晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

さっぽろわやや 10/12

2006-10-23 | 旅行記

 2006.10.12(木)     晴れ後曇り  午前12度
 6:30 起床
 8:35 小樽ヴィラマウンテングYH発~R5~
16:50 札幌ハウスYH着

 夕べからの雨もすっかり上がり、晴れた小樽を初めて見る。このYHは高台にあり小樽市街の景観は最高である。それにしても目の前にある坂は強烈である。雪が降ったときはどうなるのか不安を憶えずにはいられない。Img_1098
Img_1101
左:車庫から坂を見る、どうだこの傾斜

右:さよなら小樽

  朝の通勤時間帯に札幌に向かう。小樽の街路樹はナナカマドがほとんどで赤い実は今が盛りである。小樽から札幌市は市街が続いているので走行の楽しみはない。再度だじゃれシリーズで退屈を紛らわそう。
「えらいこの街ようお金おったる(小樽)ねえ」
「そやねん、あっさり(朝里)しすぎて、財布使わんと銭函(銭函)入れてんねん」
「お金は丁寧(手稲)に財布にはさま(発寒)んことに(琴似)はどないなっても知らん し(白石)」
「なんぼ(苗穂)お金持ちでも落としたらさっぱり(札幌)わややろ」

 宿に到着後は荷物を置いて、電車で森林公園の開拓記念館に行く。道立の大きな公園で他に開拓の村、百年記念塔などの施設がある。あまりにも大規模な公園で案内所にも大勢の人がいて、駐車場や取り付け道路にも監視の職員が居る、失対事業かなと思うのは考え過ぎか。記念館は北海道の考古からの歴史、自然、民俗あらゆるジャンルを網羅している博物館でアイヌの人権問題、囚人労働やたこ部屋の歴史などもしっかりとらえており、納得ゆくまで見るためには半日は必要である。特別展示ではサハリンの朝鮮人の写真展をやっている。徴用や強制労働でサハリンに移住させられそのまま現在まで居住している朝鮮人の写真展である。私など2時間では見る時間が足りなくて、閉館時間に追い出されてしまった。Img_1104

凄く立派な博物館

 YHは札幌駅のすぐ近くにあり観光にもビジネスにも最高の位置である。部屋も満室でさすがに国際観光都市である。今回部屋運が悪く、愛想のないバックパッカー風の若者と礼儀知らずのライダー二人、ビジネスに使っていると思われる男性と同宿する。誰一人コミュニケーションがとれない。風呂で一緒になった男性はフランス人で二人ともたどたどしい英語で(彼は私よりずっとましである)お話ししているのに、日本語のしゃべれる日本人がなぜ話せないのか。宿は旅の目的ではないけれど、大きなウェイトを占めていることは事実、この一晩で札幌が嫌になってしまった。連泊の予定を取りやめ、明日北海道を後にすることにする。YHの職員さんは本当に良くしていただいたのだが、残念である。 
走行 40Km  累計 3,115Km 費用12,690円

★小樽ヴィラマウンテングYH   5,040円 天狗山スキー場のすぐ下にあり、ス キーには最適、食堂から小樽の夜景も絶景。ランドリー、インターネットなどの設備も ばっちりで小樽観光にはもってこいのYH。

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雨の小樽逍遙 10/11

2006-10-22 | 旅行記

 2006.10.11(水)     雨           
 6:30 起床
12:40 小樽市逍遙
16:50 YH着

 朝方から強烈な雷雨、今日は休養と決め込み雨が明かれば市内を散策とする。雷を伴い強い雨が続く、午前中は自転車を整備する。昼頃ようやく雨が上がったので出発する。
 小樽は坂の街である。坂と言っても半端じゃない、特に天狗山スキー場に向かう丁度宿の周辺や小樽駅から小樽商科大に向かうあたり(地獄坂という)は転がり落ちるような坂である。宿から小樽運河まで約4Kmなどペダルを踏むことなく行ける程だ。
 小樽運河の倉庫群は博物館やガラス工芸店、地ビールレストラン、オルゴール店など観光客向けの店舗となり雨のウィークディだというのに多くの観光客を迎えている。Img_1096 Img_1088

運河通りの風情、右は博物館

 博物館は小樽倉庫の跡地であり、建物そのものが展示物のようだ。最も興味ある展示はやはり鰊漁である。明治大正の北海道経済の基礎をなした鰊漁は北海道西部の街が主流である。各地に鰊御殿の復元がなされており、写真などでも当時の盛況ぶりがうかがえる。大量の鰊をどうしたかというと〆粕となり肥料として内地に運ばれたそうである。昭和にはいると漁獲量は激減し、おそらく肥料としての位置も低下して廃れてきたのだろう。元々は小樽は商業で栄えた街である。北前船(こちらでは弁財船という)の北海道での最終港であり、石炭鉱山が盛んな頃にはその積出港としてもにぎわった。意外であったのが北海道のウオール街といわれ、金融の中心地でもあったことだ。 Img_1083
Img_1093 

左:石炭塊    右:閉鎖中の交通記念館

運河通りも西の方に行くと人通りも減り落ち着いた散歩道となる。古い倉庫はこのあたりにも多くあり、まだ営業している建物もあり楽しめる地域だ。交通記念館は北海道の鉄道発祥の地である手宮にあり、今回楽しみにしていたのだがリニューアルのため休館で残念だ。その向かいにある手宮洞窟保存館は縄文時代の彫刻が残されている貴重な資料なのだがこれも休館日でがっかりだ。仕方なくその先にある日帰り温泉「湯の花」に行く。昼間というのに多くの客でびっくりする。湯は循環でたいしたことはないのにどんどん客が来る。ちょっと足を伸ばせば東西にいいお湯があるのになあと思う。帰りにはまた雨が降ってきた。Img_1095

天狗山スキー場、町の中にスキー場がある。YHはその麓。
石原慎太郎、裕次郎の兄弟も幼少の頃を小樽で過ごす。


 運河のはずれに公園があるのだが、ここでねずみ取りをやっている。町中の静かな通りで交通量も少なく、スピードを出せるところではない。ちょっとまてよ、郊外のあの悪質なスピード違反なんとかせいよ。青森県は80Kmで追い越されるが、北海道じゃ100Kmで追い越されるというじゃないか。即免停、即取り消しの連中なんかいっぱいいるぜ。そんなこと解っていながらこんな場所でチマチマやってるのにはあきれかえる。お客は全くなく開店休業である。しかし、自動車の最高速度60Kmが大阪、東京と北海道と一緒ていうのも変なものだ。北海道なんて80Kmぐらいにして、それ以上のものを徹底的に取り締まるほうが北海道の交通の未来には有効だと思うが、、、。
 余市のシングルカスクは郵送するので、ピュアモルト竹鶴を買ってくる。半分の値段だ。チビチビやりながらこの文を書いている。外は嵐が吹き荒れている。

走行 12Km  累計 3,075Km 費用3,104円

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続積丹半島 10/10

2006-10-21 | 旅行記

 2006.10.10(火)     快晴           
 6:30 起床
 8:26 積丹YH発~神威岬往復
10:05 積丹YH発~R229~道道913号~積丹岬
11:40 積丹岬発~道道913号~R229~美国味処しゃこたん
13:10 味処しゃこたん発~R229~余市ニッカウヰスキー着14:56
16:05  余市発~R5
17:56 小樽ヴィラマウンテングYH着
 
風もなく快晴、久々に半袖に戻る。神威岬は止めて積丹岬行きますと女将にいうと、神威岬に行かんと意味無いわとのこと、荷物を降ろして空身で出発する。女将の言うとおり最高の景色、しかも早朝とあって人がいない。またしても雄大な景色を独り占めする。
駐車場から岬への道のりは結構長い。しかし左右の景色に見とれて楽しく歩いて行ける。岬のとりつきに「女人禁制」の門がある。源義経に想いを寄せたチャレンカという日高の首長の娘が北へ向かう義経を神威岬まで追ってきたがかなわず、恨みの言葉を残し海に身を投げ、神威岩になるという伝説によりかつては女人禁制であったようだ。なお、この伝説は積丹岬の女郎子岩にもあり、首長の娘シララ姫と相成る。日本中海に起つ岩はこの類の伝説となるようだ。ちなみに義経は実際はえらいぶおとこでそんなにもてるはずは無いのだが。
 とにかくそういう伝説で神威岬の道をチャレンカの小道というそうだ。灯台を越えると神威岩が見える。平たい板状の岩盤に乗ったような神威岩は他の小島と併せて何とも素晴らしい眺めである。哀しい伝説ができあがるのもさもありなんと思う。海は透き通っていて底の小石がよく見える。空よりも濃い色の碧でこれをシャコタンブルーという。水平線は三方に広がり、地球は丸いぞというのがよくわかる。                                                                        Img_1026 Img_1027
余別からの神威岬、先端に神威岩が見える

神威岬、チャレンカの路が続いている


Img_1029Img_1030 
一応女人禁制の門があるが今は通れる

これが積丹ブルー

Img_1036_1
Img_1042神威岩と電磁台

 帰り道で電磁台というコンクリートの遺跡を見つける。戦時中にロシアの軍艦の日本海侵入をキャッチするためのレーダー的なもの(昭和15年にはレーダーはまだ無いと思う)を設置したそうである。駐車場が近くなると観光バスが着いたのかがやがやと騒がしくなり、一気に現実世界に連れ戻されたようだ。
 YHに戻り、荷物をし直して出発する。すぐ隣の小川には鮭の遡上が見られるそうだが
時間が気になるのでパスする。昨日同様大小沢山のトンネルがあるのだが、こちら側は歴史が古く、一つの峰に海側から明治、大正、昭和、平成と四時代のトンネルを見ることができる。掘索技術の発達により、より大きく、直線的に安全にと変化が見られておもしろい。Img_1045 Img_1046
左下から明治のトンネル、大正のトンネル、コンクリートで蓋のしてあるのが昭和のトンネル、右は平成のトンネル



 道道から島武意海岸に向かう坂を登る。駐車場は観光バスで賑わっているがいたしかたない。真っ暗で小さなトンネルをぬけると日本の渚100選の島武意海岸の上部に出る。このトンネルは明治28年に鰊を運ぶために掘られたそうである。海岸は神威岬とは趣向が違い、優しい美しさがある。灯台まで自転車で行くが、階段が現れそれより東の海岸は見られない。勿論歩いてゆけば見られるのだが、1時間近くかかるそうなので諦める。 Img_1050
Img_1051このトンネルを越えると、この景色となる。



 道道に戻り、婦美町を目指すがどうも自転車が重い、またパンクしたかなと思い確かめるがその様子はない。峠の表示も無いがどうも緩やかに登り続けているようだ。ついにロウギヤとなり、汗びっしょりとなる。それでも道路は登っているように見えない。やがて峠状の頂点に着き急な下りが始まる。快適に下ると婦美の集落に着く。このような状態が
美国にも余市にも小樽にもある。名もない峠だが峠列伝の困難度3ぐらいはある。
 美国の町営味処しゃこたんで三色丼を食する。今回の旅で初めて名物というものを依頼した。積丹でウニを食わずに帰る法は無いだろう。1,300円は痛いが店の人が「お宅
大盛りでも食べられますか?」てんでむこうから大盛りにしてくれた。勿論サービスであり、ありがたいことだ。一気に食べて余市に向かう。
 古平を越えると10年も前だったろうかトンネル崩落事故で大きな犠牲の出た豊浜トンネルとなる。ニュース映像で憶えのある岸壁が目に入り、慰霊のための公園となっている。お参りをし当時のトンネルを探すが、見あたらない。現在のトンネルはかなり山側に付け替えられており入り口上部は穏やかな草原で当時の面影はみじんもない。公園の横に薄くセンターラインの残った道路があり、おそらく当時のトンネルに続く道路と思われる。跡で聞いたことだが、当時のトンネルはかなり海側で船でないと行けないそうである。いずれにしても普通に走っていたらトンネルが落ちてくるのだから人間の運命というか命というかはかないものと感心する。確率的には極々小さなものだが、誰かがロシアンルーレットみたいに遭遇してしまう、事故ってそういうものなのだろうか。そいいえばブログにコメントを頂いている浜さんは北陸トンネル火災事故の特急に遅刻して乗車できなかったのっである。逆のケースもあるわけだ。Img_1063
Img_1064 この景色を憶えているだろう、被災者の慰霊碑



 
Img_1066Img_1067その後も素晴らしい海岸が連続する。




 余市では是非行ってみたいのがニッカの醸造所である。ご承知のとおり日本に初めてウィスキーをもたらした醸造所であり、竹鶴政孝とリタ夫婦の物語はドキュメントやドラマで紹介されている。広い敷地に昔ながらの乾燥棟や貯蔵棟が建ち並び、旧竹鶴亭やリタハウスなど歴史的な建物もあり、プロムナードコースとしても最高だ。ウィスキー博物館では余市10年のモルトを試飲できる。
ストレートと水割りで2杯頂いたが、旨いこと。原酒直売所ではここでしか買えないシングルカスクがあり、樽によって香りも味も違うモルトを香りを楽しみながら購入することができる。私は余市12年のスモーキィなタイプ(バーボン用古樽使用)180mlを購入、旅が終了してから思い出に浸りながらゆっくり頂く予定だ。手元に置いておくと飲んでしまいそうですぐに送ることとする。 Img_1080 
Img_1079_1

余市蒸留所と日本初のウィスキー
 
余市から小樽は22Km、明るい内に着けるかなと思ったがYHに着く頃にはすっかり暗くなってさすがにくたくたになった。

走行 91Km  累計 3,063Km 費用9,490円

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豪快積丹半島 10/9

2006-10-21 | 旅行記

 2006.10.9(月・祝)     曇り 晴れ           
 6:30 起床
 8:00 ニセコ高原YH発~道道343~R5~R276~道道269~
      R229
15:30 積丹YH着
 
  初めての晴れた朝がきた。丸二日間ゴロゴロしていたわけだが、この間船の遭難、山の遭難など相次ぎ、多くの方が亡くなられている。誠に気の毒なことである。二日間の停滞ぐらいで文句を言っていては申し訳ないことだ。食事を摂っていの一番に出発する。今日は積丹まで長丁場の予定だ。
 ニセコから比羅夫を倶知安に向けて走る。ニセコアンヌプリはきれいに晴れて立派な山容を見せているが、羊蹄山は上部の雲がまだとれていない。4年前東山プリンスのゴルフ場でゴルフをしていたのだ。いまその道を自転車で走るとは、そのときには考えもつかなかったことだ。Img_1010 Img_1011  
ニセコアンヌプリと羊蹄山


 比羅夫は噂どおり建築ラッシュだ。例のマンションらしきものも達始めている。R5を国富に向かう。ここも4年前キロロに向かって走ったところだ。倶知安の街を出たところで凄い夫婦に逢う。日本中を歩いて廻ってるという強者だ。そういう人がいるというのはよく耳にしていたが、実際にお会いするのは初めてである。まして夫婦で歩いているとは珍しい。南の方はすでに廻っているので、北海道から日本海側を南下し、新潟群馬などを経由し千葉に帰られるとのこと。一日どのくらい進めるか訪ねると、最高35Kmとか、これで日本一周は大変なことぜすぞ。記念写真を撮ったり、ブログの交換をしたりしてお互いの健闘を祈りお別れする。ご主人年齢は57歳とか、50代は元気やねえ。http://yaplog.jp/sohachi4649/
 R276に入ると猛烈な向かい風になってきた。丘の上の風力発電も今日は大活躍だ。山形県以来多くの風車を見てきたが、どこでも必ず一台は有らぬ方向を向いて止まっているのだ。ここも同様である。故障が多いのか、メンテナンスの都合なのかよくわからないが、人間社会にも同様の奴がいて面白い。なに、おまえのことやて、、、、、Img_1014


山の上の風車、見えますか

 ルート短縮のため道道269号を進む。単調な景色なので今日はしゃれで道案内をいたしあしょう。
 丹波の方言や関西弁も入るので悪しからず。
「あやしげなお札が出回っているらしいなあ」「にせこ」(ニセコ)
「毎日ゴロゴロしとったらあかんで」「くっちゃんね、くっちゃんね」(倶知安)
「今どこにいるの」「言わない」(岩内)
「この川大きな川言うてたけど、小さい川やね」「はったり川」(発足川)
「空のコップいつまで持ってんねん、はよ放り」(ほりかっぷトンネル)
「トンネルをバイクと一緒に走ってたなあ」「カブとトンネル」(兜トンネル)
「長いトンネルもういや」(藻岩トンネル)
「たまには私のことかもてえな」「かもえない」(神恵内村)
「来年もこの国道来るで」(雷電国道)
「この寿司屋ネタ多いなあ」「しゃこもたんとあるで」(積丹)   ちゃんちゃん

 馬鹿なことばかり考えて走っていると、後輪からシュシュと音がする。荷台のシートがすれているのかなと思い点検するが異常なし。乗っていくとどうも感触が変だ。ありゃあ
パンクしている。今回の旅で初めてのパンク、走行3千キロあまりにして初めてのパンクである。考えてみればよくここまでパンクなしに来たものだ。チューブ交換そのものは簡単なのだがバッグを降ろしたりポンプを取り出したりが大変でイライラする。また空気が抜け出すのじゃないか、またパンクするんじゃないかと妙に不安になり、食事も取らず走り続ける。神恵内村に入ると積丹の豪快な景色が現れる。海岸線横綱は笹川流れ(新潟県)であったが、ここに来て積丹にその座を譲る。民家が無いのと波が高いので余計景色が豪快に見える。海には奇岩が次々現れ、山側は怖ろしいほどの断崖絶壁だ。崩落防止のネットやコンクリートが気になるところだが、防災上いたしかたない。神威岬への分岐を過ぎると潮の香がして余別の街が現れてくる。Img_1017 Img_1018 Img_1021 Img_1023 Img_1024

走行 93Km  累計 2,972Km 費用9,963円

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アコーデェオン演奏会 10/8

2006-10-21 | 旅行記

 2006.10.8(日)     雨 風強し           
 7:00 起床
           綺羅の湯

  夕べは雨風とも大荒れ、道内で最高風速42Kmとか。昼間も一日中降り続ける。昼食を兼ねてニセコ駅前の綺羅の湯に入る以外は写真の整理をする。
  3泊お世話になったニセコ高原YHは藤山村の小学校跡を宿にしたもので、体育館、舞台、門柱などもそのまま残っておりユニークなYHである。北海道には結構木造校舎跡の宿があり、たとえば倶知安のR5に出るところにも校舎跡のアウトドアイベントの店がある。北海道新聞社から木造校舎跡の写真集が出ており、多くの木造校舎が廃校後も生き残ってきていたことが解る。Img_1007 Img_1008
藤山小学校跡のユースホステル

グランドもバックネットも残っている


 私自身も小学校1,2年は木造校舎に通学し、当時の写真が1、2枚残っているだけである。ペアレントの久保さんはもっとユニークでなんとアコーディオンの演奏者なのである。アコーディオン協会の役員も務められているそうで、昨日も斜里町で演奏会を行われていたそうである。今夜は最後の夜とあって、宿泊者4人だけの演奏会を開いていただいた。いやいや驚きました。アコーディオンってすごい多彩な音が出るものですね。クラシックからタンゴまで素晴らしい演奏をありがとうございます。一同神妙に聞き入っていた。Img_1005_2

走行 0Km(温泉往復6km含む)  累計 2,879Km 費用2,025円

★ニセコ駅前綺羅の湯 ナトリウムー炭酸水素塩・塩化物線(低張性) 500円
  循環 無色 無臭 無味          

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全道大嵐 10/7

2006-10-07 | 旅行記

 2006.10.7(土)     雨 風強し           
 7:00 起床
           倶知安買い出し、幽泉閣入浴

  予想どおりの荒天で明日から荒天。奥さんの買い出しについて行き、倶知安で冬物下着とオーバーズボンを買う。気温は17,8度なんだがやたら寒く感じる。午後は昆布駅前の幽泉閣温泉に行く。予想以上に良い温泉で、昆布のだしに入っているような色と触感だ。
 一日中ブログの書き込みをしている。明日の天気が心配。

 子供らの 影無き校舎 秋ついり      うとくImg_1004

部屋の窓から、グランドも嵐が吹き荒れている


走行 0Km(温泉往復6km含む)  累計 2,879Km 費用3,044円

★ニセコ高原YH 4,750円 旧藤山小学校の校舎を改造したYHで体育館もグラン ドも残っておりユニークこの上ない。食事も最高。

★昆布川温泉幽泉閣 ナトリウムー塩化物・炭酸水素塩泉(低張性弱アルカリ高温泉)
  源泉掛け流し 淡黄褐色 無臭 無味          

コメント (4)
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ニセコへの道 10/6

2006-10-07 | 旅行記

 2006.10.6(金)     曇り           
 6:30 起床
 8:15 長万部福屋旅館発~R5~道道343号
15:15 ニセコ高原YH着~湯心亭往復 

  明日から荒天の予報が出ている。今日はニセコまで行き、連泊の予定。
長万部のお湯は大変いいお湯で朝風呂してしまう、都合3回入浴した。主は「小さな宿だからそれだけでお客さんが来ませんよ、みんな有名温泉の大きな旅館に行きますからねえ」と嘆いている。確かに昨日の客も私以外は仕事の人ばかりだ。温泉ブームと言っても長万部や鹿部のような小規模の温泉地には行かないようだ。
 昨日あれほど多かったトラックやバスはR37や道央自動車道、札幌室蘭方面に行き、R5はがら空きとなる。緩い登りだが快調に進み、二股ラジウム温泉の入り口に到着、午後ならば立ち寄っていくのだが、、、。
 周りは牧草地が広がり、所々に牛舎と住処がある。都会に住むものにとっては一家族だけがポツンと暮らすこのような状況がよく理解できない。一昨日の漁村などは10数軒が寄り添っている。ここは一軒家ばかりだ。国道沿いばかりでなく、森の中に牧場と家があるものもかなりある。夜になったら、冬になったらと妙に心配する。
 住居は漁村同様カラフルで丈夫そうなコンクリート住宅で明るく感じるのだが、気になるのは捨てられた廃屋がかなりあることだ。土地はふんだんにあるので、建て替えた家を
放ってあるとか、倉庫代わりに使っているとかならいいのだけれど、車も一緒に朽ちているとかガラス越しに家財がそのまま有るような家はなにかゾクッとするものがある。北の国からに出てきた大農家の夜逃げの話が思い出される。クリスマスの夜にプレゼントの万年筆を置いて消えてしまった場面は涙無くしては見られないところだった。考え過ぎかも知れないが、廃屋を見ているとこういう風に考えてしまうのだ。Img_0987 Img_0988 Img_0990 Img_0994
 





 途中に断層をイメージしたモニュメントがある。平成5年の北海道南西沖地震の際この国道がずたずたになり自動車が巻き込まれる被害があったということだ。奥尻島の被害は知るところだがこのあたりまで甚大な被害があったとは驚きである。Img_0984 Img_0985






 今日は中秋の名月ということ、この天気では月は眺められないだろうがこのあたりのススキはもう茎も葉も茶色がかって穂も飛んでいきそうになっている。

 中秋に 北の芒は まにあはず   うとく

 虫の音も 細々となり 北の秋   うとく

 目名峠は黒松内町と蘭越町の境であり、たいした峠ではないが津軽半島以来の峠登りなので少々こたえる。黒松内町はブナの北限ということである。山形以来つきあってきたブナ林とお別れだ。
この国道は羊蹄国道と呼ばれており、羊蹄山が望まれるのが楽しみだ。峠を下ると集落が現れなんとなくほっとする。稲作農家も多く、田んぼが続く。気がつくことは家の庭や畑に花を栽培していることだ。これは昨日一昨日通ってきた漁村では見られない光景だ。漁労民と農耕民との感覚の違いだろうか。 
 やがて後方羊蹄山がかすんで現れる。写真を撮りたいが電線がじゃまになっていいアングルがない。周りでは籾殻を焼いており懐かしい臭いがする。昔は黒く焦げた籾殻を苗床に使ったものだが、今では灰にして肥料となっているのか。

 籾焼きの けぶり吸いたる 羊蹄山   うとくImg_0998

 昆布の駅に到着、駅前の食料品店でおばさん連中の噂を聞く。ニセコの比羅夫あたりはオーストラリアの人たちの店やマンションができてまるでオーストラリア村になっているということ、地価も何十倍とかになって日本で一番上昇率の高い地域だということだ。
なんでもオーストラリアはバブル景気でかつて日本人が各国でやったと同じようなことが起きているらしい。
 道道343号線は名前こそ無いがえらい坂で目名峠と同じぐらいの登りだ。やっとこさ
ニセコ高原YHに到着、一番近いニセコアンヌプリ温泉に行く。

走行 64Km(温泉往復6km含む)  累計 2,879Km 費用18,177円

★長万部福屋旅館 6,000円 設備、食事は値段どおり、温泉は最高
★ニセコアンヌプリ温泉湯心亭 ナトリウム 炭酸水素塩 硫酸塩 塩化物泉
  源泉掛け流し
 無色 無臭 無味 露天風呂ほんとに掛け流し?
★峠列伝(19)目名峠 北海道国道5号線  2006.10.6
          困難度 2  風景 2    水場 無し  歩道 無し

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長万部へ 10/5

2006-10-06 | 旅行記

 2006.10.5(木)     快晴  朝12度 日中21度           
 6:30 起床
 8:00 鹿部温泉こにし旅館発~R278~R5~
15:20 長万部福屋旅館着 

  今日はどう考えてもひたすら走るだけのコースである。鹿部温泉を出てすぐに左手に駒ヶ岳の特徴的な山容が見える。いいアングルが無いかなと思っている間に近くの山に隠れて見えなくなった。写真と飯はチャンスを逃してはいけない。諦めかけたとき右手にひょうたん池公園の表示が出てきた。5,600mで到着、予想どおり駒ヶ岳がしっかり望める。周辺の原野は分譲地になっているらしく、住所氏名を書いた札が区画毎に並んでいる。Img_0971
ひょうたん池からの駒ヶ岳

Img_0974 北上するとこんな形になる


 なぜか京都、大阪、兵庫の住所ばかりだ、関西の業者が販売したのだろうか。一軒はどうも自力で建築中の様子だが、あとは原野のままで表示の札だけが年月を経ているようだ。
 国道に戻るとダイワロイヤルズのホテルがあり、同社の分譲地が続いている。喫茶店や美容院、ハムの店、陶芸の店などが分譲地に開業しているが、商売になるのかなあと余計な心配をしてしまう。
 5号線に出ると久々の車地獄となる。道南の動脈だから仕方がないとしても、自転車や歩行者には優しくない道路だ。最初のトンネルなんか歩道もなく、へんな石畳状の路面で
路肩は盛り上がっており最悪。そこへトラックやバスがひっきりなしに来るのだからたまらない。その後も歩道は有ったり無かったりでやたら工事はやってるは、スピードはおそらく80Kmはでてるだろうでヒヤヒヤ走行が鷲の巣あたりまで続く。途中山越に関所跡
があるだけで見るものは何もない。景色も殺風景なすすき原や畑、牧場が続き、予想どおりただひたすら走るだけの一日とあいなった。Img_0980

山越内関所跡地


 このコースは10数年前車で走ったが、その当時感じた寂れた田舎の雰囲気はみじんも無い。昨日同様建物の立派さ、明るさが主因だろう。

走行 99Km  累計 2,815Km   費用 7、100円

★鹿部温泉こにし旅館 6,300円 設備、食事は値段どおり、温泉は最高
★長万部温泉(福屋の湯) ナトリウム 塩化物泉      源泉掛け流し
 薄赤色 無臭 食塩味  高張泉弱アルカリ泉高温泉  ph7.2 温度49度
  良く暖まる湯である。

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自転車旅行再開 10/4

2006-10-06 | 旅行記

 2006.10.4(水)     快晴  朝12度 日中22度           
 6:30 起床
 7:56 湯の川温泉KKRはこだて発~R278~恵山~大船遺跡~
14:40 鹿部温泉こにし旅館着~しかべ間歇泉公園 

  北海道の目標は小樽市である。過去四回の訪問でいろんな所を巡り、著名な都市で小樽だけが未訪の地なのである。特に前回訪問の際には高速道路の上から覗いていながら行けなかった街であり、今回北海道の全てを巡るのが無理な状況では、是非とも訪れてみたいものだ。函館から東回りか西回りか迷ったのだが、10年ほど前に訪れた戸井をもう一度見たいので東回りとする。
 戸井には当時トーパスカップというトライアスロンの大会があって、その審判講習会の講師として出張したものであった。群馬の吉井さんが東日本、私が西日本の講習を受け持っており、北海道だけは札幌でも二日間の講習をするので二人で訪問したのである。11月の前半の連休で、寒くて暗く寂しい漁村の印象がきつかったのだが今はどうなっているだろう。
 天気のせいもあるがうんと明るい印象だ。思えばあのときは黒い雲が立ちこめてみぞれ交じりの雨が降っていたのだ。漁に出ているのか人の気配は無いのだが、建物が変わっている。漁村が妙に寂しく感じるのは実はあの板張りとトタン葺きの家屋からきているのではないか。今はそういう家がすっかり姿を消し、明るい色合いのコンクリート住宅になっているのだ。戸井は大間の向かい側にある。勿論マグロ漁が盛んなのだが、昆布でも有名である。どこの家にも広い昆布乾し場の玉砂利を敷いた庭がある。Img_0946

戸井港遠望

 左の山手に古い鉄道遺構がある。戸井鉄道といって戦時中に突貫で作られ、資材不足のため鉄筋抜きでコンクリートだけで作られた陸橋がある。一カ所だけかなと思っていたら
相当長い距離で遺構が残されており、一部は散歩道などになっている様子である。この鉄道はついに列車が走ることなく廃線となり、幻の鉄道と言われているそうである。青森の下北鉄道も戦時中に造られ、朝鮮人徴用の問題の鉄道であるがどちらにしてもどのような必要性があったのかわからない。重要な資源や軍事上の必要性は無いように思えるのだが。Img_0949
戸井鉄道跡 Img_0951

恵山遠望
 


 小さな坂を登ると、恵山が見える。618メートルの山だが、海面から起立しているので堂々たる山容だ。左方に爆裂火口があり白い煙を上げている。登ってみたいのだが今日どこまで行けるか不安なので諦める。恵山と別れ峠にかかると、「熊出没注意」の看板が出てくる。一体どう注意したらよいのか、なんとも心細い。
 太平洋側に出るとさすがに波がきつい。所々にサーフィンを楽しめるポイントがある。入り江毎に10数件の漁村が点在し、子供達はどうやって通学しているのだろうかとか、冬になったらみんなどうしているのかなど余計な心配をしてしまう。左は断崖で、関西に持ってくれば立派な名所になりそうな滝が連続する。名前が付いているわけで無し、駐車場所が確保されているわけで無し、地元の人にとっては毒にも薬にもならない存在なのだろう。Img_0953 Img_0952

断崖や滝が続々現れる



 大船で縄文遺跡を訪ねる。100軒近い縦穴住居跡のある大集落だ。出土の土器や石器も半端じゃない。石皿なんか資料館の周りに石垣のように積んである。
 青森から道南にかけて数多くの縄文遺跡がある。縄文の道というらしいが、その文化が花開いたことは事実である。なぜこの寒い地に縄文文化が花開いたのだろうか。確かに縄文海進という温暖な時期もあったのだが、それにしても九州や畿内ほどは暖かくないだろう。ひとつ考えられることは、暑い寒いより食料が得やすいか否かという観点である。
寒い冬はじっと耐えて春を待つのは農耕文化であって、漁猟狩猟の時代には、特に狩猟には冬は格好の季節なのではないか。雪の上に足跡が残ることや冬眠する動物の狩りなど有利な面が多々ある。多くの遺跡が海に近いことと合わせ、縄文文化が雪の地方に花開いた事由はそんなところにあるのかも知れない。
 大船遺跡で特徴のある住居跡は深さが2.4mもあることだ。丁度学芸員さんが穴の中で雑草の刈り取りをしておられたので、なぜこんなに深いのか訪ねるが、不明とのことである。かまど跡などもあり居住の跡には違いない。北陸のヒスイや秋田のアスファルトなど三内丸山と同様の出土品もあり、当時かなり広範囲の交易があったことも理解できる。Img_0955 Img_0958

所狭しの出土品、石皿など山積みされている
 

Img_0959           

深い竪穴住居跡
Img_0964



 鹿部町に入ったところで、名の付いた滝が現れる。その名も三味線滝、三味線の音に似ているとのことだが一向に三味の音は聞こえてこない。これがほんとの三味線か。今日の海岸沿いでは一番の滝だから名前が付いてもまあいいか。Img_0967

三味線滝

 その先で自転車のツアラーに逢う。「自転車の人は久しぶり」と妙に感激していた。函館からスタートし明日にもゴールするとのこと。北海道一周で丁度一ヶ月間かかったらしい。
 鹿部は間歇泉で有名。12分間隔で15mもの熱泉を吹き上げるというもの。待っている間は足湯に入れるようになっており中々の見物だ。泉質はナトリウム塩化物泉。Img_0970



間歇泉噴射の様子

 間歇泉公園の向かいにある、蕎麦屋さすがやは安くておいしい。蕎麦粉に昆布を混ぜてあり独特の味と食感である。もり430円。おまけにいただいた昆布の甘辛煮も大変おいしかった。
 宿は数件あるがそれぞれ泉質が違うそうで、一番はずれのこにし旅館に泊まる。料金が安いので設備や食事はそれなりだが、温泉は最高で、入った途端に肌がつるっとするのだ。

走行 92Km  累計 2,716Km   費用 9、392円

★鹿部温泉こにし旅館の湯 源泉掛け流し 含重曹食塩忘硝泉 自噴毎分21㍑ 
 源泉49度 ph7.2
入った途端につるっとし、べとつき感無く感触最高の湯 

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函館空港 10/3

2006-10-06 | 旅行記

 2006.10.3(火)     曇り 晴れ           
 6:30 起床
 9:00 湯の川温泉KKRはこだて発~函館逍遙~函館空港~
15:30 KKRはこだて着 

  夕べからしっかり雨が降っている。朝方もすっきりしないので連泊することにし、函館市内を歩く。五稜郭も函館山も以前に行ったので、北海道のガイドブックを探して購入し、市立博物館に行く。博物館は函館山の麓、山の手の町並みの南の公園内にある。小さな遊園地や動物園があり、プロムナードには最高だ。Img_0936

旧函館博物館二号

 博物館の目玉は重文の志海苔古銭である。37万枚もの古銭が昭和43年道路工事現場から発掘されたものである。由緒所以が解らないというのが面白い。昔から脱税の意図はあったのだろうか。地域柄水産関係、造船関係の展示物が多い。時間がないので充分に見られないのが残念だ。
 函館空港に見送りに行く。飛行機での別れというのは汽車やバスみたいにすぐに行ってしまわないので余計に哀しい。出発時間になっても滑走路に出たりエンジンを吹かしたりちっとも飛んでゆかない。飛び立つとぐーんと旋回して、段々小さくなり、最後に秋の陽に反射してピカッと最後の光を発して空に消えてしまうのだ。見送りに来ている人も、津軽海峡の上に広がる白い空をいつまでもいつまでも見つめている。どんな別れがあるのだろうか。Img_0943 Img_0944
いつまでも見送る人



 そとにひる餉をしたたむる、わがよそよそしさとかなしさと、、、、またひとりぼっちの食事が始まる。どんな貧しい食事でも、食事は二人以上が良いねえ。
 
 
走行 0Km  累計 2,624Km   費用 3,450円

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津軽海峡を渡る 10/2

2006-10-06 | 旅行記

 2006.10.2(日)     曇り 雨           
 6:30 起床
 9:00 城ヶ倉ホテル発~R103~青森市
12:30 青函フェリー~函館港着16:20
18:30 湯の川温泉KKRはこだて着 

  いよいよ今日は北海道に渡るこことする。
再度城ヶ倉大橋からの岩木山を見たいと訪ねてみたが、雲に隠れて見えない。八甲田のケーブルに乗ってみる。周辺の紅葉は少し早いようだが上部は中々の色合いで、労無くして楽しむことが出る。昨日の毛無岱が見えるところもあり三色に染まった箱庭を見るようだ。Img_0928 Img_0929

ロープウェイでも紅葉を楽しむことができる

 青森に下ってきてフェリーの時間をみると1時間後の12:30分に出航とのこと、バタバタと準備して港に急ぐ。久々の自転車に上肢の筋肉が痛い。出航すると左右に下北、津軽の半島がいつまでも見える。自動車で廻った下北より津軽半島の方が思い入れが強い。
青森は私の思い出をいっぱい残して、もやの中に消えてしまった。Img_0934



 北海道はこれで5回目の訪問である。自転車で走っていても憶えのあるような景色はなく、始めてくるのと同じようなものだ。駅近くで雨が降ってきた、湯の川に着くと本格的な降りになり、宿を目の前にして雨宿りする。
 湯の川温泉は3回目の訪問だが、記憶では白濁の湯と思ったのだがKK Rでは透明である。様々な泉質があるのか、私の記憶が間違っているのか、いずれにしても良いお湯である。
 
走行 15Km  累計 2,624Km   費用 4,560円

★KKRはこだて(函館市湯の川)2食付き8,000円
 市電湯の川温泉から徒歩5分、庭とお風呂が良いImg_0945

★湯の川温泉KKRはこだての湯  源泉掛け流し 含土類石こう食塩泉 65度
 適温調整のため加水有り  無色塩味有り 気持ちの良いお湯である 

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紅葉の八甲田山 10/1

2006-10-06 | 旅行記

 2006.10.1(土)     曇り 晴れ          
 6:30 起床
 8:00 むつプラザホテル発~R279~R4~R394~R103~酸ヶ湯
10:45 酸ヶ湯発 仙人岱着11:45 大岳着12:14   大岳発12:22
14:00 酸ヶ湯着 

  全国的に天気は悪いようだが、北海道と東北北部のみ好天の様子、再度のチャンスを狙って八甲田山に臨む。十和田からの国道103号線は10日前とずいぶん様相が変わっている。夏から秋の様相に変わり、紅葉も六、七分がたすすんでいる。ましてや今日は土曜日とあって人出の多いこと。誰もいなかった睡蓮沼や地獄沼は車がいっぱいでとりつくしまもない。酸ヶ湯の駐車場も駐車余地が無くて、通路に駐車する。
 仙人岱からのコースを登ってゆくと、所々紅葉のきれいな所がある。写真を撮るのだけが休憩で、どんどん高度を上げる。2時間の行程を1時間半で登頂。頂上はこの前の岩木山同様もの凄い人だかりだ。記念写真を撮ってさっそく下りにかかる。同じルートを下る予定であったが、時間的に余裕があるため毛無岱から下ることにする。 Img_0907
Img_0913
仙人岱の紅葉と頂上の私

 
 実はこれが大正解であった。いままでに見たことのないとても素晴らしい景色が展開していたのである。紅、黄、緑の三色の光景が果てしなく広がっているのである。おそらくこの色合いは一週間から十日が限度だろう。日程と天気の微妙なチャンスにめぐりあったのだろう。今日登って最高に幸せである。何度も何度も写真を撮るが、写真ではこのすばらしさが表現できない。Img_0921
 Img_0923
毛無岱の紅葉

 
 酸ヶ湯に降りても大勢の人出だ。入浴は諦め、城ヶ倉ホテルに行く。ここは山小屋風のおしゃれなホテルで、よくとれたなあと思う。雰囲気も良く、食事もおいしいが温泉が循環でいまいちである。隣が酸ヶ湯だけになんとも寂しい。

走行 0Km  累計 2,609Km   費用 13,000円

★城ヶ倉ホテル(八甲田山麓 城ヶ倉) ツイン13、000円二食付き
 ヒュッテ風のホテルでおしゃれな雰囲気、温泉有り。Img_0926

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妙に明るい下北半島 9/30

2006-10-06 | 旅行記

 2006.9.30(土)   晴れ  にわか雨
 6:00 起床
  9:00 青森セントラルホテル発~恐山~大間崎~
17:00 むつプラザホテル着

 車で恐山に向かう。R4は交通量が多く、R279は道幅狭く、自転車で走らなかったことを幸いに思う。その上にわか雨も降り出して自動車大正解。下北半島は予想以上に広い、貴田君推奨の尻屋崎は行けそうにない。恐山は陰気で不気味な霊場を予想していたのだが、意外と明るく、地獄も勢いが無くがっかりであった。イタコの口寄せも建物の中でひっそりと行われており、その光景が見えないのも残念だ。入山料は500円だが、場内に温泉があり、入浴は無料である。お風呂の用意をしてこなかった、残念。Img_0897 Img_0900

恐山賽の河原と宇曾利山湖

入山者は無料で入れる温泉

  薬研温泉から大畑に出、大間に向かう。大間はマグロ一本釣りの拠点である。テレビで見る大間は、冬の景色ばかりなので寒々とした風景を予想していたのだが、これも妙に明るく、土産物屋も沢山並んで賑やかな所だ。イカやホタテを売っているが、肝心のマグロは無い。ここで売るより、築地に出す方がいいに決まってる。
 大間温泉は地元の漁師が漁の疲れを癒すのだろう、大きな湯船に広い洗い場でゆっくり出来る温泉だ。Img_0903
本州最北端大間崎、向かいは北海道函館

  むつ市のホテルに帰るとすっかり日が暮れてしまった。

 走行 0Km  累計 2,609Km   費用 14,850円

★むつプラザホテル(むつ市) ツイン11、000円朝食付き
 温泉ではないがバスルーム、湯船がヒバで出来ていて広くて、景色も抜群。  

★大間温泉(日帰り) 350円 無色塩味、単純温泉 掛け流しのように見えるが、出水量が多く、吸水口もあり循環かも。

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待望のホヤを食す 9/29

2006-10-06 | 旅行記

 2006.9.29(金)     晴れ          
 6:30 起床
 9:30 雲谷YH発~ねぶた館~横内浄水場~青森駅
16:00  青森セントラルホテル着 

  来客有り、青森駅に迎えに行く。時間的に余裕があるのでねぶた館に寄るがあまり面白そうにないので入館しない。横内浄水場は日本一おいしい水道水のうたい文句があり、道標も何カ所かあるので、見学したり試飲したり出来るのかと思い、一キロあまり坂を上り直して訪れるが一向にその様子はなく、ただの浄水場にしっかり門扉は閉まっており、立ち入り禁止、不審者は通報しますとか看板がかかっている。そんなことなら観光資料に載せるなよなあ。Img_0894
 
横内浄水場 無断ではいると通報されます


 最高の好天の日をなすすべもなく青森駅に向かう。途中青森唯一の山道具の店を103号線沿いに見つける。山用の下着や靴下、ベルト、熊よけの鈴、袋類など7,100円分仕入れる。寝台列車日本海は正午前に到着する。昔ならそのまま青函連絡船に乗り換え、北海道に向かったものだ。
 本日から2日間自転車を置き、レンタカーで廻ることとする。悪天のため行けなかった下北半島と八甲田山登山をこの機会にやろうと思う。
  青森は周囲には優れた温泉があるが市街地にはいくつかの日帰り温泉がある程度だ。それでもホテルの狭いバスルームでは疲れが取れないので、極楽の湯と言うところに行く。
サウナ、壺湯、露天風呂、ヒバ湯など色々楽しめて390円は安い。ただし交通の便が悪くて、歩いて帰ったらかえって疲れてしまった。夕食はおおもりやといういい店をみつけた。昼食で立ち寄ったのだが、700円で刺身から郷土料理までいろんなものが出て、ビールを2本も飲んでしまったのだ。しかも少し季節遅れのホヤを食べたいと言ったら、さっそく用意してくれて、夕食も伺うことと相成った。期待通りおいしくてボリュウムたっぷりの食事を頂いた。

 走行16Km  累計 2,609Km  費用 16,840円 

★青森セントラルホテル 朝食付き5,000円
  モデムあり、ランドリー他揃っていてリーズナブル

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八甲田山死の彷徨 9/28

2006-10-06 | 旅行記

 2006.9.28(木)   曇り
 6:00 起床
  9:40 ホテルアラスカ発~八甲田丸~八甲田山雪中行軍遭難資料館~
16:00 雲谷YH着

 すっきりしない天気なので、10数キロ離れた雲谷YHに宿泊することとする。時間が有り余るので青森港の八甲田丸を見に行く。ご承知のように青函トンネルが出来るまで連絡船として活躍した船である。今では港に係留され、内部の見学も出来る。私たち団塊世代の青春時代の旅と言えばやはり北海道がステータスであった。現在のように海外においそれと行けない時代に海峡を越えるのは、初めて海外に行くときのような興奮を憶えたものである。ましてや長い夜行列車の旅の後にデッキを渡って乗船するのは格別である。八甲田丸は30年前の私の渡航を思い出させてくれた。
 
 秋風に 錆色さむし 連絡船    うとくImg_0889

 八甲田山雪中行軍遭難資料館は青森から田代平に向かう途中にある。事件は明治35年に起こった世界でも最も多くの犠牲者を出した遭難事件である。新田次郎の八甲田山死の彷徨を買ったのは学生時代のことではなかったか。中身はすっかり忘れており、今回資料館を訪れて改めて事件の概要を知ることとなった。驚いたのは一泊二日の予定の行軍であったこと、同時期に弘前の三十一連隊が十和田を巡り、東八甲田を通り青森にぬける三週間にも及ぶ行軍を完遂していることである。
 この事件が山岳遭難事件ではなく軍事上の行動による遭難であることが、その事実や原因等を世間に表すことなく一世紀も経過していることは、当時の情勢としてはあり得ることかと思うが遺族や関係者からすれば耐えられないことであったろうと察する。様々な研究資料が出版されており、余裕があれば研究してみたい分野ではあるのだが、旅の途中においては無理なことである。Img_0891


雪中行軍遭難資料館

 雲谷YHに着くとさっそく雲谷温泉に行く。YHのオーナーはアイルランド通で有名で各種ビールや酒類がそろっており、私はポチーンという蒸留酒、九十度をいただいた。あまりにアルコール濃度が高く、氷が沈んでしまうのだ。

走行 26Km  累計 2,593Km   費用 8,048円

★雲谷YH(青森県雲谷) 朝食付き 3,900円 設備の整ったきれいなYH、ティータイムにはアイルランドのビールなどが楽しめ、オーナーのお話も楽しい。Img_0893  

★雲谷温泉(日帰り) 350円 単純温泉 循環 単純温泉

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