2025年1月4日、お参りしました。
由緒書より「古より八太の二ノ宮と尊称し、皇室を初め世人の崇敬厚く臨時祭及び祈年国幣に預り給ひ1280有余年の星霜を経移転なき旧社たる事青史に明らかなり。当国伊弉諾神社を以って一ノ宮とし本社を以って二ノ宮と称す。文徳天皇仁寿元年官社に列し、清和天皇貞観元年従一位に叙せらる。醍醐天皇延喜の制に名神大社に列し名神祭及び祈年国幣に預り給ひ淡路国税の内八百束(現在の米16石)を祭料に充てらる。文武天皇慶雲元年諸社に下賜ふものと伝うる古銅印に現在重要文化財に指定され今尚当社に所蔵す。土御門天皇元久2年庁舎宣により祭料を下され其神を祭り土民群衆桜花を賞す。世に二ノ宮の桜祭と称し世人の知る所なり。後当国二ノ宮と仰がれ公武の崇敬浅からず。江戸時代蜂須賀候深く当社を信仰し元禄15年社領に友を下賜ひ代々祈願所と定め深く当社を崇敬し社殿の改築等度々行ない実文10年本殿再興、文政12年、天保14年諸殿建立、然る所王政復古御維新以来廃藩置県の制度に改まり其道絶せり。明治6年県社に列し三原郡一円信徒たるを以って郡費を充て明治10年本殿及び諸建物悉皆新築し現今に至る。当社は大国主神即ち大己貴神なり其故は大黒の神影を摺て世に弘め配る古板ありて今猶珍伝し近世新に神影を彫刻して用ゆなり。郷土作りの神、医薬の神、難病祈封の神、人体五行の神、病気祈願の神様として神霊あらたかなり。」
兵庫県南あわじ市榎列上幡多857
map
社標
鳥居
参道
由緒書
手水舎
拝殿
歌碑
本殿
由緒書より「古より八太の二ノ宮と尊称し、皇室を初め世人の崇敬厚く臨時祭及び祈年国幣に預り給ひ1280有余年の星霜を経移転なき旧社たる事青史に明らかなり。当国伊弉諾神社を以って一ノ宮とし本社を以って二ノ宮と称す。文徳天皇仁寿元年官社に列し、清和天皇貞観元年従一位に叙せらる。醍醐天皇延喜の制に名神大社に列し名神祭及び祈年国幣に預り給ひ淡路国税の内八百束(現在の米16石)を祭料に充てらる。文武天皇慶雲元年諸社に下賜ふものと伝うる古銅印に現在重要文化財に指定され今尚当社に所蔵す。土御門天皇元久2年庁舎宣により祭料を下され其神を祭り土民群衆桜花を賞す。世に二ノ宮の桜祭と称し世人の知る所なり。後当国二ノ宮と仰がれ公武の崇敬浅からず。江戸時代蜂須賀候深く当社を信仰し元禄15年社領に友を下賜ひ代々祈願所と定め深く当社を崇敬し社殿の改築等度々行ない実文10年本殿再興、文政12年、天保14年諸殿建立、然る所王政復古御維新以来廃藩置県の制度に改まり其道絶せり。明治6年県社に列し三原郡一円信徒たるを以って郡費を充て明治10年本殿及び諸建物悉皆新築し現今に至る。当社は大国主神即ち大己貴神なり其故は大黒の神影を摺て世に弘め配る古板ありて今猶珍伝し近世新に神影を彫刻して用ゆなり。郷土作りの神、医薬の神、難病祈封の神、人体五行の神、病気祈願の神様として神霊あらたかなり。」
兵庫県南あわじ市榎列上幡多857
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社標
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由緒書
手水舎
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