旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

萩、萩駅舎・大照院

2016-07-15 18:59:59 | 山口
2016年7月10日、萩に来ました。松陰神社を起点に時計回りに、伊藤博文旧宅、東光寺、桂太郎旧宅、旧湯川家屋敷と見て、萩駅に着きました。
萩駅舎(登録有形文化財)
「国鉄美祢線(現在は山陰本線)の開通にともない建設された駅舎で、大正14年(1925)建築、木造平屋建、スレート葺、建築面積403㎡です。欄間を持つ上下窓、入口ポーチ、棟先を落とした切妻屋根等に洋風の意匠をもつ点に特徴があります。現存する数少ない鉄道開通時の駅舎で、地方の発展を紹介する上で存在が引用される建造物です。」
山口県萩市椿3537-3
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大照院
「臨済宗南禅寺派の寺院です。昔この椿郷には寺の裏山に大樹がありました。延暦年間(782-805)この地に月輪山観音寺というお寺がありました。その後建武の頃(1334-1335)鎌倉建長寺の義翁和尚が。この観音寺に来て、大椿山歓喜寺と改め、臨済宗を伝えました。しかし戦乱の世を経て荒れはてていました。毛利元就の時は山陽、山陰の10ケ国(長門・周防・石見・安芸・備後・備中・出雲・伯耆・因幡・隠岐)を制していましたが、毛利輝元が関ヶ原の戦で豊臣氏の味方をしたばかりに防長2国に押しこめられ、又石高も120万石から36万9千石に減らされました。又城も広島から萩に移されました。萩城は慶長9年(1604)築城4年間で出来上がりました。以後文久3年(1863)山口に藩庁が移るまで13代の藩主を数えました。毛利輝元は慶長5年(1600)10月10日の関ヶ原の乱の責任をとって隠居して、その子秀就がわずか6才で家督をつぎました。ですから秀就が萩藩藩主初代となります。萩藩初代藩主秀就は慶安4年(1651)萩城において57才で亡くなりました。そして大樹院で火葬されたあと歓喜寺に葬られました。2代藩主毛利綱広は亡父の為に、承応3年(1654)春からこの寺の改築を始められ、明暦2年(1656)に観光しました。そして秀就の法号にちなんで、大照院と名づけられましたが、山号が大椿山大照院では大の字が重なるので、霊椿山大照院としました。延享4年(1747)火災にあって全焼し現在の建物は寛延3年(1750)6代藩主宗広が再建したものです。開山は言如円尊和尚です。この寺には7代藩主夫婦の墓があり、重臣やゆかりの深い人々が献上した603基の燈籠が参道に並んでいます。」
拝観料は200円です。29年度春まで本堂の修理のため、拝観はできません。
萩市椿4132
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参道

石橋



鐘楼門(重要文化財)
「寛延3年(1750)建立、三間一戸二階二重門、入母屋造、桟瓦葺です。」





庫裏(重要文化財)
「寛延3年(1750)頃建立、桁行18.1m、梁間18.0m、一重、切妻造、妻入、南面・西面下屋付、東面庇・南面渡廊下及び便所・北面庇・西面便所各附属、本瓦及び桟瓦葺、東面突出部 桁行4.0m、梁間4.0m、入母屋造、桟瓦葺。萩で一番大きな庫裏です。」









書院(重要文化財)
「寛延3年(1750)頃建立、桁行21.9m、梁間22.7m、一重、丁字形東面入母屋造、西面寄棟造、北面切妻造、西面北端便所附属、南面東端廊下附属、桟瓦葺。」





本堂は修理中のため拝観はできません。





毛利家墓所(国指定史跡)













次は玉江橋を渡って、
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萩の藍場川沿いの旧湯河家屋敷と桂太郎旧宅

2016-07-15 18:51:31 | 山口
2016年7月10日、松陰神社、東光寺の後、自動車で移動し藍場川の最上流に位置する旧湯川家屋敷と桂太郎旧宅に向かいます。
駐車場の案内図

桂太郎旧宅(萩市指定史跡)
萩市川島73-2
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「この旧宅は、桂太郎が少年時代を過ごした地に、明治42年(1909)に建設されたものです。主屋は派手さを抑えており、規模も比較的小さなものになっていて、藍場川沿いの生活を穏やかに楽しむために造られています。また、藍場川の水を引き込んだ流水式池泉庭園は、建物にやや遅れて造作されたもので、懸石と呼ばれる萩地方独特の石組等に特徴があります。」
桂太郎略歴
「桂太郎は弘化4年(1847)11月28日、萩藩士桂興一右衛門の長男として萩城下平安古に生まれ、3歳のときに同じ城下の川島に移り住みました。幕末期の四境戦争では石州口の戦いに参加し、凱旋後は明倫館に入学しています。明治3年(1871)にドイツへ留学、普仏戦争(フランスとドイツの戦争)におけるドイツの圧倒的な勝利を見て、帰国後は日本の陸軍をそれまでのフランス式からドイツ式に改め、軍隊の近代化に貢献しました。陸軍大将、陸軍大臣を経て明治34年(1901)に第一次桂内閣を組織し、翌35年(1902)には日英同盟の締結に成功しました。」
石橋のところに鯉が泳いでいました。









看板



旧宅の概要











水琴窟

銅像

庭園





略歴

旧湯川家屋敷(萩市指定史跡)
桂太郎旧宅と数十mの位置にあります。
山口県萩市川島67
説明書

看板



「川沿いには長屋門があり屋敷の中へは、橋を渡って入ります。主屋には、玄関・座敷と茶室などがあります。茶室回りの意匠は特に優れています。また、この屋敷では、藍場川の水を屋敷内に引き入れて流水式の池水庭園をつくり、池を出た水は家の中に作られた「ハトバ」で家庭用水として使われた後、再び藍場川に戻っていきます。湯川家の建物は、正確にはいつ建てられたのかわかっていませんが、湯川家の古文書の中に、明治3年(1870)に建物を改築した記録が残っていますので、当初の建物は明治以前に建てられたものと考えられます。湯川家は禄高23石余の武士で、遅くとも明治の初めにはこの建物に居住していたものと思われます。」
離れ・2畳



井戸

主屋







庭園

台所のハトバ





外側から

玄関の門

藍場川と風呂場のハトバ、外側





藍場川の説明書

石橋

歌碑

鯉が泳いでいました。

萩焼直売所





次は萩駅舎と大照院に向かいます。
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萩・東光寺

2016-07-15 18:46:27 | 山口
2016年7月10日、東光寺にお参りしました。
「黄檗宗の寺院で、山号を護国山という。元禄4年(1691)萩藩三代藩主毛利吉就が建立しました。吉就は若くして深く黄檗宗に帰依して、京都府宇治市、本山黄檗宗万福寺に範を求めて広壮な堂宇を建立し、萩出身の高僧慧極道明禅師を開山に迎えました。吉就の死後ここに墓所を営み、毛利氏菩提寺となりました。黄檗三叢林の随一と称せられ、文化年間の最盛時には全山塔40棟を数えた。」
拝観料は300円です。
山口県萩市椿東1647
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総門(重要文化財)
「江戸中期の元禄6年(1693)建立、桁行三間、梁間二間、一重、切妻造段違、本瓦葺です。」







三門(重要文化財)
「江戸後期の文化9年(1812)建立、三間三戸二階二重門、入母屋造、本瓦葺、両山廊付、山廊 各桁行二間、梁間二間、切妻造、本瓦葺です。」

















参道

月台

大雄宝殿(重要文化財)
「江戸中期の元禄11年(1698)に建立、桁行正面五間、背面三間、梁間四間、一重もこし付、入母屋造、本瓦葺です。」

















鐘楼(重要文化財)
「江戸中期の元禄9年(1696)頃の建立、桁行三間、梁間一間、一重二階もこし付、入母屋造、本瓦葺、もこし桟瓦葺です。」



庫裏

魚鼓

大方丈玄関

大方丈



書院玄関

四大夫十一烈士の墓
「元治元年(1864)に勃発した禁門の変の際、幕府に謝罪の為、徳山で自刃した益田右衛門介、国司信濃、岩国で自刃した福原越後等三家老、反対派の為、萩野山獄で処刑せられた竹内正兵衛、中村九郎、佐久間左兵衛、宍戸左馬介、前田孫右衛門、毛利澄人、山田亦介、渡辺内蔵太、楢崎弥八郎、大和国之助、松島剛蔵等十一烈士、俗論党の為萩で自刃を命じられた清水清太郎、又幕府の萩藩征討の起因の責を感じ山口で自刃した周布政之助等、身を以て難に殉じた藩士の為、明治29年(1896)に建てられた慰霊墓所であります。」



次は旧湯川家屋敷に向かいます。
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萩の松陰神社エリア、松陰神社・松下村塾・吉田松陰幽因の旧宅・伊藤博文旧宅

2016-07-15 18:40:28 | 山口
2016年7月10日、山口市の湯田温泉から約1時間、自動車で走りJR東萩駅構内にある観光案内所で、mapと観光のポイントの説明を聞きました。
当初は、萩循環バスで乗り継ぎしながら回る予定でしたが、萩観光案内図での青色のPマークは無料とのことで、土日は市役所の駐車場も無料で使えます。ということで自動車で回ることにしました。そして、萩市公開文化財施設が1箇所100円で9箇所あり、1日券は310円なので購入しました。
まずは松陰神社の駐車場に向かいます。
松陰神社
山口県萩市椿東1537
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鳥居

由緒書
「御祭神は吉田矩方命(松陰先生)、松陰先生のご実家、杉家の人々の手で松陰先生の御霊を祀る土蔵造りのほこらが建立されました。これが松陰神社の前身です。明治40年(1907)、松下村塾出身の伊藤博文や野村靖が中心となって、このほこらを公の神社として創建しようと、山口県に請願書が提出され、土蔵造りのほこらを松下村塾南隣に移して本殿としました。」





花月楼(山口県指定有形)
「この茶室花月楼は、萩藩七代藩主毛利重就が安永5年(1776)三田尻(防府市)の別邸内に建てたものである。藩政時代から萩に移していたが、昭和34年にここに移築された。花月楼形式の茶室は、江戸時代中期に考案された花月式の茶会を催すことができるように設計されたものです。」





松下村塾(国指定史跡)
「木造瓦葺き平屋建ての50㎡ほどの小舎で、8畳の講義室、10畳半のひかえの間、1坪の土間部分から成っています。松陰がこの塾で教えた期間はわずか1年に過ぎませんが、身分や階級にとらわれずに門下生として受け入れ、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋、山田顕義、品川弥二郎ら、明治維新の原動力となった多くの逸材を育てました。」
松陰神社の境内内にあります。





吉田松陰幽因の旧宅(国指定史跡)
「この旧宅は、安政2年(1855)から数年の間、吉田松陰が幽因された家で、東側にある3畳半の1室が幽因室である。松陰は、伊豆下田でアメリカ軍艦による海外渡航に失敗し、江戸伝馬町の牢に捕らえられた。萩に送られ野山獄に入れられたが、その後、釈放され父杉百合之助預けとなり、幽因室に謹慎し読書と著述に専念した。そして、近親者や近隣の子弟たちに孟子や武教全書を講じた。」
松陰神社の境内内にあります。









松陰神社鳥居



拝殿

狛犬



本殿

説明書

松門神社
狛犬





明治9年萩の変七烈士殉難之地

売店





伊藤博文旧宅(国指定史跡)
松陰神社の100mほど南で、駐車場の南側から東に進み少し南のところににあります。
「伊藤博文旧宅は茅葺き平屋建てで、総建て坪29坪、附属建物として便所・風呂場があります。居宅客室の大きさは6畳1室、5畳半1室、4畳半1室、3畳3室、2畳1室、玄関土間です。この建物はもと萩藩の軽卒(中間)、水井武兵衛(伊藤直右衛門)の居宅でしたが、安政元年(1854)に博文の父十蔵が一家をあげて伊藤家に入家しました。その後、博文は17歳のとき吉田松陰の門に入って教育を受けました。志士としての活躍や英国への留学など、この家に安住するいとまもありませんでしたが、明治元年(1868)に兵庫県知事に就任するまでここが本拠でした。」











附伊藤博文別邸
「別邸は、伊藤博文公が明治40年(1907)に東京府下荏原郡大井村に建てたもので、車寄せを持つ玄関の奥に、中庭をはさんで向かって右に西洋館、左に書院を配し、さらにその奥に離れ座敷、台所、風呂及び蔵を備えた広大なものでありました。当地へは往時の面影を残す玄関、大広間、離れ座敷の3棟を移築しました。明治時代の宮大工伊藤満作の手によるもので、大広間廊下の鏡天井や離れ座敷の節天井など意匠に優れています。」















天井の照明がハイカラですね。







一枚ものの鏡天井







吉田稔麿生誕の地
「吉田稔麿は、天保12年(1841)、足軽の長男としてこの地に生まれた。松下村塾に入門し、高杉晋作らとともに松陰門下の四天王といわれた。吉田松陰の死後、尊王攘夷運動に参加し、屠勇隊(有志の部隊)を組織した。元治元年(1864)、京都三条の池田屋旅館で他藩の志士と会談中、新撰組に襲われ負傷し、24歳の若さで死去した。」





薩長士連合密議之處碑

次は東光寺にお参りします。
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山口・湯田温泉、西村屋

2016-07-13 13:53:19 | 温泉、旅館、ホテル
2016年7月9日泊まりました。神戸を朝に出て、岩国、柳井の町並み、山口市内観光をし、山口駅から1駅の湯田温泉駅から700m程のところに温泉街があります。やっと湯田温泉に着きました。前日からの雨も上がり、曇りでした。山口が生んだ詩人の中原中也が26歳の1933年、結婚式と披露宴を西村屋の大広間でしたとのことです。源泉100%かけ流し、21時に男女入れ替えです。西村屋の源泉と湯田温泉のミックス泉で、アルカリ性単純温泉です。
宿泊プランは、お部屋・お料理おまかせ『スタンダードプラン』 【お食事処】/和室です。
山口県山口市湯田温泉4丁目1-30
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玄関

客室です。





おもてなし

ロビー





中庭、冷泉の水をひいています。

売店

フロント



夕食は会場食です。



前菜、葉わさび・手長海老・穴子小袖巻き

刺身、平政・鯛・車海老

メイボの薄造り

炊合、かぼちゃ・茄子・人参・さやえんどう・鳥の湯葉まき

陶板焼き

長州鳥五目御飯

鱧鳴門揚げ

鮎塩焼き

吸物、魚麺・木の芽

今日は岩国、柳井、山口と一杯歩きましたので、生ビールを飲んで、少し物足りないので、山口の地酒の東洋美人を飲みました。少し飲みすぎかも。冷酒で飲みやすく美味しいですね。

デザートです。

朝食も同じ会場です。
焼き魚

冷ややっこ、生卵、切干大根、おくらの胡麻和え、青のり、かまぼこと豆、サラダ、香の物、味噌汁



御馳走様でした。10日、これから萩に向かいます。
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山口市・湯田温泉の町並み

2016-07-13 13:52:57 | 山口
2016年7月9日、湯田温泉の西村屋に宿泊し、温泉街を歩きました。山口の中心部に近くて生活感のある町並みです。
亀の湯、立ち寄り湯です。入浴料金390円です。宿泊した西村屋の隣にあります。



マンホール、狐さんです。

井上公園

足湯、浸かっています。























何遠亭











湯田温泉駅の狐さん、高さ8m、重さ3トンもある。

白狐が温泉の湯をみつけたそうな。



足湯

街角の狐さん、それぞれの店の看板狐かも。









中原中也記念館







ほろ酔い通り

湯の町通り

狐の足あと、湯田温泉観光回遊拠点施設

名勝史跡松田屋

お疲れ様でした。
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山口市、野田神社・豊栄神社・今八幡宮、八坂神社

2016-07-12 21:09:09 | 山口
2016年7月9日、お参りしました。瑠璃光寺の後、野田神社・豊栄神社・今八幡宮、八坂神社にお参りしました。
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鳥居

野田神社能楽堂(山口市指定有形文化財)











拝殿

手水舎















豊栄神社













今八幡宮
鳥居





説明書

手水舎



狛犬



楼門(重要文化財)
「一間一戸楼門、入母屋造、向拝付、左右翼廊 各桁行二間、梁間二間、一重、切妻造、こけら葺」







拝殿(重要文化財)
「室町後期(1467-1572)建立、桁行三間、梁間一間、一重、切妻造、妻入、こけら葺です。」



本殿(重要文化財)
「室町後期(1467-1572)建立、三間社流造、向拝一間、こけら葺です。」



末社







八坂神社
鳥居





手水舎





拝殿



本殿(重要文化財)
「室町後期の永正17年(1520)建立、三間社流造、檜皮葺です。」









お疲れ様でした。旅館に行きます。
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山口市、瑠璃光寺の五重塔(国宝)・洞春寺観音堂(重要文化財)

2016-07-12 20:21:42 | 山口
2016年7月9日、訪れました。柳井の町並みを後にし、再度山陽自動車道で玖珂ICに戻り、山口ICで降りて山口市内へ。瑠璃光寺の五重塔がメインです。香山公園前観光案内所の観光用駐車場に自動車を止めて、観光します。16時になったので、あまり時間がありません。
山口県山口市香山町6−11
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まずは案内所でmapを貰って、散策です。

駐車場

紙本栄一先生像

瑠璃光寺石標

香山公園案内図

瑠璃光寺
「曹洞宗の寺院で、山号は保寧山です。」
山口市内案内図

瑠璃光寺五重塔(国宝)
「室町時代、応仁の乱で戦死した大内義弘の菩提を弔うため、弟の盛見が建立を計画し、嘉吉2年(1442年)頃に完成した。屋外にある五重塔としては日本で10番目に古く、京都の醍醐寺・奈良の法隆寺のものとならび日本三名塔の一つに数えられている。室町中期における最も秀出た建造物と評される。檜皮葺の屋根は、軒の出が比較的深く、勾配が緩やかで、軒先が軽快に反り上がり、加えて三重目より上に縁と高欄を設けず、全体に細身でひきしまった姿が特徴的である。高さ31.2mです。」
拝観料が無料でしたので、お布施をしました。























鐘楼



梵鐘(山口市指定文化財)

金毘羅様



経塚











身代わり地蔵

薬師堂

本堂



水掛け地蔵

知足の手水鉢

香炉

水子地蔵菩薩

廻廊

仏足石



後生車





大内弘世公像

忠魂碑
「毛利敬親の偉業を称える為、明治29年、天皇の勅令により建てられた。」



鶯張りの石畳



毛利家の墓所













洞春寺
「臨済宗の寺院で、山号は正宗山です。」
山門(重要文化財)
「室町中期(1393-1466)の建立で、四脚門、切妻造、檜皮葺です。洞春寺は戦国時代に中国地方十カ国を治めた戦国大名毛利元就の菩提寺です。この地には応永年間の初め(1400年頃)、大内盛見が建立した国清寺がありました。この山門はその国清寺の創建当時のものと言われ、全国的にも数少ない貴重な四脚門です。構造手法は雄大で、特に太い円柱や彫刻のない大きな板蟇股、反りの大きな垂木などが当時の特徴を表わしています。」















中門



本堂





観音堂(重要文化財)
「室町中期の永享2年(1430)に建立、桁行三間、梁間三間、入母屋造、一重もこし付、銅板葺の唐様の建物で、正面に桟唐戸に花頭窓があり、外部下層の棰のない化粧板軒は、全国的にも例が少なく珍しいものである。上層の化粧軒は大疎棰であるが、これは下層の板軒に対して、上を軽く見せる工夫である。内部の構造は簡素であるが、細部の斗栱や絵様などに見るべきものがある。」











鐘楼門(山口県指定文化財)

お疲れ様でした。
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柳井市の白壁の町並み(重要伝統的建造物群保存地区)

2016-07-12 16:59:14 | 山口
2016年7月9日、訪れました。JR柳井駅から400m北側の東西の町並みです。200m程の通りです。
「柳井市古市金屋は、東西に通じる本町通りと南側柳井町に連なる掛屋小路両側に連なる商屋の町並みで、本瓦葺漆喰塗籠の重厚な造りです。柳井は、瀬戸内海の要衝の地で古くから栄え、柳井川は物資輸送の役割を果たし、荷卸場中心として街路が作られました。」
山口県柳井市柳井3714-1
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観光案内所







案内図









































掛屋小路



古い町割りと排水溝





















国森住宅(重要文化財)
「明和5年(1768)に建てられ、吉川藩屈指の商業都市柳井津において油の製造、販売を営んでいた商家。土蔵造、二階建、妻入りで、一階平面は床上部五室で土間は通り抜けとならない。店先は土戸をはめる仕組みなど、防火に工夫がされています。」



































町並み資料館(登録有形文化財)
「明治40年(1907)に旧周防銀行本店として建築されたもので、当時の銀行の姿がそのまま残っています。現在は1階が柳井市町並み資料の展示、2階が松島詩子記念館となっています。」

商家博物館むろやの園(山口県指定有形民俗文化財)





お疲れ様でした。次は山口市内に行きます。
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岩国、吉香神社・旧吉川邸厩門・岩国徴古館・錦帯橋・旧目加田家住宅ほか

2016-07-12 16:05:25 | 山口
2016年7月9日、岩国に行きました。9日から3日間の観光です。神戸を朝に出発し、山陽自動車道を走り、昼過ぎに到着です。ロープウェイ山麓駅横の無料駐車場に自動車を止めて、吉香神社から時計周りに散策です。
山口県岩国市横山2丁目6-51
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錦雲閣(登録有形文化財)
「明治18(1885)建築、旧岩国藩主吉川家の歴代を祀る吉香神社の絵馬堂。」

吉香(きっこう)神社
一の鳥居





狛犬









田中穂積先生胸像

説明書



手水舎



ニの鳥居



狛犬が岩の上にいます。

説明書
「吉香神社は、岩国城址の南麓にあり,岩国藩主吉川氏歴代の神霊を祀る神社で、享保13年(1728)の建築で、横山の白山神社内に造営され、明治18年(1885)に旧城跡の現在地に移築されたものです。鳥居、神門、拝殿及び弊殿、本殿が南から北に一直線で並んだ構成となっています。神門は小型の四脚門で冠木中央に吉川家家紋があり、拝殿は入母屋造妻入りで背面に弊殿が張り出し、本殿は三間社流造で正面に軒唐破風、千鳥破風が付されています。いずれも軸部から小屋組まで当初形式をよく保持しており、充実した細部を備えた丁寧なつくりになっています。特に、本殿と拝殿及び幣殿は独特な形式で、複雑な架構と屋根構成を巧みに纏めており,独自性が認められます。全国的にも数少ない神霊を祀る神社建築で,岩国藩大工の高い技量が窺え,地方における江戸中期の優品として,高い価値が認められます。」

神門(重要文化財)







拝殿(重要文化財)



本殿(重要文化財)







褒忠社(ほうちゅうしゃ)
「吉香神社の末社で、吉川広家が初代岩国藩主が寺谷(紅葉谷)にある竜門寺境内に節臣廟を建て吉川家の死節の臣をまつり回向所としていたが廃藩後これを神社に改めた。」



案内図







吉香公園のエンジュ(山口県指定天然記念物)

能舞台

三十誠至の碑









日本庭園













亀さん



御土居跡の説明書

吉香神社の東の鳥居





旧吉川邸厩門(登録有形文化財)



説明書
「吉川経健が明治25(1892)に、建設した邸宅の長屋門で、桁行30mと長大で、西を正面とし、石積基壇上に建つ。南寄りに門口を構え,外壁漆喰塗とし,要所に横連子窓を設けています。屋根は寄棟造、桟瓦葺で、小屋組は一部に変形トラス組を用いています。近代の大邸宅の様子を今に伝えています。」

内側から



旧吉川家岩国事務所(山口県指定文化財)









岩国徴古館(登録有形文化財)
「昭和15年に財団が設立を議決し、20年3月に竣工、25年以降博物館となりました。ドイツ古典主義の影響がみられる意匠は、低く押さえた外観、正面の角柱の列柱、内部のすそ広がりの柱等が特徴です。設計は、早稲田大学教授で岩国中学出身の佐藤武夫です。」





昌明館付属屋及び門(岩国市指定文化財)







説明書







立志の碑

佐々木小次郎の像

久能寅夫先生の像



重宗雄三君の像



錦帯橋(名勝)
「1673年、岩国第三代藩主の吉川広嘉が錦帯橋を架けましたが、残念ながらすぐに流失しました。再建した1950年の台風で流失、1953年に再度木造で再建しました。」











錦川の鵜飼船



槍倒しの松

土産物屋







吉川広嘉公像



吉川氏屋敷跡

香川家長屋門(山口県指定文化財)







光風堂

公園

大噴水













旧目加田家住宅(重要文化財)
「江戸後期19世紀前半の建築で、桁行16.4m、梁間12.5m、一部二階、入母屋造、南面玄関附属、桟瓦葺です。岩国吉川藩々士の住宅で、錦帶橋を渡った城山の麓にあります。中廊下式の平面をもち、木割は細くて建ちが低い。簡素ではあるが、端正な意匠になり、保存もよい。数少い本格的な武家住宅の一つです。」











お疲れさまでした。時間の都合で岩国城には登りませんでした。この後、柳井の街並みに行きます。
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