晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

さよなら佐渡 8/31

2006-09-02 | 旅行記

 2006.8.31(木)曇り、晴れ   
 5:30 起床
 6:23 旅館喜代勢発  9:10 両津港発  11:30 新潟港着
15:10 新発田市 紫雲寺記念公園オートキャンプ場着

 8月最後の日が来た。佐渡も今日が最後。船の変更手続きが必要なため朝食抜きで出発する。女将はコーヒーを出してくれた上、缶コーヒーまで持たせてくれた。早朝の国道は空いていて走りやすい。自転車の練習をしている選手に3名会った。ここの道じゃ朝しか練習にならないためか。7時を過ぎるといつものように乗用車に混じってダンプ、ミキサー車、バスがどんどん走り出す。
 すべての車がスピードが速い。みんな必死で走っている様子である。軽自動車も圧倒的に多いのだが、田舎でよく見られるようにノロノロ走っている車は1台もいない。
 島の道路は概して狭い、信号が少ない、ほとんどが追い越し禁止である。そこでダンプに追い上げられるのだからみんなスピードが速くなるのではないか。みんな右左折も強引である。待っていたら永久に曲がれないのだ。交通マナーなんていくら立派な看板たててもよくならない。道路環境を良くすることしかないのではないか。Img_0408
 佐渡は道路走行で最後まで嫌な思いをしてしまった。でも宿の女将、毎日通ったスーパーのおばさん、金山で会ったタクシー運転手さん、船会社の人みんな親切にしていただいた。ありがとうございます。
 船上で目を覚ますと、佐渡の島影は薄くなり、4日前に越えてきた弥彦の山々が濃くなってきた。御赦免になった罪人の心境もいかばかりか。Img_0426
 新潟からはR113北上、大型車多いが広い道で気持ちよく走る。人工の堀割の話をした阿賀野川を渡る、河口も信濃川に負けない大きさだ。Img_0428

  新発田市の県立公園に宿泊施設があるので、訪ねてみると案の定満室。仕方なく隣のオートキャンプ場にいくとこれが大正解で、海に面し景色抜群、日帰り温泉、レストランもあり最高。管理のおじさんになにかと便宜を図ってもらい、快適な夜を過ごす。温泉は源泉51度で加水、循環、殺菌だが強烈な塩泉で設備も良く、岩をくりぬいた露天風呂、サウナもあり久々にリラックスする。Img_0429  
  ★県立紫雲寺オートキャンプ場 新発田市R113沿い 二輪1,400円
  設備、景色最高 潮騒の音が気になる人は眠れない。

走行65Km 累計 1、385Km  費用26、470円

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佐渡3日目 8/30

2006-09-02 | 旅行記

 2006.8.30(水)雨、曇り   
 7:30 起床
13:00 宿発  尖閣湾~佐渡奉行所
16:30 宿着

 天気予報は雨、しかも大雨洪水警報が出ている。今日は二ツ亀に行く予定をしていたのだが、この天気では雨読するしかない。またしても連泊の予約をして、朝寝をする。
 昼頃目を覚ますと、なんと晴れているではないか。午後は80%の降雨予想だったのに。大雨洪水警報もあっさり取り消されていた。昨日といい今日といいなんだこの天気予報は、相川測候所はなにしとんじゃい。女将がおにぎりを作ってくれた。でかけんわけにはいかなくなり、トライアスロンの自転車コースを尖閣湾までいってみることにする。
 道路は相変わらずの状態、おまけにアスファルトの端が盛り上がって段差になっているのだ。これではMTBはともかくロードレーサーはたまらないだろう。レース当日は道路封鎖されるのでよいが、練習で走る環境としては最悪だ。ダンプの交通マナーも最低で恐ろしくてたまらない。
 尖閣湾までの道は景色は最高、しかしレース中の選手には景色を楽しむどころじゃないかも知れない。尖閣湾も遊歩道があり、雄大な景色を楽しむことが出来る。他に人もいなく私独り占めの景観である。一番いいところは入場料を払わないと見られない。ばかばかしいから引き返す。Img_0415
 Img_0416

Img_0417 尖閣湾の景色、お客は私ひとり

 昨日見る気のしなかった奉行所再現の見学をする。学芸員さんの説明付きだったが、昨日からよくよく勉強しているので聞くこともない。と思いきや帰り道疑問が沸いてきた。あれほどの鉱山でありながら、鉱石以外の土砂は一体どこへ行ったのだろう。炭坑ならボタ山で残るのだが、金山にはそれらしいものは一向に見あたらなっかたのだ。Img_0419  

走行34Km 累計 1、320Km  費用1、459円

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金山をめぐる 8/29

2006-09-02 | 旅行記

 2006.8.29(火)曇り   
 7:00 起床
 9:30 宿発  七浦海岸~相川郷土博物館~佐渡金山~佐渡博物館
16:30 宿着

 天気予報は雨だったので連泊の予約をし、休養の予定としていた。ところが朝になるとすっかり晴れているのだ。よし今日は一番見たかった金山を見に行こう。実は私は鉱山おたくなのだ。鉱山、とくに戦前の鉱山には底辺に生きる人間の生活が凝縮されている。差別、貧困、事故、病気、労働苦、地獄の穴蔵でも生きていかねばならなっかた人々の生き様を少しでもかいま見たいという欲求があるのだ。
 宿は古いが、女将さんはよくしてくれ、たとえば洗濯をしてくれたり、出発時には缶入りのお茶をくれたり、感謝に堪えない。
 とりあえずは七浦海岸の美しい景色をみようと半島をまわる。長手岬はホテル、キャンプ場、海水浴場などそろったところであるが、夏の終わりの海は寂しい、しかもゴミが多すぎる。海岸線には奇岩が続き面白い。Img_0388
 突然後ろから「こんにちは、ツアーですか」の声。振り返ると年配のトライアスリート、ずいぶん早くからの来島だ。しばらく併走して自転車のコースなどを聞く。彼はBタイプで小佐渡を回るそうだ。みると片足がカーボンの義足である。障害を持つ方もトライアスロンを楽しめる時代となっているのだ、ひょっとしたら先般NHKで放送していた仲間なのかな。とにかく頑張れ。
 夫婦岩なるところに着いた。岩が二つ並んでいればたいがい夫婦岩となるのだが、この岩たちはなるほど納得の夫婦岩だ。Img_0390
どちらが男?

Img_0409 相川測候所

 相川は初めて訪れる街なのに何かなつかしい感がする。山岳部の時代に毎日4時になるとNHK第二放送で気象通報を聞いて天気図を書かされていた。「相川南南西風力3、1002ミリバール」なんてね。ここがその相川かなんて思っていると、相川測候所が現れた。
 まづ相川郷土博物館を訪れる。明治の御料局佐渡支庁跡にあるこの資料館は木造の当時の建物のままで、建物だけでも貴重な資料館である。金山の様子、特に用具、道具、技術に関する詳しい展示があり水上輪(坑内の水をくみ上げる用具)など実際に動かしてみることができる。驚いたのは佐渡金山が平成元年まで稼働していたことだ。もうひとつ有名な「道遊の割戸」は巨大な露天掘りの跡ということだ。実は私は自然の景観と思っていたのだ。人間の力というか欲というかそういったものはすさまじい。坑道はついには海面下に達し、その総延長は佐渡から江戸にまで達すると言うではないか。Img_0396

相川郷土資料館

Img_0391  

金山最後の金、銀Img_0402

道遊の割戸

Img_0418

相川の図(奉行所跡)

 相川の人口は最盛期には4,5万と言われている。あの地域にはたしてどのように住まいしたのか、想像も出来ない。遊郭や心中の史実もよく展示してあったが、残念ながら私の期待したものは得られなかった。金銀の採掘方法、優れた技術、繁栄した街などは描かれているが、先ほど申し上げた底辺の人民の苦しみや矛盾は描かれていなかった。江戸末期に水替(水のくみ出し人夫)に無宿人が送られたこと、戦前の部屋で逃亡を防ぐ必要があったことが少し述べられているだけである。それどころか遊郭のコーナーで苦界に身を投じた遊女がそれほど我が身を苦しいとは感じていなかったようであると言うくだりには
疑問を通り越して怒りを覚える。その理由は「彼女たちは親孝行の精神をもっており、親の借金返済を助けることが親孝行であるという。また華美な生活を楽しんだ」というのだが、、、、。
 佐渡金山は株式会社ゴールデン佐渡という会社が坑道等を展示しており、全く観光用なので私の見たい知りたい事柄は望むべくもない。Img_0399 

本物の金塊 12Kg超Img_0405

坑道の中は10度程度で、このスタイルでは寒いこと

 現地の相川でこの調子だから、佐渡博物館では金山の真実は知ることができない。たとえば、佐渡金山の生産量は昭和15年が最高となっている。つまり戦中なのである。この間各地の鉱山、工場では朝鮮や大陸からの徴用が当然となっており最大の佐渡鉱山でもあったに違いない。しかしこれらについては今日の博物館等ではひとこともふれていない。
 岡谷、諏訪の女工哀史でもそうだが、産業発展の陰に常に底辺の人たちがいた。そこに陽を当て、発掘顕彰しなければ歴史なんて学問は何の意味もないのではないか。
 帰り道では、9月3日に行われるトライアスロンのスタート地点でぼんやりしてみた。トランジションエリアやスタート地点の準備が進められており、数年前の自分を見ているようでなつかしく楽しい気分であった。
Img_0413

Img_0414 スイムスタート地点とトランジションエリア、大会当日は1,500人の選手でにぎわう。

★旅館喜代勢 五十里バス停 1泊2食 7,200円  

走行 47Km 累計 1、286Km  費用2,156円

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佐渡へ佐渡へと 8/28

2006-09-02 | 旅行記

 2006.8.28(月)曇り、雨   
 6:00 起床
 8:20 新潟ステイションホテル発 9:30 新潟港発  11:50 両津港着
15:00 佐和田 喜代勢着

 佐渡渡航の朝が来た。新潟は選挙の様子で朝から騒がしい。よそ者の私にはチラシも配らない。新潟港の真向かいに昨日行った博物館がある。思えば新潟市は自然との厳しい戦いの上に今日がある都市だと思う。信濃川、阿賀野川の両大河を抱え、日本海側は砂丘の浸食、天然ガス汲み上げによる地盤沈下、そして新潟地震等天災の少ない京都人には想像の出来ない戦いがあったのだろう。とりわけ水との戦いは永年に渡り、信濃川の分水(昨日通ってきた所)や阿賀野川の河口が江戸時代における人工のものとは恐れ入る。ただし
阿賀野川河口は人工の堀割が決壊してできたものではあり、本来の阿賀野川は信濃川に注いでいたということである。
 天然ガスの汲み上げというのも信じられないような話なのだが、各家庭に地下水汲み上げと地下水とガスを振り分け、ガスを貯蔵する装置があったそうである。そういえば私どもの時代の教科書には新潟の石油と天然ガスは必ず記載されていた。
 そんな思いをしているうちにドラの音が鳴り、出航の時となった。目の前に日本郵船の飛鳥Ⅱが停泊している。本日出航してナホトカに3泊4日のクルージングに出るとか、運賃は安いので16万円とか聞いている。自転車ともで往復7,000円あまりの私の旅とはあまりに格差を感じるのである。Img_0385_1
飛鳥Ⅱやたらでかい

Img_0383 信濃川河口 8月18日千曲川からつきあってきた、やっとお別れだ。

 朝が早かったので眠いのだが、船室は寒すぎて眠れない。寒くしておいて毛布100円とは許せない。帰路はシュラフを用意しよう。
 2時間あまりで両津港に到着、さてどうしようか。佐渡では9月3日にトライアスロンが行われる。スタート地点に宿を取っておけば誰か知り合いに会うかも知れない。安易な気持ちで佐和田に宿を予約する。
 R350は佐渡で唯一の国道だが、決して広くない。歩道もあったり無かったりで使えない。それに何よりも通行量がやたら多いのだ、特にダンプが。後ろから来た車は、対向車線に出て追い越してゆく、対向車がいれば追い越せないので自転車の後ろに連なることとなる。車は対向車が来るまでに追い抜きたいので加速して追い越してゆく。これが実に恐怖なのだ。これですっかり佐渡がいやになってしまった。佐渡中の道が同じような状況なのだ。
 宿は安いところを頼んだせいか古い建物であった。閉鎖された部屋にいたら憂鬱になってしまう。トライアスロンの会場やどこかいい宿がないか調べに行こうと思ったとたん雨が降ってきた。ほんとについてないぜ、ビールを飲んでふて寝してしまう。

 ★新潟ステイションホテル 新潟駅前 1泊3,990円 朝食420円
  無線LAN、ランドリー等すべて完備

走行 25Km 累計 1、239Km  費用8,573円

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佐渡を目指して(2) 8/27

2006-09-02 | 旅行記

 2006.8.27(日)曇り、晴れ   
 6:30 起床
 8:50 弥彦村のと屋発
15:30 新潟ステイションホテル着
 
 神社仏閣にはあまり興味ないのだが、ここへ来て素通りは出来まい。朝一番に弥彦神社にお参りし、旅の安全を祈る。杉木立の中の荘厳な神社で、最近よく目立つ手の洗い方とかお参りの仕方とか書いたパネルもなくシンプルで大変結構。本殿には例の鈴の着いた綱(鈴緒と言うそうだ)が無い、何か曰くがあるのだろうか。Img_0366
荘厳な本殿

 今日は相撲節会とかで相撲大会が行われるのだが時間的に見られないのは残念である。かつては本物の力士が奉納相撲をとったそうである。境内に妙なものがあった。2基しか残っていないという石油精製釜だそうだ。そういえば新潟って石油や天然ガスの産地って習ったよね、今じゃ教えないだろうけど。Img_0369

石油精製釜

御祭神は神武天皇に仕え、鎌倉幕府、上杉謙信、徳川幕府、明治天皇、昭和天皇と脈絡のある系譜が書いてある。何とも世渡り上手な御祭神と感心する。
 門前の饅頭屋でういろうと饅頭を買う。食事の付いてない宿なのに、昨晩7時には周りの店が開いていないのである、土曜の夜ってのにさみしい限りである。
 県道2号線は狭くて車も多いので、海沿いのR402を走る。周りは見渡す限りの砂地の畑で、牛蒡、ネギ、瓜類などの作物が育っている。水はスプリンクラーで供給できるとして、養分はどうするのだろう。Img_0376
こんな感じの畑が何キロも続く

 すぐに新潟に着いてしまった。しばらく町中を走るのかと思っていたら、新潟の西半分を海沿いにまわるサイクリングロードがあった。公園や水族館、プールなどが道中にあり市民の憩いの場となっている。Img_0379
市民に親しまれているサイクリングロード

 終点からすぐに佐渡汽船はあるのだが、時間に余裕があるので市歴史博物館に寄る。旧新潟市庁舎が本館で敷地内に旧新潟税関庁舎、旧第四銀行住吉町支店などレトロな建物がある。旧四銀のレストランに入ったが、おしゃれで高額、私の昼食には合わないので出てきてしまった。
Img_0380

旧四銀住吉町支店、一階はレストランImg_0382
新潟市歴史博物館

Img_0381 旧新潟税関庁舎

  佐渡汽船で明日の渡航の手続きをする、なんか海外にでも行くような気持ちでわくわくする。
 新潟ステイションホテルは新潟駅の前、無線LANがあるので必死に記事を書いている。
夕食は近所にへぎそばがあるので食する。小千谷より緑色が薄く、柔らかい感じである。きくと小千谷だけでなく、長岡、新潟に食する店があるそうだ。もう十日あまり毎日蕎麦を食べている。そろそろ通になれるかな。

 ★旅館のと屋 弥彦神社門前 
  素泊まりのみ 5,250円 バストイレ付き洋室
    近所に日帰り入浴、食堂有りお手軽 井戸水がおいしい
 
走行 51Km 累計 1,214Km  費用9,619円

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