2006.10.10(火) 快晴
6:30 起床
8:26 積丹YH発~神威岬往復
10:05 積丹YH発~R229~道道913号~積丹岬
11:40 積丹岬発~道道913号~R229~美国味処しゃこたん
13:10 味処しゃこたん発~R229~余市ニッカウヰスキー着14:56
16:05 余市発~R5
17:56 小樽ヴィラマウンテングYH着
風もなく快晴、久々に半袖に戻る。神威岬は止めて積丹岬行きますと女将にいうと、神威岬に行かんと意味無いわとのこと、荷物を降ろして空身で出発する。女将の言うとおり最高の景色、しかも早朝とあって人がいない。またしても雄大な景色を独り占めする。
駐車場から岬への道のりは結構長い。しかし左右の景色に見とれて楽しく歩いて行ける。岬のとりつきに「女人禁制」の門がある。源義経に想いを寄せたチャレンカという日高の首長の娘が北へ向かう義経を神威岬まで追ってきたがかなわず、恨みの言葉を残し海に身を投げ、神威岩になるという伝説によりかつては女人禁制であったようだ。なお、この伝説は積丹岬の女郎子岩にもあり、首長の娘シララ姫と相成る。日本中海に起つ岩はこの類の伝説となるようだ。ちなみに義経は実際はえらいぶおとこでそんなにもてるはずは無いのだが。
とにかくそういう伝説で神威岬の道をチャレンカの小道というそうだ。灯台を越えると神威岩が見える。平たい板状の岩盤に乗ったような神威岩は他の小島と併せて何とも素晴らしい眺めである。哀しい伝説ができあがるのもさもありなんと思う。海は透き通っていて底の小石がよく見える。空よりも濃い色の碧でこれをシャコタンブルーという。水平線は三方に広がり、地球は丸いぞというのがよくわかる。
余別からの神威岬、先端に神威岩が見える
神威岬、チャレンカの路が続いている
一応女人禁制の門があるが今は通れる
これが積丹ブルー
神威岩と電磁台
帰り道で電磁台というコンクリートの遺跡を見つける。戦時中にロシアの軍艦の日本海侵入をキャッチするためのレーダー的なもの(昭和15年にはレーダーはまだ無いと思う)を設置したそうである。駐車場が近くなると観光バスが着いたのかがやがやと騒がしくなり、一気に現実世界に連れ戻されたようだ。
YHに戻り、荷物をし直して出発する。すぐ隣の小川には鮭の遡上が見られるそうだが
時間が気になるのでパスする。昨日同様大小沢山のトンネルがあるのだが、こちら側は歴史が古く、一つの峰に海側から明治、大正、昭和、平成と四時代のトンネルを見ることができる。掘索技術の発達により、より大きく、直線的に安全にと変化が見られておもしろい。
左下から明治のトンネル、大正のトンネル、コンクリートで蓋のしてあるのが昭和のトンネル、右は平成のトンネル
道道から島武意海岸に向かう坂を登る。駐車場は観光バスで賑わっているがいたしかたない。真っ暗で小さなトンネルをぬけると日本の渚100選の島武意海岸の上部に出る。このトンネルは明治28年に鰊を運ぶために掘られたそうである。海岸は神威岬とは趣向が違い、優しい美しさがある。灯台まで自転車で行くが、階段が現れそれより東の海岸は見られない。勿論歩いてゆけば見られるのだが、1時間近くかかるそうなので諦める。
このトンネルを越えると、この景色となる。
道道に戻り、婦美町を目指すがどうも自転車が重い、またパンクしたかなと思い確かめるがその様子はない。峠の表示も無いがどうも緩やかに登り続けているようだ。ついにロウギヤとなり、汗びっしょりとなる。それでも道路は登っているように見えない。やがて峠状の頂点に着き急な下りが始まる。快適に下ると婦美の集落に着く。このような状態が
美国にも余市にも小樽にもある。名もない峠だが峠列伝の困難度3ぐらいはある。
美国の町営味処しゃこたんで三色丼を食する。今回の旅で初めて名物というものを依頼した。積丹でウニを食わずに帰る法は無いだろう。1,300円は痛いが店の人が「お宅
大盛りでも食べられますか?」てんでむこうから大盛りにしてくれた。勿論サービスであり、ありがたいことだ。一気に食べて余市に向かう。
古平を越えると10年も前だったろうかトンネル崩落事故で大きな犠牲の出た豊浜トンネルとなる。ニュース映像で憶えのある岸壁が目に入り、慰霊のための公園となっている。お参りをし当時のトンネルを探すが、見あたらない。現在のトンネルはかなり山側に付け替えられており入り口上部は穏やかな草原で当時の面影はみじんもない。公園の横に薄くセンターラインの残った道路があり、おそらく当時のトンネルに続く道路と思われる。跡で聞いたことだが、当時のトンネルはかなり海側で船でないと行けないそうである。いずれにしても普通に走っていたらトンネルが落ちてくるのだから人間の運命というか命というかはかないものと感心する。確率的には極々小さなものだが、誰かがロシアンルーレットみたいに遭遇してしまう、事故ってそういうものなのだろうか。そいいえばブログにコメントを頂いている浜さんは北陸トンネル火災事故の特急に遅刻して乗車できなかったのっである。逆のケースもあるわけだ。
この景色を憶えているだろう、被災者の慰霊碑
その後も素晴らしい海岸が連続する。
余市では是非行ってみたいのがニッカの醸造所である。ご承知のとおり日本に初めてウィスキーをもたらした醸造所であり、竹鶴政孝とリタ夫婦の物語はドキュメントやドラマで紹介されている。広い敷地に昔ながらの乾燥棟や貯蔵棟が建ち並び、旧竹鶴亭やリタハウスなど歴史的な建物もあり、プロムナードコースとしても最高だ。ウィスキー博物館では余市10年のモルトを試飲できる。
ストレートと水割りで2杯頂いたが、旨いこと。原酒直売所ではここでしか買えないシングルカスクがあり、樽によって香りも味も違うモルトを香りを楽しみながら購入することができる。私は余市12年のスモーキィなタイプ(バーボン用古樽使用)180mlを購入、旅が終了してから思い出に浸りながらゆっくり頂く予定だ。手元に置いておくと飲んでしまいそうですぐに送ることとする。
余市蒸留所と日本初のウィスキー
余市から小樽は22Km、明るい内に着けるかなと思ったがYHに着く頃にはすっかり暗くなってさすがにくたくたになった。
走行 91Km 累計 3,063Km 費用9,490円