2023年10月23日、お参りしました。
「高野山真言宗の寺院、 建久年間(1190~1199)に創建。(八尺間にして三間に二間)、1332(元弘2)年後醍醐天皇が隠岐遷幸の途次寄宿されたとき、「天下泰平」の祈願をする。これ以後太平堂という。1510(永正7)年に現在の本堂に改築する。(永正七年庚午正月二八日の棟札がある)、1815(文化12)年草葺屋根を瓦屋根に葺き替える。昭和43年から45年(1968~1970)解体修理。(文化12年制作の鬼瓦。現在本堂に保存)
岡山県真庭市美甘1278
map
寺標
庫裏
玄関
大師堂
本堂(太平堂)「岡山県指定重要文化財」
「 後醍醐天皇が隠岐の島に配流された時ー元弘2(1332)年ー泊所とされたという伝説を持つ寺。本堂は、装飾もなく極めて簡素な構造ながら、重厚で鎌倉時代の建築様式を残す、数少ない中世建築のひとつ。住職が本堂で天下太平を祈願したことから本堂を「太平堂」と呼ぶことになったとされている。桁行5間、梁間4間、単層入母屋造り、銅板葺き(もとは茅葺き)、内部は、前二間通り外陣、その奥の両側一間が入り側として内側三間に二間が内陣となっている。内陣に本尊の金剛界大日如来を安置している。内外ともに装飾は無いが、簡素な舟形討木、木割の大きさなどから室町時代初期以前、鎌倉時代の建築様式を残した建物である。」
鐘楼
毘盧化大明神
五輪塔(真庭市指定文化財)
「高野山真言宗の寺院、 建久年間(1190~1199)に創建。(八尺間にして三間に二間)、1332(元弘2)年後醍醐天皇が隠岐遷幸の途次寄宿されたとき、「天下泰平」の祈願をする。これ以後太平堂という。1510(永正7)年に現在の本堂に改築する。(永正七年庚午正月二八日の棟札がある)、1815(文化12)年草葺屋根を瓦屋根に葺き替える。昭和43年から45年(1968~1970)解体修理。(文化12年制作の鬼瓦。現在本堂に保存)
岡山県真庭市美甘1278
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寺標
庫裏
玄関
大師堂
本堂(太平堂)「岡山県指定重要文化財」
「 後醍醐天皇が隠岐の島に配流された時ー元弘2(1332)年ー泊所とされたという伝説を持つ寺。本堂は、装飾もなく極めて簡素な構造ながら、重厚で鎌倉時代の建築様式を残す、数少ない中世建築のひとつ。住職が本堂で天下太平を祈願したことから本堂を「太平堂」と呼ぶことになったとされている。桁行5間、梁間4間、単層入母屋造り、銅板葺き(もとは茅葺き)、内部は、前二間通り外陣、その奥の両側一間が入り側として内側三間に二間が内陣となっている。内陣に本尊の金剛界大日如来を安置している。内外ともに装飾は無いが、簡素な舟形討木、木割の大きさなどから室町時代初期以前、鎌倉時代の建築様式を残した建物である。」
鐘楼
毘盧化大明神
五輪塔(真庭市指定文化財)
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