の起源となった醍醐水をはじめ、上醍醐には薬師堂、清瀧宮拝殿、開山堂、五大堂、如意輪堂などがある。
入山料600円です。
map
成身院
『通称「女人堂」といわれる現在の本堂は江戸時代初期の再建といわれている。本堂前には山側から不動明王、理源大師、弥勒菩薩、役行者、地蔵菩薩が祀られている。』



受付で入山料を払い、参道というより登山道です。13時50分





五丁







渓流

少し階段になってきました。

九丁

不動の滝に着きました。14時3分、約15分です。

後1.1km、30分ほどかかりそうです。

十丁

結構、きついですね。

十一丁

だんだん、坂がきつくなります。



十二丁

小さな神社



坂道です。

十五丁

十六丁





十七丁







十八丁



寺務所です。やっと着きました。14時21分、不動の滝から18分でした。結構、汗。

説明書



案内図





清瀧宮拝殿(国宝)
「室町中期の永享6年(1434)に再建。懸造、桁行七間、梁間三間、一重、入母屋造、妻入、向拝三間、軒唐破風付、檜皮葺。」







醍醐水









さらに登ります。

薬師堂(国宝)
「薬師堂は醍醐寺山上伽藍の主要堂宇で、保安二年(1121)に再建されたのが現在の堂である。簡素な意匠であるが、蟇股や組物など平安時代の特色をあらわす。この時代の数少ない遺構の一として貴重なものである。」










少し下ります。







また、登りです。

鐘楼



案内図

五大堂













如意輪堂(重要文化財)
「桃山時代の慶長11年(1606)に建立、懸造、桁行五間、梁間三間、一重、入母屋造、妻正面、こけら葺。」









開山堂、14時35分です。
「桃山時代の慶長11年(1606)に建立、桁行八間、梁間五間、一重、入母屋造、妻入、向拝三間、軒唐破風付、前部檜皮葺、後部こけら葺。」











景色





准胝堂




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

醍醐寺(世界文化遺産)、三宝院・下醍醐

2016-05-22 19:53:40 | 京都
2016年5月20日、お参りしました。
『真言宗醍醐派の総本山。醍醐寺は貞観16年(874)に弘法大使の孫弟子、理源大師・聖宝が創建した。山岳信仰の霊山であった笠取山(醍醐山)に登った聖宝は、白髪の老翁の姿で現れた地主神・横尾明神より、こんこんと水(醍醐水)が湧き出るこの山を譲り受け、准胝・如意論の両観音を刻み、山上に祀った。それが醍醐寺の始まりである。開創後、醍醐・朱雀・村上の三代にわたる天皇の深い帰依によって山上に薬師堂、五大堂、山下に釈迦堂、法華三昧堂、五重塔などが次々に建立され、山上山下にまたがる大伽藍が完成した。通称、山上を上醍醐(かみだいご)、山下を下醍醐(しもだいご)と呼んでいる。以降も、皇室をはじめ貴族や武士の支援を得て、三宝院をはじめとする諸院や種々のお堂が建立され、真言密教の中心的寺院として多くの信仰を集めている。しかし、長い歴史のなかで何度も火災にあい、応仁・文明の乱では五重塔を残して下醍醐は焼失し、上醍醐も荒廃。ながらく復興に至らずにいたが慶長3年(1598)の春、豊臣秀吉が開いた「醍醐の花見」を契機に秀吉と秀頼によって金堂や三宝院、また、山上では開山堂や如意輪堂などが再建された。江戸時代に入ると、醍醐寺歴代座主が居住する三宝院が、幕府より当山派修験の本山であると明確に位置づけられた。そのことにより、山の信仰が高まり、一時衰退していた修験道も再び活気を取り戻していった。』
駐車料金は5時間以内700円です。三宝院と金堂の共通拝観料は1000円です。
京都市伏見区醍醐東大路町22
map
境内の案内図





醍醐寺の説明書

雨月茶屋前の庭園

三宝院山門

唐門(国宝)
「三宝院の勅使門。慶長4年(1599)三間一戸の平唐門として建立されたもの。平成22年に約1年半かけ創建当時の姿に福元された。門全体が黒の漆塗りで、菊と桐の四つの大きな紋には金箔が施されている。」







クローン桜

玄関(重要文化財)
「小玄関と大玄関があり、小玄関正面の部屋は「竹の間」、大玄関正面の部屋は「富嶽の間」、さらにその隣は「日・月・海の間」がある。襖絵は平成10年の三宝院庭園築庭400年を前に日本画家・浜田泰介画伯が奉納したもの。」







亀島

鶴島























純浄観(重要文化財)

奥宸殿(重要文化財)
「江戸時代初期の建築で、二畳台や武者隠しがある。」





総門



下乗



西大門
『慶長10年(1605)豊臣秀頼の再建。仁王像は平安後期の長承3年(1134)、仏師勢増・仁増の造立。通称「仁王門」といわれる。』
ドイツから来た家族づれの観光客でした。





参道



金堂(国宝)
「醍醐天皇の御願により延長4年(926)に創建された。当時は釈迦堂といわれていたが永仁、文明年間に二度焼失した。現在の金堂は豊臣秀吉の命によって紀州(和歌山県)湯浅から移築が計画され、秀頼の時代、慶長5年(1600)に完成した。この金堂が、醍醐寺の中心のお堂であり、安置されている薬師如来像が醍醐寺の本尊である。」



鐘楼

五重塔(国宝)
「醍醐天皇の菩提を弔うため、第一皇子・朱雀天皇が承平6年(936)に着工し、第二皇子・村上天皇の天暦5年(951)に完成した。初層の内部には両界曼荼羅や真言八祖が描かれている。高さは約38メートルで屋根の上の相輪は約13メートルであり、相輪が塔の三分の一を占め、安定感を与えている。」







不動堂
「堂内には不動明王を中心に五体の明王を安置する。」





真如三昧耶堂





祖師堂











鐘楼堂



観音堂
「西国三十三観音霊場第11番札所上醍醐准胝堂の遥拝所として、准胝観世音菩薩が祀られる。」















弁天堂





清流宮
拝殿



本殿(重要文化財)
「醍醐寺の鎮守社。永長2年(1097)に、最初に建立された上醍醐より分身を移し祀った。その後、この社殿の前で清瀧会(桜会)が行われるようになった。なお、現在の社殿は永正14年(1517)に再建されたものである。」











コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする