2021年12月23日、お参りしました。
説明書より「社伝によると、出雲国薗妙見宮(長浜神社)から勧請されたといわれています。勧請された年代は不明です。維新後に現社名に改称されました。『金持(かもち)』という景気のよい地名は、タタラか鍛冶に係わるカヌチ・カナシの語から出た地名だろうといわれています。また、『太平記』に登場する金持景藤をはじめ、『吾妻鏡』『愚管抄』『大山寺縁起』などに名が出る金持氏の本拠地であったと思われます。また、戦いに勝利し後醍醐天皇が京へ遷幸の折には、天皇の左側で錦の御旗を掲げ上洛しました。その時、この金持神社へと立ち寄られ、聖運萬安の祈願をかけ給われたと伝えられています。」
鳥取県日野郡日野町金持1490
map
手水舎
狛犬
鳥居
参道の階段
社務所
拝殿
本殿
指画「龍神之図」
「当時、日野町根雨出身の濱田珠鳳さんにより平成15年8月吉日奉納されました。中国、唐代から伝わる珍しい画法で、筆を一切使わず、手・指・爪などで描き日本では唯一の指画画家です。50歳の折、中国に留学し、著名な画家達から花鳥風月を学び、これまで伊勢神社をはじめ、奈良・三輪明神、近くでは大山・大神山神社など多くの神社二『龍」を奉納されております。」
金持礫岩
「礫岩は様々な種類の石が礫として集合し、堆積することにより岩石となったものです。含まれる礫の一つ一つを詳しく調べると、地球の永い歴史を読み取ることができます。金持礫岩は、ここ金持地区に少量その分布が認められ、中生代白亜紀(今からおよそ1億年前、まだ恐竜がいたころ)にできたと考えられています。しかし、この岩石には、それよりも古い時代の花崗岩や変成岩などの岩石が礫として存在し、礫以外の部分(基質)を火山性の物質が占めていることから、火山活動によってできたと考えられています。地質学的にはまだまだ謎に満ちている貴重な岩石です。」
説明書より「社伝によると、出雲国薗妙見宮(長浜神社)から勧請されたといわれています。勧請された年代は不明です。維新後に現社名に改称されました。『金持(かもち)』という景気のよい地名は、タタラか鍛冶に係わるカヌチ・カナシの語から出た地名だろうといわれています。また、『太平記』に登場する金持景藤をはじめ、『吾妻鏡』『愚管抄』『大山寺縁起』などに名が出る金持氏の本拠地であったと思われます。また、戦いに勝利し後醍醐天皇が京へ遷幸の折には、天皇の左側で錦の御旗を掲げ上洛しました。その時、この金持神社へと立ち寄られ、聖運萬安の祈願をかけ給われたと伝えられています。」
鳥取県日野郡日野町金持1490
map
手水舎
狛犬
鳥居
参道の階段
社務所
拝殿
本殿
指画「龍神之図」
「当時、日野町根雨出身の濱田珠鳳さんにより平成15年8月吉日奉納されました。中国、唐代から伝わる珍しい画法で、筆を一切使わず、手・指・爪などで描き日本では唯一の指画画家です。50歳の折、中国に留学し、著名な画家達から花鳥風月を学び、これまで伊勢神社をはじめ、奈良・三輪明神、近くでは大山・大神山神社など多くの神社二『龍」を奉納されております。」
金持礫岩
「礫岩は様々な種類の石が礫として集合し、堆積することにより岩石となったものです。含まれる礫の一つ一つを詳しく調べると、地球の永い歴史を読み取ることができます。金持礫岩は、ここ金持地区に少量その分布が認められ、中生代白亜紀(今からおよそ1億年前、まだ恐竜がいたころ)にできたと考えられています。しかし、この岩石には、それよりも古い時代の花崗岩や変成岩などの岩石が礫として存在し、礫以外の部分(基質)を火山性の物質が占めていることから、火山活動によってできたと考えられています。地質学的にはまだまだ謎に満ちている貴重な岩石です。」
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます