旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

沖縄大感謝祭4日間・1日目、ステーキハウス・サウズマウイ

2016-12-25 16:42:41 | 沖縄
2016年12月19日から22日までの4日間、阪急交通社の沖縄大感謝祭のツアーに行きました。3泊4日、夕食2回・朝食3回、神戸空港発着、周遊バスプランで3万円/人です。
12月19日、空港の駐車場に自動車を停めて出発ロビーへ。駐車場は入庫から搭乗者は24時間無料です。その後は24時間以降は1時間毎に150円で24時間毎の上限1000円です。保安検査の後に割引機がありますので、そこに駐車券を差し込むと処理されます。
神戸空港
クリスマスツリーが飾られていました。





1階の到着ロビー

搭乗待合室

ソラシードエアー
13時45分発那覇空港行きです。

出発お見送りです。



ポトーアイランド

















四国







フリードリンク案内

那覇空港に到着です。







戦闘機です。那覇空港は航空自衛隊の基地が併設されています。これが沖縄の現実なのですね。

























那覇空港
16時到着です。20℃くらいで結構温かいですね。伊丹空港と関西空港の方との合流待ちのため、出発まで時間があるので、那覇空港の散策です。
そば処

ショップ





















熱帯魚がお出迎え。











































モノレール

青い沖縄バスで4日間の周遊です。

1日目の夕食です。沖縄のステーキハウスチェーン店サウズマウイ久茂地店
沖縄県那覇市久茂地2丁目2−15−13







ステーキかシーフードのどちらかの選択でした。私はシーフードで妻はステーキです。二人で食べ比べ。
まずは沖縄ビールで乾杯

カレースープにサラダ

野菜焼き







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出石そば(登城)

2016-12-09 20:42:56 | 但馬
2016年12月8日、湯村温泉の三好屋に宿泊し、湯村温泉街散策、帰路の途中で出石に寄り、皿そばの店・登城で皿そばを食べました。
この店は時計台の横の堀にあります。店主は竹中光成さんです。契約農家から仕入れたそばの実を石臼で丁寧に挽き、手打ちしています。「挽きたて・打ちたて・茹がきたて」で出すそばです。火曜日が定休日で10時から17時の営業です。
豊岡市出石町八木13
皿そば店・登城ブログ







メニュー
皿そば1人前5皿850円、追加5皿650円

生卵の黄身がプリプリでした。新鮮なこだわりの卵です。

最初の一皿を藻塩で頂きました。新そばを提供しています。美味しかった。!(^^)!

街並み











食後の3段アイスクリーム(そば・桃・黒豆)を食べました。300円です。

登城門前の店です。

お疲れ様、神戸に帰ります。

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湯村温泉街散策ほか

2016-12-09 20:20:39 | 但馬
2016年12月8日、湯村温泉の三好屋に宿泊し翌日、温泉街を散策しました。
湯村温泉は、兵庫県北西部で山陰地方の鳥取よりに位置し、国道9号線沿いで浜坂から約10km南です。今からおよそ1200年前に慈覚大師によって発見されたと伝えらています。元湯は「荒湯」と呼ばれ98度の高温泉が毎分470リットルも湧出しています。旅館だけでなく各家庭にも配湯され、湯村の生活に欠かせないものです。泉質は、ナトリウム、炭酸水素塩・塩化物・硫酸塩泉です。1981年のNHKドラマ「夢千代日記」(吉永小百合主演)のロケ地としてその風情が全国に知られるようになり、以来「夢千代の里」とも称せられています。
湯村温泉散策マップ



湯村大師堂

大師堂橋

春来川と湯煙り



本町通り

湯村温泉案内図

湯村温泉ポケットパーク



大師像

荒湯の説明書

観光センター



温泉橋

左手の川沿いに荒湯があります。

売店で生卵を買って、ネットで吊るしておけば茹で卵ができます。、近所の年配の女性が、野菜をタケザルに入れて蒸していました。まさしく温野菜を自然を利用しての効用です。その方の家にも温泉がきているが温度が60℃くらいなので、ここに来て蒸すとかで、ガス代もいらないし、高温なのでいいとか。

慈覚大師像

荒湯説明書

荒湯地蔵尊

春来川沿いの足湯



ふれあい手形散歩道
春来川沿いの遊歩道の石垣に、来訪した吉永小百合をはじめとする芸能人や文化人の手形が残されています。手形とそれぞれの言葉が記されています。





多岐川裕美

北大路欣也

石井ふく子

田中邦衛

島田紳助

桂三枝



大月みやこ

清水国明

宋猛

掛布雅之

小椋佳

イルカ

アグネス・チャン

間寛平

大竹まこと

黒沢年雄

衣笠祥雄

平尾誠ニ

西川きよし

デューク更家

佐川満男

正福寺
説明書より「天台宗の寺院で、山号は天龍山、比叡山正覚院の末寺。貞享2年(1684)の火事で、創建は不詳であるが、室町時代の五輪塔があることからそれ以前の建立。元禄元年(1688)病魔降伏不動明王(県重文)を遷座し、元禄3年(1690)中興する。」





鐘楼門





天然記念物 正福寺桜

観音堂



本堂





地蔵尊





庫裏

ふたたび愛宕通りへ

繁栄橋

地蔵尊

天神通り

夢千代館
「湯村温泉博物館で、夢千代日記の物語を展開しながら、人々が寄り添いながらも逞しく生きていた、懐かしい昭和の時代を再現しています。NHKドラマ夢千代日記に使用した舞台セットや小道具の展示、また、夢千代日記を通じた広島市との友好関係や、吉永小百合さんが取り組まれている平和維持の活動も紹介されています。」







「夢千代の祈り」モニュメント



足湯・夢千代館アオギリの湯



夢千代橋







薬師湯
「外湯で、2008年に荒湯近くから夢千代館の春来川対岸に移転した。7:00~22:30営業、毎月15日休館。浴室利用料、町内者150円、町外者400円。」

八幡神社
「但馬国七宮の一社で、京都・石清水八幡宮の但馬国の勝楽寺別宮として御奉祀された神社です。人命守護・勝運厄除の守護神として古来より官・民の尊崇篤く、極めて格式高い神社です。御鎮座の年代は不詳であるが、種々考証の結果、およそ千年前の御鎮座であることが判明しています。」



鳥居





手水舎



狛犬



拝殿

本殿

説明書

神輿蔵



稲荷神社







社務所

境内より

井筒屋

夢千代の里説明書

薬師堂
「貞観17年(875)湯村温泉を見つけた慈覚大師の徳をたたえ、お堂を建立したと伝えられ、薬師如来と共に同大師の尊像が祀られている。」















海産物魚市場
ホテルをチェクアウトし、浜坂の海産物魚市場に行きました。こちらでカレイの一夜干し、ちくわなどを土産に買いました。たらば蟹、松葉蟹なども販売していました。
兵庫県美方郡新温泉町芦屋853
map









玉田寺
兵庫県美方郡新温泉町七釜1436
map
「当山は臨済宗京都嵐山大本山天龍寺派に属し、応永年間(1394~1428)天龍寺開山夢窓国師法孫南溟禅師の開基にして当初退耕庵と称し南溟禅師隠栖の地なり。慶安の頃(1648)二世貞山和尚、丸毛氏より出ずるに及んで、退耕山玉田禅寺と改む。丸毛氏と云うは、元美濃の部将にして慶長5年(1600)関原の役に西軍に属して敗れ、本国は退去して此地に隠栖帰農せし者にて時代は下って、七世徳門和尚の時、丸毛氏は山を均し岩を削りて境内を広げ、3年の工を要して安永6年(1777)堂宇を建立せり。現在の本堂これなり。」

山門

本堂



鐘楼

銅鐘





宝篋印塔(兵庫県指定文化財)
「正和3年(1314年)の刻銘があり、宝篋印塔としては兵庫県下最古級とされる。なお、元からこの地にあったものではなく、大阪府豊能郡東能勢村切畑(現・同郡豊能町)の廃寺にあったものを、浜坂町(現・新温泉町)出身の実業家・細見良(号古香庵)が1945年に入手し、1975年に郷里の玉田寺に寄進したものである。」

句碑



六地蔵

お疲れ様でした。
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三好屋(湯村温泉)

2016-12-09 20:20:10 | 温泉、旅館、ホテル
2016年12月7日泊まりました。
湯村温泉は、国道9号線沿いで、山陰の浜坂から南10kmくらいのところです。平安時代に慈覚大師によって開湯されたと伝えられています。アルカリ性単純温泉で元湯は98度と高温です。ph7.29で、お風呂に入れば、肌が少しスベスベとする感じです。
湯快リゾート三好屋は温泉街の南端の高台に位置しています。平日でしたが、チェックイン18時前で駐車場は一杯で、第2駐車場に送迎をしていただきました。展望風呂から街並みを望めます。また、森林露天風呂は建物の奥の山側にありますので、本当に露天で木々に囲まれています。電飾でホタルの雰囲気や、七色に変化する照明で飾られていました。源泉からは高温の湯がでていますので、その近くは湯の温度は少し熱めでした。夕食・朝食はバイキング形式で、8400円/人です。宿泊客が多かったので、3部制で最終組の19時半からでした。夕食にはカニが出ていました。鍋も自分で好みの物を炊くという感じです。全体的には中華風が多い食事でした。チェクイン後、部屋にはふとんが敷いていました。本館で、踏み込み、8畳に縁、ユニットバス・トイレ付でした。
兵庫県美方郡新温泉町湯1671-3
map
外観

玄関





ロビー







売店



室内





廊下













夕食です。
中華がメーンです。にぎり、茶碗蒸し、八宝菜、酢豚、麻婆豆腐、ミンチボール、天ぷら、枝豆、サラダ。もちろん生ビールを飲見ながら。

茹蟹、ラーメン、雑炊

フルーツ、後でアイスクリームも食べました。





朝食です。
温泉卵、スクランブルエッグ、ソーセージ、クロワッサン、茶粥、フルーツ、サラダ、ヨーグルト、そば、野菜ジュースなど

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近江神宮

2016-12-06 16:09:47 | 滋賀
2016年12月5日、西教寺、日吉大社をお参りし、坂本の町並みを散策した後、車で移動し、近江神宮にお参りしました。
滋賀県大津市神宮町1-1
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説明書より「天智天皇6年(667年)に同天皇が当地に近江大津宮を営み、飛鳥から遷都した由緒に因み、紀元2600年の佳節にあたる1940年(昭和15年)の11月7日、同天皇を祭神として創祀された。」

境内案内図

第一鳥居(登録有形文化財)
「表参道の入口に位置する鳥居で、む第二期工事において建立される。反りのある棟木と島木、内転びの丸柱に角断面の貫と額束を入れた典型的な明神鳥居の形式をとる。幅約7m。社域を明示するとともに、近江神宮のランドマークにもなっている鳥居である。」

近江神宮参拝者休憩所(登録有形文化財)
「第二鳥居の左手後方に位置する。平屋建、瓦葺、切妻屋根の四周に庇を回す外観を呈する。内部は身舎部分を棹縁天井、庇部分は化粧小屋裏をあらわし、丸柱と差肘木により特徴ある架構を造る。節のある材を効果的に用いて味わいある内部空間をつくりあげている。」

句碑

第二鳥居(登録有形文化財)
「表参道の突き当たりの石階段を昇りきった地点に建つ。第一鳥居と同形式の明神鳥居で、幅約6mとやや小振りのものとする。参拝者は、この鳥居をくぐり右に折れて、手水舎の先左手の石階段を昇り楼門に向かうことになる。」



手水舎(登録有形文化財)
「楼門へ向かう石階段の左手脇に位置する。内転びの隅柱に2本宛の控柱を添わせ、組物は舟肘木を用い、一軒疎垂木、銅板葺(当初は檜皮葺)の切妻屋根を架ける。妻飾は豕叉首とし、破風に懸魚をつける。」







楼門



















神符授与所(登録有形文化財)
「楼門の北袖塀に取付く東西棟、切妻屋根の建物で、柱は角柱と丸柱を使い分ける。舟肘木を用い、妻飾は豕叉首とし、懸魚をつける。」

境内

外廻廊(北部)(登録有形文化財)
「外院の翼廊にあたるところで、神符授与所に取付き、北端で西に矩折れて外透塀に接続する。切妻屋根、吹放ちの単廊で、外側に高床風の縁をせりだし高欄をまわす。柱は丸柱で、舟肘木を用い、妻飾を豕叉首として簡素な懸魚をつける。」

北神門

外拝殿(登録有形文化財)
「木造平屋建,銅板葺,建築面積157㎡。内院敷地の東端に位置する桁行五間梁間三間、入母屋造の建物で、東面に高欄付の縁をせりだして懸造り風につくり、中央間に外院からの登石階段を割込ませる。正面石階段の上と背面中央とに唐破風をつけて割拝殿風にしている点に特徴がある。」











神楽殿(登録有形文化財)
「正面三間奥行四間、東西棟の入母屋造建物で、東南端に切妻屋根の車寄玄関を張出し、廻廊側の正面に唐破風をつける。北面と西面に廊下を回し、北で参集所に、西で神饌所に連絡する。」



神楽殿廻廊(登録有形文化財)
「外院北部の北端に位置する神楽殿の前面をコの字型に囲う廊。外側を連子窓、内側を開放とし、桁行六間の東廊は虹梁中央の束上に化粧棟木を載せて南北棟の入母屋屋根を架け、各五間の北・南廊は海老虹梁により内外の柱を繋ぎ、内側柱筋に棟を上げる。」



栖松遥拝殿









内拝殿

本殿(登録有形文化財)
「皇紀2600年に合わせて新営された神社建築で、内務省神社局による集大成作品。設計は角南隆と谷重雄。傾斜地に対応した社殿の配置構成に特色がある。本殿は、三間社流造、檜皮葺で、棟に千木と堅魚木をあげて聖域地を明示させている。」



内院廻廊(登録有形文化財)
「内院は、内拝殿と一文字状の翼廊(各四間)、外拝殿と同状の翼廊(各四間)、内拝殿翼廊と外拝殿翼廊とを結ぶ北面の廊(八間)と南面の廊(八間)とにより囲われる。」





自動車清祓所(登録有形文化財)
「大津市内に所在した地方裁判所庁舎の玄関車寄を移築したもの。大津地方裁判所は和風の庁舎建築で、神社の施設としても異和感を感じさせない。隅柱に2本宛の控柱を添わせているのが特徴。緩やかなムクリ破風の蝙蝠形懸魚につけた菊の紋章が出自を示す。」









宝物館



古代火時計
「この火時計は約4000年前、中国にて、おもに夜間の時間を計るものとして用いられたもので、龍の背に等間隔に計14個の銅球が吊り下げられており、糸の下を燃え進む線香の火が糸を焼き切り、球が落下し、下に設けられたドラが鳴って時を告げるものです。この時計は1間隔がおよそ2時間を示すように作られています。」



燈籠



干支













狛犬







紅葉も素敵でした。お疲れ様でした。
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大津市坂本(重伝地区)、求法寺走井堂・六角地蔵堂・日吉東照宮・慈眼堂・滋賀院門跡・大将軍神社・作り道・律院

2016-12-06 16:07:40 | 滋賀
2016年12月5日、西教寺、日吉大社にお参りし、大津市坂本を散策しました。
大津市坂本は重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
「比叡山延暦寺・日吉大社の門前町として栄えるとともに、山上で修行していた僧侶の隠居所である里坊が集中したところです。里坊は道路に面して門を構え、穴太衆積みの石垣と塀もしくは生垣をめぐらし、奥に堂や本堂等の建物を置き、清涼な小河川や水路とともに優れた歴史的風致を伝えています。」
求法寺走井堂(滋賀県指定有形文化財)
『当堂はもと第四世天台座主安恵和尚(801~864)の里坊として創建された。のち比叡山中興の祖である第十八世座主慈恵大師良源大僧正(912~985)が、若き12才の頃、比叡山への入山修行の決意を固められた浄域であるところから「求法寺」と名づけられた。また古来より波止土濃(橋殿)又は走井の地名に因んで本堂を「走井堂」と称している。本尊はご自作と伝える元三大師尊像(秘伝)であり、観音菩薩の化身として霊験は誠にあらたかである。この建物は、元亀2年(1571)に焼失の後、正徳4年(1714)に上棟されたものである。平面は、元三大師を祀る正堂(内陣)前面に、参詣のの場である礼堂(外陣)が接続し凸型になっている。正堂は間口三間、奥行き三間で、中央部の三間×一間を内陣に取り込み、屋根は入母屋造、正面に軒唐破風を付け、全体を柿葺とする。』











子育て地蔵、早尾地蔵尊(六角地蔵堂)
『本尊は比叡山の開祖伝教大師最澄上人ご自作の石地蔵尊と伝え、坂本六地蔵淵源の地でもあります。この地蔵尊は変じて真盛上人(西教寺開山)として現れ、入寂の後に再び地蔵尊に復されたという霊験あらたかな尊像であり、伝教大師が童子養育に心を注がれながら彫られたので「子育て地蔵」とも呼ばれています。』



比叡山鉄道ケーブル坂本駅舎(登録有形文化財)
「昭和2年頃(1927)建築、木造2階建,スレート葺,建築面積188㎡。琵琶湖側から延暦寺への参詣の便を図るために昭和2年敷設されたケーブルカーの駅舎。入口の庇を支える金属製の持ち送りや縦長の窓に特徴がある。待合室は独特な形状の2本の柱や天井飾りに意匠上の工夫が見られる。簡潔な外観の駅舎として親しまれている。」





日吉東照宮
「天海により元和9年(1623年)に創建された。主祭神は徳川家康公で、日吉大社末社である。寛永11年(1634年)に本殿と拝殿を石の間で連結する権現造の様式で改築されたもので、これは日光東照宮に先立ち、その原型になったとされている。漆塗り・極彩色の彫刻で装飾されている。」
鳥居

参道

唐門(重要文化財)
「江戸前期の寛永11年(1634)建造、四脚平唐門、檜皮葺。」









透弊(重要文化財)
「江戸前期の寛永11年(1634)建造、一周延長五十四間、檜皮葺、潜門二所を含む。」

本殿(重要文化財)
「江戸前期の寛永11年(1634)建造、本殿は、桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、銅板葺。石の間は、桁行三間、梁間一間、一重、両下造、銅板葺。拝殿は、桁行五間、梁間二間、一重、入母屋造、正面千鳥破風付、向拝三間、軒唐破風付、銅板葺。」







境内からの景色

円頓坊山門

権現馬場

恵日院山門



慈眼堂
「慈眼大師南光坊大僧正の廟である。徳川家康・秀忠・家光三代将軍に幕府の顧問として遇され元亀の兵火で全山焼土と化した比叡山の復興に尽力した。寛永20年家光の命により建立された。慶安元年大師号の宣下をうける。」















根本伝教大師



滋賀院門跡
「比叡山延暦寺の本坊(総里坊)である。この寺は、元和元年(1615)天台宗の僧天海が、後陽成天皇から京都法勝寺を下賜されてこの地に建立した寺である。滋賀院の名は1655年(明暦元年)後水尾天皇から下賜されたものである。滋賀院御殿と呼ばれた長大な建物は1878年(明治11年)火災により焼失し、比叡山無動寺谷法曼院の建物3棟が移されて再建された。」

唐門

通用門

庫裏















大富駒鈴神社





















白髭大明神



実蔵坊山門

寿量院



日吉馬場

大将軍神社
「創祀年代不詳であるが、日吉大社境外百八社の一社である。天台宗開祖の伝教大師の産土神であり、坂本中の総社である。」
スジダイ(滋賀県指定自然記念物)
「幹回り5m、樹高14m、樹齢(推定)300年以上。スジダイとしては県下有数の巨木である。」









生源寺
「奈良時代後期、最澄(767-822)によって開山されたと伝えられる。」
山門

鐘楼

本堂











作り道















鐘軌さん

別当大師堂





律院
「本尊、釈迦如来をお祀りしている。
山門



庫裏







境内案内図



本堂











祖師堂

護摩堂

























鐘楼

大政所



止観院



お疲れ様でした。次は近江神宮にお参りします。
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日吉大社(大津市)

2016-12-06 00:01:43 | 滋賀
2016年12月5日、お参りしました。大津市坂本周辺の観光です。西教寺をお参りし、続いて、日吉大社です。入苑協力金300円です。
滋賀県大津市坂本5-1-1
map
パンフレットより「比叡山の麓に鎮座する当大社は、およそ2100年前の崇神天皇7年に創祀された、全国3800余の分霊社(日吉、日枝、山王神社)の総本宮です。東本宮のご祭神である大山咋神は日本最古の書物である古事記にもその御神名が記されている比叡山の山の神様です。また、西本宮のご祭神である大己貴神は、天智天皇の御代に奈良から大津への遷都が行われた際に奈良の三輪山より御神霊をお迎えし、国家鎮護の神として祀られました。平安京遷都の折には、この地が都の表鬼門(北東)にあたることから、都の魔除・災難除を祈る社として、また伝教大師が比叡山に延暦寺を開かれてより天台宗の護法神として多くの方より崇敬を受け、今日に至っています。境内には魔除けの象徴として、神猿(まさる)と呼ばれる猿が祀られ、「魔が去る、何よりも勝る」に因んで大切にされてきました。中世には織田信長公の焼き打ちによって、以前の建造物等全て灰燼に帰しましたが、その後の復興によって今日の姿となっています。また、境内には約3000本のもみじがあり、関西屈指の紅葉の名所として多くの参拝者で賑います。」
境内案内図

鳥居

二宮橋(重要文化財)
「桃山時代(1573-1614)建造、石造桁橋、橋脚 四基、高欄付。」





大宮橋(重要文化財)
「桃山時代(1573-1614)建造、石造桁橋、橋脚 四基、高欄付。」



走井橋(重要文化財)
「桃山時代(1573-1614)建造、石造桁橋、橋脚 ニ基。」





参道



猿塚



山王鳥居
『神仏習合の信仰を表わす独特の形。「合掌鳥居」とも呼ばれています。』





子安・子立社と惣社

参道

神馬と神猿





社務所

神札授与所

西本宮楼門(重要文化財)
「桃山時代の天正14年(1586)建造、三間一戸楼門、入母屋造、檜皮葺。」樹木伐採作業のため、立ち入り禁止でした。

西本宮拝殿(重要文化財)
「桃山時代の天正14年(1586)建造、桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、妻入、檜皮葺。」樹木伐採作業のため、立ち入り禁止でした。

西本宮本殿(国宝)
「桃山時代の天正14年(1586)建造、桁行五間、梁間三間、日吉造、檜皮葺。」樹木伐採作業のため、立ち入り禁止でした。

摂社宇佐宮拝殿(重要文化財)
「桃山時代の慶長3年(1598)建造、桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、妻入、檜皮葺。」樹木伐採作業のため、立ち入り禁止でした。







摂社白山姫神社拝殿(重要文化財)
「桃山時代の慶長6年(1601)建造、桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、妻入、檜皮葺。」



摂社白山姫神社本殿(重要文化財)
「桃山時代の慶長3年(1598)建造、三間社流造、檜皮葺。」







剱宮社と小白山社

八坂社と北野社

救済地蔵





忍耐地蔵

恵毘須社

東本宮に進みます。





三宮

牛尾宮

東本宮楼門(重要文化財)
「桃山時代の天正~文禄2年(1573-1593)建造、三間一戸楼門、入母屋造、檜皮葺。」













摂社樹下神社拝殿(重要文化財)
「桃山時代の文禄4年(1595)建造、桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、妻入、檜皮葺。」



摂社樹下神社本殿(重要文化財)
「桃山時代の文禄4年(1595)建造、三間社流造、檜皮葺。」



内御子社

日吉雄梛

東本宮拝殿(重要文化財)
「桃山時代の文禄5年(1596)建造、桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、妻入、檜皮葺。」



東本宮本殿(国宝)
「桃山時代の文禄4年(1595)建造、桁行五間、梁間三間、日吉造、檜皮葺。」













竈殿社









新物忌神社

早尾神社



稲荷社

多羅葉



厳滝社



猿岩

氏神神社

氏永社

八柱社

走井祓殿社
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西教寺(天台真盛宗)・大津市

2016-12-05 22:08:23 | 滋賀
2016年12月5日、天気がいいので、ドライブで大津市坂本周辺に行きました。まずは西教寺にお参りです。
滋賀県大津市坂本5丁目13-1
map
説明書より『西教寺は、聖徳太子が、仏法の師である慧慈・慧聰のために開創された寺で、推古天皇の26年(618)に大窪山の号をたまわり、天智天皇の8年(669)に西教寺の号を下賜されたと伝えられている。寺記には天台座主慈恵大師良源大僧正・恵心僧都が念仏道場とした。その後、比叡山で修行した真盛上人が文明18年(1486)入寺し、不断念仏の根本道場として、西教寺を再興された。明治11年(1878)明治政府によって別派独立が公許、「天台宗真盛派」の本山となった。昭和16年(1941)に天台三派合同となったが、終戦とともに、昭和21年(1946)に天台宗三派、延暦寺(山門)三井寺(寺門)西教寺(盛門)が分離、天台宗真盛派を「天台真盛宗」と公称して独立、今日に至っている。』

寺標

山門

沢庵禅師の碑

第39回全日本仏教徒滋賀大会の碑

文学ゆかりの地(小説細川ガラシャ夫人)



禅明坊門(登録有形文化財)
「明治初期建造、1間1戸高麗門の形式で、親柱を上部に延ばして直接棟木を受け、軒は疎垂木、屋根は桟瓦葺とする。親柱を結ぶ内法虹梁と木鼻に施した絵様や、親柱足元の八艘飾などが、意匠の見所となっている。参道の北側の東端に位置し、参道らしい連続性を保っている。」

参道

徳乗坊門(登録有形文化財)
「明治初期建造、形式は1間1戸の薬医門であるが、軒は疎垂木・木舞打で、起りのある桟瓦葺の屋根を架け、冠木を丸太状の材とするなど、数寄屋風の意匠が取り込まれており、近代和風の造形と思われる。参道の北側、實成坊と禅明坊の間に位置し、参道空間に欠かせない存在。」







聞證坊門

實成坊門(登録有形文化財)
「江戸末期建造、實成坊は近世より続く西教寺の塔頭のひとつである。敷地南の門は1間1戸の薬医門で、軒が疎垂木、屋根が桟瓦葺。組物は簡素な絵様肘木であるが、妻の虹梁・大瓶束架構を見所とする。両側に続く穴太衆積の石垣と一体となって参道景観を形成している。」







禅林坊門(登録有形文化財)
「江戸末期建造、1間1戸薬医門の形式で,軒は疎垂木,屋根は桟瓦葺,妻飾は蟇股とする。木鼻や蟇股などの絵様細部に江戸末期らしい造形がある。北にある實成坊と対になって,参道空間を形成している。」











宗祖大師殿参道



宗祖大師殿説明書
「天台真盛宗、宗祖圓戒国師慈攝大師真盛上人のお木造をおまつりしているお堂です。嘉吉3年(1443)伊勢の国一志の郡小倭大仰の里に出生、(現在の三重県一志郡一志町大字大仰)14歳で出家、文明18年(1486)西教寺に入寺され、堂塔と教法を再興、19歳から20年間比叡山中に籠り日課六万遍の称名念仏を修め朝廷、公家、武士、庶民へ持戒と念仏の布教を行い戒称ニ門不断念仏の根本道場とした。」

西教寺宗祖大師殿唐門(登録有形文化財)
「大正6年(1917)建造、木造四脚門、瓦葺、間口4.2m、左右袖塀全長3m及び築地塀全長38m付。大師殿の正面、東面して建つ1間1戸の四脚門で、両側に折曲がりの築地塀が延びる。屋根は檜皮葺、入母屋造・前後軒唐破風付。組物は三斗組と簡素だが、虹梁上に配された龍や獅子など多彩な彫刻、彫物欄間や板欄間、精緻な飾金具など、華やかな造形である。」



























西教寺宗祖大師殿(登録有形文化財)
「明治27年(1894)建造、木造平屋建、瓦一部銅板葺、建築面積312㎡。入母屋造・桟瓦葺,正面軒唐破風付で、丸柱・舟肘木の軸部、疎垂木・木舞打の軒廻り、擬宝珠高欄付の縁など、格式の高い住宅建築の意匠になる。内部の小組格天井や筬欄間なども繊細である。」





西教寺宗祖大師殿通用門(登録有形文化財)
「大正6年(1917)建造、木造平唐門、瓦葺、間口3.0m、左右袖塀全長3m及び築地塀全長43m付。」







宝珠丸(宗祖真盛上人幼形像)

西教寺宗祖大師殿水屋(登録有形文化財)
「大正6年頃(1917)建造、六角形平面で円形花型の水盤を覆い、桟瓦葺屋根で宝珠をのせる。長押で固めた6本柱で、六角に組んだ桁を支える。通用門と対面した位置に建ち、大師殿伽藍の北側の景観上、欠かせない存在となっている。」





勅使門







十三重石塔







西教寺水屋(登録有形文化財)
昭和19年(1944)建造、本堂南に建つ。長方形平面で、中央に細長い水盤を置く。軸部は角柱を建てて、斜材で補強し、三斗を組んで桁を受け、天井は格天井とする。屋根は入母屋造・本瓦葺、二軒繁垂木で深い軒をつくり、小規模な建築であるが、堂々とした外観を構成している。」



宝篋印塔



六地蔵





西教寺本堂(重要文化財)
「江戸中期の元文4年(1739)建造、本堂 桁行七間、梁間六間、一重、入母屋造、向拝三間、本瓦葺。裏堂 桁行一間、梁間一間、一重、背面入母屋造、正面本堂に接続、本瓦葺、背面及び両側面もこし付、もこし桟瓦葺。」



















西教寺客殿(重要文化財)
「桃山時代の慶長2年(1597)建造、桁行27.1m、梁間15.3m、一重、南面入母屋造、北面切妻造、こけら葺。」









坂本城主・明智光秀の妻凞子の墓



坂本城主明智日向守光秀とその一族の墓





名号石



放生池太鼓橋



西教寺御廟参道



西教寺御廟(登録有形文化財)
「江戸時代末期の天保13年(1842)建造、伽藍の南西、本堂の西の高台にある。四半敷の基壇に建ち、平面は桁行1間・梁間2間だが方形で、正面に向拝を設ける。屋根は宝形造で、軒は二軒繁垂木、組物が二手先で先端に絵様をつけた尾垂木を組む。蟇股や手挟など彫刻が豊かで、江戸末期の造形を示す。」

















染殿(五輪塔)
「無銘であるが、西教寺境内で最も古い鎌倉時代の石造品である。」







観音堂

西教寺納骨堂(登録有形文化財)
「大正6頃建造、入母屋造・桟瓦葺の本屋を高くして、周囲に庇を廻す。軒は本屋・庇とも一軒疎垂木・木舞打で軽快につくる。内部は外陣・内陣の構成になり、内陣奥に通し仏壇を設ける。本堂の東南に建ち、棟を直交させ複雑で動きのある外観で、景観のアクセントとなっている。」



鐘楼(大津市指定文化財)







西教寺正教蔵(登録有形文化財)
明治12年(1879)建造、土蔵造2階建、瓦葺、建築面積24㎡。本堂の東側にある2階建の土蔵。切妻造・桟瓦葺で、西面には切妻造・起り屋根の庇を設け、蔵前とする。外壁は上部白漆喰塗、下部縦板張とし、蔵前は柱から軒裏まで漆喰で塗り込める。庇の虹梁絵様や誇張的な板蟇股などに、明治初期の意匠が伺える。」





大本坊













書院









安養院門(登録有形文化財)
「昭和2年(1927)建造、安養院は恵心僧都源信につらなる安養尼の遺跡の旧地と伝えるが,現在の建物は昭和初期に山口玄洞氏の寄付で再興された。敷地北側にある門は切妻造,桟瓦葺の1間1戸薬医門で,軒廻りや組物は簡素であるが,絵様細部は大柄で,堂々とした外観を持つ。」



安養院庫裡(登録有形文化財)
「敷地のほぼ中央に,北面して建つ。入母屋造,妻入で,ゆったりとした桟瓦葺の大屋根を架け,4周に下屋庇を廻し,西側には切妻造の台所棟を連結する。側廻りは角柱に舟肘木をあげ,内部は均整のとれた比例で室内空間をつくり,欄間などの細部は繊細である。」







安養院蔵(登録有形文化財)
「阿弥陀堂の北側に並立して建つ。総2階建、寄棟造、桟瓦葺、妻入で、外壁は腰をモルタル塗、上部を漆喰塗とし、東面に銅板葺の庇を設ける。派手さはないが、東面の出入口廻りは漆喰で鳥居型につくり、内部の壁も幅広の縦板壁とするなど、技術的な質が高い。」

安養院阿弥陀堂(登録有形文化財)
「敷地西側の阿弥陀堂は乱石積基壇上に東面して建ち、入母屋造、桟瓦葺で、4周に切目縁を廻し、正面1間を広縁とする。禅宗寺院の方丈建築を意識しつつ、内部空間や細部の造形に近代的要素がある。」



安養の池





安養院弁天堂(登録有形文化財)
「敷地西側のほぼ中央の小高い地に東面して建つ。方形平面で背面に仏壇部を張り出し、正面と両側面に擬宝珠高欄付の縁を廻し、軒は深くつくる。小規模だが、軸部を長押で固め、組物を三斗、建具を板扉と連子窓、内部を小組格天井とした正統的な和様の仏堂建築。」



安養院礼拝堂(登録有形文化財)
「聖天堂西側にあり、渡廊下で連絡している。桁行3間、梁間2間、入母屋造、桟瓦葺の小規模な建物。角柱に舟肘木をあげて、桁を受ける。1軒疎垂木であるが、緩やかに反った軒をつくり、木連格子の妻飾や正面と両側面に設けた連子窓など、丁寧な造形である。」

安養院聖天堂(登録有形文化財)
江戸後期(1751-1829)建造、木造平屋建、瓦葺、建築面積55㎡。天保期の絵図や、細部の様式から江戸後期と考えられ、安養院で最古の仏堂。内陣を核として、前面へ凸状の外陣を設け、右手に炊事場、左手には書院が接続する。土蔵造で宝形屋根の内陣と入母屋造の外陣などを巧みに処理した複雑で特異な形態の仏堂。」

安養院地蔵堂(登録有形文化財)
江戸末期(1830-1867)建造、木造平屋建、瓦葺、建築面積32㎡。庫裡南側に南面して建つ宝形造、桟瓦葺の小堂。部材の風蝕程度から、江戸末期頃の建築と思われる。内部は1室で、4周に軒支柱を立てて、背面を仏壇、左側面を物置にする。全体に質素であるが、正面は時代に相応しい豪華な彫刻欄間を設け、意匠を引き立てる。」

宗祖真盛上人の説明書

西教寺と護猿の由来
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光明寺(法然上人浄土門根元地)

2016-12-01 00:36:01 | 京都
2016年11月30日、お参りしました。光明寺は、阪急長岡天神駅よりバス20系統で15分乗車のところです。紅葉の季節の特別入山料500円です。
京都府長岡京市粟生
map
説明書
「当寺は、西山浄土宗の本山で、寺伝によれば、建久9年(1198)に蓮生法師(熊谷次郎直実)により創立され、法然上人を開山第一世としています。境内は広く、洛西一の伽藍を誇り、主要な建物は山内に点在し廊でつながれています。応仁、元亀、天正の兵火にあい、江戸時代には享保19年(1734)の火災により焼失し、大半の建物はそれ以降の建立です。総門をくぐり、美しい石畳の参道を登ると、正面に壮大な御影堂が、その右奥には阿弥陀堂があります。御影堂は宝暦3年(1753)の再建で、派手な装飾はないが全体的構成の精美性を意匠の主眼としたものです。阿弥陀堂は寛政11年(1799)の建立で、本堂より少し華やかな造りとなっています。御影堂の後方にある御廟は明暦2年(1656)の再建で禅宗様を基調とした華麗な造りです。軒下周りの組物には多くの彫刻が施され、廟内の板壁は飛天や雲、蓮の花などが極彩色で描かれています。その前にある拝殿は山内では最も古い承応2年(1653)の建築です。御影堂の左下には元文元年(1736)の釈迦堂、、勅使門があり、庫裏、講堂へと続きます。天保4年(1833)に建立された講堂は食堂とともに浄土宗寺院でも檀林(仏教の学問所)に関する類例の少ない遺構群であります。」

寺標

参道

境内案内図

浄土門根元地

総門(長岡京市指定文化財)
「高麗門という形式で、天保16年(1845)に建立。」









東行逆馬の碑
『表参道と紅葉参道との分岐点にあります。馬の背に逆さに乗っているお坊さんの姿が刻まれています。蓮生法師は法然上人の教えにしたがって熱心に修行をしましたが、蓮生法師は阿弥陀様がいらっしゃる西方をうやまうあまり、関東への布教の度に出るときも、「西におしりを向けて進むことはできない。」と、馬に逆さに乗って西をおがみながら進んで行ったそうです。元荒武者らしい熊谷次郎直実の姿です。』

閻魔堂
「総門をくぐって、すぐ左手にあります。」



表参道























塩田紅果之句碑

観音堂(長岡京市指定文化財)
『参道を上がって右手です。光明寺は洛西観音三十三霊場の七番目の札所です。「十一面千手観音」を祀っています。』



手水舎

御影堂(長岡京市指定文化財)
『宝暦3年(1753)に再建された、当山の中心になるお堂、御本尊は法然上人御自作の「張り子御影」です。これは法然上人が75歳の時、「建永の法難」と呼ばれる弾圧により四国へ流罪になったとき、弟子の願いに応えて、大切にしていた母君からの手紙を張り合わせて自らの姿を像に作り、形見として与えたものです。』



装飾瓦

鬼面瓦

風鐸



彫物

燈籠

経蔵(長岡京市指定文化財)
「宝永4年(1707)に建立した。」

勧化所

紅葉と法然上人の「石棺」
『柵の前の碑には「圓光大師御石棺」と刻まれています。圓光大師とは法然上人の大師号です。」

渡廊

釣燈籠







阿弥陀堂(長岡京市指定文化財)
「寛政11年(1799)に再建された総けやき造りのお堂、ご本尊の阿弥陀如来像は六尺七寸(約2m)以上もある大きなものですが、熊谷蓮生法師が琵琶湖畔堅田の浮御堂から背負って帰って来たという言い伝えがあります。」











位牌堂

勢至堂

鐘楼(長岡京市指定文化財)



梵鐘



法然上人像



モミの木(保存樹木)



釈迦堂(長岡京市指定文化財)
『ご本尊は「頬焼の釈迦如来」、淀の水津村の漁師で、悪次郎とあだ名されたほどの乱暴者が、托鉢の僧(実はこのお釈迦様)と出会って心を入れ替えるという物語に登場する仏像です。頬には悪次郎に焼火箸で焼かれた跡という傷が見えます。釈迦堂前の白州に大小18個の石を配した庭は、阿弥陀さまの慈悲に包まれながら生死の大海を渡る念仏行者の姿を現しているといわれています。一番大きな三つま岩は弥陀三尊のお姿です。また18という石の数は、阿弥陀如来さまが私たちに約束してくださっている四八番目「念仏往生の願」を象徴しています。』









勅使門(長岡京市指定文化財)





十三重石塔

柏槙(長岡京市指定文化財)
「高さ15m、根元の周囲が4.6mにも達する巨木で樹齢4、5百年といわれ、京都府かにおいても学術的価値が高い。」

大書院玄関(長岡京市指定文化財)





円光大使火葬跡

鎮守社



茂右ヱ門屋敷跡











表寮門















もみじ参道
「総門から薬医門をへて玄関へいたるゆるやかな坂道の参道は、両側から楓の木々が大聞く枝を伸ばし、紅葉の季節には華やかな紅色のトンネルになります。」

















薬医門(長岡京市指定文化財)





















紅葉参道



















光明寺の竹林

























いっぷく亭で昼食です。



もみじ重膳2400円です。

食事後は、長岡天神にお参りしました。こちらの紅葉も素敵でした。

































お疲れ様でした。
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