2016.10.1(土)雨
衝撃的な本は衝撃的な出合いをする。新聞の書評欄にこの本を見つけたときすぐに読んでみたいという気になったのだが、この本を買っても読了する自信は無かった。ユダヤ人強制収容所の悲惨な実態が終始書かれているというのである。わたしはこういった罪も無い人々が悲惨な境遇に合うのは大の苦手で、ましてや小さな女の子が体験するその描写にたえられるか自信が無かった。
「アウシュヴィッツの図書係」アントニオ・G・イトゥルベ
集英社クリエイテブ 2016年7月初版 綾部市図書館借本
タイトルルにあるようにディタという14才の少女は地獄のアウシュヴィッツの中で禁止されている本を毎日隠し場所から自分の服の内側に作った秘密のポケットに隠して、読みたい人のところへ配るという重大な仕事をこなしていたのである。つまり収容所の中に秘密の図書館があったわけだが、蔵書はたった8冊である。もちろん見つかればそこで生命が絶たれるという大変な任務である。
この図書係はディタ・アドレロヴァというユダヤ人の実在の人物で、収容所での事実をもとに書かれた小説である。
アウシュビッツの中の悲惨な出来事というのはこの本の大部分を占めているのだが、書評ではそのことで読むことに二の足を踏む方がいるかもしれないと言っている。わたしも自信が無かったから図書館へ行ったのだ。綾部市の図書館で「この本を買って下さい」と館長に頼んだ、タイトルからしても図書館に置いておくのが最善だと思ったからだ。「それならありますよ、素晴らしい本なので購入したのですが誰も借り手が無くて先に読ませて頂きました。とても感動しました、読んでくれる方がいらして嬉しいです」とのこと、驚いたことだ。この7月に発行されたばかりで、さして有名になった本でも無いのに購入されていたのは館長の先見性だろうか。わたしは綾部市図書館がこの本を買っておられたことがとても嬉しい。
館長は感動したと言われたが、わたしには感動というより考えさせられる本であった。
アウシュヴィッツならずとも軍事政権下では出版物は厳しく取り締まられた。日本でも多くの本が発禁となったし、例え発行されても黒塗りで意味をなさない文章の本となっていた。「ペンは銃よりも強し」といわれるとおり、戦争の愚かさを説き反戦の思想を伝搬させるからだろうが、それだけではないようだ。彼らにとっては平和な生活がしたい、普通の生活がしたいという希望を持たせることが最も嫌われることなのだろう。本書では次のように述べている。
人類の歴史において、貴族の特権や神の戒律や軍隊規則をふりかざす独裁者、暴君、抑圧者たちには、アーリア人であれ、黒人や東洋人、アラブ人やスラブ人、あるいはどんな肌の色の、どんなイデオロギーの者であれ、みな共通点がある。誰もが本を徹底して迫害するのだ。本はとても危険だ。ものを考えることを促すからだ。
なるほど民衆大衆に物事を考えられては困るわけだ。
やせっぽちで小枝のような足の少女が地獄のアウシュヴィッツ収容所を生き抜けたのはどうしてだろう。もちろんプロパガンダとして設置された家族収容所に入れられたことなど多くの奇跡的な選択もあるが、彼女の知恵と勇気と希望が最大の理由だと思う。連日ガス室に送られる人々を見、伝染病が蔓延する極悪の衛生状態と恐ろしくひどい栄養状態の中で人間性を保ちながら生きていくことには希望が要る、希望があればこそ知恵も勇気も湧こうというものだ。死んだ方がましだと諦めてしまったら忽ち死んでしまうだろう。ガス室に送られることだけが死ではないのだ。
ディタはその多くを収容される前に読んだ本と収容所での秘密の図書から得た。もちろんそれらの本に収容所で生き抜くノウハウが書いてあるわけではない。過去の本を思いだしたり、秘密の図書を読んだり、生きた図書と称して先生(大人の収容者)から聞く口述の本を聞くことによって、囚われの身から自由に本の世界に飛び込めるのだ。これが本の最も素晴らしいことであって、その当たり前のことが本書を読みながら認識できた。つづく
【今日のじょん】広い庭でじょんが小さく見える。ところがよーく見ると芝生もドッグランども草茫々、柱や薪も腐りかけ寸前。長雨がいかんのよ、外仕事がなーんもできないのだから。一方薪小屋に目をやるともっと悲惨、この写真の左には1年間ほったらかしの焼却炉があるのよ