晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

田沢湖マラソン 9/17

2006-09-19 | 旅行記

 2006.9.17(日)    曇り         
 7:00 起床
 9:00 風と石ころ発~田沢湖一周~郷土資料館
15:30 風と石ころ着      

 夕べは雨が降ったようだが朝にあかってあかるい朝を迎えた、完全に雨の予報なので大事をとって延泊しているのになんてこったい。田沢湖もまだ行ってないし、温泉もゆっくり入りたいし、ブログも3日分溜まってるしまあいいか。
 鶴の湯に行くという同宿のI君を見送って田沢湖に向かう。今日は田沢湖マラソンなのだ。スタート地点はサロメチールのにおいがたちこめ、緊張した選手でごったがえしている。いつかこんな場面にいたなあとなつかしく思い出す。マラソン中に無くなったK先輩
の姿がそこにあるようで、妙に哀しい。 Img_0691
Img_0692

スタート前の緊張感、右は河童淵のランナー達

Img_0697 駒ヶ岳とランナー


 田沢湖一周道路は20Kmあり、今日は規制のため車は走っていない。またしても独り占めだ。両側に杉と広葉樹が交互に現れ、隙間から湖面が見える。さわやかな朝の空気の中を最高のサイクリングだ。河童淵といったろうか、自転車道の終わったところで10Km,20Kmのランナーの集団がやってきて、しばし見物する。マラソンはやるもので見るものではない。面白くも何ともない。みるとそこには県天然記念物の大松や蚕魚墳(さんぎょふん)という慰霊の墳がある。写真を撮って暇をつぶす。ランナーが少なくなった頃を見計らって出発。潟尻という所に辰子像というのがあり、いかなるものか見てみたいのだが、警官が居て道路を渡れない。しばしゆくとフルマラソンの先頭がやってきた、上位ランナーはえらい剣幕で走っている。一番苦しい距離なのだろう。
 御座石神社というのがある。名の通り大きな平らな石というより岩が湖岸に広がり、そこに大鳥居が立っている。この神社は開運厄除、勝利成功など月並みの御神得の他に美貌成就というのがあり、ご心配の方はお参りされたらと思う。

 秋と云えば 波打越しぬ 御座の石     露月 山人
 折からの風で波立っており、句の通りの景色である。Img_0701 Img_0702

 出発点に帰ってくると、10Km,20Kmの選手がゴールしており、皆完走証などを大事そうに持ち三々五々帰ってくる。走っているときの悲壮感は消え、満足そうだ。
 郷土資料館というのがありさっそく訪ねてみる。無料で助かったが、特段のものはなく残念である。天然記念物の玉川温泉(明日行く予定)の北投石が唯一興味をひいた。現在は持ち出し厳禁なので過去に持ち出されたものだろう。
 その後は一昨日行った水沢温泉につかり宿に帰る。
  
  走行40Km 累計 2、119Km  費用1,250円

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秋田駒と乳頭温泉 9/16

2006-09-19 | 旅行記

 2006.9.16(土)     曇り         
 6:30 起床
 7:30 風と石ころ発~8:17 高原温泉着
 8:19 高原温泉発(バス)~8:40八合目着
 8:44 八合目発~阿弥陀池~9:50 男女岳着
10:05 男女岳発~横岳~焼森~11:10 八合目着
11:40 高原温泉着~乳頭温泉郷黒湯温泉
16:30 風と石ころ着      

 風と石ころの私の部屋から駒ヶ岳が見える。朝一番見上げてみると、山頂に雲がかかりかけている。空は思い雲がかかり、庭の木々は風になびいている。昨日と正反対である。月山でもそうであったが、前日アプローチの段階では最高の日和なんだが、登山当日はどうもよろしくない。天気予報は今日以降だんだん悪くなるのでチャンスは今日しかない。 めげそうな気持を奮い起こしてスタートする。「このあたりは風が強いんですよ」マスターのいうとおり、宿を出ればすぐに風はなくなりときおり日も射してきた。田沢高原温泉に着くと二人の登山者が居る、「バスはここから出るんですか」「19分に来ますよ」
あと2分だ。ばたばたと自転車を電柱にくくりつけ、停車場に急ぐ、同時にバスが来た。
八合目までの道は土日祝日はマイカー規制でもちろん自転車も入れないのだ。やむを得ずバスを利用した訳であるが、実は大正解であった。うねうねとした急登は果てしなく続き、こんなとこ自転車で登れるか、マイカー規制のおかげさま。バスは定員の半分ぐらいの客で埋まり、すべてが駒の登山者である。死の山月山と違い秋田駒は若者の山と思うのだが
客はすべて中高年で、私など若手の方である。苦労せずに周りの景色だけが変わってゆく。白樺から岳樺そして低い灌木とクマザサとなり、八合目に着くとそこは森林限界である。 登り始めると眼下に箱庭のような景色が広がり、田沢湖も姿を見せ、頭上には昨日見たと同じ形の駒ヶ岳がでんと構えている。ガスが出ないうちに登ってしまおうと早足でゆくが、年配の登山者の足の速いこと、どんどん離され、ついにはひとりぼっちになってしまう。阿弥陀池は男女岳と男岳の鞍部にある大きな池だが何でこんな処にあるのと言う感じである。ガスと風邪が出てきた、とにかく寒い、自転車のウェアは通気性はよいが保温はまるで駄目、それでも合羽着ないで頑張る。歩きにくい階段状の登山道を登ること20分あまりで男女岳頂上(1637m)である。
Img_0672Img_0675 Img_0674
田沢湖を望む
ガスのかかり始めた阿弥陀池
男女岳頂上

  秋田駒ヶ岳は男らしい男岳、やさしい女岳、一番高い男女岳でなっている。さしずめおかま岳というところか。ガスの合間を見て写真をパチリ、とにかく寒いのでさっさと下りにかかる。同じ道を下るのも能がないので、横岳、焼森を経由して下る。横岳から見る男岳の南面は急峻な壁で尾根はやせ細っており、冬山ならなかなかのルートになるのであろう。焼森は名の通り木も草もない坊主山で、硫黄鉱山の上部にあり有毒ガスのせいなのだろうか。 Img_0682
Img_0683男岳南面と焼森山頂


 このルートは誰にも合わず、いつものようにふらふらおりてゆく。するといきなり八合目のバス停が視界に現れる。マスターにもらったバスの時刻表を思い出し、ザックから取り出す。ややっあと15分しかない。その次は35分待ちなのだ。バス停はかなり下の方に見える。ちんたら歩きを止め、しゃきっと走り出す。なんども転びそうになるのをこらえて、祈るような思いで下っていくと、灌木の中からいきなり八合目に飛び出した。バスが上がってきて登山客がぞろぞろ降りているところであった。
 なんともスピード登山を終え、楽しみの乳頭温泉に向かう。道標では乳頭温泉郷3Km
と書いてある。乳頭温泉郷は秘湯で有名であるが最近では道路も完備され、行きやすくなっている。時間的にも余裕があるので、奥の方の温泉と思い、黒湯温泉に行くこととする。
黒湯温泉は乳頭の中でも二番目に開かれた古い湯で、最初に開かれた鶴の湯に対して亀の湯と呼ばれていた時期もあったとか。湯治客も多く、露天風呂や賽の河原はよく雑誌などに掲載されている。
 温泉高原から乳頭への道はブナや樺の楽しい道で、自動車で走り去るにはもったいない、自転車向きの道である。何度か上り下りを繰り返し、休暇村に着く。そこからまだ急な坂道が見えている。ここまで来たら止める訳にはいかない。すぐに「熊出没注意」の看板があり、急に心細くなる。幸い熊も魔物にも出合うことなく、黒湯の駐車場に着く。なんと7Kmも走っている。

 前輪で ぷんと跳ねれば 団栗の実      うとく

 沢に下ってゆくと、藁葺きの事務所や湯治場の建物が並んでいる。上ノ湯は混浴の内湯と露天風呂、下の湯は男女別内湯と女子露天風呂となっている。その間に木造茅葺き、モルタルの湯治棟が立ち並ぶ。 Img_0685 Img_0686
Img_0687 左から中央の広場、賽の河原
湯治棟



 入浴前にすこし食事をと行動食を食べていると、運搬車に荷物を運んでもらい、年配の夫婦らしき二人と車の運転か若い女性の3人組が湯治を終えうちに帰る姿が見えた。あちらこちらの棟に挨拶をしているところをみるとそこそこの期間を過ごしていたに違いない。なにか晴れ晴れとした感じで帰って行った。すると入れ替わりに、大きな荷物を抱え二人の人がやってきたのである。こちらは慣れない風でそわそわしている。湯治場の日常の風景なのだろう。
 上ノ湯の内湯に入る、混浴といえども男ばかりだ。無理もない、こんなにこぢんまりした処じゃ入れないだろう。隣に打たせ湯がある、もちろん源泉の打たせ湯である。「白い湯なのになんで黒湯なんですかねえ」「木や金が黒くなるからでしょうかねえ」そういえばロッカーのキーや賽の河原あたりの木々は真っ黒になっている。露天風呂でも見ず知らずなのにたわいもない話が弾んでいる。皆真からゆっくりしているようだ。下の湯も入り
帰り際に気になるので黒湯の名の由来を聞いてみた。「ふたつの説がありましてね、お客が来るよ来るよがなまって黒湯になったのと、かつてこのあたりは黒湯沢という地名でしたので多分これが本当の由来でしょうな」とのこと。確かに上ノ湯、下の湯とも大きな沢の流域にあり、結構急峻な沢で上部にはガレ場も見られる。黒湯沢の黒は岩を表す「クラ」
から来ているのかも知れない。
 
 白き湯に 黒き身体の 湯浴みかな      うとく
 またくるよ 入れ替わりたる 湯治客     うとく

  帰り道、高原温泉の土産物屋兼食堂に寄りいつものように稲庭うどんとビールを注文。
付き出しにみずという山菜の醤油煮がでる。こぶの部分が最高にうまい。ひょっとしたら
小説月山でじさまが自慢していた山菜ではなかろうか。店の主は自転車で来たのがよほど
気に入ってか、秋田県の地図を持ってきて「いづぎたがや」とか「どこさいぐがや」とか
しまいには「おらならそげな自転車がうぐれいなら軽のぐるまがうだ」なんて訳のわからないことを言っている。「いぶりがっこもうめな」というと「おらのうじでづぐっただ」といって持ってくる。確かにこれもうまい。
   
  走行26Km 累計 2、079Km  費用3,620円

 ★ 黒湯温泉  9/16 日帰り 500円 
   硫化水素泉  酸性硫黄泉 源泉掛け流し 飲泉有り。超有名に付き略

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角館逍遙 9/15

2006-09-19 | 旅行記

 2006.9.15(金)     快晴         日中24度
 7:30 起床
 9:50 ファームイン緑の風発~R46~角館樺細工伝承館~青柳家~R46
      ~R341
17:10 風と石ころ(田沢湖)着      

 最高の朝が明けた。暑くも無し寒くも無し、快晴。今日の行程は楽勝なので朝もゆっくりする。宿は他に泊まり客も無く、二階建ての別棟を独り占めであった。主はもちろん農家なんだが冬は角館伝統の樺細工を行っているということだ。民宿は春夏が主で別棟の維持費程度が入ればということである。農家としてみれば理想的な感がするのだが、、、
 樺細工とは山桜の皮を使った工芸品で茶筒が全国的に有名である。私は三十数年前雑誌で見たこの樺細工が気に入り、当地へ出張する先輩に頼んで買ってきてもらった経緯がある。当時としても結構高かったような気がするが、現在も美しさは健在で、現役で頑張っている茶筒である。
Img_0653
緑の風

 

 咲かぬなら 燃やしてしまえ 樺細工   のぶなが
 パロってみたが、なにか焼き討ちにでも合いそうな感じがする。まじめに二句

 稲穂刈る 剛の手つかひ 樺細工   うとく

 咲かぬとも つねにみにをけ 樺細工   うとく

 角館は東北の小京都と呼ばれる。落ち着いた風情の町並みで、ウィークデイといえども多くの観光客で賑わっている。武家屋敷街の一角にある樺細工伝承館を訪ねる。樺細工の歴史や行程等の展示、作業の実際の様子も見られよく理解できる。歴代の名工の作品は家具調度から和室まで見事な作品が並んでいる。しかし私は佐々木さん(昨日の宿の主)のように農業の傍ら冬の手仕事として作られている作品の方が親しみが感じられるのだが。 次に斜め向かいにある青柳家を訪ねる。Img_0660 Img_0659

 武家屋敷と青柳家

 上級の武士の屋敷跡なのだが、明治以降のコレクションなどもあって、見るものがたくさんある。「赤水の日本地図」は日本で初めて緯度経度を記した地図で長久保赤水という学者が作製したものであるが、伊能忠敬よりも以前にこのような精巧な地図があるということは感動ものである。また青柳家にゆかりのある小野田直武という武士は画家でもあったのだが実は「解体新書」の挿絵を描いているのであって、現物が展示してあるのも驚きである。いまひとつ「謎の西郷写真」をご存じの方はあろうかと思うがこれまた青柳家のコレクションの中にあるのだ。私はテレビで見たと記憶しているのだが、上野の西郷さんとは似ても似つかない西郷隆盛の写真である。(本物の西郷さんかどうかは不明である) 
 屋敷内にある食堂で稲庭うどんをいただく、秋田に来てから昼食はいつもこれである。
少々高いが実にうまい。店によってだしの善し悪しはあるが、腰というかつるつる感というか、食感がすこぶるよい。値段は600円から950円の間である。
 角館を出、田沢湖に向かって秋晴れの中を走る。右手に特異な山容の山が現れる。秋田駒ヶ岳だ。山は眺めた瞬間にいい山とどうでもいい山に分かれる。もちろん山自体はいいも悪いも無く、人間の勝手な判断なのだが。秋田駒はいい山である。是非登ってみたい、一見してそう思ったのだ。Img_0664

  
  走行52Km 累計 2、053Km  費用2,930円

 ★ 水沢温泉  9/15 日帰り 500円 
   硫化水素泉  源泉掛け流し 内湯露天とも熱いめ、ぬるいめがあり打たせ湯も源   泉でうれしい。青みがかった白濁湯で硫化水素の独特のにおい有り。飲泉有り。

  ★ ファームイン緑の風  一泊朝食 5,250円  9/14泊
   ログハウス風の別棟、設備は完璧で田園、牧草地のの中にあり落ち着くこと請け合   い。

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角館へ 9/14

2006-09-19 | 旅行記

 2006.9.14(木)        晴れ         日中22度
 7:00 起床
 9:45 ユースパル発~R7~R13~R46~
15:30 ファームイン緑の風(角館) 着      

 公営のユースホステルユースパルは収容52人の大きな施設だが、どうも利用者は3名で男は私一人の様子だ。昨晩も大浴場を独り占めしており、今朝も一人で朝風呂をいただいた。職員さんの方が沢山いて申し訳ない気がする。
 国道を7号線から13号線と南下していると、県道56号線と交差し、自転車歩行者は地下道を通ることになる。この地下道は3日前本荘方面から来た時通った地下道である。
道路管理者は歩行者と自転車等を保護する優れものの地下道と思っているだろうが、実はとんでもない欠陥品である。3日前は秋田大橋から秋田駅方面の案内看板に従って走ってきたのだが、この地下道でとんでもない方向に行ってしまったのである。まず地下道に入るとぐるぐると2,3回ループを廻って地下交差点に出る。ループのおかげで方向感覚はまるで無し。そこで道案内に頼って出口を探すのだが、この案内が実にふざけており、○○小学校とか××公園とか地元の人しか解らない場所ばかりなのだ。自動車の交差点は本荘方面とか大曲方面とかわかりやすく書いてある。道はね地元の人ばかりが使う訳じゃないの、地元の人は書かなくてもわかるの。
 大体、歩行者用地下道ってのは最低である。この旅で最初の洗礼は山科の1号線外環状の交差点であった。あの急坂をサイドバッグ付けた自転車で上り下りしてみろ、ほとんどの人は不可能だぜ。なんでエンジンついた車やオートバイがスイスイ楽して自転車や歩行者がえらいめせんなんねん。車いす用にはエレベータまでつけてなんぼかねかけてんねん。
歩行者すんなり通して、車を上か下かに走らさんかい。まあバカ行政にはそんな発想も浮かばないだろうけど。
 秋田の市街地を離れ、国道が橋の上に上がったとき南方に山影が見える。鳥海山だ。Img_0648


うっすらと見えるでしょうか、鳥海山って秋田じゃどこでも見えるのか。

 R13も殺伐とした道である。ふと気づいたのだが、近畿、北陸、信州といろんな国道を走ってきたがいずれもちょっとしたスペースにベンチや水場、芝生の丘などあって休憩できる場所があったのだが、東北では一向にお目にかからない。山形で農業電化発祥の地の東屋があったきりだ。道の駅や食べ物屋などが集まっているところは同じようにあるのだが、無料無人で村の人が世話をしているようなスペースが無いのだ。それは裏返せば合理的な考え方なのかも知れない。道なんて車が走れればそれでいいのだから、余計な施設をつくれば、建設費も維持管理費もかかるわけだから無駄だというのもひとつの考え方だ。
しかし本当にそうであるならあまりにも寂しい話だし、なにせ余裕というかあそびとゆうかそういうものが無いと言うことである。東北三県、秋田、青森、岩手は自殺率がもっとも高いというニュースが流れていた。主因はやはり経済的なものにあるのだろうが、秋田の道路を見て、あそびが無いという感じを受けたのは関係ないのだろうか。
 秋田の道路で気づいたこと、ラブホテルとラーメン屋がやたら多い。私の嫌いなシチュエーションである。
 道路工事のおじさんとまたけんかしてしまった。突然通行禁止ですって追い返された。
「そんなもんもっとはように書いとけよ、ぼけ」昨日の自転車道の件もあるので頭に来る。
関西弁は迫力がある、関係者一同大変かしこまっている。
 R46に入ると俄然静かな走りとなる。荒川と言うところに大盛館という施設があり、資料館などがある。無料なので気をよくして見学する。荒川鉱山といって江戸時代からの古い鉱山のあったところで、その写真展をやっている。佐渡金山同様最終的に三菱合資会社が経営するわけだが、鉱害の問題や労働者の苦労があってこその今日という姿勢は佐渡と違うところだ。
 さもあらん、プロレタリア文学の「おりん口傳」の松田解子はこの荒川の出身で、舞台は荒川鉱山なのだ。実は初めて知ったのだが、、、ぜひ読んでみなくちゃ。Img_0650
  
  走行52Km 累計 2、053Km  費用2,930円

 ★ 角館温泉 花葉館 9/14 日帰り 400円 
   カルシュウム ナトリウム 硫酸塩泉 無色無臭 ややアルカリ
   加水、加温、殺菌だが掛け流し       源泉のウェットサウナが良い

  ★ 青少年交流センター ユースパル  一泊朝食 2,625円 9/13
      併設のユースホステル 設備抜群 本来は夕食もあり
      リーズナブルで秋田城址に近く、観光ビジネスに最適

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男鹿日記(2)9/13

2006-09-19 | 旅行記

 2006.9.13(水)        晴れ 曇り      
 7:00 起床
 9:35 国民宿舎男鹿発~入道崎~男鹿半島一周~R7~
16:25 ユースパル着      

 秋雨前線が停滞し、全国的に雨の予報だが、東北北部日本海側と北海道は好天の様子、何か申し訳ない気持ちで出発する。宿からの急登で、朝風呂でさっぱりした体も汗だくになる。入道崎に向かうツバキロードに出ると、右手に昨日の宿泊地男鹿温泉郷方面の岬、北方彼方に津軽の山影(たぶん白神山地あたりか)、眼下に岩礁の海が見えてとても美しい。Img_0617

遠くに津軽の山が見える

 登り下りを繰り返し入道崎に着く。草原の岬に灯台が立ち、良い景色なんだが、けばけばしい土産物屋が建ち並び、演歌がスピーカーで鳴らされている。素通りをして、岬の端の方で休憩をする。充分美しい、北緯40度の石碑や丁字の句碑などがあり落ち着く処だ。ベレー帽の青年が物思いにふけっており、情緒があるなと思いきや、彼の座っていた跡には空の弁当箱がうち捨ててあった。どっちらけだ。
 菅江真澄という紀行家が文化元年に男鹿を旅しており男鹿の五風という紀行文を書いておられるようだ。芭蕉は秋田まで来なかったけれど似たような人物はおるものだ。Img_0621 Img_0625

入道崎の灯台と北緯40度の線(岩の隙間)

 入道崎から南に向かう海岸線はこれまた絶景で、たおやかな海と岩礁、そして遙かに続く灌木の緑がマッチして飽きさせない。そして何より車も少なく、景色を独り占め出来ること。それにしても今日の海はなんと静かなんだろう。一昨日白波を立て吹き付けたあの同じ海とは思えない。
 
 潮騒の 音たちやみて 男鹿の海     うとくImg_0628 Img_0631_1

入道崎からの海岸線、右は戸賀の海岸大きな岩の影に灯台のある島が宮島
 
 アップダウンを繰り返し、戸賀という入り江に到着、その入り江の端に塩戸というところがある。ここには宮島と呼ばれる岩礁や水族館があり、彼の菅江翁も書をしたためているところである。水族館は何の興味もないのでやり過ごすが、周りの景色は美しい。

 瀬音無き 塩戸の浦の 鴎哉        うとく
  (しおと、掛けてみました)
 左手の山、真山、本山、毛無山はすぐそこに迫って来て急峻な道となる。嫌というほどアップダウンが続き、さすがにくたびれてくる。白糸の滝とか孔雀ヶ窟とか烏帽子岩とか色々出てくるがどうせ道からは見えないだろうとやり過ごす。一番つらいのは、これから行かなければならない遠い道が見えることだ。遙か彼方にかすんでいる。Img_0636 Img_0639

遙か彼方に見える道と椿の群生

 椿というところで足を止める。椿の自生北限という。国の天然記念物である。案内看板の上の小山に群生している。男鹿半島は寒いところと思うが、実は男鹿半島南西面のこのあたりは秋田でも暖かい処だそうだ。海流のせいなのか。今日の行程でもこのあたりが一番暑く感じられる。現に朝からコオロギの鳴き声ばかりだったのが、桜島から椿の間だけ蝉が泣き続けていた。船川から後はまたコオロギの声となるのである。不思議なことだ。

 北の椿 背ひくうにして は色濃し    うとく
  蟋蟀の あるじかはりて 蝉しぐれ       うとく

 すっかり海沿いに降りて坂も無くなった頃、鵜ノ崎海岸にでる。日本の渚100選に選ばれているとか、丁度干潮時で岩礁が数百メートル続いている。

 うのさきに 潟ひろごりて 巌たつ    うとくImg_0641
 (卯の先に辰を掛けてみました)
 
鵜ノ崎海岸 

 男鹿市から先は昨日来た道なのだが、実はここには秋田男鹿自転車道というのがあってあの煩わしい国道を走らなくてもいいようなのである。ところが道標、案内看板等見つからず往路でもよくわからなかったのである。帰路はなんとか探し出して気持ちよく走ろうと目をこらして走る。脇本で思い切って海沿いの小道に入ると、どうやらこれらしい。
船越まで半時間ほど気持ちよく走るが、国道に出てしまう。なお、この間道標、案内一切無し。天王グリーンランドに案内看板があり、秋田まで海岸沿いを走れそう。30分も走ったか、この間は道標、距離看板しっかりあり海沿いの最高の道である。Img_0644
 ところがいきなり「工事中立ち入り禁止」の立て看板あり、クレーン車や飯場がある。
ちょっとまてよ、予告看板も迂回路も無いんだぜ。ままよと自転車を押しながら工事現場を歩いてゆく。ところが先々まで工事は続いているようできりがない。そのうち現場のおじさんが出てきて、道にあがるよう指示される。上がったところが県道56号線、一瞬高速道路かと思う道である。結局その歩道を南進、ついには秋田港のひどい歩道を走らされ
散々の走行であった。8月に走った小松の自転車道と同じ結果である。行政は自転車道なんて眼中にないのだ。もし秋田に自転車文化を追求する市民運動が存在したら、この自転車道を再度世に出してほしい。この道が出来たとき、きっと鳴り物入りの画期的な道であったろう。来年の国体に向けてチャンスだと思うが。

 走行81Km 累計 2、001Km  費用13,232円

 ★ 国民宿舎男鹿  一泊二食 7,300円   お風呂良し、料理、設備は値段どお   りか。一人客値段アップは気にくわない。

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男鹿日記(1)9/12

2006-09-19 | 旅行記

 2006.9.12(火)       曇り 晴れ      
 6:30 起床
 9:30 コンフォートホテル秋田発~R7~県立博物館~船川街道~R101~なま      はげライン
15:20 国民宿舎男鹿着      

 今日の走行は余裕があるので県立博物館にむかう。追分というところにあるのだがなかなか着かない。不安になって交番で聞く。「んだばどこさもよらねでまっすぐいって、云々」思いっきりあぎだ弁だ。「わかりました、ありがとうございます。」といってもまだなにか言っている。親切なおまわりさんだ。博物館入り口に来て、ショック。館内燻蒸のため休館の張り紙、苦労して来たのに残念だ。明日の帰り道に寄ろうかとしたが、明日まで休館とのこと、誠についていない。仕方なく郵便局やホームセンターで用事を済まして再出発する。
 船川街道は男鹿半島の付け根を走っており、広くて交通量も多い。都市郊外の様相が20キロほど続き、思ったより開けている。北には干拓で有名な八郎潟があり、地図で見ると八割方陸地となっている。私が小学校のときの地図では湖であったのだが。
 海に出ると南方に昨日走ったおけさおばこラインの方面が望められる。昨日本荘を出たあたりでは北方に二つの島影が見えていたのだ。「おがしいなあ、こんな島あったかなあ」(しゃれ)といぶかしく思っていたのだが、秋田に近づくと二つの島がつながってやがて半島になったのだ。やはり男鹿半島だったと安心したのである。

 島影ふたつ つながりて おがのみち    うとく

 海から離れ、半島の中に入っていくと右手に草原の山が見えてくる。寒風山といって昨日の島影に見えた右の部分である。Img_0612 Img_0614

寒風山と花の植えられたなまはげライン

 なまはげラインに入ると車の数もうんと減り、気持ちの良いサイクリングとなる。来年の国体開催に向けてか、道の両側に万寿菊が育てられており気持ちがよい。
 山を登っていくと棚田に一面稲の育った田園地帯が続くようになる。天候に恵まれてか稲の出来もよさそうだ。ある村でなつかしい香ばしいにおいがしてきた。なんのにおいやったっけなと考えていたら、あちこちで畦の草を刈って燃やしているのだ。昔なら牛や馬の食料となっていたのだろうが、捨てようがないから燃やしているのかなとも思ったが、煙が稲の中を流れている様子を見るとどうも虫除け、虫送りのためではあるまいか。海岸沿いではどうも好きになれない生臭いにおいが続いていただけに、なつかしくもうれしい気分とあいなった。
 
 虫除けの けぶりおがみたる いなほかな   うとく
   (一応男鹿を掛けてみたのだが)
 途中なまはげの本場真山神社となまはげ館があるが、登りがきつそうなのでやり過ごす。Img_0611  

男鹿はやっぱこれですなあ。

 男鹿温泉郷は数件の旅館やホテルが立ち並ぶ温泉街である。療養、湯治用の施設もあるようで、良い温泉のようだ。国民宿舎でも源泉掛け流しで、久々に温泉気分を味わうことができた。

走行61Km 累計 1、920Km  費用 1,620円

 ★ 男鹿温泉郷 国民宿舎男鹿 源泉掛け流しで加温、加水、殺菌等なし
   食塩泉で薄緑色に濁っていて無臭。

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