2010.4.7(水)雨
予想に反して冷たい雨が降り続いている。桜が始まったばかりでよかった、まだしっかりと咲いている。明日は好天の予報なので、明日が最高の開花かななんて余計な心配をしている。春のこころはのどけからまし、というわけにはいかない。
さて、間の開きすぎた雨読の続編だが、お忘れの方は3月24日の記事を読んでいただきたい。
この本を読んで、いくつか疑問点が出てきた。ひとつは別所というのが蝦夷俘囚の移配地というなら、奥羽の地になぜ別所があるかということである。居住の地以外に移すから移配な訳で、青森や秋田に別所があるのはおかしい。このことについては第4章 別所と産鉄に詳しく述べられている。別所という地名には俘囚の移配地以外に、墓所であったり寺院の別院などと言う説もあり、一つひとつの別所について調査しないとはっきり言えないようである。奥羽の別所については墓所を表すものが多かった。各地の別所については、「全国別所地名事典」上下巻が柴田氏の著で刊行されている。かなり詳しく書かれていそうだが、一万円近くする本で、とても手が出ない。
岩木山の北、鰺ヶ沢町中村別所はこのあたりか。(2006.9.24)
もう一つの疑問は、各地の別所に住まわされた俘囚がその後どうなったかということだ。インターネットの情報の中には10世紀になって、俘囚帰還政策があったというのもあるが、この辺のところは本書では記述がない。別所における産鉄地名は枚挙にいとまがないが、もし蝦夷の俘囚がその地に定着し代を重ねていたとしたら、別所、あるいはその周辺に蝦夷地地名が残ると思うのだが、どうもそのような様子はうかがわれない。
綾部市にも別所地名はいくつかある、綾部市別所町、小畑町別所、星原町別所であり、私はこの地は産鉄地であると思っている。福知山市上天津別所も同様に思うが、三和町菟原中別所、瑞穂町井脇別所については、なんとも判断できない。最も確実なのは舞鶴市別所で、銅、銀、硫化鉄鉱を産する舞鶴鉱山が大正期まで稼働していたということだ。この別所から岸谷を経て東に両丹国境尾根に向かうと小吹峠を越えて虫(五津合町睦志)、南東に向かうと鬼住峠を経て遊里(五津合町遊里)に向かう。小吹峠の北には菅坂峠があり、この三つの峠はいずれも金属、鉱山に関連する地名である。ただし、鬼住峠の鬼伝説は伝承されていないようである。
また、舞鶴市別所を東に3Kmも進めば、真倉であり、ここは奥州俘囚長の安倍貞任の弟、宗任が隠れ住んだという地である。
古代の国家の成立、発展拡大に重要な要素をなしたと思われる金属文化が如何に虐げられた、底辺の人びとに支えられたか、日本の資本主義、軍国主義を支えた炭鉱の実態とオーバーラップして、衝撃的な本であった。完
【作業日誌 4/7】
薪割り
今日のじょん:最近よくくしゃみをする。かみさん同様花粉症なんだろうか。涙もよく出るようで、目薬さしたりしている。猿の花粉症はニュースで見たことあるが、犬の花粉症ってあるんだろうか。一説でいうように、寄生虫の駆除と関係があるのなら、あってもしかるべきだなあ。クシュン。