2014年6月17日、JR舞子駅周辺を散策しました。
看板
舞子公園
この地の風光をめでた平清盛が浜で宴を催し、女児を舞わせたため「舞子の浜」と呼ぶようになったといわれている。現在は松林が広がり、雄大な明石海峡と淡路島を眺めることができます。
舞子浜遺跡
県立舞子公園で最初の埴輪棺が見つかったのは昭和35年のことです。その後、公園一帯での発掘調査により多数の埴輪棺が出土しました。公園一帯が墓地であることがわかり舞子浜遺跡として指定されました。二つの円筒埴輪を組み合わせて棺としています。棺の全長270㎝、直径40~50㎝の細長いものとなっています。副葬品はなく、わずかに人骨が残っていました。埋葬された人は、頭を東にして仰向けの姿勢をとっていました。棺の両端には朱が塗られており、古墳の埋葬方法との共通点が見られます。棺に使用している埴輪は、公園の東側1㎞にある五色塚古墳の円筒埴輪とよく似ています。古墳時代(3~7世紀)にこの地に葬られた人々は、これらの埴輪と密接に関わっていたと考えられています。
モニュメント「夢レンズ」、彫刻家 牛尾啓三作
三種の異なった石肌によるメビウスの輪は人、自然、科学を、そして明石海峡大橋が結んだ淡路、四国を表しています。この3つの相が調和し、円空から未来への発展を展望しています。
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明治天皇の歌碑
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「播磨潟 舞子の浜に 旅寝して 見し夜恋しき 月の影哉」
「あしたづの 舞子の浜の 松原は 千代を養ふ 虜なりけり」
「播磨潟 舞子の浜の 浜松の かげに遊びし 春惜しぞ思ふ」
若宮八幡宮
由緒説明書より「創建は不詳です。御祭神は、第15代応神天皇 第16代仁徳天皇。往古より厄除神として住民の崇敬篤く、殊に東舞子の氏神として吾々住民ひとしく朝夕の御加護を蒙りつつある。」
神戸市垂水区東舞子町11
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鳥居
狛犬が可愛いです。
拝殿
稲荷
明石海峡大橋
今日も霞で淡路までは写らないですね。
国史蹟・明石藩舞子台場跡(舞子砲台跡)
説明書より、「幕末に外国船の侵攻に備えて、文久3年(1863)に幕府の命を受けて、勝麟太郎(海舟)の指導のもと、明石藩が築造した砲台場です。対岸の淡路島にある徳島藩松帆台場(国史蹟)と協力して、明石海峡を通過する外国船をはさみ撃ちしたと考えられます。発掘調査の結果、現在の海岸護岸の石垣が当時のものであり、台場の石垣全体が埋まっていることもわかりました。台場の形式は稜堡式と呼ばれ、石垣の平面形がW字形となる西洋の要塞を参考にして設計されています。すべて石で積まれた例は国内で他になく、たいへん貴重なものです。大きさは東西70mで、現在残っている石垣は下層部分にあたり、高さは約6mです。明治初めの写真資料から、もともとの高さは約10mであったと推測できます。こうした発掘調査で明らかとなった遺構の重要性から、平成19年2月に国史蹟に指定されました。これまでは舞子砲台跡として親しまれてきましたが、今後は「明石藩舞子台場跡」が正式な名勝となります。」
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JR舞子駅とビル
橋の科学館
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舞子公園
この地の風光をめでた平清盛が浜で宴を催し、女児を舞わせたため「舞子の浜」と呼ぶようになったといわれている。現在は松林が広がり、雄大な明石海峡と淡路島を眺めることができます。
舞子浜遺跡
県立舞子公園で最初の埴輪棺が見つかったのは昭和35年のことです。その後、公園一帯での発掘調査により多数の埴輪棺が出土しました。公園一帯が墓地であることがわかり舞子浜遺跡として指定されました。二つの円筒埴輪を組み合わせて棺としています。棺の全長270㎝、直径40~50㎝の細長いものとなっています。副葬品はなく、わずかに人骨が残っていました。埋葬された人は、頭を東にして仰向けの姿勢をとっていました。棺の両端には朱が塗られており、古墳の埋葬方法との共通点が見られます。棺に使用している埴輪は、公園の東側1㎞にある五色塚古墳の円筒埴輪とよく似ています。古墳時代(3~7世紀)にこの地に葬られた人々は、これらの埴輪と密接に関わっていたと考えられています。
モニュメント「夢レンズ」、彫刻家 牛尾啓三作
三種の異なった石肌によるメビウスの輪は人、自然、科学を、そして明石海峡大橋が結んだ淡路、四国を表しています。この3つの相が調和し、円空から未来への発展を展望しています。
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明治天皇の歌碑
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「播磨潟 舞子の浜に 旅寝して 見し夜恋しき 月の影哉」
「あしたづの 舞子の浜の 松原は 千代を養ふ 虜なりけり」
「播磨潟 舞子の浜の 浜松の かげに遊びし 春惜しぞ思ふ」
若宮八幡宮
由緒説明書より「創建は不詳です。御祭神は、第15代応神天皇 第16代仁徳天皇。往古より厄除神として住民の崇敬篤く、殊に東舞子の氏神として吾々住民ひとしく朝夕の御加護を蒙りつつある。」
神戸市垂水区東舞子町11
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鳥居
狛犬が可愛いです。
拝殿
稲荷
明石海峡大橋
今日も霞で淡路までは写らないですね。
国史蹟・明石藩舞子台場跡(舞子砲台跡)
説明書より、「幕末に外国船の侵攻に備えて、文久3年(1863)に幕府の命を受けて、勝麟太郎(海舟)の指導のもと、明石藩が築造した砲台場です。対岸の淡路島にある徳島藩松帆台場(国史蹟)と協力して、明石海峡を通過する外国船をはさみ撃ちしたと考えられます。発掘調査の結果、現在の海岸護岸の石垣が当時のものであり、台場の石垣全体が埋まっていることもわかりました。台場の形式は稜堡式と呼ばれ、石垣の平面形がW字形となる西洋の要塞を参考にして設計されています。すべて石で積まれた例は国内で他になく、たいへん貴重なものです。大きさは東西70mで、現在残っている石垣は下層部分にあたり、高さは約6mです。明治初めの写真資料から、もともとの高さは約10mであったと推測できます。こうした発掘調査で明らかとなった遺構の重要性から、平成19年2月に国史蹟に指定されました。これまでは舞子砲台跡として親しまれてきましたが、今後は「明石藩舞子台場跡」が正式な名勝となります。」
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JR舞子駅とビル
橋の科学館
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