旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

船宿寺・関西花の寺22番

2016-04-15 20:53:40 | 奈良
2016年4月15日、お参りしました。つつじの寺ですが、少し早いですね。
縁起『今から1200余年前の神亀2年(725)に、行基菩薩がこの地にこられて庵をむすび、薬師瑠璃光如来をおまつりになったのがはじまりです。心や身の病、悩みをお救いになる薬師如来をおまつりになったので、この地を医王山といわれました。寺につたわる古い記録では、葛木の地にこられた行基菩薩の夢の中に老人があらわれて「これより東の方へ行くと、山の中に船形の大きな岩があるから、その岩の上に薬師如来をおまつりするように」と告げられました。夢からさめた行基菩薩は、東の山の中に岩を見つけ、そこに御仏をおまつりし、船宿寺(せんしゅくじ)と名づけました。現在その岩場には巌舟権現がまつられています。平安時代になって弘法大師さまの御教えをまもり、その道場として今日にいたっています。』拝観料300円です。
奈良県御所市五百家484
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案内図



参道

葛城古道史跡案内図



説明書











山門

















鐘楼



椿











本堂

































































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石光寺(葛城市)・関西花の寺20番

2016-04-15 20:15:14 | 奈良
2016年4月15日、ぼたんの寺で有名なので、お参りしました。石光寺(せっこうじ)は、ぼたん寺ともいわれ境内には、約2000株300種類の牡丹と、1000株100種名のアメリカシャクヤクを植えています。少し次期が早いかなと思いながら、行きましたが、結構、咲いていました。
縁起は、パンフレットより『天智天皇の時(670年ごろ)に、この地に光を放つ三大石があり、彫ると弥勒三尊の石象が現れた。勅願により堂宇を建立し、「石光寺」の名を賜り役の小角が開山となり弥勒如来を本尊としてまつったのがはじまり。聖武天皇の時(750年ごろ)に、蓮糸曼荼羅を織った中将姫が、この寺の井戸で蓮糸を洗い五色に染め、桜の木にかけて乾かしたというので、この桜を「糸かけ桜」、井戸を「染の井」、またこの寺を「染寺」ともいい、二上山頂まで「しめ」という。南門前には創建当時(白鳳期)の無類の形式を持つ塔心礎が遺っている。』
日本最古の石仏を弥勒堂に祀っています。開帳は4月20日~5月20日ということです。拝観料400円です。
奈良県葛城市染野387
map
葛城市染野案内図



山門



想観の沙
『手前が方形、後方が円形となっています。手前の方形は私たちの姿 世界をあらわしています。すなわち総体の世界、優劣の比較によって成る世界、執着の世界を意味します。そこには励み喜びがありますし反面、苦悩もあります。諸行無常、栄枯盛衰、どうにも「超えられない世界」でもあります。「方形」すなわち四角の物体は、一見、強く、安定した形に見えますが崩れやすく角も欠けやすいものです。私たちの姿をあらわしています。「円形」すなわち球体は「超えた世界」覚りの世界及び仏を意味します。絶対の世界、壊れない世界です。柔軟に全てのことに対応できる智恵の姿です。』



境内













本堂











境内







弥勒堂





染の井







南門

















塔心礎































































鐘楼
























































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吉野山の桜と金峯山寺ほか

2016-04-09 16:33:02 | 奈良
2016年4月8日、クラブツーリズムのコース名「一目千本といわれる圧巻の桜を見物 約3時間滞在!日本屈指の桜の名所!吉野千本桜」のバス旅行に参加しました。西神中央駅発で5490円/人のコースです。
前日は雨で風がきつかったのですが、当日は雨も上がり、少し曇りでした。8時出発で阪神高速、大阪市内で渋滞と吉野での駐車場の手前で事故か何かの事情でバスが動けなくなりました。駐車場に入ったのが12時半ということで、帰りは15時15分発と現地滞在は2時間45分と少しタイトなスケジュールでした。観桜期ということで、かなりの観光客が来ていました。
奈良県吉野郡吉野町吉野山
map
事前予約していたオプションの柿の葉ずし1000円です。渋滞したのでバスの中で食べました。おいしいですね。

観光案内図

吉野山から各地に移された桜の説明書

露店や土産物、飲食店が結構あります。

満開の桜が、すぐに現れました。下千本

遠景にも桜がお出迎えです。



芭蕉の句碑













下千本から黒門に向かいます。







桜みごとですね。









黒門、金峯山寺(きんぷせんじ)の総門です。









弘願寺







銅の鳥居(重要文化財)
「発心門とも呼ばれ、ここで修行の道に入ることを決心します。俗世間から浄土の入り口とされています。」











金峯山寺
「金峯山とは、奈良県の吉野山から山上ケ岳(大峯山)に至る一体を指し、古く飛鳥時代から聖地として知られていました。白鳳年間(7世紀後半)、修験道を始めた役行者は、この金峯山で修行され、山上ケ岳において、人々を迷いや苦しみから救い、悟りの世界に導くために金剛蔵王権現を祈り出されます。そして、そのお姿を山桜の木に彫刻し、山上ケ岳と吉野山にお堂を建ててお祀りされました。これが山上山下の蔵王堂の起こりであり、金峯山寺の始まりです。山号は国軸山。日本国の中心軸に位置する寺という意味です。金峯山は、修験道の中心的な道場として、多くの修行者、宗教者が宗派を超えて入山修行しています。まさに、自然を敬い、神様も、仏様も大切にする日本の心の原点が残っており、その精神文化は、今もしっかりと生き続けています。また、役行者が蔵王権現のお姿を山桜の木に彫刻したことから、吉野山では山桜が神木として保護され、献木され、日本一の桜の名所となりました。現在の金峯山寺は、金峯山修験本宗の総本山であり、多くの僧侶、修験者が日々、厳しい修行を続けています。」
仁王門(国宝)
「重層入母屋造り、棟の高さ20.3mの日本屈指の山門です。桧材の寄木造り、高さ5.1mの仁王像(重要文化財)が安置されています。」修理中でした。





吉野山歴史年表

向こうの山まで桜が一杯でした。

蔵王堂(国宝)
「金峯山寺の本堂。本尊蔵王権現三体のほか、多くの尊像を安置しています。重層入母屋造り、桧皮葺き、高さ34m、四方36mの建物は、安土桃山時代に再建された大伽藍です。」
秘仏、金剛蔵王権現の特別ご開帳は5月8日まで行われています。拝観料は1000円です。釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩が権化された姿としています。青い顔、姿の像は悪魔を降伏させる形相は圧巻でした。堂内撮影禁止のために写真は不可です。



観音堂

愛染堂

天満宮









神楽殿



久富稲荷







導之稲荷



奥に行きます。



東南院













吉水神社
元は吉水院という僧坊でしたが、明治時代に神仏分離により吉水神社となりました。書院は重要文化財ですが、修理中でした。
鳥居



参道からの蔵王堂

狛犬























再び、戻って、中千本に向かいます。観光客が一杯です。







葉紅葉もいいですね。













坂道が結構きついですね。













やっと、水分神社に着きました。東南院から30分、坂道を登りました。息切れ。
吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)
『創建については不詳です。関する最も古い記録は、「続日本紀」の文武天皇2年(698年)の記述かあるようです。延喜式神名帳では「大和国吉野郡 吉野水分神社」として記載されています。現在の社殿は慶長10年(1605)に秀頼によって創建されたものです。水分神は地蔵菩薩の垂迹とされ、金峰山の蔵王権現に属する神社として修験道の行場の一つとなっていました。明治の神仏分離によって金峯山寺より独立し、村社に列格した。』
鳥居

由緒書

楼門(重要文化財)

















境内と拝殿(重要文化財)



本殿(重要文化財)
「正面の3箇所に破風があり、中央に春日造、左右に流造の三殿を横に繋げた形の特異な形式である。」

神輿



時間がないのでバスの方に戻ります。景色を楽しみながら、急いで歩きます。













お疲れ様でした。くずもち、奈良漬をお土産に買いました。無事に集合時間に間に合いました。
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