2014.1.16(木)曇り 日置のこと(72)は2014.1.13
本記事は1月14日掲載予定でしたが、多忙のため14日の記事をお休み頂きます。悪しからず。
岐阜県の国府は飛騨国と美濃国の二カ所がある。飛騨国府は旧高山市街、その北の国府町と候補が挙がっているが不明の状態である。美濃国府は不破郡垂井町で遺跡が確認されている。そんなわけで美濃国府を調査することにする。不破郡垂井町は中山道関ヶ原宿の東、垂井宿のあった宿場町である。中山道と美濃路の分岐となる交通の要所と言える。
ここまで国府のことを調べてきて思うことは、国庁の位置は現在の都市ではなく、その周辺にあると言うことと、近隣は金属の産地一画と思われるところが多いことである。まだ調査数が少ないので結論的には言えないが、今回の垂井もまさにそういう位置である。
広大な濃尾平野の西北の端にあり、伊吹ねう地帯の一画であり、揖斐川に沿った鉄、水銀の産地の一画でもある。産鉄の地を思わせる別所地名も大野町松山、池田町片山にある。(別所地名事典、池田町片山は存疑となっている)
すぐ南の養老町、象鼻山の麓の別庄はどうだろう。いずれにしても美濃一宮の金山彦命を祀る南宮神社がその地にあることは、産鉄の地であることは間違いない。
近隣に日置の地名は見当たらないが、国府跡の南西すぐのところに垂井一里塚という史跡があり、そこの地名が日守(ひもり)なのである。日置、あるいは飯盛に関連する地名かも知れないというので、そのまま東にたどることにした。荒尾町、福田町、笠木町、笠縫町、揖斐川、宝江、犀川、祖父江、長良川を渡ったところが岐阜市日置江なのである。国庁跡から日置江神社まで直線で16Kmあまりである。
地名は金属に関係あるかのものと気になる地名を参考までに選んだものである。ただ、長良川に臨んだ日置江の地は大河の側であるだけに古代に居住出来たものか現状の地図で見る限りでは判断できない。また、国府との間には揖斐川、長良川の大きな川があり、国府と直接関係があったとは予想しにくい。つづく
【今日のじょん】夕べはよく吠えた。あんまり吠えるのと、ちょっといつもと違うので階下に降りて様子を見る。浄化槽のブロワの音に反応しているのかと思い、外に出てみる。そのとたん、西の端の所から黒い影がサッと山に逃げてゆく。鹿か猪だ、朝になってじょんと確かめに行く。どうやら鹿のようだが、家の中でよくぞ解ったものだ。番犬としても立派なものである。