hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

京浜電気鉄道大森支線の面影を探して

2024-09-27 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その251。京浜電気鉄道大森支線と聞いても知っている人は殆どいないだろう。京浜急行の嚆矢は1899年に大師電気鉄道として川崎(六郷橋)〜大師(川崎大師、現在の京浜急行大師線の一部)が開業した。(日本で3番目の電車として開業)

1901年には川崎〜蒲田〜八幡(現在の大森海岸)〜大森を開業、念願の東海道本線への延伸を果たした。しかし、1904年に八幡から品川方面への延伸(現在の北品川駅まで)を開業、共に八幡〜大森は大森支線となり、単行の電車が往復するようになる。1937年に道路拡幅計画に伴い、大森〜大森海岸は廃止となったのである。



JR大森駅を降りると駅前はロータリーとなっていて当時はループ状に線路が伸びていて?電車が大森駅ではそのまま折り返して行く構造になっていた。

駅前には京浜急行バスを多くのバス停がある。真っ直ぐ行くと道は右に折れ、次の信号機を左に行くと真っ直ぐに大森海岸駅に向かっている。



道路は拡幅されているため、電車が走っていた頃の遺構は殆どない。ただ、大森駅から1つ目のバス停(NTT大森前)からイトーヨーカドーに向かって右側に大森支線の説明板が残されている。



さらに足元には発掘された軌道の敷石が並べてあった。

カンカン照りの中、大森海岸駅まで歩いて行くと国道15号の所で垂直に交わっている。



一つ不思議に思ったのが、なぜ『大森海岸駅』という名称なのか。元の八幡という名称は1904年に『海岸』駅に改称、さらに1933年に『大森海岸駅』に再度改称されている。

名前の由来は改称された当時は国道15号線あたりまでが海岸が来ていたのでこの名前となった。しかし、その後海岸の埋め立てが進み、5kmは歩かないと海岸には辿り着かない。






天国と地獄の4日間②〜阪神ファンの戯言

2024-09-26 05:00:00 | 阪神タイガース
(9月20日〜23日の阪神タイガースは天国と地獄の4日間)②

9月23日は今シーズン最後の伝統の1戦だったが、結果は前日の裏返しとなってしまった。阪神は巨人先発のグリフィンをある程度打つものの、タイムリーに至らない。1回2死1、3塁で佐藤が三振、2回2死1、2塁で近本がピッチャーゴロ、3回は1死2塁で大山内野ゴロ、その後の2死3塁で佐藤輝明三振と4回もチャンスを潰す。

6回はケラーに投手交代、先頭の大山が2塁打を打つ。しかし、2打席連続三振の佐藤になんの策もないままに打たせてセンターフライ、あと2人も凡打で5回目のチャンスを潰す。


何回もチャンスを逃すと当然に勝利の女神は微笑まず、相手チームにつきは移る。7回吉川、岡本のヒットで無死1、3塁を作られた。ここで1点取られたら負けというムードだったが、高橋遥人は続投。

勝負強い代打坂本にタイムリーを打たれる。その後は代わった石井が抑えたが万事休す。巨人はバルドナード、大勢と繋ぎ、最後の最後に代打糸原の内野安打、代走植田の2塁盗塁でかろうじてチャンスは作ったが、木浪三振でゲームセットとなってしまった。




この試合は①チャンスを幾度も潰した後は何らかの策が必至。特に6回無死2塁の佐藤の打席は本当にあれしかなかったのだろうか。さらに②7回90球近く投げている高橋の球がTVで見ていても高くなってきたのに投手コーチは交代をなぜ進言しなかったのか。この2つは悔やんでも悔やみきれない。

もし、監督が廣岡や落合だったら同じプレイをしていたのか、ここは負けられない試合を易々と落としたベンチの責任は重い。
阪神ファンを長くやっているとこうした絶対に勝たなくてはいけない試合で勝てた試しがない。(一番トラウマなっているのは51年前、1973年10月20日の中日戦に江夏で敗れ、10月22日最終戦で巨人阪神が対決。しかし、甲子園で上田次郎が打ち込まれ0対9で敗れ、優勝を逃した試合が思い出されてしまう。)

残り試合は阪神が5試合、巨人は6試合。マジックが4のため、たとえ阪神が全勝しても巨人は2つは負けられる。日程的には25日から5連戦の巨人は横浜→横浜→東京ドーム→広島→神宮とロードが多く、厳しい。ただ、戸郷(DeNA)、井上または山崎伊織(DeNA)、菅野(中日)、グリフィン(広島)あたりの先発が予想されるが、巨人が有利なことは動かない。ただ、中日は高橋宏が先発すると苦戦するかも。
阪神の先発は27日大竹(広島)、28日村上(ヤクルト)、29日才木(DeNA)、30日高橋遥人(DeNA)あたりを予想。とにかく最低でも2つ勝って、巨人の負けを祈るしかない。

見方を変えると残りのペナントのカギは巨人戦2つ、阪神戦2つを残すDeNAが握っていっても過言ではない。DeNAも広島との3位争いで負けられない中、全力で来ることは間違いない。
泣いても笑ってもあと1週間、私は阪神タイガースを全力で応援する。


天国と地獄の4日間①〜阪神ファンの戯言

2024-09-25 05:00:00 | 阪神タイガース
9月20日〜23日の阪神タイガースは天国と地獄そのものであった。20日対DeNA20回戦はスターティングラインナップを聞いて嫌な予感がした。阪神の先発が西勇輝だからである。

今期ここまでの西投手の成績は6勝6敗、防御率も2.24とそれほど悪くない、しかし、直前は9月1日甲子園巨人戦で菅野に投げ負け、9月8日ヤクルト戦も5回でKOされていていかにも勝ち運がない。なぜなら9月は5つしか負けていないにも関わらず西が3敗(含む当試合)だからである。たぶん、投手コーチは7月4日DeNA戦勝利から推したのだろうが。

さらに阪神タイガースが先発投手が払底しているならわかるが、青柳・ビーズリーという選択肢もあるはずなのだが。

西投手は立ち上がりこそ良かったもの、2回にはオースチンからの4連打で2点、3回も連打からオースチンのHRで3点取られて降板。打線は一回り後連打で4点返すが追いつけず敗戦となった。同日、巨人は勝ったため、マジックは2減った。

21日DeNA戦は前の試合のお礼参りと3回表に大山タイムリー、井上3ランで4点先制するが、5回にタイムリー2本とオースチンの3ランであっという間に逆転される。

しかし、8回にヒット2本と四球で無死満塁から代打渡辺の内野ゴロの際に牧の悪送球で同点、10回の佐藤輝明の逆転HRで何とか勝った。(しかし8回同点後に木浪の併殺打は頂けない。)

この時点で阪神巨人は2ゲーム差、頑張ればホーム甲子園でゲーム差なしまでと阪神ファンは皆夢見る。

9月22日巨人24回戦は才木の気迫の投球に尽きる。3回裏に1死からの木浪のヒット、才木の送りバントで2死2塁のチャンスを作り、近本・中野の連打で先取点。



あとで振り返っても本当にワンチャンスをものにできた。才木は6回浅野の2塁打を機に無死満塁と攻められるが、速球で長野、坂本、大城をフライで打ち取り、ゲラ・岩崎と完璧なリレーして勝利、ここで巨人に1ゲーム差に肉薄した。(以下、次回)







『暑さ寒さも彼岸まで』を検証してみた。

2024-09-24 17:26:00 | 日記
今年の秋は暑いように感じた。因みに2024年秋分は9月23日である。以前もブログに書いたが、春分・秋分の決め方は夏至と冬至の真ん中に当たる日を選ぶため、気候と乖離することもあるが、『寒さ暑さも彼岸まで』という言葉を信じて、どうしても私などは秋分の日を最後にもう暑い日は来ないと勝手に考えてしまう。
(キク)
2023年9月はどうだったのか。9月上旬は今年と同じように35℃近い日(3日34.6℃、5日34.8℃)があるが、気温の上下を繰り返し、19日33.5℃、20日32.3℃となり、21日29.5℃から気温は下がる一方、つまり『暑さは確かに彼岸までだった』のである。

(パンパス)

(スイフヨウ)

実は今年もあまり変わらない。14日34.5℃、15日34.4℃からは少し一度下がり、再び18日35.1℃には戻る。しかし、19日33.6℃、20日33.9℃であり、21日は32.6℃、22日は28.9℃、23日は27.7℃止まり。多少ずれてもやはりトラックレコードに抗えないようである。
(カラスウリ)

(ヨウシュヤマゴボウ)
⭐️データは東京都心のものです。




真夏のサンマーメン〜平和島ランチグルメ

2024-09-24 05:00:00 | グルメ
横浜のローカルラーメンに『サンマーメン(生馬麺)』がある。名称がよく似ているのが『サンラータンメン(酸辣湯麺)、スーラータンメン』がある。

後者は中国にある酸辣湯という辛いスープがあるが、これを東京赤坂の栄林の料理長がアレンジした麺と言われていて鶏肉、椎茸、キクラゲ、筍、長ネギなどの具材を塩、醤油、生姜で味付けし、たっぷりの酢とラー油、胡椒を加え、細い中華麺を入れ、片栗粉でとろみをつけ、溶き卵を流し込んで仕上げた麺である。

(サンラータンメン)

一方、前者は具材は似ているが、メインは白菜とモヤシであり、豚肉やウズラ卵、イカや海老を加え、トロミを付けた餡を醤油ラーメンまたは塩ラーメンに乗せたものである。



長くなったが、平和島の町中華『日進亭』に『サンマーメンが名物』とあり、私がサンラータンメンと勘違いして注文した。サンラータンメンはよく食べるが、サンマーメンを食べたのは初めてである。

もちろん出てきた麺はあっさり仕上げの醤油ラーメンに野菜をたっぷりいれた餡が乗っていてとにかく熱い。見た瞬間、私の認識が違っていたことには気付いたが、頂くことにした。

まずは麺まで行くことができず、野菜からとなる。白菜やモヤシ、小松菜、玉ねぎがシャキシャキに炒められていて熱いが美味い、野菜からこんなに旨味が出るのかと感心しながら、さらに汗を拭きながら食べ進める

ようやく麺に辿り着いたが、こちらも細麺のちぢれ麺。スープのしっかり絡み、美味い。私の隣の席に新たにきた2人も海老旨煮麺とサンマーメンを注文していた。夏に餡掛けラーメンを頼むことはあまりないが、汗との格闘。目に汗が沁みるが、麺を食べ続け、ようやく15分かけて完食した。

最後の方は味変を狙い、酢とラー油を加えたが、これも良かった。
ただ、もし間違えずにサンラータンメンを頼んでいたとしても汗まみれになったことは変わらないだろうが。さすが65年のキャリアというだけ美味かった。



冷やし中華やざるそばばかりでなく、『真夏の気候と餡掛けラーメン』、身体にはよさそうです。ご馳走さまでした。
日進亭
大田区大森北6ー26ー12
03376154


『久我山歳時記』㊾〜暑い秋分?それとも平年通り?

2024-09-23 05:00:00 | 日記
『久我山歳時記』㊾、2024年秋分は9月22日である。以前も書いたが、春分・秋分の決め方は夏至と冬至の真ん中に当たる日を選ぶため、気候と乖離することもある。ただ、『寒さ暑さも彼岸まで』という言葉を信じて、どうしても私などは秋分の日を越えるともう暑い日は来ないと勝手に考えてしまう。


2023年9月はどうだったのか。9月上旬は今年と同じように35℃近い日(3日34.6℃、5日34.8℃)があるが、気温の上下を繰り返し、19日33.5℃、20日32.3℃となり、21日29.5℃から気温は下がる一方、最高気温が30℃を越えることはなかった。つまり『暑さは確かに彼岸までだった』のである。



実は今年もあまり変わらない。14日34.5℃、15日34.4℃からは少し一度下がり、再び18日35.1℃まで戻る。しかし、19日33.6℃、20日33.9℃であり、21日は32.6℃止まり。今後1日くらいは暑くなる可能性は否定できないが、多少ずれてもやはりトラックレコードに抗えないようである。

では町を歩くと秋らしいものは見つけられるのだろうか。確かにまだ夏の木の花である百日紅はピンクの花を付け、木槿と白い花の真ん中が赤い特徴のある花は咲かせている。我が家では赤紫色の朝顔が日に4〜5輪咲くし、モミジアオイの蕾もまだいくつかはある。


しかし、ご近所のレモンの木に成っている実は一部黄色くなり、葡萄の実も段々と色が濃くなってきている。


秋の七草の一つ、ハギの花はピンクの可愛らしい花を付けているし、ススキも穂をだしている。さらに日当たりの良いところにはヒガンバナがニョキニョキと育ち、赤い花を付けたものもたくさんある。

スイフヨウもピンクの花を誇らしげに咲かせているし、秋深くなると赤い実が特徴のカラスウリの白い花がたくさんついている。


さらに夏に白い花を付けていたヨウシュヤマゴボウの実も濃い紫に熟している。



吉祥寺の秋祭りも終わり、久我山でも10月5日には町内を神輿が周る秋祭りとなる。



空を眺めれば中秋の名月、昼間にはウロコ雲や巻雲を見ることができ、夏に比べて空が高くなった気もしてくる。


ただ、これはあくまで私が必死に秋を探した結果であり、本格的な秋を感じるにはまだしばらく時間が掛かるような気はしている。




タント・ドマーニ〜〜新宿グルメ

2024-09-22 05:00:00 | グルメ
『ドマーニ』という名前のレストランには色々と思い出がある。初めて行ったのは『六本木ドマーニ』、六本木の中心で瀬里奈ビルの近くにあったお店、バブルの最中で予約を取るのも大変だったが、真ん中にキッチンがあり、当時としては斬新な造りだった。



(ドマーニ1966)

次に通ったのが1993年頃、『吉祥寺ドマーニ』。少し外れた所にあり、料理やワインは美味いが中々出てこないところがある。『タラモサラータ』『セウタ』『ウニのパスタ』などを知ったのもこのお店。

(下北沢のドマーニ)

そして、淡島通りにあった『海路ドマーニ』(途中からドマーニ1966)、さらに渋谷、下北沢に移り、昨年残念ながら閉店した。

しかし、そのメニュー、その名前がよく似た『Tanto Domani(タント・ドマーニ)』を発見、早速お邪魔してみた。
お店は新宿副都心内にある新宿アイランドタワーの地下1階にある。

まず驚いたのが、入口で出迎えてくれるイラスト『魚のシェフ』が私が行ったドマーニと同じことである。

店に入るとフロア担当の女性に席に案内され、メニューを受け取る。まず、料理を見ると『タラモサラータ』『セウタ』は乗っている。さらに『ムール貝の蛸壺焼き』もある。

もちろんこれらを頼んで、モレスティ(イタリア産ビール)で乾杯。久しぶりだが、軽くて美味い。



最初に『タラモサラータ』が登場。下北沢の店に比べるとタラコの粒感が強く、若干塩が効いているが、殆ど変わらない。レモンを絞り、サービスのフランスパンに乗せて頂く。ビールにベストマッチ。



すぐに白ワインを注文。2皿目は『キノコと海老の土鍋焼き』、アヒージョに似た料理。ぐつぐつのオリーブオイルにシメジと海老、その通りの味である。

『ムール貝の蛸壺焼き』は淡島通りにあった店で出て来た鉄鍋と同じ、周りにドマーニの文字もある。ぐつぐつ煮えるムール貝を頂き、その穴にフランスパンを千切って放り込み、エスカルゴバター(ブルギニオンソース)をたっぷり付けて頂く。とにかく白ワインと相性がいい。



そして『セウタ』、塩にアルコールをかけ、真ん中に銅鍋を置いて出てくるスタイル。具は海老、帆立、鮭が入っている。このお店のスタイルなのか辛味は効いているがほぼ同じ味付け、懐かしさが込み上げる。

最後に『渡り蟹のトマトパスタ』、しっかり味が付いた蟹入りのソースとパスタが和えられ、美味い。渡り蟹は足やハサミは食べにくいがここまでしがんでしまう。

他にも色々メニューがあるが、名残を感じさせてくれた料理もそれ以外も全般に美味しく、感じの良いスタッフもいる楽しいお店であった。予めわらび餅を買ってしまったため、ドルチェは諦めたが、次回はここまで行くことにしたい。ご馳走さまでした。ちなみにこの日のディナーは予約でいっぱい、予約した方が良いと思われます。



タント・ドマーニ
新宿区西新宿6ー5ー1新宿アイランドタワーB1
05055922514

SAKE家 心花〜下丸子グルメ

2024-09-21 05:00:00 | グルメ
ようやく朝夕は涼しさも出てきた。暑さが終わったら一杯やろうといういかにも酒飲みの都合のよい理由づけの上でいつもの飲み会を開催。



場所はいつも幹事一任だが、東急多摩川線下丸子駅から降りて3分ほどの『SAKE家 心花』というお店。失礼だが、下丸子駅も初めて降りた駅、蒲田駅からも東急東横線多摩川駅からも3駅目にある。

初めて降りた駅ということもあり少し調べてみた。下丸子は東京都大田区、しかし上丸子は川崎市中原区にある。元々、『丸子の渡し』がこの付近にあり、丸子は『船を守る守子(もりこ)』に由来するとの説もある。ただ、渡しも昭和9年の丸子橋開通により、その役目を終えた。川を挟んで向かい合う地名が同じという例は珍しくなく、等々力、宇奈根、沼部なども同じ地名が向かい合っている。



下丸子駅を降りると喜楽亭という渋い駅前食堂があり、その横を通り、湾曲した道を1、2分歩くとお店の前に出る。入るとすぐカウンター、奥に4人席が2つのこじんまりしたお店である。

少し都心から離れているが、久しぶりの飲み会のため、定時スタート。

まずは赤星で乾杯、多少は涼しくなったとはいえ、ビールは美味い。小さくよく冷えた金属性のグラスがいい。

突き出しがキャベツやきゅうりのざく切りに自家製麹みそを乗せたもの。この味噌がミソ、美味い。すぐに持ち帰りたいという声が上がる。



まずは刺身の盛り合わせ。ノドグロ、宗田カツオ、アオリイカとウニ、間八、ひらめ、赤貝が皿に乗り、1人ずつに供される。いずれも新鮮で美味いが、ノドグロの炙りは脂の乗りもよく、出色であった。
すぐに一同、日本酒が飲みたくなり、『勝駒』(富山県)をオーダーするも目の前で売り切れ、『磯自慢』(静岡県)を飲む。港に近い焼津の酒は刺身によく合う。

すぐに一合は空き、次いで『鳳凰美田』(栃木県)の冷卸(ひやおろし)、流石に二合にする。温めた鯖の燻製、手羽先の焼き物が出されたが、いずれも脂が適当に乗って酒が進む。



ここでなめろう、今日のお魚は秋刀魚だが、全く生臭くない。一同、かつて訪れた御宿で食べた酢なめろうの話で盛り上がる。酒は『沢屋まつもと』(京都府)、上品な味に感動。



ここから天ぷらシリーズ。皆、好みのものを揚げてもらう。まずは穴子さらに天使の海老、だけきみ(とうもろこし)、さつまいも、蓮根。それぞれに材料は吟味されていて大変美味かった。





酒は『くどき上手』(山形県)、爽やかな辛口。アジの南蛮漬けによく合う。さらに『三千盛』(岐阜県)、こちらも辛口、ラベルには(超辛口、純米大吟、DRY)とありました。





もう一つの名物が蕎麦、失われそうな長野県の在来種を北海道・黒松内で栽培したお蕎麦。締めにするには勿体無い旨さで、最後に切れ端を茹でて塩をつけ、あてに出してもらったのが、さらに美味かった。



何を出すのにも凝っている只者でないお店、再訪必須です。ご夫婦が仲良く真面目に営まれているあまり教えたくない一軒でした。ご馳走さまでした。


SAKE家 心花
大田区下丸子3ー13ー3
0337585656


iPhoneで中秋の名月を撮る

2024-09-20 17:17:00 | 日記
携帯電話で撮ることが普通になって一眼レフは全く使わなくなってしまった。しかし、夜間撮影のできるアプリを入れないとどうしても上手く撮ることができない。

我が家のベランダからは大きく見える月も写メで撮ると小さく、目で見るのとは違う姿になってしまう。みなさんの上手く撮った月や星が羨ましい。


あまりにつまらないので今年のお供えを添えてみました。









ロートレック『時をつかむ線』展に足を運んで

2024-09-20 05:00:00 | 日記
SONPO美術館で開催中のロートレック展『時をつかむ線』に行く。



ロートレックは1846年にフランスの伯爵家に生まれたフランスを代表する画家の1人だが、14歳の時に右大腿骨、左大腿骨とつづけて骨折し、足の成長が止まるという大怪我をした。自ら不具になったことを知り、20代で絵画を習い、画家を志す。その始めの頃のデッサンなどからの展示となっている。

ロートレックの素描を200点以上保有するフィロスコレクションが並ぶ。物によっては紙の表裏に描かれているものもある。特に習った画家が動物の素描が得意だったこともあり、老人や婦人といったモデルに加えて、犬や馬を多く描いている。



次のコーナーではムーランルージュ、自由劇場、制作座といった彼が好んで通った劇場やキャバレーなどでの役者や踊り子の素顔、特にイベット・ギルベールとアリスティド・プリュアンの素描、台本、ポスターが並べられている。



ポスターのコーナーには有名な見たことのあるものが並んでいて写メを撮ることもできる。特にディバン・ジャポネはかつて行った展覧会で写しを買って部屋に掛けていたこともある。




最後のコーナーには自らが企画した食事会の招待状や母親宛の手紙、写真なども出品されていてロートレックの洒脱で粋な面を垣間見ることもできる。ただ、私に取って印象的だったのは最後に飾られていた『馬』と題した絵画。

馬にも乗れない彼がどのようにこの構図を考え、描いたのか、やはり天才のなせる技と感心した。楽しい展覧会なのだが、フランス語の素養が自らにあったのならばもっと楽しむことができたであろう。



ただ、多くの若いカップルが楽しげに鑑賞していたのはいい意味で予想外であった。もちろん、ゴッホのひまわりの絵も見ることができた。