2006.9.9(土) 晴れ 最高33度
7:30 起床
9:30 酒田市内彷徨 本間美術館 庄内米資料館 日和山公園 旧鐙屋
14:30 酒田ステイションホテル着
酒田には滞在する予定はしていなかったのだが、局留めの郵便物が今日の午後に着くというのでやむなく滞在することとなった。飛島に行こうとも思ったのだが、片道二千余円は果たしてその価値があるか不安なので止めにし、芭蕉と森敦の主人公わたしの足跡を追うこととする。
昨日の間に酒田市資料館を訪れ、街の概要は調べ済みである。酒田は商人の街である。道も東西南北に走っておりわかりやすい、京都に似ているが実は同じ商都堺をモデルにしたそうである。街の運営も三十六人衆による自治で堺とよく似ている。
本間家はその筆頭で、仙台まで自分の土地だけを通って行けたという大げさな話も残っている。その本間家の別荘清遠閣と庭園鶴舞園を訪れる。庭園や建物を鑑賞するのは一人に限る。時間を気にすることなく充分に堪能することが出来る。四阿からは鳥海山が眺められると聞いたが山頂部の一部だけで、しかも今日はかすんでよく見えない。庭の木々が育ったせいも在るのか。本館の古九谷や柿右衛門、青磁の逸品を見ていると目利きができるのかなと錯覚する。
鶴舞園、四阿すこしだけ鳥海山が見える。
右は清遠閣
美術館では奇しくも浜田知明展をやっている。いつか見たいと思っていたので大変ラッキーである。有名な初年兵哀歌シーリーズでは強烈に戦争を批判しているし、他の作品もユーモラスのなかにどきっとするものがあり楽しい時を過ごすことができた。
次に庄内米歴史資料館を訪れる。昨日食べたご飯があまりにおいしかったので来てみたのである。山居倉庫といって最上川と新井田川の間の中州に作られた米の倉庫である。品種の改良や検査の厳格性など展示してあるが、風水害や冷害など農民が苦労した歴史は一切無かった。残念。倉庫を出た途端鳥海がはっきり見えるのだ。山頂まではっきり見えるのは初めてである。ところが写真に写すとビルがじゃまになってピンボケになっている。
山居倉庫と山居橋
やっと鳥海の頂が見えた。
飛島に行かなかったのでせめて港で食事でもするかと、酒田港に行く。一階が海鮮市場で二階が食堂となっている。一時を過ぎているので空いているかと思いきや、ざっと三十人は並んでいる。並んで食うのは大嫌いなので隣の海洋資料館で時間をつぶし、再度訪れる。まだ二十人は並んでいる。あきらめて街に出る、もうぺこぺこだ。
港の展望台から鳥海山
昨日もそうだったが酒田の街には昼間食事をするところが無い。寿司屋は結構やってるのだが、高そうで入れない。そのくせスナック、居酒屋、酒屋は嫌というほどある。諦めかけたとき日枝神社の前に観光客相手の茶店を見つけた。やれやれと思って店にはいると、誰もいない。奥を覗くと座敷にばあさんが昼寝している。「ばさまおきでくで、ままさぐわしてぐで」というと「あれまほんのすこしだにねでしもた」などといってばさまが起きてきた。ビールと冷麺を注文する。「ビールはキリン、アサヒ?」など聞いておいて「キリン」と言ったのに出てきたのはアサヒであった。うちわでばたばたやりながらビールを飲んでいると「しょぎよげだ」と梅干しを五,六個持ってきた。なかなかおつなもんである。とにかく暑い。
日和山公園は日枝神社から最上川河口を望む小高い丘にある平凡な公園で、子供たちがサッカーをしたり、水遊びをしたりしている。この公園には文人、詩人、俳人などのこの地にちなんだ作品を石碑にしてあるのが特徴で、一つ一つ読みながら歩くのは楽しい。筆頭はやはり芭蕉で、今日のように暑い一日にはうってつけの句である。
暑き日を 海に入れたり 最上川 ばせう
私も一句
いにしえの 翁追いつつ 夏の風 うどく
日枝神社は山王さんとよばれ市民に親しまれている、井上靖の氷壁にも出てくる。
すこし時間があるので旧鐙屋を訪ねる。鐙屋も三十六人衆の一人で廻船問屋として繁栄した旧家である。井原西鶴の日本永代蔵にその繁栄ぶりが書いてあり、挿絵には台所のにぎわいの様子が描かれている。実は日本永代蔵では繁栄と言っても帳面は丼勘定で長持ちに穴を開け銭を放り込み、年に一度収支を合わすようで、儲かってるのか否か正月のあけにならないと解らない云々と続けているのであるが、観光客にはそんなことお構いなしである。私がここを訪れたのは森敦の鳥海山、初真桑の章に主人公わたしがこの宿に泊まり、富山の薬売りなどの話を聞く場面があったからなのだ。実はその宿はすっかり落ちぶれていて昔の鐙屋の影もないというのだ。芭蕉の真桑の句会もこの屋が舞台というのだが、そのような説明もない。案内の女性は何でも聞いてくださいというのでこの件を聞いたのだが一向に埒があかない。「現在の当主は立派な方で東大を出て銀行員をされています」などと何度も言う人に「鐙屋の落ちぶれたときに、、、」などと質問をしたのがいけなかったのか、彼女は皆に説明するアナウンスでなんどもとちっていて申し訳ない気がする。
「句会はこのうちで行われたのですね」と聞いても「はい~」と言うだけでこころもとない。当家の屋根は石置杉皮葺屋根といって杉皮の上に川原の平石がおいてあるのだ。何とも貧乏くさいが当時は瓦というのは、神社仏閣以外には使用できなかったのことである。
ではなぜ土塀の上には瓦が使用されているのか聞きたかったのだが、聞いても無駄かと思い聞かずにおいた。
初真桑 四つにや断ん 輪に切ん はせを
鐙屋の台所と部屋
走行13Km 累計 1、809Km 費用 5,656円
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