晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 「アウシュヴィッツの図書係」 付録 10/9

2016-10-09 | 雨読

2016.10.9(日)曇り

付録
 ディタことディタ・ポラホヴァ(旧姓)は1929年プラハの生まれで地獄のアウシュヴィッツ収容所を生き抜き、本書の発行、2012年には健在であった。
 もし彼女に会えるとしたら、聞いてみたいのは「神様はいらっしゃいますか?」である。
 「ディタは祈らないの?」
「誰に?」
「誰って、神様に決まってるじゃない。ディタも祈らなくちゃ」
「こんなにたくさんのユダヤ人がずっと祈っているのに、神様は聞いてくれなかったのよ」
「祈りが足りないのよ、それか、声が小さすぎて神様に聞こえていないのかもね」
「やめてよマルギット。そんなはずないわ。そんなこと本気で思ってるの?」
「ディタ、神様がなさることを疑ってるの?」
「じゃ、私は罪人ね」
「そんな言い方しないで!ほんとに罰が下るわよ!」 
「地獄に落ちるわ」
「何言ってるのよ、マルギット。私たちもう地獄にいるじゃない」
 ディタは答えるだろう、「もちろんいらっしゃいますとも、おかげさまで幸せに暮らすことができますもの」
 そう神様は居たり居なかったりするのだ。悪魔もそうである。ヒトラーの中にいつも悪魔が住んでいたということは無いだろう。居たり居なかったりしていたのだろう。それだからこそ世の中は平和になったり戦争になったりするわけだ。
 こんな空想をしているとき、これまた偶然にぴったりの本が見つかった。本日の読売新聞の書評である。「ヒトはどこまで進化するのか」善でもない悪でもない動物というタイトルである。一般の動物なら生きんがための本能だけで、そこには善も悪もない。ヒトは大脳が進化したがために、神にも悪魔にもなる。著者の願いは「人間が存在する意味は何か」という深遠な問題に対し、自然科学(遺伝学、脳科学、進化生物学など)と人文科学(哲学や芸術など)がタッグを組んで挑んでいくこと、とある。難しくて挫折するかもしれないが、秋の夜長を挑戦してみるのもいいのかもしれない。おわり
 
【今日のじょん】とにかく元気になってよかった。なんてったって動作が機敏になってきた。オシッコもうんPもさっさとするし、終わったらすぐに帰ってくる。当たり前のことだけどこれができなかったのだから、いったい何だったのだろう。
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