晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

奄美の一字姓 4/1

2010-04-01 | 雨読

2010.4.1(木)曇、雨

 先日の「逆説の日本史 1」の雨読の続きであるが、明日本をお返しする予定なので気になったところを書いておこう。最終章の「天皇陵と朝鮮半島編」のところで韓国が日本に独創性がないといっている事に対し強烈に反論している。韓国こそ歴史的に中国を模倣してきたではないかという意見で、漢字や一字姓のことをあげて反論している。とまあ、一体これだけでは何のことか解らないだろうから、是非本書を読んでいただきたいのだが、なかなか痛快な文章である。ただ、この本が書かれた当時は韓国の反日感情も強いときであって、今日の状況とは少し様子が違うことは否めない。
 奄美の一字姓については予てから不思議に感じていたのだが、幕藩時代の島津藩の影響があるそうだ。つまり島津藩は実質的には奄美を支配していたが、明、清との貿易を円滑にすすめるため、表面的には琉球王朝の支配下であることを示す政策を執った。「奄美の債務奴隷ヤンチュ」(名越護著)にも同様の記載がある。とまあ複雑な事情があるのだが、奄美で読んだ郷土史では、使節団というか朝貢のために大陸に渡る際に、二文字、三文字姓のものを一文字に改姓させられたというようなことも書いてあった。わたしも知人に碇さんと碇本さんがいた。ルーツを探れば奄美なのかもしれない。Img_4149 Img_3065
 
徳之島ムシロ瀬から、島影は奄美大島。


 ここで私が言いたいのは、韓国あるいは北朝鮮も含めて歴史上中華思想を取り入れ、漢字や一字姓に見られる中国との同化は、彼らに創造性が無いのではなく、国家が存続するためにはやむを得ない選択では無かったかということだ。同じ地続きで隣に大国が存在する状況では、何時攻め滅ぼされてもおかしくない、日本海という大きな砦を持つ日本とは状況が全然違うのだ。元寇の際も、逆の立場の白村江の戦でも海を越えて遠征するのはやはり不利な条件があるのではないだろうか。
 そういう意味で井沢氏が韓国の中国化の歴史をみて、それが独創性の無さというのは的がはずれているのではないか。

今日のじょん:今日は一日左足を舐めている。ダニが居るんじゃないの、皮膚病かもしれんで、怪我しとらへんかと大騒ぎである。いつでも一緒におるから、そんな心配してもらえるねんで、、、。
Img_4147
チューリップも咲いてきたぞん。
 
 

コメント
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