晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

続積丹半島 10/10

2006-10-21 | 旅行記

 2006.10.10(火)     快晴           
 6:30 起床
 8:26 積丹YH発~神威岬往復
10:05 積丹YH発~R229~道道913号~積丹岬
11:40 積丹岬発~道道913号~R229~美国味処しゃこたん
13:10 味処しゃこたん発~R229~余市ニッカウヰスキー着14:56
16:05  余市発~R5
17:56 小樽ヴィラマウンテングYH着
 
風もなく快晴、久々に半袖に戻る。神威岬は止めて積丹岬行きますと女将にいうと、神威岬に行かんと意味無いわとのこと、荷物を降ろして空身で出発する。女将の言うとおり最高の景色、しかも早朝とあって人がいない。またしても雄大な景色を独り占めする。
駐車場から岬への道のりは結構長い。しかし左右の景色に見とれて楽しく歩いて行ける。岬のとりつきに「女人禁制」の門がある。源義経に想いを寄せたチャレンカという日高の首長の娘が北へ向かう義経を神威岬まで追ってきたがかなわず、恨みの言葉を残し海に身を投げ、神威岩になるという伝説によりかつては女人禁制であったようだ。なお、この伝説は積丹岬の女郎子岩にもあり、首長の娘シララ姫と相成る。日本中海に起つ岩はこの類の伝説となるようだ。ちなみに義経は実際はえらいぶおとこでそんなにもてるはずは無いのだが。
 とにかくそういう伝説で神威岬の道をチャレンカの小道というそうだ。灯台を越えると神威岩が見える。平たい板状の岩盤に乗ったような神威岩は他の小島と併せて何とも素晴らしい眺めである。哀しい伝説ができあがるのもさもありなんと思う。海は透き通っていて底の小石がよく見える。空よりも濃い色の碧でこれをシャコタンブルーという。水平線は三方に広がり、地球は丸いぞというのがよくわかる。                                                                        Img_1026 Img_1027
余別からの神威岬、先端に神威岩が見える

神威岬、チャレンカの路が続いている


Img_1029Img_1030 
一応女人禁制の門があるが今は通れる

これが積丹ブルー

Img_1036_1
Img_1042神威岩と電磁台

 帰り道で電磁台というコンクリートの遺跡を見つける。戦時中にロシアの軍艦の日本海侵入をキャッチするためのレーダー的なもの(昭和15年にはレーダーはまだ無いと思う)を設置したそうである。駐車場が近くなると観光バスが着いたのかがやがやと騒がしくなり、一気に現実世界に連れ戻されたようだ。
 YHに戻り、荷物をし直して出発する。すぐ隣の小川には鮭の遡上が見られるそうだが
時間が気になるのでパスする。昨日同様大小沢山のトンネルがあるのだが、こちら側は歴史が古く、一つの峰に海側から明治、大正、昭和、平成と四時代のトンネルを見ることができる。掘索技術の発達により、より大きく、直線的に安全にと変化が見られておもしろい。Img_1045 Img_1046
左下から明治のトンネル、大正のトンネル、コンクリートで蓋のしてあるのが昭和のトンネル、右は平成のトンネル



 道道から島武意海岸に向かう坂を登る。駐車場は観光バスで賑わっているがいたしかたない。真っ暗で小さなトンネルをぬけると日本の渚100選の島武意海岸の上部に出る。このトンネルは明治28年に鰊を運ぶために掘られたそうである。海岸は神威岬とは趣向が違い、優しい美しさがある。灯台まで自転車で行くが、階段が現れそれより東の海岸は見られない。勿論歩いてゆけば見られるのだが、1時間近くかかるそうなので諦める。 Img_1050
Img_1051このトンネルを越えると、この景色となる。



 道道に戻り、婦美町を目指すがどうも自転車が重い、またパンクしたかなと思い確かめるがその様子はない。峠の表示も無いがどうも緩やかに登り続けているようだ。ついにロウギヤとなり、汗びっしょりとなる。それでも道路は登っているように見えない。やがて峠状の頂点に着き急な下りが始まる。快適に下ると婦美の集落に着く。このような状態が
美国にも余市にも小樽にもある。名もない峠だが峠列伝の困難度3ぐらいはある。
 美国の町営味処しゃこたんで三色丼を食する。今回の旅で初めて名物というものを依頼した。積丹でウニを食わずに帰る法は無いだろう。1,300円は痛いが店の人が「お宅
大盛りでも食べられますか?」てんでむこうから大盛りにしてくれた。勿論サービスであり、ありがたいことだ。一気に食べて余市に向かう。
 古平を越えると10年も前だったろうかトンネル崩落事故で大きな犠牲の出た豊浜トンネルとなる。ニュース映像で憶えのある岸壁が目に入り、慰霊のための公園となっている。お参りをし当時のトンネルを探すが、見あたらない。現在のトンネルはかなり山側に付け替えられており入り口上部は穏やかな草原で当時の面影はみじんもない。公園の横に薄くセンターラインの残った道路があり、おそらく当時のトンネルに続く道路と思われる。跡で聞いたことだが、当時のトンネルはかなり海側で船でないと行けないそうである。いずれにしても普通に走っていたらトンネルが落ちてくるのだから人間の運命というか命というかはかないものと感心する。確率的には極々小さなものだが、誰かがロシアンルーレットみたいに遭遇してしまう、事故ってそういうものなのだろうか。そいいえばブログにコメントを頂いている浜さんは北陸トンネル火災事故の特急に遅刻して乗車できなかったのっである。逆のケースもあるわけだ。Img_1063
Img_1064 この景色を憶えているだろう、被災者の慰霊碑



 
Img_1066Img_1067その後も素晴らしい海岸が連続する。




 余市では是非行ってみたいのがニッカの醸造所である。ご承知のとおり日本に初めてウィスキーをもたらした醸造所であり、竹鶴政孝とリタ夫婦の物語はドキュメントやドラマで紹介されている。広い敷地に昔ながらの乾燥棟や貯蔵棟が建ち並び、旧竹鶴亭やリタハウスなど歴史的な建物もあり、プロムナードコースとしても最高だ。ウィスキー博物館では余市10年のモルトを試飲できる。
ストレートと水割りで2杯頂いたが、旨いこと。原酒直売所ではここでしか買えないシングルカスクがあり、樽によって香りも味も違うモルトを香りを楽しみながら購入することができる。私は余市12年のスモーキィなタイプ(バーボン用古樽使用)180mlを購入、旅が終了してから思い出に浸りながらゆっくり頂く予定だ。手元に置いておくと飲んでしまいそうですぐに送ることとする。 Img_1080 
Img_1079_1

余市蒸留所と日本初のウィスキー
 
余市から小樽は22Km、明るい内に着けるかなと思ったがYHに着く頃にはすっかり暗くなってさすがにくたくたになった。

走行 91Km  累計 3,063Km 費用9,490円

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豪快積丹半島 10/9

2006-10-21 | 旅行記

 2006.10.9(月・祝)     曇り 晴れ           
 6:30 起床
 8:00 ニセコ高原YH発~道道343~R5~R276~道道269~
      R229
15:30 積丹YH着
 
  初めての晴れた朝がきた。丸二日間ゴロゴロしていたわけだが、この間船の遭難、山の遭難など相次ぎ、多くの方が亡くなられている。誠に気の毒なことである。二日間の停滞ぐらいで文句を言っていては申し訳ないことだ。食事を摂っていの一番に出発する。今日は積丹まで長丁場の予定だ。
 ニセコから比羅夫を倶知安に向けて走る。ニセコアンヌプリはきれいに晴れて立派な山容を見せているが、羊蹄山は上部の雲がまだとれていない。4年前東山プリンスのゴルフ場でゴルフをしていたのだ。いまその道を自転車で走るとは、そのときには考えもつかなかったことだ。Img_1010 Img_1011  
ニセコアンヌプリと羊蹄山


 比羅夫は噂どおり建築ラッシュだ。例のマンションらしきものも達始めている。R5を国富に向かう。ここも4年前キロロに向かって走ったところだ。倶知安の街を出たところで凄い夫婦に逢う。日本中を歩いて廻ってるという強者だ。そういう人がいるというのはよく耳にしていたが、実際にお会いするのは初めてである。まして夫婦で歩いているとは珍しい。南の方はすでに廻っているので、北海道から日本海側を南下し、新潟群馬などを経由し千葉に帰られるとのこと。一日どのくらい進めるか訪ねると、最高35Kmとか、これで日本一周は大変なことぜすぞ。記念写真を撮ったり、ブログの交換をしたりしてお互いの健闘を祈りお別れする。ご主人年齢は57歳とか、50代は元気やねえ。http://yaplog.jp/sohachi4649/
 R276に入ると猛烈な向かい風になってきた。丘の上の風力発電も今日は大活躍だ。山形県以来多くの風車を見てきたが、どこでも必ず一台は有らぬ方向を向いて止まっているのだ。ここも同様である。故障が多いのか、メンテナンスの都合なのかよくわからないが、人間社会にも同様の奴がいて面白い。なに、おまえのことやて、、、、、Img_1014


山の上の風車、見えますか

 ルート短縮のため道道269号を進む。単調な景色なので今日はしゃれで道案内をいたしあしょう。
 丹波の方言や関西弁も入るので悪しからず。
「あやしげなお札が出回っているらしいなあ」「にせこ」(ニセコ)
「毎日ゴロゴロしとったらあかんで」「くっちゃんね、くっちゃんね」(倶知安)
「今どこにいるの」「言わない」(岩内)
「この川大きな川言うてたけど、小さい川やね」「はったり川」(発足川)
「空のコップいつまで持ってんねん、はよ放り」(ほりかっぷトンネル)
「トンネルをバイクと一緒に走ってたなあ」「カブとトンネル」(兜トンネル)
「長いトンネルもういや」(藻岩トンネル)
「たまには私のことかもてえな」「かもえない」(神恵内村)
「来年もこの国道来るで」(雷電国道)
「この寿司屋ネタ多いなあ」「しゃこもたんとあるで」(積丹)   ちゃんちゃん

 馬鹿なことばかり考えて走っていると、後輪からシュシュと音がする。荷台のシートがすれているのかなと思い点検するが異常なし。乗っていくとどうも感触が変だ。ありゃあ
パンクしている。今回の旅で初めてのパンク、走行3千キロあまりにして初めてのパンクである。考えてみればよくここまでパンクなしに来たものだ。チューブ交換そのものは簡単なのだがバッグを降ろしたりポンプを取り出したりが大変でイライラする。また空気が抜け出すのじゃないか、またパンクするんじゃないかと妙に不安になり、食事も取らず走り続ける。神恵内村に入ると積丹の豪快な景色が現れる。海岸線横綱は笹川流れ(新潟県)であったが、ここに来て積丹にその座を譲る。民家が無いのと波が高いので余計景色が豪快に見える。海には奇岩が次々現れ、山側は怖ろしいほどの断崖絶壁だ。崩落防止のネットやコンクリートが気になるところだが、防災上いたしかたない。神威岬への分岐を過ぎると潮の香がして余別の街が現れてくる。Img_1017 Img_1018 Img_1021 Img_1023 Img_1024

走行 93Km  累計 2,972Km 費用9,963円

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アコーデェオン演奏会 10/8

2006-10-21 | 旅行記

 2006.10.8(日)     雨 風強し           
 7:00 起床
           綺羅の湯

  夕べは雨風とも大荒れ、道内で最高風速42Kmとか。昼間も一日中降り続ける。昼食を兼ねてニセコ駅前の綺羅の湯に入る以外は写真の整理をする。
  3泊お世話になったニセコ高原YHは藤山村の小学校跡を宿にしたもので、体育館、舞台、門柱などもそのまま残っておりユニークなYHである。北海道には結構木造校舎跡の宿があり、たとえば倶知安のR5に出るところにも校舎跡のアウトドアイベントの店がある。北海道新聞社から木造校舎跡の写真集が出ており、多くの木造校舎が廃校後も生き残ってきていたことが解る。Img_1007 Img_1008
藤山小学校跡のユースホステル

グランドもバックネットも残っている


 私自身も小学校1,2年は木造校舎に通学し、当時の写真が1、2枚残っているだけである。ペアレントの久保さんはもっとユニークでなんとアコーディオンの演奏者なのである。アコーディオン協会の役員も務められているそうで、昨日も斜里町で演奏会を行われていたそうである。今夜は最後の夜とあって、宿泊者4人だけの演奏会を開いていただいた。いやいや驚きました。アコーディオンってすごい多彩な音が出るものですね。クラシックからタンゴまで素晴らしい演奏をありがとうございます。一同神妙に聞き入っていた。Img_1005_2

走行 0Km(温泉往復6km含む)  累計 2,879Km 費用2,025円

★ニセコ駅前綺羅の湯 ナトリウムー炭酸水素塩・塩化物線(低張性) 500円
  循環 無色 無臭 無味          

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