晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨で休養 9/27

2006-09-27 | 旅行記

 予報どおり一日中の雨、大雨、強風、洪水、波浪注意報とそろい踏み。ブログ書き込みも溜まっていることだし、休養と決め込む。頼んでいたザックとウィンドブレーカーが青森中郵に届いているので取りに行くだけ。途中に県立郷土館があるので立ち寄る。ところがこれが大変良くできた博物館で、展示物もさることながら、説明もしっかりしてあり、学芸員も各階に配置されている。結局3時間も見学することとなった。
 三内丸山遺跡での勉強が役立ち、縄文時代のコーナーはいつになくおもしろい。昨日の私の仮説がそのまま説明されているところもあった。予想することは誰も同じということか。樹上葬の仮説だけは無かったが、、、
 おなじみの遮光器土偶は興味深い。なにせ宇宙人説まで出てくる始末だから。雪めがねというのが主流の考えなんだろうが、私は単なる目の描き方の技法なのではないかと思う。
 青森県は縄文時代では最先端の地方だが、弥生から古墳時代となるとぱっとしないのだ。これはやはり気候の厳しさによる生産性の低さによるものなのだろうか。
 近世ではアイヌの影響は興味深いところだし、ロシアとの関係やマタギの生活も独特の文化だろう。太宰治、棟方志功、高橋竹山など個性の強い文化人を排出する地方風土というのは、やはりなにかがあるぞと言う気になる。
 ザックとウィンドブレーカーは予定どおり届いている。古いものを写真にとって記念とする。長い間ありがとう。Img_0886

走行 0  累計 2,572Km  費用 4,002円 

★ ホテルアラスカ 青森駅前 2006.9.26,27 シングル4,935円
             リーズナブル、交通便利、モデム有り

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縄文時代も悪くない 9/26

2006-09-27 | 旅行記

 2006.9.26(火)     曇り          
 6:00 起床
 8:05 蟹田キャンプ場発~R280~R7~三内丸山遺跡着11:40
14:00 三内丸山遺跡発線~県道44号線~
15:30  ホテルアラスカ着(青森駅前)

 天気予報が本日曇り、明日は雨ということで、下北に渡っても雨で動けないようなので下北行きは取りやめ青森に向かう。ビジネスホテルに泊まれば雨でもブログ書き込みとか出来るためだ。Img_0869
 
乗る予定だった下北行きのフェリー

 時間的には余裕があるのでのんびり南下する。津軽半島も陸奥湾側は民家も続き、田畑も豊かで、日本海側のような寂寥感は無い。最果て感を得たいなら西回りが良いということだ。ただし竜飛の峠は東回りの方が楽なそうである。東北三県を巡ったが、県民性があるみたいだ。青森人は屈託が無く、明るく感じる。山形、秋田では宿や店でもしっかり方言だが、青森はどこへ行っても標準語に近い言葉でしゃべってくれる。方言がしっかり生きている方がいいと思うのだが。
 三内丸山遺跡はあまり興味無かったのだが、同宿の人が皆行きましたかというので、向学のために行ってみるかなと言う軽い気持で寄ってみる。発掘が始まったとき大々的なニュースになったことを憶えているが、実際に見てみるとそれだけの価値のある遺跡であることがわかる。施設は立派でしかも無料である。シアターを見たり、ガイドの説明を受けたり2時間近くのめり込んでしまった。縄文時代の出土品はどこの博物館に行ってもただ陳列してあるだけで一体どういうものなのか説明がない。そのためにざっと見るだけでやり過ごしていたのだが、ここでは詳しく説明してくれるので納得が出来る。Img_0877_1 Img_0875
 
住居跡と村の道路(実物大)

 縄文時代は確かなことが解らないので私たちの想像力に依頼するところが有り、それが楽しさとなっている。私の想像は、1.栗だけでなく、他の作物もかなり大規模に栽培されていたのではないか。広い村の区域のごく一部に密集して家屋があるのは、他の用地は畑であったのではないか。2.村には掟のようなものがあり、それを統率する組織というか階級というかそういうものがあったのではないか。居住地、墓場、ゴミ捨て場などはっきり決まっており、また大きな建造物を造るためにはそういう組織が必要であろう。3.例の大型掘立柱建物は何のためのものだろう。私はまさにバビロンの塔ではないかと思う。
人類がより高い建造物を建てたがるのは本能なのかも知れない。神である太陽に寄り近づきたいというものかも知れない。法隆寺や東寺の五重塔だってあんなに高いもの作ってるんだから。いっそ考えを変えて樹上葬というのはどうだろう。
Img_0881Img_0882
実際はもっと高かったようである

柱は4.2m間隔で、内側に2度傾いている





 4.あまりに広い道路は何のためか。道路の両サイドは墳墓である。環状列石もある。そうすれば、それらを荒らさないであの建物用の木材を搬入するにはあの程度の広さは当然必要だろう。ただ大型堀立柱建物はかなり後期に建てられたそうで、最初からあの広い道路は必要ないのかも知れない。Img_0876 Img_0883

大型住居とその内部


 疑問も沢山出てきた。発掘物の中にイノシシの骨が見られるが、イノシシは現在この地方には存在はほとんど無い。学芸員さんに聞くと、「全然いないということではないのです」ということであった。私は縄文期には高温期があり、その時期には相当数がいたのではないかと思う。土偶はなぜ女性なのか。生命を作り出す女性がいわゆる生産の象徴としてあがめられているのは解るが、実は今で言うエロ本の類だったりして。なかなかエロチックな土偶もありますぜ。罰当たりな発言である。Img_0884

板状土偶、すべて女性である


  とにかく縄文時代の勉強をしっかりした、今後の博物館がちょっと楽しみである。
 レストランでは発掘丼とか縄文なんとかとかへんなメニューを用意している。残念ながら高くてまずかった。
  30年近く使ったザックが遂に壊れた。数々の登攀をともにしてきたザックだけに寂しい。ウィンドブレーカーも20年近く使っているがさすがにぼろぼろ、買い換えのため高額出費となる。

走行48Km 累計 2、572Km  費用33,195円

★蟹田キャンプ場 (外ヶ浜町蟹田) 2006年9月25日泊  無料 
  海水客用のキャンプ場で、設備も整いロケー旬もションも良い。本来は有料かも知れな い。

コメント (3)
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故郷の訛なつかし竜飛崎 9/25

2006-09-27 | 旅行記

 2006.9.25(月)     快晴      道中24度   
 6:00 起床
 8:05 小泊観光館発~R339~竜飛崎への峠着10:19発10:32~
10:50 竜飛崎着~発11:10~R339~R208~三厩(みんまや)食事
12:40 三厩発~県道14号線~県道12号線~
15:30  蟹田着(外ヶ浜町)

 本日も快晴、旅館を出てすぐ小さな峠を越える。といっても充分逢坂山ぐらいはあり、実は今日までこの程度の峠は無数にあったのだが峠列伝には書いていない。峠というのは峠の大きさではなく歴史的に重要であったか、村人の生活にどの程度関わっていたかで名前が付いているようだ。新しく作られた道路には相当大きくても名もない峠がある。次に越える峠も大変な峠だが道標もなく、地図にも峠名は無いので、竜飛崎への峠としておく。 さて、小泊からの峠を越えたところに道の駅があり、立派なオートキャンプ場がある。知っておればここまで来たのにと悔やむ。少し行くと地図には無い一軒の温泉宿がある。重ね重ね残念だ。昨日小泊でおばさんに道を尋ねたとき、温泉はあるけれど自転車では大変だと言われた宿だ。それほど大変ではないのだが、普通の人にとっては大変な距離なのかも知れない。Img_0846

キャンプ場のある折腰内海岸、嫌な名前だ

 休憩して背中のポケットに手をやると、なんと宿のキーが入っている。昨日から何事もうまくいかない、気がつけば国道339号線、散々苦労線だ。宿に電話して郵送する旨伝え、先を急ぐ。
 海は水がとてもきれいで、前方には北海道の山並み、後方には津軽の山並みが重なって見える。温泉宿を過ぎてからは家は一軒もなく、入り江に船宿がある程度だ。貴田君のいう「最果て感」とはこのことかな。
 昨日からヤマカガシだろうか、小さな蛇を見かけていたのだが、今日も一匹道を渡っている。轢かれてしまうぞなどと思っていると、道の脇にどでかいマムシがいるのだ。これには思わずびっくりした。こんな北の国にもマムシは生存できるのか。夜行性のはずのマムシが何でいるのか、少し疑問を抱く。
 やがて七つ滝という所に到着、立派な滝で、写真を撮ったりじっくり見物したりする。観光バスや自家用車が来ても一旦停止して眺めるだけで、降りてくることもない。そういうもんかなあ。おみやげ屋ならしっかり停車するのになあ。 Img_0849
Img_0851
七つ滝とそこからの海の眺め



 いよいよ本番の峠に取りかかる、さっきから前方に見えていた怖ろしい峠だ。いくら登ってもきりがない、遙か上部に展望台らしき建物が小さく見える。うんざりだ。車は全然来ないので、ジグザグ走行してみるがあまり効果はない。あまり前方を見ないでジリジリ登っていると、山は相当深くなってきた。毎日の新聞に熊の被害や目撃情報が載っている。今年は例年の13倍の目撃情報があるということだ。朝刊では本来山に入るこの時期に出没するのは、残暑のせいだと報じていた。一概に餌だけの問題でも無さそうである。急にここで熊が出てきたらどうなるかなどと不安になり、もう少し車来てよと思う。
 展望台が近くなってきたとき、道ばたに大きな糞発見、熊かなあ、熊なら雑食と言うから木の実や動物の毛が混じっているのと違うかなあなどと思いのぞき込むがよくわからない。写真を撮り、少し行くとまたしても同様の糞がある。大きさから大型の動物のようだから熊かカモシカか、そんなところだろう。
 やっと展望台に着き峠は終わり、2時間弱の登りで丁度八甲田山の傘松峠ぐらいの登りであった。観光バスが一台上がってきたがここも通過する、いい眺めなんだが。Img_0853 Img_0854

峠の登りとあやしい糞

 

         Img_0855 Img_0856
登ってきた峠、真ん中の一番低いところから登ってきた
展望台から竜飛崎

 ウィンドブレーカーを着て峠を下る。あっという間に竜飛崎に到着、自転車で灯台の展望台まで上がる。津軽海峡では沢山の船が縦横に走り、無線の声がここまで届いている。これぞテレビで見たマグロの一本釣りではないか。バスガイドさんに聞くと、「あれは下北ですから、ここではないですね」とすげない返事。「じゃあ何捕ってるんですか」「さあ」自分のお客でもない者に聞かれて機嫌悪そうだ。
 少し早いが昼食を摂ろうとレストランによると、まだ準備中とのこと。本当にうまくいかない339号線だ。日本唯一の階段国道を自転車で下るべく覗いていると、先ほどの観光バスの連中がいて、わいわいしゃべっている。どうも私のふるさと丹波の言葉のようだ。「どちらからおいでですか」「京都です」「丹波ですか」「わかりますか」「福知山でしょう」図星で驚いている。福知山市、綾部市の住宅何とかのツアーということだ。三和町の人も何名か来ておられ、元町長の田中さんにもお会いする。2,3年前福知山東ゴルフの三和町長杯でお会いして以来だ。写真を撮ったり、しばし質問攻め。Img_0858 Img_0862   

竜飛崎はこの賑わい、この人達が福知山の人
階段国道の入り口

 
Img_0865 Img_0866
前三和町長田中さん

階段国道最終段階、こんなとこ通れるか


 皆に励まされ、階段国道を降りにかかる。最初のうちは道幅も広くサイドバッグ付きの自転車でも快適だが段々狭くなり、身動きできなくなる。戻ることもならず最悪の状況、汗だくになって担いだり持ち上げたり、まるで詐欺みたいな国道だ。散々苦労の酷道ってところか。這々の体で階段を下りきったら道は両脇に家の続く狭い路地、家の人は迷惑だろうなあ。
 龍飛郵便局(龍の字がこれ)でキーを送り返すついでにマムシの件を尋ねる。「そうなんですよ、マムシは多いですよ。今は産卵時期だから危険ですよね。アスファルトは暖かいから出てきたんじゃないですか」くわばら、くわばら。
 三厩で昼となったので、漁師の店というところで昼食を摂る。一番安いのがイカ刺し定食1,000円、値段には不満があったが味は良好、ここで津軽湾の例の漁の件を聞く。
「あれはマグロ漁りですよ。回遊してるんだから大間だけがマグロ漁じゃないですよ」やっぱりそうだろう。なんだあのバスガイドは知った風なこと言いやがって。マグロ一本釣りのテレビ番組は欠かさず見てんだから。
 県道14号線に入ると小国峠となる。たいした峠ではないのだが先ほどの竜飛の峠が効いていて足腰がつらい。その上竜飛以降えらい向かい風なのだ。降りきったらくたくたになってしまった。津軽線の踏切につかまる。2両編成の列車がのんびり走っている。少し行くと立派な架線の線路がある。あれ、こんな所に新幹線あったかなと思ったがこれは北海道へ行く津軽海峡線だった。
 青森行くの止めて、下北に行こうと思い蟹田のフェリー乗り場に寄る。残念出航した後だ。隣にキャンプ場があり、明日の便に乗ることにする。シーズンの終わったキャンプ場は寂しい。設備は整っており、無料で使用できることが魅力だ。温泉はないが人工温泉ぽっぽ湯というのが町内にある。公の施設らしく立派な建物で、サウナ、泡風呂、ミルキィ風呂、打たせ湯、人工炭酸泉などがあり、下手な温泉より気持ちいい。コンビニで夕食を買いさっさとシュラーフにもぐる。風が強く、波の音がうるさくて寝付かれない。Img_0867


走行78Km 累計 2、524Km  費用9、267円
(風呂往復2Km含む)

★小泊観光荘(中泊町小泊) 2006年9月24日泊  一泊二食6,800円 
  設備古い、浴衣もタオルもない。夕食のメニューは盛りだくさんだったが、料金不満。

★峠列伝(17)竜飛崎への峠 青森県国道339号 2006.9.25
     困難度 4  風景 5  水場 無し  歩道 無し
     観光シーズンで交通量が増えると厳しくなる。
★峠列伝(18)小国峠 青森県県道14号線  2006.9.25
          困難度 2  風景 1    水場 有り  歩道 無し
     なんてこと無い峠だが大型トラック多かった

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最果感を求めて 9/24

2006-09-27 | 旅行記

 2006.9.24(日)     快晴          
 6:00 起床
 9:00 春霞荘発~県道3号線(鰺ヶ沢街道)~鯵ヶ沢~R101~広域農道~
13:40 十三湖着~市浦民俗資料館~R339~
15:30  小泊観光館着(中泊町)

 本日も快晴、嶽温泉があまりによい風呂だったので朝風呂に入る。都合四回の入浴だ。出発の際にゆで嶽キミを持たせてくれた。自分では買えなかったのでありがたい。
 鰺ヶ沢に下る道は寒くてスピードが出せない。晴天続きの休日の今日は絶好の稲刈り日のようだ。八月のスタートの頃はまだ青々していた稲が刈り取られる時期となったと思うと、時の移り変わりを感じる。稲は全てが刈り取り時期では無いようで田の周りを、時期を決めかねているように見回っている農夫が数人いる。稲は晴れが続いた後に刈り取るのが良いようで、天気と成長度合いのかねあいが難しいようだ。

 稲刈りの 日さだむるや えびす顔     うとく

 稲の乾燥の方法がこのあたり独特で、一本の木に束ねた稲を順繰りに積んでゆく。どこからも岩木山が見え、働く者を優しく見守っているようだ。信仰の山となるのも当然のように思える。
 
 岩木山 稲刈りの農夫 見守りぬ  うとくImg_0826 Img_0827

稲刈り済みの田、どこからでも岩木山が見える



 鰺ヶ沢にはトライアスロン大会があったが、もう終わったのだろうか、ポスターなども見あたらない。トライアスロンといえば、佐渡の大会は私が去った翌々日に開催されたのだが、水泳で死者が出たそうだ。亡くなられた方も関係者の方々も大変お気の毒である。村上笹川流れの大会は来週の日曜日である。通って来たところだけに気になるところである。
 津軽半島の西を十三湖まで広域農道が走っている。湿原池沼群の間を走っており、是非走ってみたい道であった。走ってみるとたまに沼が見えて、途中にベンセ湿原の景勝地もあるが、周りは畑で真っ直ぐで何の変化もない退屈な道である。上り下りが無く、車も少ないので四十数キロメートルをあっという間に過ぎてしまった。Img_0833 Img_0835 

ベンセ湿原はすすきだらけ、果てしなく続く道



 立秋の影 我が意のごとく 北をさせり   うとく

 十三湖はとさこと読み、決してじゅうそうこではないので念のため。弘前方面から来る岩木川が注いでおり、十三湊は中世にはたいそう繁栄した港であるが、底が浅くなり港としては衰退してしまった。民俗資料館には往事の繁栄の跡が展示してある。ここに立派なキャンプ場がありサイト料も五百円と安いので、久々にキャンプしようかと思ったが、時間的に早いのと温泉に入りたいので小泊まで足を伸ばすことにする。Img_0839

十三湖

 これが大失敗で、小泊の街には温泉は無いのだ。街に入る手前に雄の湯とか言う一件宿があり温泉はそれだけだそうだ。仕方なく荷物を置いて入りに行く。その間に小さな峠があるにもかかわらず。 
 お風呂は大きく、泡風呂などもあるが清掃が悪く、不潔そうで嫌であった。ただ帰り道
日本海に沈む夕日は大変美しいものであった。Img_0843
  
走行89Km 累計 2、446Km  費用7、919円
(温泉往復8Km含む)
★雄の湯(中泊町) 2006年9月24日 無色、無臭 循環 ナトリウム硫酸塩 塩 化物泉 390円     設備、清掃悪く嫌な感じであった。石鹸、シャンプーなどもないので持参のこと。 
 
★春霞荘(弘前市嶽温泉の民宿) 2006年9月23日泊  一泊二食6,500円 
  温泉、料理、サービス等最高。値段も安い。料理は山の幸がふんだんで、洗濯させてもらったり、嶽キミを持たせてくれたり、心遣いがうれしい。いちおしの宿。

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岩木山登頂 9/23

2006-09-27 | 旅行記

 2006.9.23(土祝)     快晴          
 6:00 起床
 7:25 弘前YH発~県道3号線(鰺ヶ沢街道)~嶽温泉9:10着
10:15 嶽温泉発~バス~八合目10:40~岩木山頂上11:32着
12:10  頂上発~八合目13:05着~13:45発バス~嶽温泉14:10着

  弘前はもう一日ゆっくりと見物したい街なんだが、晴天の間に岩木山に登りたいので出ることにする。実はどうやって岩木山に登るのかよくわからない。同宿の高橋さんは連泊し、弘前からバスで八合目に行くらしい。とりあえず嶽温泉にいってみよう。ってことで早めにスタートする。県道3号線は岩木山神社の参道となっており、松並木が残っている。かつての街道と言えば松並木が主流であったようだが、松食い虫その他の理由で最近では珍しい。是非後世に残していただきたい。Img_0806
Img_0807
松並木と岩木山、左手のガスが気になる



 緩い登りが延々と続き、両脇はリンゴ畑である。収穫の時期なんだろうか、ほとんどの畑にラジオやテープの演歌が流れ仕事をしている。明大山岳部の根深誠先輩も弘前のリンゴ農家である。白神山地の保護問題やヒマラヤ関係の素晴らしい文章の本を出しておられる。大学を8年かかって、しかも登校せずに卒業したという大物だが、あのように繊細な文章を書かれるとは実のところ驚いている。
「山はよう、じわじわ登るんよ」37年前の根深先輩の名言である。
 道が広くなって、左に白神山脈、右に岩木山の勇姿がたくましい。道路の両脇に出店が沢山出ている。嶽キミ、嶽キミと看板に書いてある。一体何だ。黄身のことで卵かなと思うが実はトウモロコシのことであった。北海道の友人がトウキビとよく言っていた。そのキビがキミになっているのだ。
 キミだけに 食わしてあげたい だけキミを       (川柳)
 
 今夜泊まる民宿を決め、山に登る用意をする。バスで八合目まで登り、その上リフトで
九合目まで行けるのだ。八幡平といい秋田駒といい頂上付近までバスやリフトで人を運ぶとは、人類はバビロンの塔の教訓を忘れているのではないか。そのうち天罰が下るぞ。もう下ってるか。
 さすがの私もリフトは遠慮しておく。じわじわ登っていると後ろに若造が付いてくる、
追い抜きたいのがみえみえでぴたっと付いてくる。抜きたけりゃ言えよばかりに知らん顔して登っていると、前を行く三人組に追いついてしまった。そこで若い衆が抜いていったのだがなんと腰に鉈を下げている。マタギの末裔か。この山道のどこで鉈を使うのだろう。
などと思っていたら、このコースは赤倉講の信者によって整備されているとか。ひょとしたらその人かも知れない。
 リフトからの道と合流すると、とんでもない登山者がいる。祇園のスナックからいきなり来たような濃い化粧の女性がグッチか何かの財布を握りしめて登っている。街履きの革靴でふうふういってるばさま、もう大変だ。私の後ろは若い親子連れの4人組で、子供はばたばた前に言ったり後ろになったり、そのうえ四六時中親父としゃべっているのだ。うるさくて仕方がない。「山はよう、じわじわ登るんよ、ばかたれ」
  途中で朝バスで出発した高橋さんに会う。大勢の登山客の中でよくわかったものだ。もっとも私はレーシングパンツに半袖のバイクウェアでよく目立つのだが。
 ようやく山頂に着く、一番嬉しかったのは岩木山神社の山でありながらお金を取られないことである。月山も立山も見習えよ。Img_0809Img_0813


登頂証拠写真、いつものスタイルで失礼

 初めて快晴の山頂では、白神山脈、日本海、津軽半島、その向こうは北海道か、しっかり望める。ただ東の方面、昨日越えてきた八甲田の方面はガスがかかっており見えない。行く末は見えるのだが来し方が見えないのだ。途中圏外だった携帯電話が突然鳴り出す。
頂上はなぜか電波が来ている。貴田君が荒島岳に登頂とメールを送ってきた。膝の調子はどうなんだろう。温泉で静養しろよ。ザックとウィンドブレーカーが壊れたので愛須君に
注文していたのもメールが入り、青森中央局に郵送するよう依頼する。私の旅もみんなの協力と励ましで続けることが出来る。ありがたいことだ。
 時間があるので下りはゆっくり写真を撮りながら降りる。途中高校生の遭難碑がある。一つは一月の遭難なんだがもう一つは九月の遭難である。一体どうゆう状況であったのだろう。Img_0816 Img_0817 Img_0818

頂上から白神方面、八甲田方面はガス

直下に見える鳥ノ海という池

Img_0819
Img_0822_1   Img_0823
左:どんどん登ってくる登山者
中:爆裂火口、岩木山は休火山だ
右:下山路から北海道方面


 嶽温泉に着くとまづ蕎麦とビール、もう稲庭うどんは無い。宿に帰ると温泉が待っている。安い民宿だから外湯に行かねば温泉に入れないと思っていたら、しっかり宿にある。「お湯は一緒ですよ」女将の言うとおり。入ってみるとこれまた濃い温泉で最高のお湯、毎日毎日良いお湯に出合うのでこの辺でまとめておかないとと言う気になる。てなわけで寝るまでに三回はいる。 
 
  走行10Km 累計 2、357Km  費用3、960円

★嶽温泉(岩木町春霞荘) 2006年9月23日 乳白色(お湯は透明だが湯ノ花有り) 酸味有り、無臭 源泉掛け流し 酸性カルシュウム塩化物泉 ph2.12
 お湯はぬるっとしており濃い温泉 湯ノ花が凄い 
 
★弘前YH(弘前市) 2006年9月22日泊  朝食付き3,050円 
  中心街にあり拠点としては最高、おやつ、コーヒー紅茶など自由、リンゴなどもいただ き人気も高い。

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酸ヶ湯 9/22

2006-09-27 | 旅行記

 2006.9.22(金)     晴 曇り         
 6:00 起床
 8:00 おいらせYH発~R103~傘松峠10:54着~酸ヶ湯11:20着
12:55 酸ヶ湯発~R103~R394~R102~
16:30  弘前YH着

 おいらせYHは到着時も不在だったがスタート時も起きてこない。勝手に出発する。なんて所だ。設備はしっかり整っているのだが、管理がこれじゃ先がない。昨日夕飯を食べた桂月食堂で朝定食を食べる。親父さんは気さくにしゃべる人だが奥さんはなんとも無愛想だ。ま、性格だから仕方ないか。ここから傘松峠まで20Kmの登りだ。ブナの林の中をうねうねとひたすら登り続ける。
 熊よけの鈴をつけた地元のじさま、ばさまが森の中をうろうろしている。じさまが出てきたところをつかまえて、「なに取ってるんですか」「キノコだ、こちらの方で○×◎○○つうだ」何かよくわからない。「道に落ちてる茶色の実はなんですか」「あらぁとつの実だ」やっぱり、胡桃ではなかった。なんだ栃の実だったのか。道理で簡単に割れると思ったよ。俳句変えなくちゃ。
 まづ蔦温泉がある。名のとおりブナに蔦が沢山絡んでいる。写真のは小さい木だが大木には太い蔦が絡んでおり、まるでアナコンダみたいで気味悪い。最後には寄生宿主のブナをも枯らしてしまい、蔦だけがゼンマイ状に残っているのがある。アマゾンのシメコロシノ木と同じだ。自分自身も栄養が摂れなくなりやがて枯れていくのだ。人間でも同様の奴がいる。Img_0791
 右には蔦川が流れており、滝の音など聞こえるが今日は覗いている余裕も無い。左の蔦沼も同様だ。R394の分岐の所に日本三秘湯谷地温泉がある。車でほいと行ける湯が秘湯なのだろうか。続いて猿倉温泉がある。これらの温泉を混ぜているのが十和田温泉なので全部入ったことになるのかな。ここで変な奴に会う。原付でツーリングしているのだ。良くこの坂を登ってきたなーと思う。熊の話や何かして分かれる。その内傘松峠に到着、2時間半のアルバイトだ。八甲田も望めるが、上部はガスがかかっている。登山は諦め、
酸ヶ湯に行くことにする。Img_0795 Img_0796 Img_0798_1
笠松峠、ガスの八甲田山
地獄沼はもうもうと湯気がたっている。
温度はお風呂ぐらい。

 途中饅頭ふかしの入り口の所に地獄沼というのがあり、灰色の湖面から湯気が立ってもの凄い光景である。降りて手を入れてみると、丁度いいお湯だ。しかし誰も入っていない。
酸ヶ湯はウィークディでも中々の人出で、混浴に女性の姿もちらほら。
バスタオル巻くぐらいなら入るなよな。男でも一人バスタオル巻いて入ってる馬鹿がいる。男女別の湯もあるのだから、そちらに入れよなあ。
  混浴と言っても湯船の左は男、右は女と決められている。湯船は千人風呂と熱湯があり、大勢入っている千人風呂に浸かっていると、知らない間に誰もいなくなる。熱湯に若い女性が入ってきたためだ。あきれた人たちだ。酸ヶ湯というだけあってやはり酸っぱい味がする。
 酸ヶ湯でもうひとり凄い女性に会う。ドイツの娘さんで自転車でアメリカを回り、北海道から青森に来ているという。片言の日本語でよくわからないのだが、キャンプでまわっているらしい。今日は十和田に降りるそうで十和田湖のキャンプ場を尋ねていた。参ったね、なんとたくましい女性だこと。壮絶な旅してるみたいで泥んこだ。何か親心が湧いて同じ方向なら温泉ぐらいおごってあげるのに。おじさんのちんたら旅が恥ずかしくなってきた。
 酸ヶ湯から下は快適な下りで、城ヶ倉大橋の上から岩木山が見える。独立峰だけあって
形がよい。これは登らなくてはと言う気になる。この後は弘前まで岩木山に向かってひた走る、ずっと岩木山が見えるのだがなかなか近づかない。Img_0801Img_0804


岩木山、富士山のようでいい形



 途中歩道を走っていると、急に階段になっている。「自転車に乗ったままこの階段を降りないでください」、、、、そんなやつおらへんやろ。Img_0802  

  走行67Km 累計 2、347Km  費用7、690円

★酸ヶ湯 2006年9月22日 600円 乳白色 源泉掛け流し 超有名なので略
 混浴ヒバの千人風呂に入る。打たせ湯、掛け湯、熱湯など有り 
 
★おいらせYH(十和田湖焼山) 2006年9月21日泊  素泊まり2,970円 
  老夫婦が何十年と続けられていたのが代替わりしたそうだ。食事も出来ず、到着時も出 発時も人がいない、最低。

★峠列伝(16)傘松峠 青森県国道103号線 2006.9.22
         困難度 5  風景 5  水場 有り  歩道 無し
         紅葉シーズンは観光バスで大変

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十和田湖、奥入瀬へ 9/21

2006-09-27 | 旅行記

 2006.9.21(木)     快晴         
 6:00 起床
 9:10 黒森YH発~R103~発荷峠11:07着~休屋12:05着
12:40 休屋発~R103~奥入瀬渓流~R102~
      おいらせYH(焼山)15:30着
15:40  おいらせYH発~十和田温泉~      
17:30 おいらせYH着

 大森YHの管理人は黒沢さんという。宿泊客は一人だったので、いろいろな話をしていたら、歴史に大変憧憬の深い方で、私の昨日の疑問に的確な答えをいただいた。ひとつは
尾去沢鉱山の公害の件であるが、やはり鉱毒、煙害は勿論のこと沈殿池(残渣を溜めるダムであり、大規模なものである)の決壊による街の被害とかあったそうである。小坂鉱山も同様の銅鉱山であるが20Kmも離れた大湯でさえ煙害の被害があったそうである。
 それは彼が諏訪家というかつての大湯の大地主の文書を調査している中に、各地からの被害の訴えの手紙があり事実が認められるところである。現物を何通か見せてもらったが
大正時代のもの、戦前のものなどなまなましい記録である。荒川の松田解子さんからの手紙もあるそうだ。こういった負の遺産を後世に残すべく努力されている方がおられて安心した次第である。日本人は禊ぎの文化と言おうか、こういう歴史上の影の部分を捨て去る傾向にあるようだ。大陸における大虐殺の事件や細菌部隊の問題など戦争における事件もそうであるが公害や人権侵害、強制労働など産業における分野での事件や事実をもっと歴史上の日の当たるところに出さないと、歴史なんて学問は一体何なんだと言うことになる。
 ストーンサークルのこともいろいろ教えていただき、大体私の予想と当たっていたので、
これも安心した。他の縄文遺跡でもあるように、元来は墓穴(ここの場合は甕棺)の表面に石を輪に並べたものだが、祭祀的な要素が加わり大規模なストーンサークルになったのではないかということである。
 秋田県の自殺率の高さについてもお話しし、秋田県民の一途さもひとつの理由ではないかということであった。自分が失敗したり、行き詰まったらもう他に逃げようのない性格、
これが自殺に追い込まれる原因ではないかと言うことである。やはり人生、あそびがないと苦しいと言うことだ。あそびばかりでもいかんのだが。
 今年の熊の出没についても言及があった。昨年山の実、果実のできが大変良く、繁殖が旺盛であった。今年は雪が遅くまであったせいか実が少ないそうである。それでこの時期
人家近くまで、あちこちで出没しているようだ。
 お話をしていると出発が遅くなってしまった。峠越えもあるのでお礼を言って早々に大湯を出る。秋晴れの国道を快調に走っていると、ガードレールがゴーンと音がする。熊でも激突したかなと振り返るがなにもいない。それが何度か繰り返す。どうも朝の日に当たり、ガードレールが膨張して音を出しているようだ。

 秋晴れに ガードレールも 背伸びかな     うとく

 R103沿いは滝の名所でいくつか看板もあるのだが、熊の話で脇道にはいるのが怖ろしくなり、道沿いの滝だけ鑑賞する。止めの滝、中の滝が有りその間も美しい滑(なめ)で楽しい街道である。Img_0769 Img_0772 Img_0773

左から止めの滝、中の滝、中間の滑







 ブナ林の街道も当初は感動したが、毎日走っているとどうってこと無くなってきた。美人の嫁さんのようなものか。クルミの実(本当にクルミか確かめていないのだが)はだんだん増えて、避けきれなくなってきた。やむなく踏んでみると、熟れているせいか割れてしまう。もう乗り上げてふらつくこともないのだ。

 胡桃割る 19インチの たくましさ      うとく

 発荷峠はブナ林の続く美しい峠である。初めてブナ林を走る人なら感動ものだろう。
峠自体はなんてことはないが、その先にある十和田湖の展望は素晴らしい。絶景とはこのことをいうのだろう。

 栗踏みて 十月遅れの はつにかな     うとく   Img_0775
Img_0777_2Img_0776
発荷峠と展望台からの十和田湖



 今日は秋の交通安全週間の初日らしくて、パトカーや関係者の車が十台ほど幟を立てて通り過ぎてゆく。これが工事中の道路と相まって渋滞となる。一体なんのこっちゃ。
休屋(やすみや)までの下りは一気である。ここに秋田県と青森県の境がある。十日に秋田県に入って以来十一日間、秋田は美しい景色が多くあった。Img_0778
Img_0779  休屋は十和田観光の拠点である。

秋田、青森県境の川と休屋からの十和田湖


 十和田科学博物館が特別展準備中で無料なので入ってみる。十和田湖の生成、カルデラ湖の説明が主である。
 お昼をとろうと思うが、各レストランとも客引き合戦で大変である。オフシーズンの哀しさか。私はこれが大嫌いで、客引きのいないレストランに行く。ところがやたら高い、しかもどこも同じような値段だ。ばかばかしいので止めにして、先を急ぐ。
 第二のカルデラの部分の半島は峠となっている。湖の周回は平らという先入観があるので、結構つらい。Img_0780

峠からの眺望

 降りきったところに、食堂があり寄ってみる。ラーメンとご飯、ひじきと山芋短冊、漬け物が付いて五百八十円、安い、正解。
 いよいよ奥入瀬渓流に入る。私はここは十和田湖に注いでいるものと思っていたので、登りになると覚悟していたのだが、逆であった。すこぶる気持ちの良い下りなのだが、明日またこの分を登り返すのかと思うと、嬉しさも半分である。さすがに天下の名勝、滝や淵の名所が限りなく続く。最初のうちは止まって写真を撮ったりしているが、きりがないので止めた。遊歩道にはウィークデイというのに意外と多くの観光客が来ている。紅葉の季節ともなればこの街道は観光バスが増え、自転車で走るのは困難になるのではないか。下ってゆくにつれ渓谷も広くなり、ただの川になってくる。 Img_0782 Img_0786 Img_0789 Img_0787
銚子の滝、双白髪の滝、
白糸の滝、渓流







 おいらせYHに着くと、鍵がかかっている。電話をすると買い出しに出ているので待ってるようにとのこと。これ幸いと十和田温泉にゆく。今日もいいお湯だ。
 口直しに十和田三部作川柳をどうぞ
 
 カルデラは BCGの 地球版(年代がわかりますな)  
 休屋で 関西弁を 思い出し
 奥入瀬も 下ってしまえば ただの川
 
  走行51Km無し 累計 2、280Km  費用10,892円

★十和田温泉(洗心館) 2006年9月21日 単純温泉 370円 猿倉集合引泉  無色透明 源泉掛け流し 加水、加温無し サウナもあり優しい湯 
 
★黒森YH(鹿角市大湯温泉) 2006年9月20日泊  一泊二食4,720円 
  源泉掛け流しのお風呂有り 歴史、政治、経済、文化管理人さんとお話しすると楽しい もう少ししっかり掃除して欲しい、立派な建物だから。
Img_0768

★峠列伝(15) 発荷峠 秋田県 国道103号線 2006.9.21
       困難度 3  風景 5  水場 有り 歩道 無し
       展望台からの眺望は一級品

コメント
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