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志度寺

2017-12-31 20:09:04 | 香川
2017年12月28日、四国観光で、引田のまち並みを散策した後は志度寺に向かいます。国道11号線を高松方面に走行します。とりあえず、陣内うどん(香川県 東かがわ市 松原 926-5)で昼食。



天釜うどん730円です。

おなかも満ちたので、志度寺へ。
案内図

福聚山世尊院円通寺
「江戸時代、行基菩薩が開基。当寺は西林坊と呼ばれ、志度寺の塔頭七坊の一つであった。江戸時代の初め、志度寺の住職であった宥忍和尚が、自らの隠居所として再興し、依頼歴代住職の隠居所となる。江戸時代の中頃独立し現在の寺号となる。」









塔頭寺院の自性院常楽寺
「当院(真言宗善通寺派)のご本尊は、不動明王であるが、正面は、弘法大師をまつっている。これは当院本堂の場所は、元志度寺の御影堂(弘法大師をまつる)の跡とも伝えられている。当院は天正年間(約420年前)に志度に来住し繁栄した摂津兵庫県の豪族多田和泉守一族の創建による。平賀家は、当院の檀家である。源内さんは本草学薬草研究の他にエレキテル、火浣布、平線儀等様々な方面で有名である。」





源内さんの墓

志度寺
四国88か所霊場第86番札所、補陀洛山と号し、本尊は観世音菩薩を祀る。
由緒書より「仏教が、幾多の文化とまじわり困難を乗り越えながら日本に伝来(538)した後、讃王の時代には、寺に縁のある近江の越の凡薗子が「見仏聞法」に目覚め、推古33年(625)には、補陀洛渡海信仰に始まり、観音浄土の瀬戸の入口として、十一面観世音を新たに刻んで観音堂を造立し開創。亡き母の追善菩提のために藤原不比等の次男房前公が、行基の法華八講の修法を営ませ堂宇を建立、千基の石塔群に自ら写経して経塚に奉納したものが、現在の海女の墓である。これらの史跡を伝えながら、行基、最澄、覚阿、阿一入道が堂宇を修復し、細川頼之・勝元公の護持、藤原家の末裔の生駒親正公等の支援を得て、法相宗・天台宗・浄土宗・真言宗と時代により変遷しながら、初代高松藩松平頼重公が堂塔を寛文11年(1671)に寄進造営されて今日に至った古刹である。1万坪の広い境内には、人形浄瑠璃で有名な『花上野誉碑』の舞台となった奥書院、またその南側には池水を巡らした回遊式庭園、枯山水式の無染庭等がある。」
香川県さぬき市志度1102
map
仁王門(重要文化財)
「江戸中期の寛文10年頃(1670)建造、三間一戸八脚門、切妻造、本瓦葺。」









参道

鐘楼

五重塔







奪衣婆堂(香川県指定有形文化財)



本堂(重要文化財)
「江戸中期の寛文10年(1670)建造、桁行七間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝三間、軒唐破風付、本瓦葺。」













案内図

大師堂















閻魔堂(香川県指定有形文化財)









薬師堂



庭園











お辻の井戸



書院



庫裏







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