晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

おけさおばこライン 9/11

2006-09-11 | 旅行記

 2006.9.11(月)       曇り 晴れ      
 6:30 起床
 9:30 本荘ステイションホテル発~本庄市郷土資料館~R7~
14:30 秋田駅着      
15:40 コンフォートホテル秋田着

 由利本庄市は申し訳ないが特徴の無い街である。一晩泊まっただけで何がわかるかと言われそうだが、あくまで初見の感想である。このまま去ったら何も残らないと思い郷土資料館に立ち寄る。常設展示だけの時は無料ということでなにか得をしたみたいである。歴史的にはミニ酒田という感じか。いつもの藁のゆりかごはここでは「えじめ」「えずめ」「えっこ」新庄の「えんつこ」に近い。お櫃を入れるものは「いいづめ」(飯詰)と呼ばれている。Img_0601
 R7は幹線道路だけあって交通量が多い。大型トラックの通行が多く、信号が無いためスピードは相当だ。サイドバッグ付きの自転車の走る余地はない。歩道は細々ながら両側になったり片側になったりしながら続いている。景色は左に日本海の荒波、右は灌木の丘が続く絶景なのだが、常に車のジャージャーという通過音が響いており不愉快極まる。それと海からの向かい風で、ちっとも進まない。登りも下りもロウギヤで走っている。
 途中小さな集落が出てくるのだが、人の姿は見えない。一体何をして生活してるのだろうと余計なことまで考えてしまう。右手の山々には立ち枯れの白い木が続く、歩道には風によって運ばれた砂が溜まっている。海は絶えることなく波が寄せている。人々は太古の昔からこの風と戦ってきたのだ。今日のように穏やかな日でさえこのような様子だから、冬の間はいかばかりかと気遣ってしまう。Img_0604 Img_0609
山は立ち枯れの木が続く
海は荒波、遠くに男鹿半島が望める

 羽川のあたりになると右手の山は傾斜が落ち、広がって、閉塞感は和らいでくる。しかし風は同様に吹き付けてくる。距離は短いのでけれど絶え間ない風と車の雑音ですっかり疲れてしまった。眠い目を励ましてブログを書いている。

走行50Km 累計 1、859Km  費用 9,559円

 ★ コンフォートホテル秋田 秋田駅前 シングル5,600円      
      駅前、新しく設備、サービス抜群。朝食は無料、コーヒーサービス、無線LAN
      冷蔵庫など今までのホテルの中では一番。連泊したかったが満室で駄目。

コメント (3)
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吹浦かけて 9/10

2006-09-11 | 旅行記

 2006.9.10(日)       曇り 雨      
 6:30 起床
 8:10 酒田ステイションホテル発~R112~R7~
14:30 本荘ステイションホテル着      

 天気予報は雨である。芭蕉は最上川を下って酒田に入ったのかと思っていたがそうではなく、いったん鶴岡に入り、赤川を下って酒田に入ったそうである。赤川は今は最上川の十キロメーター近く南を流れているが、どこかの古絵図で最上川に注いでいるのを見たような記憶があるのだが、、、。とまれ芭蕉は鶴岡から来酒したのである。そして象潟の風景を見たくて北へ旅立つが、天気が悪く吹浦に一泊、それでも天気は回復せず悪天をおして象潟へ行ったということである。私は吹浦には泊まらないが天気はきっと今日のような感じでなかったかと思っている。吹浦の部分だけはR7をはずれR345にはいる。R345ってどこかで走ったなと思っているとそうそうあの美しい笹川流れの国道だ。なにか旧知に出合ったようでなつかしい。
 吹浦も芭蕉と森敦「鳥海山」が重複している処である。西浜はキャンプ場や国民宿舎が整備されてとてもきれいな処だ。「鳥海山」でクリスチャンキャンプが行われており、わたしたちが松ぼっくりを拾った処である。吹浦は小さな港町で駅を過ぎるともう村は過ぎてしまう。
         あつみ山や 吹浦かけて 夕涼み      はせを
 さて肝心の鳥海山の眺めはと言うと、小説のとおり中腹が見えるのであって山頂は望めないようである。いずれにしても今日の天気では確かめようもない。なぜ鳥海の眺めにこだわるかって、「鳥海山」の主題は友人Sであったか、Hであったかが鳥海山を望めるか否かというとこにあるのではないかと思えるからである。  Img_0590
Img_0591Img_0595

吹浦の街からは山頂は見えない。
十六羅漢
句碑

 吹浦からの坂を登ったところに十六羅漢というのがあって、海岸の岩に羅漢さんが彫ってあるのだ。日曜日とあって釣りの客や家族連れが岩にたわむれている。傍らに石碑がある。
 吹浦も 鳥海山も 鳥曇     ようじん
  今日のような天気か。
 その先に小説にも出てくる湯の田温泉があり、数件の宿が営業している。わたしと友人もどこかの湯につかったに違いない。
 やがてR7に合流し、静かだった道も賑やかとなる。ぽつぽつ来たかと思うといきなり本降りになって、あっというまにずぶ濡れになってしまう。雨は覚悟していたが、実際に降り出すと走る気がしない。なんとなく西の空が明るく感じられ、やむのを待つ。予想どおり二十分ぐらいで小降りになり、再度出発する。そしてすぐに秋田県にかほ市の看板が現れた。
 やがて陽も出てきて暑くなってきた。はっとして振り向くと、吹浦では見ようのない鳥海山が頂に雲を抱いて現れた。きっと最後の鳥海山の姿になるだろう。Img_0599 Img_0600

最後の鳥海山と優勝に沸くTDK工場

 有耶無耶の関や象潟には芭蕉にちなむ処もあるのだろうけど、天気が不安なので先を急ぐことにする。
 全国都市対抗野球でにかほ市のTDKチームが優勝したということで、町中お祝いの看板がたっている。記念にTDK工場の垂れ幕を写真に撮る。
 さてこの辺で膝の調子が変になる。月山以来いつものことであるが、四時間ぐらい走ると左膝の上部に違和感が出てくるのだ。痛い訳でもないのだがなんか変なのだ。鳥海山登山を中止したのも天気の様子もあるのだが、この件もあるのだ。
 だましだまし本荘まで行く。また雨が降り出し、ホテルに着く頃、再度ずぶ濡れになってしまった。

走行Km 累計 1、809Km  費用 7,975円

 ★ 本荘ステイションホテル 本荘駅前 シングル5,400円      
      駅前、普通のビジネスホテル、電車が走ると妙に揺れる。でも新館建築中で大丈夫

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真桑の句会 9/9

2006-09-11 | 旅行記

 2006.9.9(土)       晴れ       最高33度
 7:30 起床
 9:30 酒田市内彷徨 本間美術館 庄内米資料館 日和山公園 旧鐙屋 
14:30 酒田ステイションホテル着      

 酒田には滞在する予定はしていなかったのだが、局留めの郵便物が今日の午後に着くというのでやむなく滞在することとなった。飛島に行こうとも思ったのだが、片道二千余円は果たしてその価値があるか不安なので止めにし、芭蕉と森敦の主人公わたしの足跡を追うこととする。
 昨日の間に酒田市資料館を訪れ、街の概要は調べ済みである。酒田は商人の街である。道も東西南北に走っておりわかりやすい、京都に似ているが実は同じ商都堺をモデルにしたそうである。街の運営も三十六人衆による自治で堺とよく似ている。
 本間家はその筆頭で、仙台まで自分の土地だけを通って行けたという大げさな話も残っている。その本間家の別荘清遠閣と庭園鶴舞園を訪れる。庭園や建物を鑑賞するのは一人に限る。時間を気にすることなく充分に堪能することが出来る。四阿からは鳥海山が眺められると聞いたが山頂部の一部だけで、しかも今日はかすんでよく見えない。庭の木々が育ったせいも在るのか。本館の古九谷や柿右衛門、青磁の逸品を見ていると目利きができるのかなと錯覚する。Img_0563 Img_0561 Img_0564
鶴舞園、四阿すこしだけ鳥海山が見える。
右は清遠閣

 美術館では奇しくも浜田知明展をやっている。いつか見たいと思っていたので大変ラッキーである。有名な初年兵哀歌シーリーズでは強烈に戦争を批判しているし、他の作品もユーモラスのなかにどきっとするものがあり楽しい時を過ごすことができた。
 次に庄内米歴史資料館を訪れる。昨日食べたご飯があまりにおいしかったので来てみたのである。山居倉庫といって最上川と新井田川の間の中州に作られた米の倉庫である。品種の改良や検査の厳格性など展示してあるが、風水害や冷害など農民が苦労した歴史は一切無かった。残念。倉庫を出た途端鳥海がはっきり見えるのだ。山頂まではっきり見えるのは初めてである。ところが写真に写すとビルがじゃまになってピンボケになっている。Img_0569 Img_0570 Img_0567
山居倉庫と山居橋

やっと鳥海の頂が見えた。

 飛島に行かなかったのでせめて港で食事でもするかと、酒田港に行く。一階が海鮮市場で二階が食堂となっている。一時を過ぎているので空いているかと思いきや、ざっと三十人は並んでいる。並んで食うのは大嫌いなので隣の海洋資料館で時間をつぶし、再度訪れる。まだ二十人は並んでいる。あきらめて街に出る、もうぺこぺこだ。
Img_0571
 港の展望台から鳥海山

   昨日もそうだったが酒田の街には昼間食事をするところが無い。寿司屋は結構やってるのだが、高そうで入れない。そのくせスナック、居酒屋、酒屋は嫌というほどある。諦めかけたとき日枝神社の前に観光客相手の茶店を見つけた。やれやれと思って店にはいると、誰もいない。奥を覗くと座敷にばあさんが昼寝している。「ばさまおきでくで、ままさぐわしてぐで」というと「あれまほんのすこしだにねでしもた」などといってばさまが起きてきた。ビールと冷麺を注文する。「ビールはキリン、アサヒ?」など聞いておいて「キリン」と言ったのに出てきたのはアサヒであった。うちわでばたばたやりながらビールを飲んでいると「しょぎよげだ」と梅干しを五,六個持ってきた。なかなかおつなもんである。とにかく暑い。
 日和山公園は日枝神社から最上川河口を望む小高い丘にある平凡な公園で、子供たちがサッカーをしたり、水遊びをしたりしている。この公園には文人、詩人、俳人などのこの地にちなんだ作品を石碑にしてあるのが特徴で、一つ一つ読みながら歩くのは楽しい。筆頭はやはり芭蕉で、今日のように暑い一日にはうってつけの句である。
 暑き日を 海に入れたり 最上川     ばせう
 私も一句
 いにしえの 翁追いつつ 夏の風     うどく Img_0581  Img_0583

日枝神社は山王さんとよばれ市民に親しまれている、井上靖の氷壁にも出てくる。

Img_0573 Img_0575

 すこし時間があるので旧鐙屋を訪ねる。鐙屋も三十六人衆の一人で廻船問屋として繁栄した旧家である。井原西鶴の日本永代蔵にその繁栄ぶりが書いてあり、挿絵には台所のにぎわいの様子が描かれている。実は日本永代蔵では繁栄と言っても帳面は丼勘定で長持ちに穴を開け銭を放り込み、年に一度収支を合わすようで、儲かってるのか否か正月のあけにならないと解らない云々と続けているのであるが、観光客にはそんなことお構いなしである。私がここを訪れたのは森敦の鳥海山、初真桑の章に主人公わたしがこの宿に泊まり、富山の薬売りなどの話を聞く場面があったからなのだ。実はその宿はすっかり落ちぶれていて昔の鐙屋の影もないというのだ。芭蕉の真桑の句会もこの屋が舞台というのだが、そのような説明もない。案内の女性は何でも聞いてくださいというのでこの件を聞いたのだが一向に埒があかない。「現在の当主は立派な方で東大を出て銀行員をされています」などと何度も言う人に「鐙屋の落ちぶれたときに、、、」などと質問をしたのがいけなかったのか、彼女は皆に説明するアナウンスでなんどもとちっていて申し訳ない気がする。
 「句会はこのうちで行われたのですね」と聞いても「はい~」と言うだけでこころもとない。当家の屋根は石置杉皮葺屋根といって杉皮の上に川原の平石がおいてあるのだ。何とも貧乏くさいが当時は瓦というのは、神社仏閣以外には使用できなかったのことである。
ではなぜ土塀の上には瓦が使用されているのか聞きたかったのだが、聞いても無駄かと思い聞かずにおいた。
                   初真桑 四つにや断ん 輪に切ん       はせをImg_0586 Img_0585

鐙屋の台所と部屋 

走行13Km 累計 1、809Km  費用 5,656円

 ★ 酒田ステイションホテル 酒田駅前 シングル3,730円      
      ツーリング者割引の値段、ツーリング者の宿泊多く情報交換等出来る。リースナブル

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芭蕉の道 9/8

2006-09-11 | 旅行記

 2006.9.8(金)       曇り 晴れ       道中24度
 7:30 起床
 8:30 ホテルやまき出発~R47~最上川河川管理道路~R112~
14:30 酒田ステイションホテル着~酒田市資料館      

 書き忘れていたことがある。鶴岡であったろうか、お茶の栽培の北限だそうである。なにかアッサムとか寒そうに思うのだが、案外低い北限だと感じる。そういえば八女にしたって静岡にしたって暖かいところである。もう一つは新庄がススキの開花日本で一番早いそうである。東根から新庄の間ススキ野原が広がっていたが、もちろんしっかり穂が出ていた。これだってもっと寒いところあるんじゃないかと思うが、開花は温度だけでは無いのかも知れない。
 最後に「極楽のあまり風」のこと。これは真夏の炎天下に農作業をしているときに、ほんの少しだけどこからともなく吹くそよ風のことである。極楽には蓮の池があってその上を本当にさわやかな風が吹いているというのだが、その一部分がこの世にも降りてきて、
炎天下で働く者にのみ分け与えられるというものである。おふくろに教えてもらったこの風がこの8月には本当にありがたかった。高気圧がどんと居座り、風が吹く要素はなにも無いのだが吹くのである。
 さて今日は芭蕉の旅した道を辿ることとなる。北陸でも芭蕉の足跡は有ったが出合うだけで辿るというのではなく、今回は何か親しみをもって走れるような気がする。
 いつものように適当に南進し、R47にぶつかる。本合海というところでいきなり最上川が現れる。芭蕉はこの近くで乗船したらしい、乗船の地という案内看板があったが、面倒なので素通りする。川は大きく流れが速い、昨日来の雨のためかチョコレート色で不気味な感じさえする。川辺は褶曲した岩壁となっており風光明媚な処なんだが、この川面の色では興ざめする。
 戸沢村の道の駅に資料館があり、水害や地滑りの資料が展示してある。最上川は流れが速く蛇行がきつい。信濃川とは全然違ったタイプの大河である。この蛇行の間水面から数メートルのところに田んぼがあり、すぐにつかってしまわないかと思われる。やはり水害の写真があり田んぼが漬いている。
 戸沢村には現在の最上川下りの乗船場がある。観光バスもここで客を降ろして先回りするようだ。よく見ると「国保発祥の地」という看板がある。もう少し下ったところに記念碑があるのだがなんだかばかばかしくて立ち寄る気もしない。Img_0534 Img_0535

蛇行する最上川と現在の乗船場

  このあたりから両岸が迫ってきて、いわゆる最上峡となる。船上の人々は美しい景色と急流のスリルを味わえるところだが、道路の方はたまらない。一応幹線道路なのでトラック、観光バスの往来が激しい上道は狭く歩道などはもちろん無い。スノウシェイドも多くその上工事区間がやたらとある。途中対岸に仙人堂や白糸の滝などが有り、遊覧船が立ち寄っている。白糸の滝は遠く対岸から眺めているがなかなかの名瀑である。同じ場所に最上川一夜観音というのがある。小説の舞台なのだがあまり面白くなさそうな小説である。
 五月雨を あつめて早し 最上川   はせを
 今日もまさにそのような最上川である。Img_0541_1 Img_0539

一夜観音像と白糸の滝

 やがて両岸の山が低くなり、清川というところで芭蕉も下船したそうである。かつてはここに関所が在ったそうで、羽黒山への登り口でもある。時間も余裕あるし羽黒山に寄っていこうかなと思ったが、また何かとお金取られて興ざめするかと思いやめることとする。
どうも有名な神社仏閣は性に合わない。
 この清川は幕末の志士清河八郎の出身地で銅像もあり、神社となっている。こういう神社は出入り自由で大変よろしい。同時にこの場所は戊辰戦争の古戦場でもあり、子規の句が祈念碑となっている。
 蜩の 二十五年も むかしかなImg_0543 Img_0544

清河八郎像と子規の句碑、後ろの林が古戦場御殿林

  清川を少し下ったところで、R47は最上川を離れていく。ところが川沿いに細い道路が続いているのだ。これだっと思い、いつもの勘でこの道路を選ぶ。これが大正解で車は来ないは景色はいいは、この道は酒田まで最上川沿いに続いていた。河川管理道路というもので自動車も通行可能であるがほとんど出合うことはなかった。最初のうちは右に最上川、左に庄内の田園地帯や風車群を眺めていたが、右方の山々がだんだん低くなり、鳥海山が姿を現した。一週間前由良峠を越し、庄内平野に降り立ったとき遙か北方にかすんで雲やら山やら解らないような鳥海が、今ここにはっきりと望めるのだ。昔の恋人にばったり出合ったようなドキドキする瞬間である。
 しかし鳥海山の頂上は照れるように雲に隠れているのだ。何度も何度も眺めるのだが最後まで頂上の部分は雲に隠れていた。右前方に見えていた鳥海は真横になり、やがて振り返るようになるのだ。

 振り返り振り返りつつ探す鶏冠かな うどくImg_0548 Img_0549 Img_0555
左は田園、右は最上川、そして鳥海山

 海が近づくと急に左に大きな河が現れ、右の最上川とに挟まれ気味悪くなる。左は京田川ということである。無事に出羽大橋にたどり着き、最上川を写真に納める。遙か上流のかすんだ山並みの向こうが新庄である。よくきたもんだと感心する。Img_0557 Img_0559  

左に京田川が現れる。

出羽大橋から最上川を上流に向かって見る。山並みの低くなっているあたりが新庄方向。

走行70Km 累計 1、796Km  費用 13,015円

 ★ ホテルやまき 新庄駅前 シングル4,830円      
      駅前で立地条件良し。玄柳館の向かい 何かと親切、リースナブル

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新庄彷徨 9/7

2006-09-11 | 旅行記

 2006.9.7(木)     雨 
 7:30 起床
11:00 新庄市彷徨 
15:30 ビジネスホテルやまき(新庄市)着      

 夕べからの雨は今日も降り続いている。今日は停滞と決め延泊の依頼をしたら、満室とのこと、こんなことは初めてだ。幸い向かいのホテルを紹介してくれ、荷物を預けていつもの逍遙を始める。
 新庄市も城下町だが通りはわかりやすい。駅からまっすぐに行くと新庄城跡の最上公園がある。その手前に新庄ふるさと歴史センターがある。館内の喫茶で朝食を済まし、おもむろに見学する。一階は山車会館となっており、どこかと一緒だ。そう村上市のおしゃぎり会館と同様なのだ。新庄祭りの山車はその都度作製するもので迫力満点だ。雪に閉ざされた長い冬の間に蓄えたエネルギーを夏の三日間に爆発させる、そんな迫力が伝わってくる。お囃子は祇園祭の系統を汲むと説明されているが、祇園囃子とは似ても似つかないものである。何の説明もないが祇園囃子にそっくりな村上祭りの囃子と正反対の現象に苦笑する。Img_0514 Img_0515
 新庄の民話を方言で語るコーナーや戦前の新庄祭りの映像があり、何時間居ても飽きない。新庄の春の祭りはカド祭りといってカド(アイヌ語でニシンのこと)を焼いてみんなで食うのである。お花見も兼ねてとても楽しそうで、最近では他県からの訪問者も多いと聞く。やはり雪国の人々にとって春は何者にも代え難い嬉しい季節なのであろう。ちなみに数の子はカドの子から来ているということである。
 このセンターで驚いたことは、民具の収集の種類と数である。京都を出て以来あちこちの博物館、資料館を覗いたがこれほどまでに展示してあるのは他にない。多すぎて整理し切れていない所もあるが、四階にわたってありとあらゆるジャンルの民具が展示してある。
 面白いのはあのつぐらがここではエンツコなのである。エツコ、イツコ、エッカとも言うそうだが、嬰児籠がなまったものらしい。猫用のものはなく、お櫃を入れ保温をするママエンツコがある。これは蓋付きである。Img_0516 Img_0518 Img_0521
エンツコとママエンツコ、豊富な展示品

冷害、飢饉はこの地方の悲しいできごとである。天明や天保のことかと思いきや昭和の時代にも何度か起きており、驚かされる。そのたびに餓死や自殺、人身売買などの非人間的な事象が出るのである。昨日見てきた裕福そうな農家も苦しみを乗り越えてきた百姓の末裔なのか。
 新庄は蕎麦でも人気らしい。昨日の道中にも蕎麦の畑が広がっていた。歴史センター近くのそば処いせきで板蕎麦七〇〇円をいただく。何軒かある有名店で、他府県から来ている食通でにぎわっている。板蕎麦は小千谷のへぎ同様の容器に蕎麦が盛られているもので、お世辞抜きでおいしくいただいた。
 最上公園には堀や大手門石垣、庭園が残っている。カド焼き祭りはここで行われる。Img_0529

 宿への帰りに名物くぢら餅を買う。餅米、うるち米でつくられており、ういろうよりもちもちしていて、少し甘い。名物にうまいものなしと言うがこれはなかなかいける。
 宿に帰ると、自転車にビニールのカバーがしてある。宿の主人の心遣いが嬉しい。

走行0Km 累計 1、726Km  費用 8,135円

 ★ 玄柳館ホテル 新庄駅前 シングル5,250円      
      駅前で立地条件良し。隣が酒屋なお良し。Img_0528_1 資料館にある看板は屋号からしてこのホテルの前身らしい。

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さよなら月山 9/6

2006-09-11 | 旅行記

 2006.9.6(水)      晴れ 雨   朝20度 日中24度
 6:30 起床
 8:10 月山荘発~R112~R287~R347~
14:15 新庄市玄柳館ホテル着      

 夕べの嵐が嘘のようにすっきり晴れた朝が来た。私が月山に登った日だけが荒れたのだ。同宿の夫婦は昨晩沈んでいただけに、今朝の天気が嬉しいようである。食事前に地蔵沼を散策する。山はくっきりとその姿を見せている。これが月山なのかなあ、なんとやさしい山容だなあ、ほんとに月山なのかなあ。なにげなく女将に聞いてみる。「山がよく見えますねえ」「左が湯殿山、右が姥ヶ沢山ですよ」やっぱり月山ではなかった。昨日は山なんて見える状況ではなかった。一昨日六十里越街道から見た山は一体なんなんだろう。月山なのか、その前山なのか。月山がシャイで内気な山形人そっくりだなあと思えてきた。Img_0506
月山荘から、左が湯殿山、右は姥ヶ沢岳

 このあたりは月山湧水群といってそこら中で水が湧いている、豊富な残雪が伏流水となってこのあたりで湧き出ているのだろう。名水百選にも選ばれていて(私は名水百選なんて何の意味もないと考えているのだが)販売もされているようである。昨日リフト小屋で飲んだときは別段うまく感じなかったけど、今日のブナの泉の水はうまい。Img_0504 Img_0503
ブナの泉と地蔵沼

 食事が済んだらそそくさと出発、今日のコースは下りばかりで気分的には楽なんだけど
午後から天気が悪くなるようで、妙にあせりを感じる。月山湖までは急な下りで、寒くてしょうがない。ウィンドブレーカーとタイツをバッグにしまったことを悔やむ。
 寒河江ダムのあたりでひょっと見上げると、山が見える。雪渓も残っているので月山に違いない。登っていながら初めて見る山容である。そしてもう二度とその姿を見せることはなかった。Img_0507
 ダムのところのトンネルは歩道が無く、距離も長い。見るとダム沿いに道が走っている。
迂回できそうなので、ダムの事務所に掛け合う。「いいですよ僕も自転車で来てるんです」快く通行させてくれた。京都から来たと話すと驚いていた。
 寒河江までずっと下りでR287になってもすいすい、あっという間に東根市についてしまった。一応今日の宿泊予定地にしていたのだがまだ十一時である、天気も持ちそうなので尾花沢まで行くこととする。
 東根は果物の大産地、今野君の農園から毎年リンゴやサクランボや洋梨やをいただいている。彼がいたら立ち寄るのだが彼は東京にいるので、素通りする。田んぼに果樹園が続き、その間に裕福そうな農家が点在している。私のように丹波の水飲み百姓の出のものにはこのような広い農地の大規模な農家はねたましくさえ思えるのだ。もちろん彼らには彼らの苦労もあるのだろうが。Img_0511
田園地帯、緑の部分はだだちゃ豆

 一時過ぎに尾花沢の分岐大石田に着く、信じられないぐらいペダルが軽いのだ。このままだと新庄まで行けるかな、新庄なら宿探しも楽そうだしと思い先を急ぐ。大石田の先で北向きの道がR13に合流するため東進する。途端に自転車が進まないのだ。風だ、追い風のおかげでこんなに調子よく来られたのだ。ひょっとしたら筋肉と体力がつき強くなったかななどとうぬぼれていた自分が恥ずかしい。道路が北向きになるとまたすいすい走り始めた。
  
 新庄で宿を取って、風呂をあがるともう雨が降っている。明日は停滞かな。

走行90Km 累計 1、726Km  費用 9,912円

 ★月山荘 月山山麓 1泊2食 5,985円  月山の登山基地として最高、キャン  プ場も有り、温泉はいりたい人は志津温泉すぐ近く。   
 
  ★峠列伝(14) 由良峠 山形県R7 9月2日
  困難度 1 景観 3  水場 無し  歩道 有り  トンネル 無し
  列伝に出る程じゃ無いが、逢坂山も出ているから。

 ★峠列伝(16)猿羽根峠 山形県R13 9月6日
  困難度 1 景観 1 水場 無し  トンネル 有り 
  何でもない峠だが歴史的には何かあるのか。新道が出来るので将来は通行しなくなる  かも。

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月山 死の彷徨 9/5

2006-09-11 | 旅行記

 2006.9.5(火)      曇り 雨   日中22度
 6:30 起床
 7:55 五色亭旅館発~自転車~ 姥沢リフト乗り場
11:00 月山頂上着       11:10発
12:40  姥沢リフト乗り場着
14:20 月山荘着

 月山は死の山である。死者の霊が行く山なのである。森敦氏の小説「月山」が世に出たのは私が学生時代のことであった。家の中に居ながら凍死の恐怖にさらされるという論評の一文に惹かれ、単行本を購入した。そして月山が死の山であることを知った。単行本は京都に居を移しても、就職しても私の書架に確かに存在していた。結婚して子供たちが育っている頃いつか無くなってしまった。死というものに縁遠くなったのか、生が忙しくなったのか、その両方の理由であろう。
 月山という名は美しい。しかし私は草も木も無く、凍てついた岩山に突き刺さるような月を想像してしまうのだ。それは寂寥、殺伐、限りない寂しさと孤独を考えてしまう。だからこそ死者の行く山なのだ。月山という山を知ってから三十余年私は密かに月山にあこがれ続けた。
 鶴岡の街で文庫本の月山を買う。書評はいろいろとあろうと思うが、私は「月山」の七五三掛での暮らしの中に、生々しいこの世のものと静謐なるあの世のものとがごく近距離に、あるいは同時に混在する世界(おそらく過去においては当然の世界であった)を絶妙のタッチで描いたものであろうと考えている。彼らは現世とあの世を別個の世界として認識していたかも知れないが、ごく身近な世界として考えていたのでは無いだろうか。現在の人たちは生なる世界があまりにも忙しくて、死なる世界に思いをはせる時間と余裕が無くなってしまった。
 私は死後の世界あるいは神仏の世界は私ども人間の心、厳密には脳の中に存在するものと思っている。だからこそ死の世界にさまようことが可能なのである。いつでも生死の世界を超えて彷徨することが出来るのである。
 人は生が眠るとき、死が目覚めると思っている。しかし、その取引において、生が眠るとき死も眠るのだ。(森敦 鳥海山初真桑より)
 姥沢までの舗装道は志津温泉から6Kmの急登である。月山の上部はガスに隠れているがこのあたりは陽もあたり暑くてたまらない。ジャージを脱ぎ、上半身裸で登る、ギヤはずっとロウギヤだ。西に朝日連峰の山並みが凛々しい。1時間で姥沢、リフトに乗り換える。往復1,000円は値打ちものだ。リフト終点はすでに森林限界、牛首へ続くカールまで木の登山道である。団体の登山客は姥沢山方面へ登り、ついに一人きりになったと思ったら、ガスが出てきて雨も混じってきた。風景を見る必要もない、視界は10m程度でなにも見えないのだ。足下の石だけをみて進む、だんだんよろけてきて、いつもの彷徨となる。雨は空から降るのではなく、私の周りで水蒸気を含みきれなくなって水となって発生するのだ。だんだん私はもう死んでいて、私の霊が月山をさまよっているかの感になってくる。それが証拠に一向に疲れないのだ、そして寒いはずなのに寒さを感じないのだ。
降りてくる登山者は冬山状態の服装なのに、私は自転車用の半袖のジャージ一枚なのだ。
 死者の霊は月山に行き、続いて湯殿山に行き湯殿山の神様に癒され、再生するそうである。しまった、湯殿山とけんかしてしまった。私の霊は永遠にこの荒涼とした月山をさまようこととなるのか。 Img_0494 Img_0496
Img_0498朝日連峰遠望、牛首を方面はガス
牛首はガスの中

  牛首の稜線に飛び出す。金剛沢から吹き上げるガス混じりの風がもの凄い。ゴロゴロの岩の上をよたよたと歩んでゆくとお地蔵さまと稲荷神社が現れた。何で稲荷なんだ。
 あたりがなんとなく広がって頂上付近をを思わせる風景となってくる。ガスの中に卒塔婆が現れる。ドキリとして近寄ってみると石塔があり、○○○之霊などと書いてある。
 雨風はますますきつくなり、まっすぐ歩くとことも困難になってきた。山で死んだIさん
K、それに親父の霊もここに来たのだろうか。やがて山小屋が現れる。曇ったガラス越しに食堂らしいテーブルやストーブらしいものが見える。それらが生の象徴のように思われ
やり過ごす。やがて月山神社に到着、ここが山頂である。Img_0500
頂上手前、風雨がきつい、神社内は撮影禁止

 「お参りの方はお祓いを受けてください。500円」施餓鬼○○円、お守り○○円、朱印○○円云々。もっとも神聖で霊的な場所がもっとも現実的で生臭い場所に感じられ、私は一気に現世に引き戻されてしまう。あの場所はチベットの聖地や峠に見られるような、ケルンと風にたなびくチョルテンだけの世界でなければいけない。卒塔婆と風車だけの世界であったら私はいつまでも月山を漂ったかも知れない。
 500円を払ってそそくさと神社を廻った後、なにか後ろめたいような気分になって逃げるように山を駆け下りた。
 ガスは志津温泉あたりまで降りてきて、ついに月山の姿を見ることは出来なかった。
その晩、麓まで雨風が吹き荒れ、しつこいぐらい長く続いた夏が臨終を迎えた。Img_0502

雪渓があちこちに残っている。 
 
走行16Km 累計 1、636Km  費用 11,850円

★ 五色亭旅館 山形県志津温泉  1泊2食9,650円    
   五色沼のほとりにあり景色抜群。初めてクーラーのない部屋に泊まった。(必要なし)

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月山への道 9/4

2006-09-11 | 旅行記

 2006.9.4(月)晴        道中27度
 6:00 起床
 7:30 ホテルαー1発
13:50 五色亭旅館着
14:30  湯殿山神社
16:00 宿着

 朝の気温は20度前後で涼しい。鶴岡郵便局へ局留めが着いているか確認に行く。8時の窓口開始時間を待って飛び込むと昨日の女性職員がいてすぐに持ってきてくれた。やれやれこれでお金の心配はひとまず無くなった。掃除のおばさんにR112の道を尋ねると親切に教えてくれ、的確であった。ちょっと気分が良くなり、R112を南進する。道は広く路肩をすいすい走る、2時間近くギヤチェンジ無しで走る、まっすぐで平らな道である。
 国土交通省の道路パトロールの黄色い車が50メートル程前方に止まり、職員が手を振ってこちらに向かってくる。「どちらへいかれますか?」ほっといてくれと思ったが、「月山に行きます」「月山道路は自転車通行禁止なので旧国道に入ってもらえますか」「はい、宿の主に聞いてますのでそうします」本当は頭に来ていたのだが、この職員に文句を言っても仕方がないので素直に答える。大体国道なんて車のために作ってあって、自転車や歩行者のことなんかなにも考えていないことは常々言っていることである。
 朝日村の郵便局で貯金を引き出す。お金が出てくることがこれほどありがたいとは思わなかった。落合と言うところは月山の主人公「わたし」がバスの中でウトウトとし始めたところである。このあたりから道路が狭く、カーブも増えてきた。大瀞とか書いてあったか左下にそれらしい渓谷があるところに地蔵さまが数体あり相模の地蔵尊といい、何かとご利益のある地蔵さまだそうだ。弘法の御加持水というわき水があり四角の枠にこんこんと湧いている。冷たくておいしい水である。いつものようにボトルに満杯いただく。それにしてもすぐ後ろは絶壁で、よくこのような地形で水が湧くなあと感心する。弘法さまのなせる技か。Img_0479_1  

 月山ダムのトンネルを車におびえながら三つ越えたところに旧国道の分岐がある。と、そこの空き地に先ほどのパトロールカーがいる。私のこと見張っているのかなと思い、旧国道に入ったとたん鶴岡方面に帰って行った。自転車が一台自動車道に入らないよう見張ることがやつらの仕事なのだ。私を追い越してから何時間たっているのだ。ばかばかしくてあきれかえってしまった。
 旧国道は谷底に降り、田麦俣の集落となる。昨日博物館でみた兜づくりの民家があり、また急登が始まる。Img_0481

行動食のどら焼きを3個ばかしむりやり呑み込んで再出発。途中に六十里街道の登り口が現れる。結構歩かれている様子で、昨今の古道ブームのせいかな。坂を登り切ったところに七つ滝展望台がある。かつては湯殿山の修験者がまづここで禊ぎをしたそうである。

Img_0483Img_0482 Img_0486 Img_0487

左から七つ滝、旧六十里街道登り口、ブナの道

 やっと峠に着いたかなと思いきや一向に下りにならない。ところがこのあたりで旧国道に来たことをありがたく感じ始めた。足下の深い渓谷、遠い山並み、遙かに続くブナの原生林、本当に美しい。そしてなにより車が全然来ないのだ。最初聞こえていた車の騒音もいつか消え、ギリギリ軋むチエンの音とザアザアというタイヤの音、ハアハアという息の音、そして虫たちの声だけが聞こえてくる。
 どこかの神社にあればみんな御神木になりそうなブナの大木が限りなく続く。こんな景色を独り占めできるのだ。水は豊富で水場はいくらでもある。そのひとつひとつが京都にあれば行列のできるような冷たくておいしい水なのだ。Img_0489

こんな水場がいくらでもある。

 湯殿山ホテルは湯殿山の入り口で、下の月山道路から車があがってくる。そのまま旧国道に入るとすぐに先ほどの風景となる。遙か下方に車の走っているのが見える。天上の雲間から亡者どもを見ているようで楽しい。月山の分岐があったと思えばすぐに五色沼に着いた。
 月山往復は時間的に無理なので、湯殿山に戻ることにする。10Kmあまり戻るが空身なので30分少しで到着する。食堂で山菜蕎麦大盛りを注文、時間もかかったが恐ろしく盛りだくさんの蕎麦がでてきた。山菜もたっぷりで大満足、キノコに曲がり竹がうまい。
おやじさんもいとこが城陽市におるんよなんてきさくにおしゃべりしている。さてお勘定となると630円とか、「大盛りですよ」と言うといいよいいよてんでおまけしてもらった。
 さていよいよお参りというとき、2Kmの湯殿山有料道路というのを通るのだが、自転車は駄目というのだ。「そんな馬鹿な話があるか」それじゃ国交省と一緒じゃないか。
「自転車は駄目、バイクはいいけど」「どんな苦労してここまで来たと思うんだ、湯殿の神さんはそんな了見の狭い神さんかい」
「神さんに毒づくなんてむにゃむにゃ」と山形弁で何か言っている。わたしはさっさときびすを返して帰路についた。こんなに頭に来たことはない。
 湯殿山の神さんよ、自転車で来るってことは車やバイクみたいにアクセル一つで来れないんだよ。峠をいくつも越えて汗かいて、鶴岡から半日も掛けて、出羽の立派な神様にお参りしようとしてきたものを追い返すのかい。修験者なんてえらそうにしてても電車やバスで居眠りしながら来てるのもいっぱいいるだろう。こちとらよっぽど行積んでると思わないかい。金払わないって言ってるんじゃない、なんで車やバイクがよくて自転車がいけないのだ。そうそう10月には出雲で神様サミットがあるそうじゃないか。日本中の神様においらの言ってること間違ってるか聞いてみてよ。靖国の神様の議題で忙しいかも知れないけど。
 せっかく好きになり始めた東北、また大嫌いになってしまった。
  
走行75Km(宿まで50Km) 累計 1、620Km  費用 1,030円

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