2016.10.20(木)曇り
風呂地名について綾部市周辺を調べてみた。
風呂屋(鷹栖町)、風呂ノ谷(下原町)、風呂ノ本(上原町)、風呂谷(十倉志茂町)、中風呂(睦合町)、高風呂(五泉町)、風呂ノ奥(老富町)、本風呂(市茅野)そして井倉新町と味方町の石風呂である。グーグルの地図で掲載されているところを調べてみるが、山中あり川辺あり宅地ありで地形的にも山あり谷あり平地ありで千差万別である。ということは一つのある地形から来たものではなさそうだ。気になるのは風呂ノ本、風呂ノ奥などと位置関係を示す地名が多いことだ。「風呂と日本人」の中には風呂ノ下、風呂ノ前、風呂ノ西など位置関係を示す地名が登場する。ということは風呂という何かが存在して、その前であったり奥であったりするわけだ。その風呂とはいったい何なのだろう。
筒井氏が言うような石風呂の遺跡や痕跡があれば問題ない、しかしその可能性は薄いだろう。だからといって無視するわけにもいかないし、とりあえず一つ一つ現地を当たってみることにする。
安栖里駅の南に風呂ノ元という地名がある(京丹波町安栖里)。由良川沿いに広がった河岸段丘で永正年間(1504~1520)頃には十倉氏が居住したと言われるので、小字十倉はその地なのだろうか。風呂ノ元は駅の南側ののどかな住宅地で緩やかな斜面となりやがて山林となっている。風呂ノ元の上手、山側には竜心寺という寺院があり、堂ノ成という地名はそれに由来するものだろう。もしこの地に風呂があったとしたらこのお寺か十倉氏の居城に由来するものなのかと想像するが、それには何の根拠もない。地形的には上原町の風呂ノ本と一応は共通している。
安栖里駅から南西方面、家の向こうの森の中に龍心寺がある。
さて次に 鷹栖町の風呂屋を目指す。国道27号線沿いの山家郵便局の裏に三神神社という立派な神社がある。その神社の裏手西側に登り坂がありそのあたりが風呂屋のようだ。小さな谷があって、石風呂などがあっても不思議ではないが、その証拠はまずないだろう。付近に山城があったかどうかはわからない。
三神神社、神社の裏手から斜面を登っていくと風呂屋方面。
つぎに十倉志茂町の風呂谷を見に行く。府道1号線沿い喫茶轍さんの左手の谷に小字風呂谷はある。おそらくこの谷が風呂谷なのだろう。写真に収めようとファインダーをのぞいたとき、風呂地名のいわれが解明した。やはり現地を訪ねると言うことは大切なことだし、必ず何かのヒントが得られるものだ。つづく
【今日のじょん】丹波の連れしょんという言葉がある。丹波は寒くて一人がおしっこに行くと誰かが続いてしたくなるということと思っているのだが定かではない。朝早くトイレに立ったら、じょんまでついてきた。「おしっこか?」というと盛んにしっぽを振る。面倒だがつれて出るとうれしそうにおしっこしていた。これも丹波の連れしょんか。
夕刻になって、舞鶴から茶々くん来じょん、4歳だって。とっても賢くてカワイイのです。